光輝の一等星
ゲーム開始
冷たい床の上で、篝火絆は目を覚ました。
明るい色の制服に、金と赤の入り混じった色の長い髪の毛は前髪をレース編み込みにしている、いつも機嫌が悪そうに見えてしまうきつい目に、しかし、顔は整っている、絆はそんな少女であった。
年は、16で、高校1年生である。あと、1月半もすれば2年生になるのだが。
絆は辺りを見回してみる。
そこには自分一人だった。
窓が開いているが今は夜なのか、明るい光が入ってくることはなかった。
ぼやけた記憶から、どうして自分がここにいるのか思い出そうとするが、わからない。
ここに来た覚え自体がなかった。
使い込まれた木の机に椅子に囲まれ、正面には黒板。天井、壁の隅には小さなモニターがある。彼女は高校生であったが、ここは、彼女の知らない教室である。
教室に置いてある、机を見て、一瞬、絆の顔がこわばる。
一瞬、嫌な記憶がよぎった。
それを振り払って、代わりにここに来る前のことを思い出そうとする。
目を覚ます前の最後の記憶は、部員が一人しかいない部活を終え、一人で学校から帰ろうとして、急に眠くなって……。
何かしらの方法で、薬で眠らされ、誘拐された。
そして、誘拐犯にここまで連れてこられた、そう考えるのが妥当かもしれないが、絆は手足を縛られているだけではなかった。
あれこれ考えても、推測の域を出ないとわかった絆は、首に違和感を覚えて、触れてみる。
スカーフのような感触、首からとってみようと試みたが、思った以上に頑丈で、破ることもできそうになかった。
拘束具はないと思っていたが、これは、もしかして首輪か何かだろうか。
ポケットの中身を確認すると、スマートフォン、手鏡、部活で使うギターの金属ピック、ハンカチと……学校鞄こそ辺りにないものの、服の中にあったもので消えたものは――唯一、音楽プレイヤーくらいだろうか。そして、自分の所有物ではない一枚の紙きれもポケットの中であった。
とりやえず、手鏡を開いて自分の首を確認すると、やはり、黒いリボンのようなものが巻かれていた。
結ばれているわけではなく、切れ目のない一本の輪になっているため、どうやらハサミか何かを使って、切り離すしかないしかないようだ。手だけではどんなに力を入れても破れてくれそうになかった。
次にポケットに入っていた唯一の自分のものではない所有物である紙切れを広げてみる。
そこには、ワープロで大きく、
『ノルマ 黒1または白14
詳細は開始1時間後に説明』
とだけ書かれていた。
全くの意味不明なことだが、これはもしかして、誘拐犯からのメッセージか何かではないかと考える。
ノルマだとか、黒や白、その後に続く数字の意味はわからなかったが、最後の言葉。
それは、絆が起きてから一時間と解釈してよいのだろうか。それとも、既に何かが始まっていて、説明自体が終わっていたりする可能性もあるのか。
「あー、もう止めだ!」
色々と考えそうになって、頭を掻く。
今の情報量ではいろいろと考えても推測の域を出ることは無い。
つまり、何を考えても何一つ証明できない、簡単に言えば無駄だということだ。
それよりも、スマートフォンのGPS機能でここの位置を見て、わかるようならば自分で、無理そうならば警察に電話して、ここから出る方がいい。
さっそく、スマートフォンを取り出した絆は、いきなり出鼻をくじかれる。
電波が一本も経っていない、圏外であった。
この地下世界、電話ができない場所があるなんて聞いたことがなかった。
GPSを使おうとするも、現在地を特定できないと出ている。
つまりは、少なくとも、ここは普通の場所ではないということだ。
教室の蛍光灯はついているので、電気が通っていないわけではなさそうだが……。
立ち上がった絆は、教室の空いた窓への方へ行き、外を見る。
地下世界で携帯が圏外になるとか、一体どんな田舎だよ、と思いながら見たのだが、
「なん……だよ、これ……」
まずわかったことは、ここはどうやら学校の三階のようである。そして、この学校は比較的高い位置に建てられていること。校舎の真下には大きな校庭があった。
地下世界で生まれ育った絆は本物の月を見たことがなかったのだが、それでも、普通の月ではないと断言できる――『赤い月』が空にはあった。
そこまでは、驚いたものの、声に出るものではない。人が住む地下世界の頭上にある上空を映しているモニターがこの絶妙なタイミングで誤作動を起こしたとか、いくらでも説明することができるからだ。
問題は、そこじゃない。
校庭の更に向こう側、三階というそれなりに高いところから見渡している限りは、そこには普通、住宅地など、人が生きている証拠が見えていなければならない。
三色に点く信号やコンクリートで舗装された道路など、現代社会では当たり前となっている光景がなければならない。
だが、絆が見渡す限り、この学校の外は森であった。
校門が見えるが、その先は木々が生い茂っており、その先を見ても、道路すら見えない、全く人工物が見当たらないのだ。
何度も言うようにここは地下世界だ、ゆえに、できるだけ人間が住みやすいようにこの世界は作られている。
田舎の学校といえども、半径一キロ以内に人工物が何もないと言うのはありえないだろう。
「本当に、どこだよ、ここは……」
彼女の記憶の中にある地図では、見当もつかない場所であった。
そう呟いた絆は、これ以上ここにいても、良い方向には進まないと考え、教室を出ることにした。
廊下に出ると、教室よりも多少薄暗い蛍光灯が連なっていた。窓の外からは赤い光が射していた。
何もないのに気味が悪い、と思える光景である。
そんな廊下の窓の外からは、彼女が今いる校舎から、反対側に同じような大きさの校舎があった。
どうやら、二つの建物は繋がっているようだが、これでこの学校が少しばかり広いということが分かった。
薄暗い廊下を、絆は歩いていく。
まず、絆が一番知りたいのは、ここに自分以外の人がいるかどうかということだ。
もしも、この閉鎖された空間で、一人ならば自分を保っていられるか、自信がなかった。
しかし、少しだけ歩くと、すぐにその不安は解消されることになった。
目の前、水道の並ぶ場所に数人の人影が見えたからである。
人見知りである絆は話しかけようかと、迷ったのだが、向こう側から、聞き慣れた声が聞こえてくるではないか。
「絆!」
「ゆっ、勇気!?」
それは、彼女にとって、唯一無二といっていい人であった。
優しげな顔に高い背丈に、チャラチャラした感じが一切ない、特徴的な学生帽子をかぶっている。格好いいのに嫌みの一切を感じない好青年ーー篝火勇気は彼女の兄であった。
ただ、雰囲気も見た目も違うように絆とは血が繋がっていないのだが、決して仲が悪いというわけではない。
いや、むしろ、その逆。
彼は、篝火絆が他人にはない特別な思いを寄せる人である。
不安になっていた思いが吹き飛び、大きな嬉しさと、少しの恥ずかしさを覚える。
スーハー、とその場でまずは深呼吸。
いつもの『義妹』の顔を作った絆は、兄の元へと走っていく。
兄たちの方へとくると、そこには7人の人間がいた。
誰もが絆よりも年上のようだが年齢はバラバラ、性別も、容姿もバラバラであった。
ただ、兄も含めて彼らには共通点があり、その首に巻かれたリボンが白であったことだ。
「お前もここに来ていたのかよ」
「あたしも来たくて来たんじゃないんだけどな、勇気……もか?」
「そっ、そう、だな……」
兄の反応がいつもとは少し違うような気がした。
変な場所に連れてこられたのだから、普通であるのは逆に不自然なのかもしれないが……。
勇気の後ろから、彼よりも一回り年上の男が話しかけてくる。
「俺たちさ、ここから出るために組んでいろいろ模索中なんだけど、お前も、一緒に来ないか?」
「ん? ああ……もちろんだ」
馴れ馴れしい口調の男に適当に返事をした絆は横目で兄をみる。
やっぱり、勇気がいつもと違うような気がする。
絆を含めて、八人で学校の中を歩きだす。
明らかに学生ではないメンツがいるため、かなり違和感のある集団となっていた。
「名前はなんていうの?」
「絆だよ」
「兄貴って言っていたがもしかして、勇気君の妹さんかい?」
「そうだな」
絆は、まるで転校初日の転校生のように囲まれていた。両際を三十前後の女と、中年の男に挟まれており、勇気は後ろにいた。
前には四人が『帰ったら何がしたいか』などという、どうでも良い話をしている。
そもそも、帰れるかわからないというのに。
「一階に、私たちのアジトがあるのよ」
「アジトって言っても、ただの調理室なんだけどね。まあ、水くらいは飲めるけど」
「そう、か……」
ガハハ、と男は笑い、女もつられて笑っていた。
笑っている顔というのは、人間の表情なかで一番安心できるもののはずなのに、今はその真逆、不安しか感じない。
絆があまり人付き合いの良い方ではないというのもあるが、彼らには何か引っかかるものを感じる。
その時、後ろから兄がじー、と絆を見ていることに気づいて、振り返る。
「…………何かあたしの顔についているか?」
「いっ、いや、何もないぞ」
「…………」
目を逸らす兄、明らかにおかしい行動だ。まさか、義妹に惚れているのではあるまい。
兄を見ていると、また、前と左右から、また何でもない会話で笑い声が聞こえてくる。
心が一人取り残されたような感覚を覚える。
その時、絆は一つだけ自分の、今この状況で、不安を抱いている理由が分かった。
どうして、彼らはこんなに能天気に笑っていられる?
一つ疑問が出れば、すぐに新たな疑問が沸き起こってくる。
新入りである絆をこうも囲う必要がどこにある?
彼らは、どうして、絆を疑おうとせずに受け入れたのだ?
わかっている。
今、湧いた疑問、前者は単に彼らが仲間外れを作らないようにしてくれているから、後者は仲間である勇気の義妹であるから、という理由で説明できる。
しかし、最初に沸いた疑問だけはどう考えても、答えが見つからない。
だから、他の二つの疑問も、信じられなくなっている。
素直に理由を聞く、それは、本当に彼らが信用に値する人物なのかわかるまでは危険のように感じた。
もし――そう、もしも、彼らが絆に対する敵であるならば、変に勘ぐってはいけない。
今、自分はまな板の上の鯉なのだから。
ゴクリ、とつばを飲み込み、できるだけさりげなく、隣の男を見る。
男はすぐに絆の視線に気づいて、笑みを浮かべる。
「なんだい?」
「その調理室にはあとどれくらいで着くんだ?」
「そうね~、一、二分くらいかしら?」
答えたのは男ではなく女であった、絆は、両側の男女の動きを観察し、その後、前にいる連中もまた、同じように見る。
今、気づいたことだが、前を歩く奴らは、後ろを気にしていた。
そして、もう一つ。
彼らは、誰一人として、絆の顔を見ていなかったのだ。
彼らが見ていたのは、それよりも少しだけ下、首についた黒いリボンであった。
彼らが付けているのは全部白である。だから、一人だけ違うものだから珍しい……というわけではないようだ。
そこには、明らかに何か裏を感じる。
もちろん話はしているし、笑いかけても来る。
だが、そこには何一つとして中身がない。気づいてみれば、まだ、彼らは絆に名乗ってすらいないではないか。
不安が恐怖に変換されていくうちに、彼らの言う『アジト』である調理室についた。
ここに来るまでに、結構の数の人を見かけたが、やはり、皆、首についているのは白いリボンであり、やはり、他の七人ではなく、絆を見ていた。
流石に、ここまでくれば、どうやら、この場において、良くも悪くも自分が周りとは違うということはわかる。
今すぐにでも逃げ出したい、一人の方が、まだ不安なだけだ。今、感じているような恐怖はない。
「はい、水よ」
調理室に入った絆は、椅子に座らされ、テーブルの上にコップ一杯の水を置かれる。
この水は普通の物なのだろうか、それとも、何か入っているのだろうか。
変な考えが頭を回る。
周りを見ると、やはり、七人は絆を見ている。その目は、本人たちはわからないだろうが、すでにやさしさの欠片もないものとなっていた。
ここで、拒否すればどうなるだろうか?
