光輝の一等星
孤高の姫君の静かなる復讐
城の中は熱風と血の匂い、黙々と立ち込める黒い煙が充満していた。上の階は比較的マシであったものの、これでは下から上へと火が移っていって、おそらく、何もしなければ城は全勝してしまうだろう。
炎の中を敵も味方もわからなくなり、自己防衛本能と殺戮衝動のままにただ目の前にいる者を殺していく者たちを前にして、人は日ごろから安易に『地獄』という言葉を使っていると思う。
本当の地獄は、立っているだけで、その場にいるだけで自己が消えそうになるくらいに狂っていて、見ているだけで胸が焼き焦げ気持ち悪くなっていき、その悲鳴を聞くたびにどんなに屈強な精神の持ち主であっても震えあがってしまう。そんな、この世で最も惨澹な場所だ。
昇龍城の中はかつてないほどに荒れていた。リブラが指揮するオルクスの軍が攻めてきたということだけではないらしく、偶然かあるいは仕組まれたものなのか、この城の中でも同時に反乱がおこり、火がはなたれ、その瞬間から、敵も味方もわからない、誰も信じられない殺し合いが始まってしまった。
その中を駆けていく賭刻黎愛はさしずめ『鬼の子』といったところだろうか。
風のように場内を走り抜けていく彼女の後ろに生者は存在しなかった。
しかし、そんな黎愛であっても天守閣の一つ下の階からの光景については、驚愕することしかできなかった。
「これは……予想以上に……」
流石にまだ火の気のない城の最上階の廊下には、何十という兵士が倒れていた。
中には当然、息をしているものなどいない。動くも語るも苦しむも楽しむもなく、命尽き果てて転がっている。
異様なのは、それらの死体に一切の傷跡がないことだ。
死体はまるで眠ったように動かず、息をしていない。
こんな殺し方ができるのは、幾数多の『結界』の力の中でも、おそらく、二人しかいないだろう。
その犯人はおそらく、この一つの天守閣で、酒でも飲みながら静かに待っている。
念のためとクンクンと鼻を鳴らして、アーモンド臭などの独特な臭いがしないかどうか、確認しておくが、どうやらもう散布されてはいないようだ。
この階には血の匂いもしなければ、騒がしさもない、窓を見上げれば深々とした夜があった。
命の気配が全くしない、まるで人の形をしたマネキンが無造作に置かれているような不気味な廊下を歩いていく。
黎愛が歩くたびに、彼女の手にある刀の先から赤い点が床に垂れていた。
(妾は……)
この先で、一体何をしようとしているのだろう。
今まで前だけ見て突き進んできたはずなのに、今、目の前にある未来のビジョンが全く見えなくなったような気がして、立ち止まりそうになった。
どんな敵を前にしても、湧かなかった恐怖がこの先にはあった。
廊下の奥につくと階段がある。
そして、この先に続くのは、第11バーンすべてを見下ろせる、天守閣。
それはこの城で唯一主とその妻だけに許された、聖域だった。
ギシッ、ギシッ、という音を立てながら階段を上っていく。階段の向こう側には光が漏れる大きな扉が見えていた。
なぜか刀を落としそうになり、力が抜けかけた両手に再び力を籠め、何度も振り返りそうになりながらも、逃げることなく、ゆっくりと進んでいく。
「…………っ」
扉越しでもわかるプレッシャー、間違いなく、彼女はこの向こうにいるという確信が持てる。
扉に触れようとして、手を止めて、自分のその小さな手を見つめる。手は、汗で湿っていた。
(この手で、妾は……)
何を掴もうとしている?
何を求めている?
何を迷っている?
