光輝の一等星
気持ちの真実
琴織聖は、断片的に見えてしまった自身の記憶から逃げるように走っていく。
涼は必ずどこかにいるはずです、死んだなどというのは嘘です、そんなことを呟きながら、思い当たるところを探し回る。
彼女の寮の部屋、デートで回った店、それに学校。
だが、どこにもその姿を見つけることはできなかった。
どこをどれほど探したのかわからなかった、息を切らしながら、聖はいつの間にか学校の廊下を歩いていた。
どこにもいない、いない、いない……。
なぜ、どうして、意味が分からない……。
「どういうこと……ですか!」
廊下の壁に手を打ち付ける。ジンジンと手は痛むが、まるで自分の体とは思えなかった。そして、壁に手をつけたまま、自身の頭を押さえる。
自分が間違っていたというのか、そんなはずない、涼は生きている。
詠が、周りが、この世界がおかしいのだ。くるっているのだ。
その時、窓ガラスに映った自分と目が合った。
いつも見ている自分とは比較できないくらいにやせ細り、肌も荒れ、髪もぼさぼさ、自分の知っている琴織聖の姿ではない。
そして、ガラスに映った目は、この世界を見ていなかった。
「……っ! そういうこと、ですか……」
突き付けられた現実に、ようやく、理解する。
くるっていたのはこの世界ではなかったということに。
「おかしいのは……私でしたか……」
それが分かった途端、防衛本能によって脳に忘れさせられていた記憶が流れ込んでくる。梅艶に口から毒を流し込まれた瞬間、涼の遺体が大蛇に飲まれる瞬間、すべてを思い出した。
突然襲ってくるものにしてはあまりにも辛く、重い記憶に、耐えきれなくなり、頭を抱えて聖はその場に座り込む。
「あなたが、琴織、聖かしら?」
そんなとき、大量の汗をかき、膝をつく聖の頭上から声が聞こえてきた。
苦しい、話しかけないでほしい、そう思いながらも、目の前に立つ声の主を見る。それは知らない女であった。
はい、と言った聖はおぼつかない足で立ち上がる。そんな聖の状態など、知ったことかというように女はきつい口調で、
「あなた、西部和樹を覚えてる?」
首を横に振る、まだ、忘れているのだろうか。それとも、元々知らない名前なのだろうか。
すると突然、女は聖の胸ぐらをつかみ、壁に打ち付ける。その目はまるで、親の仇を見るかのような、憎悪を含んだ眼で、ゾッとした。
「一週間前、あんたが振った男だよ!」
「…………思い、出しました」
そう、一週間前、それはまだ、涼が生きていたとき。
もう、戻れない過去のことだ。
あのとき、聖は、彼の言葉で、涼に対する気持ちを自分自身と照らし合わせて考えることができた。やはり名前は知らなかったが。
掴みあげた女は聖の体を投げた。受け身も取れずに、聖は廊下の床に打ち付けられる。
「あんた、彼氏いないんでしょ。どうして断ったのよ!」
「…………」
「トキメキが足りない? そんなの初対面も同然なんだから当然でしょ! ひどい振り方、ありえない!」
この女はどうしてこんなにも怒っているのだろうか。彼女が振られたわけではないというのに。
何とか言ったらどうよ、と身がすくむような怒鳴り声を放つ女に、身がすくんだ。
この女はただの人間である、ルードでも、オルクスでも、プレフュードでもない。
しかし、その剣幕に、聖は恐怖を覚えずにはいられなかった。
「私は……付き合えません」
「どうして、好きな人でもいるの? 仲良い男子もいないわよね? もしかして、いつも一緒にいるのは飛鷲涼って女? あんたレズなの?」
彼女の言葉に答えることができなかった。そんなことは自分が一番知りたかった。
結局、自分は涼に恋していたのかどうか。彼女がいなくなってしまった今、もう永遠にわからない。
聖が否定することも、肯定することもできずに口を閉じていると、女はその場に崩れ落ちた。
「なんで答えないのよ!……なんで、あいつと付き合ってあげないのよ……」
泣き始める女を見て、なぜここまで他人のために泣けるのだろうと思う。いや、その理由はなんとなく、わかった。