コップ一杯の水を飲めない、喉が渇いていないと言ったら?
ダメだ、言うことはできない。
周りの視線が言っている、早く飲め、と。
何も入っていませんようにと、祈りながら、コップを手に取る。
心は処刑直前の死刑囚でであった。
心臓がバクバクと脈打っている。呼吸が乱れているのを感じる。
コップを口元まで持ってきた絆は、クンクンと、臭いを嗅いでみる、何もわからない。
もう一度だけ、周りを見る、そこには、味方がいないように感じた。
唯一、兄だけが何かを言いたげにこちらを見て、時折目を外したかと思うと、チラチラと窓の外を見ていた。
拳を握りしめ、色々と苦悩している様子がわかる。
そんな義兄の顔を見て、自分がこれを飲めば彼の表情は和らぐのではないかと思う。
ゴクリ、と唾を飲み込んだ絆はこころのなかて深呼吸をして、手元を見つめる。
覚悟を決めた絆は、ゆっくりと、コップを傾けていく。
そして、水に唇が触れる瞬間であった。
ガシャン、と絆の背後にあった窓が割れたのだ。
「ダメだ! 飲むな!」
声をあげたのは兄であった。そして、割れた窓から入ってきたのは、ピンクの短い髪の少女。
突然のことに他の人々は何が起こっているのかわかっていない様子である。
「早く、こっちに来るんだ!」
「絆、いくぞ!」
かわいい顔からは想像できないほど、少し低めの凛々しい声で呼び掛けるピンク髪の少女。
何が起こっているのかわからない、絆の手からコップを振り払った勇気が、絆の手を取った。
そして、そのまま少女の後を追って、調理室から走って出ていく。
後ろから、『逃がすな』だとか、『追え』という言葉が聞こえてきて、やはり、あの水には何か入っていたのだと確信した。ドタドタ、と数人が追ってくる足音がする。
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「ボクに任せて」
そう言って微笑みかけてきた少女は、自分よりも低い身長、華奢な体に、ピンクのショート、きっと、年齢は自分よりも下だろう女の子。
影だけだと、ボーイッシュに映るが、顔が可愛いので男には間違えないだろう。そして、彼女の首に巻かれていたのは絆と同じ黒いリボンであった。
兄は手を引かれている最中、何度か後ろに詰め寄られる場面はあったものの、少女の後をついていくうちに、広い校舎を駆け抜け、なんとか、追手を巻くことができたのであった。
三人がたどり着いた場所は、初め絆がいた校舎とは違う校舎の会議室のような場所であった。
一つの大きな机にいくつもの椅子が並べてあり、丸くなって先生方が会議している姿が目に浮かんでくるようだ。
兄の手が離れていき、それを名残惜しいと思いながらも、今、自分の言うべきことはそんな事ではないと考えた絆は、切れた息を整えながら、その中の一つに座った少女を指さす。
「勇気、この子、一体誰だよ」
「えーと、カル・エルザローナ、だっけ……」
「お前、今年で18歳だろ、この子どうみても小学生だから、完全にアウトだから!」
うちの兄貴がロリコンだったなんて……。
ショックを受ける一方で、こんなに近くに可愛い義妹がいるのに、気がある素振りすら見せないことに納得しかけたのだが、その所を、勇気に頭をポカンと殴られる。
「カルに失礼だぞ、お前こそ、助けてもらったんだから、ちゃんと礼を言え」
「ボクは別にいいよ、それよりも、君の名前を聞きたいんだけど……」
「……篝火、絆―――絆でいい……」
「ボクは君のお兄さんが言った通り、『カル・エルザローナ』っていうんだ。よろしく、絆」
小学生相手に嫉妬するなんて、我ながらなんておとなげないことをしていたのだろうと、心の中で反省しているものの、発した絆の声はぶっきらぼうなものであった。
握手をしながら、ニコッ、と将来何人の男女を虜にしていくのだろうかと不安になるほどに、凛々しい笑みを向けてくるカルは絆の言葉に動じているそぶりはなかった。
小学生相手に完敗したような気分になりながらも、一応、お互いに名乗ったので、絆はさっそく聞きたい事を訊いていくことにする。
「一体、ここはどこなんだ? 何の目的で誰が連れてきたんだ? どうしてあたしが命を狙われないといけないんだ?」
「聞きたいことがたくさんあるのはいいけど、一つずつ、答えていこうか」
溜まっていた疑問が一気に噴き出してしまった。
絆の話をまるで聞いていない兄は追手を気にして廊下の方を見ていたので、代わりにカルがクスリと笑って、人差し指を一本立てて言ってくる。
どっちが年下かわからないような、余裕の差を感じ、頭が冷えてきて、無性に恥ずかしくなった絆は、「ああ、頼むよ……」と言って、そっぽを向いた。
「まず、ここはある怪物が作った世界。地下でも地上でも、宇宙でもない。ボクたちが普段いる世界とは別空間に作られたものなんだ、って解釈してくれていい」
「いきなり突拍子すぎるな」
「でも、これ以上の説明はないな。信じる信じないはあなた次第ってやつだね」
どこの都市伝説だよ……、などと言っている事態ではないのはわかっているので何も言わない。
今はとりやえず、嘘でも本当でもいいから情報が欲しかった。本当かどうかの取捨はあとでいくらでもできるからだ。
「次に誰が何の目的で、そして、どうして絆が狙われていたのかってことだけど……絆はまだ、ここのルール知らないらしい」
「ルール?」
「たぶん、もうすぐ始まるよ」
カルがそう言うと、同時に、ピンポンパンポーンというデパートの案内放送のようなはじまり方で、それは始まった。
どの教室にもあった、天井隅に組み込まれているモニター画面がつき、何とも不気味な姿が映し出される。
『ゲームの世界に集まった、紳士淑女のみなさん、君たち、お前たち、何でもいいけど始まるよ! 楽しい楽しいゲームの時間が!』
そこに映し出された姿は、全身をマントで覆われた怪物であった。大きなマントをかぶっており、それ以外は一枚の、色とりどりに目も鼻も口もバラバラの位置に描かれた仮面だけ。
それが生き物であると証明はできないだろう、しかし、画面に映し出されたその怪物は、画面前で見ている絆たちへと独特な話し方で語りかけてくる。
『僕の、あたしの、私の名前は、ははは! みんな大好き『パイシーズ』! ゲゲゲッ、ゲームの支配者、創造者、神様! 終わるも始まるも僕の采配! そうそう、楽しいゲームの始まりさ!』
頭がおかしいとかそう言うレベルじゃない画面に映る奇人は、街中にいれば即職質、こんな発言をしていれば即病院送りだろう。
しかし、この場、状況で生きるためには、彼の言葉は聞かなければならない。
『前回、いやいや、次回、いやいや、今回の! ゲームは……これこれ! 『首輪取りゲーム』!』
「首輪……取り、ゲーム?」
『君たち、僕たち、貴方たちの首に巻かれている『首輪』を奪い合ってもらうゲームさ!』
「これの……ことか………」
『ゲームを始める前に一つだけ確認、放送で流されるルールだけは『絶対』だよ。そこだけはよろしく~』
ネーミングセンスの欠片もない、ど直球の名前であったが笑っている余裕などなかった。
絆は自分の首に巻かれたものを手でなぞる。
怪物は『首輪』といった、これは人の首に巻かれていた白や黒のリボンのようなもののことを言うのだろう。
『まずは自分の首輪の色を確認してくれよ! 僕みたいに首がな~い、みたいな人はいるかな? いないよね~』
何がおかしいのか、自分の言った言葉でケタケタと笑う『パイシーズ』。
隣にいるカルという少女の首を見ると、やはり、自分と同じ黒色のリボンが巻かれていた。廊下近くの扉から見ていた勇気の首には白の首輪があった。
『まずは白の人! おめでとう! 君たちは羊だ。羊は様々なもので優遇されている、そう、集団でたった一匹のオオカミを刈ればいいんだからね……でも残念、最初のバンテージを有効活用した人たちはいなかったみたい、本当に、残念だね~』
白、とは、勇気たちのことか。アドバンテージとは一体何だ、わからない。
怪物に向かって聞きたいことは山ほどあるが、画面に向かって何か言ったところで彼には届かない。
だから、今は、彼の説明を聞くしかない。
『そして、黒の首輪を持っている君! 残念、君たちはオオカミだとみなされたようだ。羊よりもちょこっっっとだけ、大変かもしれないね』
怪物の背中から腕が生えてきて、『ちょこっと』を画面前で表現していた。それは明らかに人間のものではない、手であった。
『ルールは簡単、白の人たちはみんなで黒を1人でも殺せば帰れるよ! 』
『そして、黒たちは、同じく黒を1人殺すか、白の人たちを14人殺せばいい!』
「殺、す……だって?」
殺す、それはあまりにも物騒な言葉であり、日常では冗談としか受け取られない言葉であった。
初めに持っていた紙切れをもう一度広げる、そこの書いてあった『ノルマ』というのが、きっとその人が殺さなければならない数なのだろう。
つい先ほど、絆は、白の集団に何かを飲まされようとしていた。
その中身を考えてしまい、顔の血色が悪くなっていく。
『次に脱出方法紹介! というわけで、既定数殺せた人はどうすればいいか説明するね――まずは、首を切って、首輪を外す! その首輪を腕に通すんだ、するとあら不思議、元の世界に戻れちゃうってわけ!』
「…………っ!」
『ああ、もちろん、白の人たちが使った場合、黒の首輪はこの世界に残るよ――つまりは、何度でも使えるってわけ。当然、黒はダメだけどね』
人を殺し、その死体の首を切断する、そんな罪を重ねるような方法で、帰ったところで、果たして元の世界に戻ると言えるのだろうか。
いや、今はそれよりも、だ。
この説明を聞けば聞くほどに、『黒』の人間はどう考えても不利に思える。これは、運が悪かったと嘆いていればよいのだろうか。
そんなただこの世界に来た最初の運が悪かったと言うだけで、死ぬなんて真っ平御免だ。
『ここで注意事項! 一度でも白が使った黒の首輪は他全員の白が使い終わらないと、黒は使えないから気を付けて!』
『ああ! それとまだまだ、忘れてたよ、そうそう、あと3つばかり……』
『一つは、この世界に入ってくるとき、一人につき一つ、一番大切なものを預からせてもらった! それらは、このボックス……『アイテムボックス』の中に入っているぜ――ちなみに、このボックスの中には他にも食料など生きるのに必要なものがたくさん入っているから、是非とも見つけてくれよ!』
『パイシーズ』の言葉と共に、画面に映し出されたのは、プルボックスのようなメタリックな箱であった。
そう言えば、ここに来た時、音楽プレイヤーがなくなっていた。これがきっと『あずからせてもらったもの』なのだろう。
怪物の言葉は続く。
『次に朗報!喜んで、このルールはもう一つだけ、後で追加されるから、君たちはまた僕に会えるんだよ』
『あともう一つ、これが楽しいところなんだけど、このゲーム内には一人ばかり『キラー』ってのが徘徊しているんだ、彼は首輪の色なんて見てない、本当にただの殺人マシーンさ……彼には気を付けてくれよ! それじゃあ! 楽しいゲームをご堪能あれ!』
言いたいことだけ言って、プツンとモニターは切れてしまった。『キラー』という名前からヤバそうな奴らの詳細すら言わずに、だ。
だが、今の説明で、どうして自分が殺されかけたのか、分かった。
白の連中は、誰でもいいから一人、黒の人間を殺す。そうすれば元の世界に帰れる。だから、彼らは絆を殺そうとしたのだ。
頭が痛く鳴ってきて、絆は自身の頭を押さえる。
今説明されたことが、実際にこれから行われるなんて、考えられない、考えたくもなかった。
こうして、『パイシーズ』という怪物が作った『首輪取りゲーム』などという、ふざけたものが始まったのであった。
「というわけで……だ」
「ボクたちは何するべきか、だよね」
喧しい声のモニター画面が消えて、静まり返った部屋の中、勇気とカルが言う。
何する、そんなことは決まっている。帰るためには、白を14人か黒を1人殺さなければならない。
怪物はここを『ゲームの世界』だと言っていた。それを信用するならば、幸い、この世界は自分の知っている世界ではないということになる。
つまり、ここで罪を犯したとしても、元いた世界で罪に問われることは、ない。
すぐ傍に居る少女を見る、その首には黒い首輪が巻かれていた。彼女を殺せば、絆はこの世界、ゲームから抜け出すことができるというわけだ。
そう、簡単だ、カルという少女はどんなに澄ましていてても、きっと小学生くらい、高校生の絆が握力で負けることは無いし、今ならば不意を突いける。
確実に、殺せる。
ゴクリ、とつばを飲み込む。
カルだって、この世界から出たいに決まっている。いつ絆を裏切ってもおかしくはないのだ。
やられる前にやる、それは単純な論理だ。
「俺には人を殺すなんて、できない――が、」
「妹さんを帰らせてあげたい、かな」
勇気は頷く。彼の言葉に絆は我に返った。
(馬鹿か!……なんで、乗せられてんだよ、あたしは!)