そんな言葉が頭をよぎって、無性におかしくなり、静かに口元をゆがめた。
人はあまりにも弱い、一度した固い決意も、それがたとえ5年以上揺るがなかったとしても、簡単なことで崩れそうになる。
(違う、のう……)
これは、賭刻黎愛の思考ではない。
黎愛という少女は、たった二人を守るためだけに、他全てを手放している。その手の中に入れてよいのは、血塗られた宿命と、たった一本の刀だけ。
得ることも、求めることも、迷うこともあってはならない。
ギュッ、と拳を作った黎愛は目の前の扉を殴り、開けた。
「ようやく、来たわねぇ?」
ギギギッ、という音と共に開いた扉の向こう側は、青白い月の光に包まれた幻想的で吸い込まれるような美しくもどこか儚いように感じられる光景があり、黎愛は絶句し、口を閉じたまま見惚れ、しばらくその場に立ちつくしかなかった。
天守閣の窓はその全てが開いており、優しい明かりを振り下ろす月の光が部屋を照らしていて、その先からはポツリポツリと人の営みがうかがえる小さな明かりを一望できた。
その中、壁に背を預け、月を眺める一人の美しい女がいて、その手に持ったキセルから立ち上る白い煙は天を昇る竜のように途切れることなく空を目指していた。
この瞬間は国宝ものだと思う。
「綺麗に、なったのう……梅艶」
「さぁて、誰に遺伝子のせいかしらねぇ」
大人げなく声が裏返りながら黎愛が言うと、すぐに梅艶から答えが返ってくる。
アルタイルの血が流れている者は、人を、特に女性を、否応になく魅了する、容姿であったり雰囲気であったりすることが多い。黎愛自身は自覚できないが、それは涼や目の前にいる女――梅艶を見れば一目瞭然のことといえるだろう。
いや、彼女の場合、老若男女問わず、見た者を虜にしてしまうような気さえする。
一つの絵を壊すように、梅艶はゆっくりと闇のように深くそれでいて人を吸い寄せるような魅力を持つ黒目を動かし、黎愛の姿をとらえる。
「随分と下は騒がしいようねぇ?」
「……それは、おぬしのせいじゃろうが」
「でも、過去の清算にはなったでしょう?」
この城のアンタレスに対する反乱が今日起こったことは単なる偶然か、オルクスの手によるものではあるが、反乱自体は、いつ起こってもおかしくはなかったといえる。
アンタレス――梅艶は実の父を殺してその座を奪った。
ゆえに、城の中では彼女がアンタレスとなった瞬間から、反感を抱くものは少なくなかっただろう。
しかし、それでも今まで、彼女が城の者に大きく裏切られなかったのは彼女自身の力と共に、彼女に取り入った者たちが遥かに多かったからである。当時からすでに父以上の実力を持っていた彼女の母譲りといえる手腕は高く評価されたのだ。
そんな中、梅艶は、一人、また一人と、まるで身辺整理をするかのように自身の周りにいた重臣たちを黎愛の元へ向かわせた。そして、彼らは一人たりとも返ってくることはなかった。
彼らが黎愛にかなわぬことなど、おそらく梅艶はわかっていただろう。
一見、それは命を落とした彼らに対する、裏切りのようにも映る。
しかし、その全てが梅艶の一つの復讐だった。
自分たちを追い詰めた城の重臣の血を絶やすと同時に、約束を破った一人の女を苦しめる。
そんな復讐で自身の周りをすべて消した梅艶に残ったのは、始めから彼女に忠誠を誓わずに彼女の傍にいなかった者たち。
梅艶の周りが手薄になった今、彼らが謀反を起こすのは自然のこと。
梅艶はこの復讐のために、きっと、全てを犠牲にしている。
過去も、未来も。
多くの繋がりを失い、時間を失った彼女に残されているのは、その強大な力と、一つの決して逸らすことのできない目に見えなくとも死ぬ瞬間まで必ずついて回る最後の繋がりだった。
だから彼女は、全てを断ち切り、ここで終わらせるつもりだろう。
キセルを逆さにして灰を落とした梅艶が立ち上がると、その手にはまっている指輪が光り、『結界』が展開された。
「さあ、最後の悦楽を始めましょうかぁ――お母様」
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