彼女の行動は、論理的に考えたところでわかるものではなかったのだが、それでも聖が彼女のことを『わかった』と思ったのは、共感したからである。
「貴女は……好き、だったのですか?」
どうして、自分はこんな結論を出したのだろうか。そんな問いを自分に突き付けながら聖は言った。
聖の言葉に、女は叫ぶように答える。
「当たり前よ! でも、あたしじゃ、和樹を幸せにできない――あんたじゃないと、あいつは喜ばないのよ!」
恋というものは恐ろしいものである。
好きな人のために、自分の気持ちをあきらめる。
そして、好きな人が幸せであるために、自分には利益のないような行動をさせる。
いや、利益がないどころか、好きな人を他人とくっつけようとするなど、不利益でしかないはずである。
そこには全くの論理性がなかった、不可解と言わざるを負えない。
彼女の行動は、正直、狂っていると思った。
(えっ…………)
その時、聖はずっと引っかかっていた思いを、すべてを理解した。
自分の心臓が跳ね上がる。ドキドキ、と鳴る心臓に、初めて自分の気持ちを実感する。
恋とは、狂気。
相手のために狂ってしまうことこそが、恋。
「私、は……」
それは依存という言葉に似ているように感じるかもしれないが、まったく違う。
確かにそこに存在するのは一方的な恋慕ではある。
しかし、依存と決定的に違うのは決して自分のためだけの、自分勝手な思いではないことだ。
恋という感情は自分の事と同じくらい、いや、それ以上に相手を思うこと。
恋愛感情というものをそうやって定義したならば、飛鷲涼という少女によっておかしくなってしまった自分の持っていた感情は、決して友情ではなかった。同時に、彼女への依存でもなかった。
今まで、わからないと、悩み続けていたが、これが恋愛感情なのだと理解できた瞬間に、まるでバラバラだったパズルのピースがすべて組み合ったように、納得できた。
自分がずっと抱いてきた気持ちは、決して嘘ではなかったのだ、と。
だから、目の前で涙を流す女、自分の気持ちをぶつけてくれた彼女には、聖の気持ちを告げなければならない。
「貴女の言う通りだったみたいです」
「……えっ?」
「私は飛鷲涼という一人の人間がどうしようもなく、好き、なのです」
女は驚いていた。涙を止めて、聖の顔を見る。
「じゃあ、初めからかなうはずのなかった恋だった――――そんなのって、そんなのってないわ! じゃあ、私は何のために振られたのよ! こんなつらい思いまでして……」
すみません、と呟いた聖は、その場を立ち去る。聖にできることはそれくらいであった。
聖自身も傷つき、それ以上他人のことを考える余裕がなかったからである。
ようやく、自分の気持ちに一つの答えを見つけることができた。
だが、皮肉なことに大好きだった人は、もうこの世にはいない。
ひどい話だと思った、
ふと、少し時間が経てば、自分はまたほかの人を好きなるのだろうか、と思う。
未来のことはわからない、しかし、聖が今まで生きてきた十数年もの人生の中において、彼女をここまで悩ませる存在は他にいなかった。
これは全くの勘であるが、きっと、未来永劫、出てこないのではないのかと思う。
もし、それが本当ならばまったくふざけた話である。
どこかにいる神様は自分に、たった一人の少女しか愛せなくしてしまったのだから。
よく『好きになった人が偶然同性だった』などという言葉を聞くが、聖の場合は違うらしい。
『好きな人が必然的に一人の少女だった』
彼女がいない今、聖がすべきことはたった一つである。考えるまでもなかった。
暗くなってきたので、夜空を見上げると、そこには織姫と彦星と呼ばれている二つの一等星が輝いていた。
強く光を放つ星々は、たとえそれが、本物の星ではなくとも、運命的に惹かれあっているように感じた。
どうやら、決して消えることがないらしい、ようやく見つけた気持ちを持って聖は力強く歩いて行ったのであった。
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