魔がさす、と言う言葉はこういうところから来ているのだろう。確かに、悪魔が囁きかけてきた気がした。
勇気が傍に居なければ、『人は殺せない』という言葉がなければ、悪魔のささやきに耳を傾けてしまっていたことだろう。
人を殺す、そんな大それたことを一瞬でも考えてしまった絆はすぐさま後悔し、自分の頭を机の上にたたきつけた。
そんな絆の突然の自虐行為に対して、二人は驚いていた。
「お前、大丈夫か?」
「悪い、何でもない……」
心配してくれた勇気を手で制し、頭をさすりながら、絆は言った。
第一あの怪物の言ったことが本当だという保証はどこにもない。この世界が絆たちの知っている世界の中にないという確信もないのだ。
そんなわけで、カルを襲うという選択肢を頭の外へと追い出した絆であったが、まだ、どうもイマイチ信用ならなかった。
そこで、絆は兄の首を引っ張ってきて、カルに聞こえないくらいの声で聞く。
「こう言うことは言っちゃいけないかもしれないけどさ、カル……って子、信用できんのか?」
「あいつとは『妹守護同盟』というあまりにも固いもので結ばれている。俺を信じろ、カルは悪い奴ではない……と思う」
「なんだよ『妹守護同盟』って……」
兄の言葉は全くあてになりそうもなかった。
さて、この子と一緒に行動するのと、別れて単独行動するのと、どちらの方が、危険がないだろうか。
一緒にいても彼女は黒、裏切ってくるかはわからない。
だが一方で、兄と二人だけでいるのは(個人的には嬉しいことだが)白の奴らが集団で襲ってきた時に対処しようがない。
だから、少なくとも今は、彼女と一緒にいるのが良いだろう。
「なんで、そんなところでコソコソしているんだい?」
「いや別に……」
じー、とカルに睨まれるが、隣の勇気が曖昧な笑みを向けていると、はー、と息をついてから、絆に一枚の紙を渡してきた。
「なんだよ、これ」
「君の兄が持っていたものだ、きっと他の白のやつらも全員持っている。きっとこれがあの怪物が最初に言っていた『アドバンテージ』なんだろうね」
一枚目には、この学校の地図が描かれていた。
そして、もう一枚には、先程初めて聞かされたルールが書かれていた。そして、その他にもいくつか、絆の知らない情報もあった。
広げて読んでみると、今、自分たちはかなりやばい状況なのだということがわかる。
『黒6人、白194人の合計200人でゲームは行われる。なお、黒のプレイヤーは開始一時間後に始まる説明まで知らない』
「なあ、冗談だろ。この人数差……」
「残念ながら、本当らしいね」
それに、カルはこの紙が白の連中が持っていたと言っていた。
これは仮定なのだが、もしも、この二枚の紙が、絆の持っている『ノルマ』しか書かれていない紙と同じの物であったとしたら。
黒の人間だけ、ルール自体をゲーム開始から一時間後までは知らないということになる。
カルはこれを白の『アドバンテージ』と言っていた。
絶対的な情報量の差、これがあの怪物が、そしてカルが言っていた『アドバンテージ』ということか。
「なんで、あたしたちばっかり、こんな待遇なんだよ……」
初期の情報、人数、ルール、どれを取っても『黒』には絶対的な不利なゲームとなっていた。
なにが『ちょこっと』だ、この差は決定的な者じゃないか。
絶対に勝てっこない、このままでは自分は殺されてしまう。
そんなことを考えていた絆に、隣を歩いているカルが変なことを聞いてきた。
「君は人とは違う力とか持っていたりしないかい?」
「…………うちの妹が魔法少女だとでも言いたいのか? まあ、俺はあと15年もすれば魔法使いにはになれるけどな」
「いや、兄貴、誰もそんなことは聞いてないから……」
カルが言ったのは、勇気の答えた意味ではなく、おそらく魔法だとか超能力とかの類だろうが、そんなものこの世にあるはずがない。
いや、この世界自体変なところだし、そういうものは実はあるのかもしれない。
だが、そんな力を持っていたら絆は今、こんなに絶望したりしないだろう。
「そう言うカルは、そう言うのが使えるのかよ?」
絆の質問に対して、ぴたりとカルは止まった。
「使えるって言ったら……絆は、そういう力を信じるかい?」
目の前で見られたらな、と絆が返すと、ふっ、と笑ったカルが「じゃあ無理だね」と返してくる。
どうやら彼女に、からかわれたらしい。
一瞬、本当に魔法やらを見せられるのかと思って、変に身構えちゃったじゃないか。
そうだ、何を自分は馬鹿なことを聞いているんだそんなものは、この世にない。
絆は、そう頭の中で反芻していると、「さて、」とカルが立ち上がった。
「協力するならば、各々の目的ぐらい、確認しておこう。そうでないと、お互い信用なんてできないからね」
まるで、絆が彼女を警戒していることを気づいているかのような提案である。
といっても、突然変なゲームに巻き込まれて、命まで狙われた絆は、死にたくない、目的と言っても『死にたくない』ということぐらいしか思いつかない。 
当然、思ったままを言っても変に疑われるだけなので、口をつぐんでいると、代わりに勇気が絆に親指を向けて口を開いた。
「俺たちの目的は、こいつを元の世界に戻すってことだ」
「ちょっと待てよ、じゃあ、あたしの目的はこの馬鹿兄貴を元の世界に戻すことだ!」
「君たち、本当に仲がいいね」
カルの言葉に、まあな、と返している勇気を恥ずかしさで殴りたいぐらいだったが、自分のことを考えてくれたことが嬉しかったので、目を逸らすだけにしておく。
「というわけで、俺たちは頑張って兄妹仲良く一緒に脱出しようってことになったが――お前の方は?」
「僕の当面の目的は双子の妹を探すことだね、その後は考えていないよ」
おいおい、利害が一致しないぞ。
なぜなら絆か兄が、外に出ようとする一番手っ取り早い方法がカルを殺すことだからだ。
ということは、彼女とはここでお別れか……と思っていたのだが、カルと勇気が握手をしているではないか。
「協力できそうだな」
「そうだね、もうしばらく一緒にいようか」
「ちょっと待て、なんでそうなる!? カルにとって、あたしたちと一緒にいることは危険じゃないのか?」
握手している二人の間で、ツッコミを入れた絆を、やれやれ、と言った様子でカルが見る。
「君たちの目的は『一緒に』ここから出ることなのだろう? 僕一人を殺したところで一緒には出られない――つまり、僕たちの目的は交わっていないってことさ」
そうなのか……? と首を傾げながらも無理矢理絆は納得した。
義兄と二人っきりになれないことを少し残念に思うけれども、こんな変な世界の中では仲間は多いに越したことは無い。
絆たちは、三人で少しだけ今後のことを話し合ってから、勇気とカルの意見により、ひとまず、休める場所へと行くことになった。
白の首輪を持った人たちのいた『アジト』があったのは、北、中、南の3つある中の、南校舎の一階である。なので、絆たちは逆の北校舎で、休める場所を探した。
幸い、白にも、黒にも、会うことなく、北校舎の一階の奥にある保健室につくことができた。
歩いている最中に妹に会えるかもしれないとカルは期待していたようだったが……。
保健室の中に入って、まず目に入ってきたのは、普通のこの部屋には絶対にないものである。
「勇気、これ……」
「ただの鉄の箱ーーじゃないな、説明で言っていた『アイテムボックス』か?」
「たぶん、間違いないね」
箱の前にカルは来たのだが、勇気は保健室の中にある薬品を調べるだけで、絆たちの元には来なかった。
少しムスッとした絆は、「勝手に開けるからな」と言い、箱に手をかけた。
箱には鍵はかかっておらず、スーツケースの止め金具の要領で簡単に開けることができた。
カチッ、という音と共に開いた箱には様々なものが入っていた。
乾パンに水、野菜ジュースにカップラーメン、ガスコンロ、毛布など生きていくのに必要なものが入っていた。
この分なら、食べ物に困る必要はなさそうだ。
更に、中には見慣れないものたくさんあった。
まず取り出したのは、黒光りしたずっしりと重量感のある、金属の塊である。
「なんだ、これ……」
「拳銃……だね、有名なイタリアのメーカーのものだ」
「モデルガンとかじゃ、ないよな?」
「おそらく」
こんなものまで『アイテムボックス』には入っているのか。
少し怖いと思いながらも、更に中を見ていく。
どうやら武器はこの拳銃しか入っていないらしく、他には救急箱や拳銃の弾、紙とペン、タオルなどが入っていた。
「これは……写真、か?」
いろいろと物を取り出した最後、箱の奥底に、一枚の写真があった。写真は破られており、正確にいえば、あるのは半壊した片方だけである。
そこに写っていたのは、カルに似たピンクのツインテールの少女であった。双子と言うだけあり、髪型以外では見分けがつかない。
「これは、妹のものだ」
そう言ったカルが見ていた写真を横から取り去った。
妹の、ということは、あの写真がルール上で説明された一人一つずつ『預からせてもらったもの』なのか。
「それ、大切なものなの?」
「君には関係ないよ」
カルは随分大事そうに、写真を自身のポケットの中に入れていた。
なぜだろうか、カルは絆に対して少し冷たい、というか、警戒心を持っているような気がする。
シャー、シャーという音がするので見ると、勇気が保健室全体の窓にカーテンを引いているではないか。
カーテンは黒色で、閉めてしまうと、外からも内からも見ることができなくなる。
「何してんだよ、勇気」
「今日はここで休むからな、カーテンをしておけば外からの侵入を防げるだろう?」
確かに外から見えなければ、人がいることを示すことができ、同時に、トラップを警戒させることもできる。
まあ、遠くから銃をぶっ放されてしまえば、外が見えないため何もできないのだが。
「ほら、夕飯だ」
いつの間にか沸かしていたお湯を注いだカップ麺と、水の入った紙コップを渡されたので、受け取る。
カルは乾パンを少し、勇気は絆と同じカップ麺を一つだけ食べ、簡単な夕食を終える。食事中は特に会話はなかった。
スマートフォンの時計を見ると、既に十一時近い時間である。
その時間を知ってしまったためか、あるいは食事を取って血糖値が上がったせいか、眠くなってきた絆が目をこすっていると、
「眠るのは順番だ、カルが見張りをしてくれているからな、俺たちだけ先に眠るとするか」
「ああ、わかった…………って、は?」
勇気は今、なんと言った?
俺『たち』と聞こえたのだが……。
「ほら、早く寝るぞ、絆」
「いやいや! ちょっと待ってくれ、あたしがどうして兄貴と一緒に寝なくちゃならないんだよ!?」
「お前、何言っているんだよ、ベッドが違う。俺とお前が一緒に寝るわけがないだろうが?」
そうだよな、と言ってホッとする。
同じ寝床でないにせよ、傍に勇気がいるだけで眠れなくなる可能性もあるが。隣にいるよりかは、眠れる確率は格段に上がるはずだ。
このベッドを使え、と言われて少し服を緩めた後、ベッドに横になる。
つい二時間ほど前まで、ぐっすりと気絶していたのだが、思っていたよりもこの短時間で自分は疲れたらしく、少しずつ眠くなってくる。
このまま意識せずに眠ることができるかのように思われたが、空気の読めない、いや、ある意味で非常に読めてしまう兄の声によって絆の意識は覚醒してしまう。
「なあ、絆」
「なっ、なんだよ……」
「お前、本当の親のこと、覚えているか?」
ねえよ、とぶっきらぼうに答える。
覚えているはずがない、なにせ彼女が愛情のない両親の元へ来たのは彼女がまだ赤子の時。預けられたのか、拾われたのかはわからないが、どちらにせよ、当時のことを覚えていない。それよりも昔の記憶など、あるはずもなかった。
「そう言う兄貴はどうなんだよ、今の親とどっちが良い?」
「覚えてなんかねえよ、そんな昔のこと」
「覚えてないって、そんなこと……」
彼は絆と違い、篝火家に来たのは小学校高学年であったはずだ。それよりも前は本当の親と暮らしていたはずなのに……。
彼の父親が一家心中を図り、偶然彼だけが生き残ってしまったということは知っていた。
もしかしたら、聞いてはいけないことだったのかもしれない。
しかし、考えてみれば、絆は彼の素性を知らなかった。
もちろん、自身の兄で好きなことや嫌いなことなど、彼に気に入ってもらえるような知識は持っていたのだが、彼が絆の義兄になる前の話は知らない。
「勇気は、昔の家の方がよかったか?」
踏み込んではいけないとはわかっていたものの、気になって、そんな質問が、いつの間にか口から出ていた。
しばらくの沈黙があった。
勇気は寝てしまったのではないかと、不安になるくらいの長い沈黙。
「――正直に言うとな、篝火の家に来る前の家庭は俺にとって幸せな場所だった。もう、何もかもが崩れちまったが、それでも、俺は家族を愛していた、かな」
「……なんか、ドラマに出てくる熱血パパみたいだな」
ははっ、と笑う勇気。
確かに篝火の家は絆もあまり好きではない。
けれども、彼の言葉ではまるで、前の家族に、自分の存在までが負けてしまったような気がして、嫌な感情が心を流れていった。
同時に、彼が、いつか昔の家族の方へ行ってしまうのではないだろうかという不安に駆られる。
「ねえ、勇気……」
「ん? なんだよ――って、なんでこっち来るんだよ!」
起き上がって絆はカーテンを隔ててある彼のベッドへと近寄っていった。
それは決していやらしい気持ちがあったわけではなく、どうしようもない不安からの行動であった。
「ちょっとだけ、手、握ってよ」
いつもはかなり鈍感な兄であったが、この時ばかりは絆の気持ちを汲み取ってくれたらしく、温かい手で絆の手を握ってくれた。
そんな兄の手を絆も握り返しながら、
「今、あんたの家族はあたしだ――だから、お願いだからさ、あたしの元からいなくなるなよ」
一瞬目を見開いた勇気は、すぐに、ふっ、と柔らかく微笑んで、「わかったよ」とだけ言って目を閉じた。
その様子を見て安心したのか、眠気が襲ってきた。
ベッドで寝なきゃいけないとわかってはいたが、兄の手を放してしまうのも、なんだか不安であった。
そのため、絆は兄の寝ているすぐそばで、ベッドに突っ伏した形で、気絶するように眠っていったのであった。
※
自分一人だけが違う、そんな環境で篝火絆は育ってきた。
赤子の時に今の親に拾われた絆は、小さい頃から両親とは違う容姿であることを知っていた。
それを問うたびに、父は血のつながりがないからだといった。
純粋な日本人ではないらしい絆であったが、本当の親の名前は誰も知らなかった。
彼女が小学校高学年になる前、同じく血の繋がりのない兄が家にきた。
兄は見た目も中身も普通の日本人であったためか、あるいは愛想のない絆が嫌われていたのか、両親は兄妹を差別するように育てた。
お前とは、本当の親子ではない。そんな言葉を何度も言われ続けて、育ったためか、家族と血が繋がっていないということで、ショックを受けることは次第になくなっていった。
だが、絆の両親はいつも、彼女のことをまるで腫物を触るかのように接しており、家族のなかで義兄、勇気だけが彼女の味方であった。
ただ、人間、慣れとは怖いもので歳を重ねていくたびに、親が彼女に向けてくる、なんとなく居づらい家の空気に慣れていった。
今思えば、両親は絆に対して暴力を振るうことはなかった。怒られた記憶さえもない。恵まれていた、と解釈することもできるかもしれない。
一番近い存在であるはずの両親が絆に対してずっと、無関心を貫いていたせいか、その環境は、絆を少しばかり人間不信に陥らせてしまったらしい。
だから、彼女は義兄以外に心を開くことは滅多になくなった。
いや、彼女が他人を信じられなくなった本当の理由違う。
それは、中学校の時にさかのぼらなければならないだろう。
中学生というのは、自己顕示欲が芽生え、同時に大人たちに周りと比較され始める時期になる。
そんな中、周りとは違う容姿や、性格、そして、境遇は差別の対象となる。
絆もそんな被害にあっていた一人であった。
親と血のつながりがないという同情すべき点、周りとの協調性がない点、それなのに澄ましていれば綺麗で、男性ファンが多い点。
あらゆる箇所に置いて、彼女を妬む人間は多く、絆は、いつも周りから盛大ないじめを受けていた。
学校に行けば、当たり前のように自分の机の上には落書きがしており、帰りに教科書忘れたら最後、二度と返って来なかった。靴はいつも持ち歩かなければ、靴下で帰宅することになる。
いじめをしている人間は分かっている、しかし、あまりも人数が多く、教師に相談したところで告げ口の代償にエスカレートするだけだ。
絆を心配してくれる生徒も、当然いた。
だが、自身に被害がくることを恐れているおり、味方と言えるほどの人間は一人としていなかった。
そんな中、彼女を癒してくれる、いや、ストレスを解消してくれるのが、音楽であった。
嫌なことがあるたびに、激しい音楽で自分を奮い立たせた。
絶対に負けてなるものかと、屈伏してなるものかと、絆は孤独な戦いを選んだ。
ちょうどその頃、ギターを初めて、絆はのめりこんでいた。
そう、あの時は見て、話し、聞き、動く、人間よりもこの手にあるギターの方が遥かに自分のことを知ってくれているような気さえした。
絶対に学校へは行き、誰かに何を言われても、何されても、文句ひとつ言わずにいようと思っていた。
だが、絆にはしばらく学校に行かない時期があった。
その日は、新譜を買ったので、放課後に部活で使っていない音楽室を使わせてもらおうと、学校へギターを持ってきていた。
今まで様々なものを壊されてきたが、まさか子供が弁償できないほどのものを壊すとは考えていなかったのは、彼女の責任であるともいえた。
それが、甘え考えだと気づいたのは、全てが終わってしまった後である。
ほんの一時、そう、一時だ。
休み時間にトイレに行こうと、席を立ったほんの数分の間である。
教室に戻ってきた絆は愕然とするしかなかった。
教室の自分の椅子の上、そこにはむき出しのギターが置いてあった。
弦は全て切れており、ボディにはいくつものはさみか何かで切りつけられた跡があった。フィンガーボードには深い傷があった、大方壁に打ち付けでもしたのだろう。
そして、机の上には『格好つけるな、ブズ』と水性マジックで書かれていた。
その後のことは、よく覚えていない。
ただ、カァーと頭が熱くなって、首筋から全身に力がみなぎってきたのは覚えている。
そして、授業が始まるチャイムで気が付いたときには、そこは惨状と化していた。
教室中の机椅子は、ぐしゃぐしゃでひっくりかえっている者あり、いじめに関わっていたと思われる、十数人が、例外なく皆倒れていた。血を流している人も一人や二人じゃない。
無関心を貫いていた生徒は絆を見て怯えており、誰かが呼んできた教師に、すぐさま絆は拘束された。
骨折や歯が割れているなど、被害を受けた生徒たちは例外なく、何処か大切なものを壊されていた。その人間が陸上部ならば足、美術部ならば指、帰宅部ならば携帯であった。入院を余儀なくされた生徒もいた。
教師の言葉に、絆は正直に『覚えていない』と伝えた。
いじめの事実を言ったら少しは同情されたが、同時に自身のやったことに悔いはないと告げたところ、容赦なく、一カ月ほど精神病院に入れられた。
不謹慎かもしれないが、そこでの生活は楽で良かった。
自分のペースで勉強し、誰の邪魔にならないところを見つけて、新しく買ったギターを弾いていた。
病院内の周りは、意味もなく彼女にわけのわからないことを放し始めるような連中はいたが、学校の中のような直接的な被害はなかった。
親もたまにしか来ないし、しかも、あまり長居はしない。
もちろん、義兄が来たときは話もしたし、彼が自身のバイト代で買ってくる新譜や本はとても嬉しかった。
そして、一か月後、名目上は『謹慎処分』ということで離れていた学校へと不本意ながら帰ってくることになったのだ。
またいじめに耐え抜く時間が戻ってくるのか、そう覚悟していたのだが、周りの反応は絆の考えていたものとは違うものであった。
彼らは、両親と同じ、絆に関わらないようになったのだ。
怖がられるということは、楽である。
誰も必要最低限のこと以外で話しかけてこないのだから。
たった一度のことであったのに、絆に対する周りは変わった。
教師からも暴力をふるう不良生徒、などというレッテルを貼られ、他生徒からは怖がられる。
絆が高校に進んだ後も、同じ中学校の連中がいたため、それは続き、孤独ながらも不自由のない生活が高校の一年間でも続いている。
篝火絆にとって、自分のことを知っていて、彼女を一人の人間として、接してくれるのは兄、勇気だけであった。
そう、だから、彼だけは絶対に死んでほしくはない。
この命に代えても、彼をこのゲームから救いたい、それが篝火絆の今の願いである。
※
「あれ……ここは…………?」
目が覚めると、絆は薄暗い保健室であった。
眠る前の記憶を少したどると、自分がなぜ今、ここにいるのかは把握できた。
状況把握が完了すると同時に、絆は、近くを確認する。
先に起きてしまったらしく、傍には義兄がいる気配はなかった。
手を握りながら眠ってしまうとは、なんと恥ずかしいことを自分はしてしまったのだろうと後悔した。
絆の肩には毛布がかかっていた。兄が配慮してくれたということでいいのだろうか。
「なんだ、これ?」
眠る前、確かに兄の手を握っていた絆の手の中には、いつの間にか一対のイヤリングが握られていた。
紫色の花が描かれている赤い石がついた、持っているだけで不思議な感じを受けるイヤリングであった。
いったい何でこんなものを持っているのか。
いや、それよりも、自分は一体どれくらい眠っていたのか。
スマートフォンを取り出して、時間を確認すると、なんと4時になっていた。5時間ほど眠っていたらしい。
いつもよりも少ない睡眠時間であったが、緊急事態で体が緊張しているためか、あまり苦ではなかった。
それよりも、勇気の姿が見えないことに不安を覚えて、絆は立ち上がり、ベッドの前にあるカーテンを引く。
しかし、保健室の中には誰もいなかった。
トイレにでも行ったのだろうか、いや、カルと勇気の両方が同時にここを空けるなんてことがあるだろうか。
嫌な予感がする。
そばに勇気がいないことが、不安で仕方がなかった。
その時、ガラガラと言う音と共に、誰かが保健室の中に入ってきた。
入ってきた人物の方を向いた絆は、絶句する。
その光景はあまりにも、非現実的なものであった。
「…………ゆっ、勇気!」
扉の前で倒れた勇気の元へ行く。
だが、何をすればよいのか、絆にはわからなかった。
彼の身体は血にまみれていた。
すでに五体満足ではない。
右腕、左足がなく、左の耳はそがれ、左の目はくり抜かれていた。
息はしているものの、これでは時間の問題だ。
兄が死ぬ、そんなことは信じられない、いや、信じたくなかった。
何とかしようと、触れるが、ヌメリとした感触を得て、驚いて手を引いてしまう。
自分が怖がっていたという理由で勇気が死ぬ、そんなことは嫌だ。
絆は救急箱を取って、彼を抱き上げる。
すると、勇気の口が開く。
「きず、な……、無事、か……?」
「勇気、しゃべるなよ!」
「馬鹿か、話さなきゃ、遺言も言えやしないだろうが」
「…………っ!」
勇気の言葉をそのまま解釈するなら、彼はすでに生きることを諦めていた。
絆は、包帯を取り出して、体中からあふれてくる血を止めながら、
「勇気こそ馬鹿だろ、死ぬとか決めつけてんじゃねえ! あたしが、助けるから……」
「きず、な……」
「うるさい、だから口を開く――」
「絆!」
怒鳴られて、絆はビクッとして、口を紡ぐしかなかった。
それでも手は、彼を一秒でも長く生かそうと慣れない手つきで、手当てをしていく。
彼が大声を出したためか、血はドクドクと流れていた。いくらふさいでも流れていく。
「くそっ、止まれよ、止まれよ!」
行き場のない怒りを声に出しながら、絆は手当てしていく。
しかし、いくら抑えても白いタオルは真っ赤に染まっていくばかり。
傷口はどれも、まるでギロチンに切られたように綺麗なもので、プラモデルの手足が取れたような跡であった。
必死に介抱しても、一向に良くなる気配はない。むしろ、悪くなる一方だった。
次第に彼女の目から涙が溢れてくる。
その涙をぬぐったのは、勇気の手であった。
「泣くなよ――お前には、力が、あるんだから……このゲームを、生き残るだけの、力が」
「……なに、言ってんだよ」
兄貴一人を救えない自身の無力を感じていた絆に兄は、そんな言葉を告げた。
ゲームを、一人で生き残ったところでどうなる、元の世界に勇気がいなければ、絆にとって帰る意味はなくなる。
「そんな力、いらないよ、あたしには勇気が必要なんだ」
「……まるで、恋する乙女の、告白だな」
「どんな解釈をしてくれてもいい、だから、死なないで!」
「……無茶言うなよ」
絆にとって、兄という存在は彼女とそれ以外の世界のすべてをつないでいた。
彼がいなくなるということは、絆にとって、この世に生きている意味がなくなるということである。
彼がいなくなれば、篝火絆の心は、きっと崩れていき、何も考えられなくなるだろう。
「あたしを、置いてかないでよ、お兄ちゃん!」
兄の身体の前で、ボロボロと泣いた絆に対して、勇気は「すまない」、とだけ答えた。
勇気のその回答に、絆は泣き崩れてしまう。
そんな義妹に兄はゆっくりと話していく。
「……俺の命は、長くない……俺の遺言は、ただ一つ――『絆、お前がゲームから勝って生き残ること』、だ」
「そんなの……」
「……頼む」
彼の眼に、勝てるはずもない絆は、頷いてしまった。
それでも泣き止む様子がなかった絆に、兄は自身の学生帽子を深々と被せた。
そして、勇気は、「ありがとう」と言った後、苦しそうに、続けた。
「お前は、ヒヤシンスの花が描かれている、イヤリングを持っているはずだ」
嗚咽をまえながらも、コクリ、と絆は頷く。
先ほど起き上った時に、いつの間にか持っていたイヤリングのことを言っているのだろう。
「そいつは、お前の、『力』だ……そいつがあれば、お前が負けることは、無い」
力……。
イヤリングを取り出すと、そこには、微かにも確かな温かさがあった。
これが、勇気が、自分のために残してくれる、生き残る方法。
「このゲームを、クリアするために、必要なこと、は……」
「勇気!」
勇気は、息をするだけでも苦しそうであった。
絆は彼を抱き上げる。
「勇気……やっぱり、あたし――」
「世界を疑え……神を、疑え」
勇気なしでは生きていけない、そんなことを言おうとして、思いとどまる。ここでその言葉を言ってしまったら、彼のたった一つの願いに反することになってしまう。
それでも、耐え切れない絆は彼の頬に涙を垂らす。
「お前って、結構、綺麗、だったんだな……」
最後に、そう言った彼は、目を閉じる。
彼の名前を何度も叫ぶも、二度と返答が来ることはなかった。
絆の腕の中で息を引き取った兄。
その顔に苦痛の表情は一切なかった。
「あっ……ああ、あああああああああああっ!」
動かなくなった兄を抱きしめながら、絆は声を上げる。
記憶が混乱するくらい、頭がおかしくなるくらいに叫び、泣いた。
絆の声は、いつまでも響いていた。
我に返った絆は、半壊した兄の遺体を保健室のベッドに寝かせた。
本来ならば、埋めなければならないのかもしれないが、こんな世界に一人彼の身体を置いていくなんて、絆には出来なかったのだ。
ふらふらと、廊下を数歩、歩いた絆は、何もないところで崩れ落ちる。
これは、何の冗談なのだろう。
悪夢なら冷めてほしい。
(勇気が、死んだ……)
床を見ると、勇気の血の跡が永遠と続いている。兄は、最後に義妹にあうために一体どこから歩いてきたのだろうか。
ボーと、電気の光で明るくなっている廊下の先を見る。
見ていると、段々と、自分が次に何をすべきか、頭の中で考えついた。
この血の跡の先には――兄を殺した、人間がいる。
兄の手を、足を、目を、耳を、切ったそいつは、首輪を取っていなかった。つまり、ゲームの関係がなく、兄は殺されたということになる。
兄を殺した奴、そいつは、今ものうのうとこの世界の中で生きている。
それがたまらなく悔しい。
「あたしが……やらなきゃ、な…………」
ゆらり、と立ち上がった絆は、兄の形見のイヤリングを耳に着ける。
その瞬間、彼が、言っていた『力』というものを理解した。
これなら、やれる。
兄を殺した奴が誰かはわからない。ここには警察は来られないし、もうすでに証拠なども消してしまっているかもしれない。
だが、構わない。
それならば、自分以外の全てのプレイヤーを殺せば良いだけのこと。
絆は、学生帽子を深くかぶり、一歩、一歩と、廊下を歩き始める。
「あたしが断罪する――皆殺しだ」
世界で一番大切なものを失った絆の歩みには、迷いはなかった。
『復讐鬼』と化した一人の少女は、赤い月の下で歩いていったのであった。
明るい色の制服に、金と赤の入り混じった色の長い髪の毛は前髪をレース編み込みにしている、いつも機嫌が悪そうに見えてしまうきつい目に、しかし、顔は整っている、絆はそんな少女であった。
年は、16で、高校1年生である。あと、1月半もすれば2年生になるのだが。
絆は辺りを見回してみる。
そこには自分一人だった。
窓が開いているが今は夜なのか、明るい光が入ってくることはなかった。
ぼやけた記憶から、どうして自分がここにいるのか思い出そうとするが、わからない。
ここに来た覚え自体がなかった。
使い込まれた木の机に椅子に囲まれ、正面には黒板。天井、壁の隅には小さなモニターがある。彼女は高校生であったが、ここは、彼女の知らない教室である。
教室に置いてある、机を見て、一瞬、絆の顔がこわばる。
一瞬、嫌な記憶がよぎった。
それを振り払って、代わりにここに来る前のことを思い出そうとする。
目を覚ます前の最後の記憶は、部員が一人しかいない部活を終え、一人で学校から帰ろうとして、急に眠くなって……。
何かしらの方法で、薬で眠らされ、誘拐された。
そして、誘拐犯にここまで連れてこられた、そう考えるのが妥当かもしれないが、絆は手足を縛られているだけではなかった。
あれこれ考えても、推測の域を出ないとわかった絆は、首に違和感を覚えて、触れてみる。
スカーフのような感触、首からとってみようと試みたが、思った以上に頑丈で、破ることもできそうになかった。
拘束具はないと思っていたが、これは、もしかして首輪か何かだろうか。
ポケットの中身を確認すると、スマートフォン、手鏡、部活で使うギターの金属ピック、ハンカチと……学校鞄こそ辺りにないものの、服の中にあったもので消えたものは――唯一、音楽プレイヤーくらいだろうか。そして、自分の所有物ではない一枚の紙きれもポケットの中であった。
とりやえず、手鏡を開いて自分の首を確認すると、やはり、黒いリボンのようなものが巻かれていた。
結ばれているわけではなく、切れ目のない一本の輪になっているため、どうやらハサミか何かを使って、切り離すしかないしかないようだ。手だけではどんなに力を入れても破れてくれそうになかった。
次にポケットに入っていた唯一の自分のものではない所有物である紙切れを広げてみる。
そこには、ワープロで大きく、
『ノルマ 黒1または白14
詳細は開始1時間後に説明』
とだけ書かれていた。
全くの意味不明なことだが、これはもしかして、誘拐犯からのメッセージか何かではないかと考える。
ノルマだとか、黒や白、その後に続く数字の意味はわからなかったが、最後の言葉。
それは、絆が起きてから一時間と解釈してよいのだろうか。それとも、既に何かが始まっていて、説明自体が終わっていたりする可能性もあるのか。
「あー、もう止めだ!」
色々と考えそうになって、頭を掻く。
今の情報量ではいろいろと考えても推測の域を出ることは無い。
つまり、何を考えても何一つ証明できない、簡単に言えば無駄だということだ。
それよりも、スマートフォンのGPS機能でここの位置を見て、わかるようならば自分で、無理そうならば警察に電話して、ここから出る方がいい。
さっそく、スマートフォンを取り出した絆は、いきなり出鼻をくじかれる。
電波が一本も経っていない、圏外であった。
この地下世界、電話ができない場所があるなんて聞いたことがなかった。
GPSを使おうとするも、現在地を特定できないと出ている。
つまりは、少なくとも、ここは普通の場所ではないということだ。
教室の蛍光灯はついているので、電気が通っていないわけではなさそうだが……。
立ち上がった絆は、教室の空いた窓への方へ行き、外を見る。
地下世界で携帯が圏外になるとか、一体どんな田舎だよ、と思いながら見たのだが、
「なん……だよ、これ……」
まずわかったことは、ここはどうやら学校の三階のようである。そして、この学校は比較的高い位置に建てられていること。校舎の真下には大きな校庭があった。
地下世界で生まれ育った絆は本物の月を見たことがなかったのだが、それでも、普通の月ではないと断言できる――『赤い月』が空にはあった。
そこまでは、驚いたものの、声に出るものではない。人が住む地下世界の頭上にある上空を映しているモニターがこの絶妙なタイミングで誤作動を起こしたとか、いくらでも説明することができるからだ。
問題は、そこじゃない。
校庭の更に向こう側、三階というそれなりに高いところから見渡している限りは、そこには普通、住宅地など、人が生きている証拠が見えていなければならない。
三色に点く信号やコンクリートで舗装された道路など、現代社会では当たり前となっている光景がなければならない。
だが、絆が見渡す限り、この学校の外は森であった。
校門が見えるが、その先は木々が生い茂っており、その先を見ても、道路すら見えない、全く人工物が見当たらないのだ。
何度も言うようにここは地下世界だ、ゆえに、できるだけ人間が住みやすいようにこの世界は作られている。
田舎の学校といえども、半径一キロ以内に人工物が何もないと言うのはありえないだろう。
「本当に、どこだよ、ここは……」
彼女の記憶の中にある地図では、見当もつかない場所であった。
そう呟いた絆は、これ以上ここにいても、良い方向には進まないと考え、教室を出ることにした。
廊下に出ると、教室よりも多少薄暗い蛍光灯が連なっていた。窓の外からは赤い光が射していた。
何もないのに気味が悪い、と思える光景である。
そんな廊下の窓の外からは、彼女が今いる校舎から、反対側に同じような大きさの校舎があった。
どうやら、二つの建物は繋がっているようだが、これでこの学校が少しばかり広いということが分かった。
薄暗い廊下を、絆は歩いていく。
まず、絆が一番知りたいのは、ここに自分以外の人がいるかどうかということだ。
もしも、この閉鎖された空間で、一人ならば自分を保っていられるか、自信がなかった。
しかし、少しだけ歩くと、すぐにその不安は解消されることになった。
目の前、水道の並ぶ場所に数人の人影が見えたからである。
人見知りである絆は話しかけようかと、迷ったのだが、向こう側から、聞き慣れた声が聞こえてくるではないか。
「絆!」
「ゆっ、勇気!?」
それは、彼女にとって、唯一無二といっていい人であった。
優しげな顔に高い背丈に、チャラチャラした感じが一切ない、特徴的な学生帽子をかぶっている。格好いいのに嫌みの一切を感じない好青年ーー篝火勇気は彼女の兄であった。
ただ、雰囲気も見た目も違うように絆とは血が繋がっていないのだが、決して仲が悪いというわけではない。
いや、むしろ、その逆。
彼は、篝火絆が他人にはない特別な思いを寄せる人である。
不安になっていた思いが吹き飛び、大きな嬉しさと、少しの恥ずかしさを覚える。
スーハー、とその場でまずは深呼吸。
いつもの『義妹』の顔を作った絆は、兄の元へと走っていく。
兄たちの方へとくると、そこには7人の人間がいた。
誰もが絆よりも年上のようだが年齢はバラバラ、性別も、容姿もバラバラであった。
ただ、兄も含めて彼らには共通点があり、その首に巻かれたリボンが白であったことだ。
「お前もここに来ていたのかよ」
「あたしも来たくて来たんじゃないんだけどな、勇気……もか?」
「そっ、そう、だな……」
兄の反応がいつもとは少し違うような気がした。
変な場所に連れてこられたのだから、普通であるのは逆に不自然なのかもしれないが……。
勇気の後ろから、彼よりも一回り年上の男が話しかけてくる。
「俺たちさ、ここから出るために組んでいろいろ模索中なんだけど、お前も、一緒に来ないか?」
「ん? ああ……もちろんだ」
馴れ馴れしい口調の男に適当に返事をした絆は横目で兄をみる。
やっぱり、勇気がいつもと違うような気がする。
絆を含めて、八人で学校の中を歩きだす。
明らかに学生ではないメンツがいるため、かなり違和感のある集団となっていた。
「名前はなんていうの?」
「絆だよ」
「兄貴って言っていたがもしかして、勇気君の妹さんかい?」
「そうだな」
絆は、まるで転校初日の転校生のように囲まれていた。両際を三十前後の女と、中年の男に挟まれており、勇気は後ろにいた。
前には四人が『帰ったら何がしたいか』などという、どうでも良い話をしている。
そもそも、帰れるかわからないというのに。
「一階に、私たちのアジトがあるのよ」
「アジトって言っても、ただの調理室なんだけどね。まあ、水くらいは飲めるけど」
「そう、か……」
ガハハ、と男は笑い、女もつられて笑っていた。
笑っている顔というのは、人間の表情なかで一番安心できるもののはずなのに、今はその真逆、不安しか感じない。
絆があまり人付き合いの良い方ではないというのもあるが、彼らには何か引っかかるものを感じる。
その時、後ろから兄がじー、と絆を見ていることに気づいて、振り返る。
「…………何かあたしの顔についているか?」
「いっ、いや、何もないぞ」
「…………」
目を逸らす兄、明らかにおかしい行動だ。まさか、義妹に惚れているのではあるまい。
兄を見ていると、また、前と左右から、また何でもない会話で笑い声が聞こえてくる。
心が一人取り残されたような感覚を覚える。
その時、絆は一つだけ自分の、今この状況で、不安を抱いている理由が分かった。
どうして、彼らはこんなに能天気に笑っていられる?
一つ疑問が出れば、すぐに新たな疑問が沸き起こってくる。
新入りである絆をこうも囲う必要がどこにある?
彼らは、どうして、絆を疑おうとせずに受け入れたのだ?
わかっている。
今、湧いた疑問、前者は単に彼らが仲間外れを作らないようにしてくれているから、後者は仲間である勇気の義妹であるから、という理由で説明できる。
しかし、最初に沸いた疑問だけはどう考えても、答えが見つからない。
だから、他の二つの疑問も、信じられなくなっている。
素直に理由を聞く、それは、本当に彼らが信用に値する人物なのかわかるまでは危険のように感じた。
もし――そう、もしも、彼らが絆に対する敵であるならば、変に勘ぐってはいけない。
今、自分はまな板の上の鯉なのだから。
ゴクリ、とつばを飲み込み、できるだけさりげなく、隣の男を見る。
男はすぐに絆の視線に気づいて、笑みを浮かべる。
「なんだい?」
「その調理室にはあとどれくらいで着くんだ?」
「そうね~、一、二分くらいかしら?」
答えたのは男ではなく女であった、絆は、両側の男女の動きを観察し、その後、前にいる連中もまた、同じように見る。
今、気づいたことだが、前を歩く奴らは、後ろを気にしていた。
そして、もう一つ。
彼らは、誰一人として、絆の顔を見ていなかったのだ。
彼らが見ていたのは、それよりも少しだけ下、首についた黒いリボンであった。
彼らが付けているのは全部白である。だから、一人だけ違うものだから珍しい……というわけではないようだ。
そこには、明らかに何か裏を感じる。
もちろん話はしているし、笑いかけても来る。
だが、そこには何一つとして中身がない。気づいてみれば、まだ、彼らは絆に名乗ってすらいないではないか。
不安が恐怖に変換されていくうちに、彼らの言う『アジト』である調理室についた。
ここに来るまでに、結構の数の人を見かけたが、やはり、皆、首についているのは白いリボンであり、やはり、他の七人ではなく、絆を見ていた。
流石に、ここまでくれば、どうやら、この場において、良くも悪くも自分が周りとは違うということはわかる。
今すぐにでも逃げ出したい、一人の方が、まだ不安なだけだ。今、感じているような恐怖はない。
「はい、水よ」
調理室に入った絆は、椅子に座らされ、テーブルの上にコップ一杯の水を置かれる。
この水は普通の物なのだろうか、それとも、何か入っているのだろうか。
変な考えが頭を回る。
周りを見ると、やはり、七人は絆を見ている。その目は、本人たちはわからないだろうが、すでにやさしさの欠片もないものとなっていた。
ここで、拒否すればどうなるだろうか?
コップ一杯の水を飲めない、喉が渇いていないと言ったら?
ダメだ、言うことはできない。
周りの視線が言っている、早く飲め、と。
何も入っていませんようにと、祈りながら、コップを手に取る。
心は処刑直前の死刑囚でであった。
心臓がバクバクと脈打っている。呼吸が乱れているのを感じる。
コップを口元まで持ってきた絆は、クンクンと、臭いを嗅いでみる、何もわからない。
もう一度だけ、周りを見る、そこには、味方がいないように感じた。
唯一、兄だけが何かを言いたげにこちらを見て、時折目を外したかと思うと、チラチラと窓の外を見ていた。
拳を握りしめ、色々と苦悩している様子がわかる。
そんな義兄の顔を見て、自分がこれを飲めば彼の表情は和らぐのではないかと思う。
ゴクリ、と唾を飲み込んだ絆はこころのなかて深呼吸をして、手元を見つめる。
覚悟を決めた絆は、ゆっくりと、コップを傾けていく。
そして、水に唇が触れる瞬間であった。
ガシャン、と絆の背後にあった窓が割れたのだ。
「ダメだ! 飲むな!」
声をあげたのは兄であった。そして、割れた窓から入ってきたのは、ピンクの短い髪の少女。
突然のことに他の人々は何が起こっているのかわかっていない様子である。
「早く、こっちに来るんだ!」
「絆、いくぞ!」
かわいい顔からは想像できないほど、少し低めの凛々しい声で呼び掛けるピンク髪の少女。
何が起こっているのかわからない、絆の手からコップを振り払った勇気が、絆の手を取った。
そして、そのまま少女の後を追って、調理室から走って出ていく。
後ろから、『逃がすな』だとか、『追え』という言葉が聞こえてきて、やはり、あの水には何か入っていたのだと確信した。ドタドタ、と数人が追ってくる足音がする。
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「ボクに任せて」
そう言って微笑みかけてきた少女は、自分よりも低い身長、華奢な体に、ピンクのショート、きっと、年齢は自分よりも下だろう女の子。
影だけだと、ボーイッシュに映るが、顔が可愛いので男には間違えないだろう。そして、彼女の首に巻かれていたのは絆と同じ黒いリボンであった。
兄は手を引かれている最中、何度か後ろに詰め寄られる場面はあったものの、少女の後をついていくうちに、広い校舎を駆け抜け、なんとか、追手を巻くことができたのであった。
三人がたどり着いた場所は、初め絆がいた校舎とは違う校舎の会議室のような場所であった。
一つの大きな机にいくつもの椅子が並べてあり、丸くなって先生方が会議している姿が目に浮かんでくるようだ。
兄の手が離れていき、それを名残惜しいと思いながらも、今、自分の言うべきことはそんな事ではないと考えた絆は、切れた息を整えながら、その中の一つに座った少女を指さす。
「勇気、この子、一体誰だよ」
「えーと、カル・エルザローナ、だっけ……」
「お前、今年で18歳だろ、この子どうみても小学生だから、完全にアウトだから!」
うちの兄貴がロリコンだったなんて……。
ショックを受ける一方で、こんなに近くに可愛い義妹がいるのに、気がある素振りすら見せないことに納得しかけたのだが、その所を、勇気に頭をポカンと殴られる。
「カルに失礼だぞ、お前こそ、助けてもらったんだから、ちゃんと礼を言え」
「ボクは別にいいよ、それよりも、君の名前を聞きたいんだけど……」
「……篝火、絆―――絆でいい……」
「ボクは君のお兄さんが言った通り、『カル・エルザローナ』っていうんだ。よろしく、絆」
小学生相手に嫉妬するなんて、我ながらなんておとなげないことをしていたのだろうと、心の中で反省しているものの、発した絆の声はぶっきらぼうなものであった。
握手をしながら、ニコッ、と将来何人の男女を虜にしていくのだろうかと不安になるほどに、凛々しい笑みを向けてくるカルは絆の言葉に動じているそぶりはなかった。
小学生相手に完敗したような気分になりながらも、一応、お互いに名乗ったので、絆はさっそく聞きたい事を訊いていくことにする。
「一体、ここはどこなんだ? 何の目的で誰が連れてきたんだ? どうしてあたしが命を狙われないといけないんだ?」
「聞きたいことがたくさんあるのはいいけど、一つずつ、答えていこうか」
溜まっていた疑問が一気に噴き出してしまった。
絆の話をまるで聞いていない兄は追手を気にして廊下の方を見ていたので、代わりにカルがクスリと笑って、人差し指を一本立てて言ってくる。
どっちが年下かわからないような、余裕の差を感じ、頭が冷えてきて、無性に恥ずかしくなった絆は、「ああ、頼むよ……」と言って、そっぽを向いた。
「まず、ここはある怪物が作った世界。地下でも地上でも、宇宙でもない。ボクたちが普段いる世界とは別空間に作られたものなんだ、って解釈してくれていい」
「いきなり突拍子すぎるな」
「でも、これ以上の説明はないな。信じる信じないはあなた次第ってやつだね」
どこの都市伝説だよ……、などと言っている事態ではないのはわかっているので何も言わない。
今はとりやえず、嘘でも本当でもいいから情報が欲しかった。本当かどうかの取捨はあとでいくらでもできるからだ。
「次に誰が何の目的で、そして、どうして絆が狙われていたのかってことだけど……絆はまだ、ここのルール知らないらしい」
「ルール?」
「たぶん、もうすぐ始まるよ」
カルがそう言うと、同時に、ピンポンパンポーンというデパートの案内放送のようなはじまり方で、それは始まった。
どの教室にもあった、天井隅に組み込まれているモニター画面がつき、何とも不気味な姿が映し出される。
『ゲームの世界に集まった、紳士淑女のみなさん、君たち、お前たち、何でもいいけど始まるよ! 楽しい楽しいゲームの時間が!』
そこに映し出された姿は、全身をマントで覆われた怪物であった。大きなマントをかぶっており、それ以外は一枚の、色とりどりに目も鼻も口もバラバラの位置に描かれた仮面だけ。
それが生き物であると証明はできないだろう、しかし、画面に映し出されたその怪物は、画面前で見ている絆たちへと独特な話し方で語りかけてくる。
『僕の、あたしの、私の名前は、ははは! みんな大好き『パイシーズ』! ゲゲゲッ、ゲームの支配者、創造者、神様! 終わるも始まるも僕の采配! そうそう、楽しいゲームの始まりさ!』
頭がおかしいとかそう言うレベルじゃない画面に映る奇人は、街中にいれば即職質、こんな発言をしていれば即病院送りだろう。
しかし、この場、状況で生きるためには、彼の言葉は聞かなければならない。
『前回、いやいや、次回、いやいや、今回の! ゲームは……これこれ! 『首輪取りゲーム』!』
「首輪……取り、ゲーム?」
『君たち、僕たち、貴方たちの首に巻かれている『首輪』を奪い合ってもらうゲームさ!』
「これの……ことか………」
『ゲームを始める前に一つだけ確認、放送で流されるルールだけは『絶対』だよ。そこだけはよろしく~』
ネーミングセンスの欠片もない、ど直球の名前であったが笑っている余裕などなかった。
絆は自分の首に巻かれたものを手でなぞる。
怪物は『首輪』といった、これは人の首に巻かれていた白や黒のリボンのようなもののことを言うのだろう。
『まずは自分の首輪の色を確認してくれよ! 僕みたいに首がな~い、みたいな人はいるかな? いないよね~』
何がおかしいのか、自分の言った言葉でケタケタと笑う『パイシーズ』。
隣にいるカルという少女の首を見ると、やはり、自分と同じ黒色のリボンが巻かれていた。廊下近くの扉から見ていた勇気の首には白の首輪があった。
『まずは白の人! おめでとう! 君たちは羊だ。羊は様々なもので優遇されている、そう、集団でたった一匹のオオカミを刈ればいいんだからね……でも残念、最初のバンテージを有効活用した人たちはいなかったみたい、本当に、残念だね~』
白、とは、勇気たちのことか。アドバンテージとは一体何だ、わからない。
怪物に向かって聞きたいことは山ほどあるが、画面に向かって何か言ったところで彼には届かない。
だから、今は、彼の説明を聞くしかない。
『そして、黒の首輪を持っている君! 残念、君たちはオオカミだとみなされたようだ。羊よりもちょこっっっとだけ、大変かもしれないね』
怪物の背中から腕が生えてきて、『ちょこっと』を画面前で表現していた。それは明らかに人間のものではない、手であった。
『ルールは簡単、白の人たちはみんなで黒を1人でも殺せば帰れるよ! 』
『そして、黒たちは、同じく黒を1人殺すか、白の人たちを14人殺せばいい!』
「殺、す……だって?」
殺す、それはあまりにも物騒な言葉であり、日常では冗談としか受け取られない言葉であった。
初めに持っていた紙切れをもう一度広げる、そこの書いてあった『ノルマ』というのが、きっとその人が殺さなければならない数なのだろう。
つい先ほど、絆は、白の集団に何かを飲まされようとしていた。
その中身を考えてしまい、顔の血色が悪くなっていく。
『次に脱出方法紹介! というわけで、既定数殺せた人はどうすればいいか説明するね――まずは、首を切って、首輪を外す! その首輪を腕に通すんだ、するとあら不思議、元の世界に戻れちゃうってわけ!』
「…………っ!」
『ああ、もちろん、白の人たちが使った場合、黒の首輪はこの世界に残るよ――つまりは、何度でも使えるってわけ。当然、黒はダメだけどね』
人を殺し、その死体の首を切断する、そんな罪を重ねるような方法で、帰ったところで、果たして元の世界に戻ると言えるのだろうか。
いや、今はそれよりも、だ。
この説明を聞けば聞くほどに、『黒』の人間はどう考えても不利に思える。これは、運が悪かったと嘆いていればよいのだろうか。
そんなただこの世界に来た最初の運が悪かったと言うだけで、死ぬなんて真っ平御免だ。
『ここで注意事項! 一度でも白が使った黒の首輪は他全員の白が使い終わらないと、黒は使えないから気を付けて!』
『ああ! それとまだまだ、忘れてたよ、そうそう、あと3つばかり……』
『一つは、この世界に入ってくるとき、一人につき一つ、一番大切なものを預からせてもらった! それらは、このボックス……『アイテムボックス』の中に入っているぜ――ちなみに、このボックスの中には他にも食料など生きるのに必要なものがたくさん入っているから、是非とも見つけてくれよ!』
『パイシーズ』の言葉と共に、画面に映し出されたのは、プルボックスのようなメタリックな箱であった。
そう言えば、ここに来た時、音楽プレイヤーがなくなっていた。これがきっと『あずからせてもらったもの』なのだろう。
怪物の言葉は続く。
『次に朗報!喜んで、このルールはもう一つだけ、後で追加されるから、君たちはまた僕に会えるんだよ』
『あともう一つ、これが楽しいところなんだけど、このゲーム内には一人ばかり『キラー』ってのが徘徊しているんだ、彼は首輪の色なんて見てない、本当にただの殺人マシーンさ……彼には気を付けてくれよ! それじゃあ! 楽しいゲームをご堪能あれ!』
言いたいことだけ言って、プツンとモニターは切れてしまった。『キラー』という名前からヤバそうな奴らの詳細すら言わずに、だ。
だが、今の説明で、どうして自分が殺されかけたのか、分かった。
白の連中は、誰でもいいから一人、黒の人間を殺す。そうすれば元の世界に帰れる。だから、彼らは絆を殺そうとしたのだ。
頭が痛く鳴ってきて、絆は自身の頭を押さえる。
今説明されたことが、実際にこれから行われるなんて、考えられない、考えたくもなかった。
こうして、『パイシーズ』という怪物が作った『首輪取りゲーム』などという、ふざけたものが始まったのであった。
「というわけで……だ」
「ボクたちは何するべきか、だよね」
喧しい声のモニター画面が消えて、静まり返った部屋の中、勇気とカルが言う。
何する、そんなことは決まっている。帰るためには、白を14人か黒を1人殺さなければならない。
怪物はここを『ゲームの世界』だと言っていた。それを信用するならば、幸い、この世界は自分の知っている世界ではないということになる。
つまり、ここで罪を犯したとしても、元いた世界で罪に問われることは、ない。
すぐ傍に居る少女を見る、その首には黒い首輪が巻かれていた。彼女を殺せば、絆はこの世界、ゲームから抜け出すことができるというわけだ。
そう、簡単だ、カルという少女はどんなに澄ましていてても、きっと小学生くらい、高校生の絆が握力で負けることは無いし、今ならば不意を突いける。
確実に、殺せる。
ゴクリ、とつばを飲み込む。
カルだって、この世界から出たいに決まっている。いつ絆を裏切ってもおかしくはないのだ。
やられる前にやる、それは単純な論理だ。
「俺には人を殺すなんて、できない――が、」
「妹さんを帰らせてあげたい、かな」
勇気は頷く。彼の言葉に絆は我に返った。
(馬鹿か!……なんで、乗せられてんだよ、あたしは!)
魔がさす、と言う言葉はこういうところから来ているのだろう。確かに、悪魔が囁きかけてきた気がした。
勇気が傍に居なければ、『人は殺せない』という言葉がなければ、悪魔のささやきに耳を傾けてしまっていたことだろう。
人を殺す、そんな大それたことを一瞬でも考えてしまった絆はすぐさま後悔し、自分の頭を机の上にたたきつけた。
そんな絆の突然の自虐行為に対して、二人は驚いていた。
「お前、大丈夫か?」
「悪い、何でもない……」
心配してくれた勇気を手で制し、頭をさすりながら、絆は言った。
第一あの怪物の言ったことが本当だという保証はどこにもない。この世界が絆たちの知っている世界の中にないという確信もないのだ。
そんなわけで、カルを襲うという選択肢を頭の外へと追い出した絆であったが、まだ、どうもイマイチ信用ならなかった。
そこで、絆は兄の首を引っ張ってきて、カルに聞こえないくらいの声で聞く。
「こう言うことは言っちゃいけないかもしれないけどさ、カル……って子、信用できんのか?」
「あいつとは『妹守護同盟』というあまりにも固いもので結ばれている。俺を信じろ、カルは悪い奴ではない……と思う」
「なんだよ『妹守護同盟』って……」
兄の言葉は全くあてになりそうもなかった。
さて、この子と一緒に行動するのと、別れて単独行動するのと、どちらの方が、危険がないだろうか。
一緒にいても彼女は黒、裏切ってくるかはわからない。
だが一方で、兄と二人だけでいるのは(個人的には嬉しいことだが)白の奴らが集団で襲ってきた時に対処しようがない。
だから、少なくとも今は、彼女と一緒にいるのが良いだろう。
「なんで、そんなところでコソコソしているんだい?」
「いや別に……」
じー、とカルに睨まれるが、隣の勇気が曖昧な笑みを向けていると、はー、と息をついてから、絆に一枚の紙を渡してきた。
「なんだよ、これ」
「君の兄が持っていたものだ、きっと他の白のやつらも全員持っている。きっとこれがあの怪物が最初に言っていた『アドバンテージ』なんだろうね」
一枚目には、この学校の地図が描かれていた。
そして、もう一枚には、先程初めて聞かされたルールが書かれていた。そして、その他にもいくつか、絆の知らない情報もあった。
広げて読んでみると、今、自分たちはかなりやばい状況なのだということがわかる。
『黒6人、白194人の合計200人でゲームは行われる。なお、黒のプレイヤーは開始一時間後に始まる説明まで知らない』
「なあ、冗談だろ。この人数差……」
「残念ながら、本当らしいね」
それに、カルはこの紙が白の連中が持っていたと言っていた。
これは仮定なのだが、もしも、この二枚の紙が、絆の持っている『ノルマ』しか書かれていない紙と同じの物であったとしたら。
黒の人間だけ、ルール自体をゲーム開始から一時間後までは知らないということになる。
カルはこれを白の『アドバンテージ』と言っていた。
絶対的な情報量の差、これがあの怪物が、そしてカルが言っていた『アドバンテージ』ということか。
「なんで、あたしたちばっかり、こんな待遇なんだよ……」
初期の情報、人数、ルール、どれを取っても『黒』には絶対的な不利なゲームとなっていた。
なにが『ちょこっと』だ、この差は決定的な者じゃないか。
絶対に勝てっこない、このままでは自分は殺されてしまう。
そんなことを考えていた絆に、隣を歩いているカルが変なことを聞いてきた。
「君は人とは違う力とか持っていたりしないかい?」
「…………うちの妹が魔法少女だとでも言いたいのか? まあ、俺はあと15年もすれば魔法使いにはになれるけどな」
「いや、兄貴、誰もそんなことは聞いてないから……」
カルが言ったのは、勇気の答えた意味ではなく、おそらく魔法だとか超能力とかの類だろうが、そんなものこの世にあるはずがない。
いや、この世界自体変なところだし、そういうものは実はあるのかもしれない。
だが、そんな力を持っていたら絆は今、こんなに絶望したりしないだろう。
「そう言うカルは、そう言うのが使えるのかよ?」
絆の質問に対して、ぴたりとカルは止まった。
「使えるって言ったら……絆は、そういう力を信じるかい?」
目の前で見られたらな、と絆が返すと、ふっ、と笑ったカルが「じゃあ無理だね」と返してくる。
どうやら彼女に、からかわれたらしい。
一瞬、本当に魔法やらを見せられるのかと思って、変に身構えちゃったじゃないか。
そうだ、何を自分は馬鹿なことを聞いているんだそんなものは、この世にない。
絆は、そう頭の中で反芻していると、「さて、」とカルが立ち上がった。
「協力するならば、各々の目的ぐらい、確認しておこう。そうでないと、お互い信用なんてできないからね」
まるで、絆が彼女を警戒していることを気づいているかのような提案である。
といっても、突然変なゲームに巻き込まれて、命まで狙われた絆は、死にたくない、目的と言っても『死にたくない』ということぐらいしか思いつかない。 
当然、思ったままを言っても変に疑われるだけなので、口をつぐんでいると、代わりに勇気が絆に親指を向けて口を開いた。
「俺たちの目的は、こいつを元の世界に戻すってことだ」
「ちょっと待てよ、じゃあ、あたしの目的はこの馬鹿兄貴を元の世界に戻すことだ!」
「君たち、本当に仲がいいね」
カルの言葉に、まあな、と返している勇気を恥ずかしさで殴りたいぐらいだったが、自分のことを考えてくれたことが嬉しかったので、目を逸らすだけにしておく。
「というわけで、俺たちは頑張って兄妹仲良く一緒に脱出しようってことになったが――お前の方は?」
「僕の当面の目的は双子の妹を探すことだね、その後は考えていないよ」
おいおい、利害が一致しないぞ。
なぜなら絆か兄が、外に出ようとする一番手っ取り早い方法がカルを殺すことだからだ。
ということは、彼女とはここでお別れか……と思っていたのだが、カルと勇気が握手をしているではないか。
「協力できそうだな」
「そうだね、もうしばらく一緒にいようか」
「ちょっと待て、なんでそうなる!? カルにとって、あたしたちと一緒にいることは危険じゃないのか?」
握手している二人の間で、ツッコミを入れた絆を、やれやれ、と言った様子でカルが見る。
「君たちの目的は『一緒に』ここから出ることなのだろう? 僕一人を殺したところで一緒には出られない――つまり、僕たちの目的は交わっていないってことさ」
そうなのか……? と首を傾げながらも無理矢理絆は納得した。
義兄と二人っきりになれないことを少し残念に思うけれども、こんな変な世界の中では仲間は多いに越したことは無い。
絆たちは、三人で少しだけ今後のことを話し合ってから、勇気とカルの意見により、ひとまず、休める場所へと行くことになった。
白の首輪を持った人たちのいた『アジト』があったのは、北、中、南の3つある中の、南校舎の一階である。なので、絆たちは逆の北校舎で、休める場所を探した。
幸い、白にも、黒にも、会うことなく、北校舎の一階の奥にある保健室につくことができた。
歩いている最中に妹に会えるかもしれないとカルは期待していたようだったが……。
保健室の中に入って、まず目に入ってきたのは、普通のこの部屋には絶対にないものである。
「勇気、これ……」
「ただの鉄の箱ーーじゃないな、説明で言っていた『アイテムボックス』か?」
「たぶん、間違いないね」
箱の前にカルは来たのだが、勇気は保健室の中にある薬品を調べるだけで、絆たちの元には来なかった。
少しムスッとした絆は、「勝手に開けるからな」と言い、箱に手をかけた。
箱には鍵はかかっておらず、スーツケースの止め金具の要領で簡単に開けることができた。
カチッ、という音と共に開いた箱には様々なものが入っていた。
乾パンに水、野菜ジュースにカップラーメン、ガスコンロ、毛布など生きていくのに必要なものが入っていた。
この分なら、食べ物に困る必要はなさそうだ。
更に、中には見慣れないものたくさんあった。
まず取り出したのは、黒光りしたずっしりと重量感のある、金属の塊である。
「なんだ、これ……」
「拳銃……だね、有名なイタリアのメーカーのものだ」
「モデルガンとかじゃ、ないよな?」
「おそらく」
こんなものまで『アイテムボックス』には入っているのか。
少し怖いと思いながらも、更に中を見ていく。
どうやら武器はこの拳銃しか入っていないらしく、他には救急箱や拳銃の弾、紙とペン、タオルなどが入っていた。
「これは……写真、か?」
いろいろと物を取り出した最後、箱の奥底に、一枚の写真があった。写真は破られており、正確にいえば、あるのは半壊した片方だけである。
そこに写っていたのは、カルに似たピンクのツインテールの少女であった。双子と言うだけあり、髪型以外では見分けがつかない。
「これは、妹のものだ」
そう言ったカルが見ていた写真を横から取り去った。
妹の、ということは、あの写真がルール上で説明された一人一つずつ『預からせてもらったもの』なのか。
「それ、大切なものなの?」
「君には関係ないよ」
カルは随分大事そうに、写真を自身のポケットの中に入れていた。
なぜだろうか、カルは絆に対して少し冷たい、というか、警戒心を持っているような気がする。
シャー、シャーという音がするので見ると、勇気が保健室全体の窓にカーテンを引いているではないか。
カーテンは黒色で、閉めてしまうと、外からも内からも見ることができなくなる。
「何してんだよ、勇気」
「今日はここで休むからな、カーテンをしておけば外からの侵入を防げるだろう?」
確かに外から見えなければ、人がいることを示すことができ、同時に、トラップを警戒させることもできる。
まあ、遠くから銃をぶっ放されてしまえば、外が見えないため何もできないのだが。
「ほら、夕飯だ」
いつの間にか沸かしていたお湯を注いだカップ麺と、水の入った紙コップを渡されたので、受け取る。
カルは乾パンを少し、勇気は絆と同じカップ麺を一つだけ食べ、簡単な夕食を終える。食事中は特に会話はなかった。
スマートフォンの時計を見ると、既に十一時近い時間である。
その時間を知ってしまったためか、あるいは食事を取って血糖値が上がったせいか、眠くなってきた絆が目をこすっていると、
「眠るのは順番だ、カルが見張りをしてくれているからな、俺たちだけ先に眠るとするか」
「ああ、わかった…………って、は?」
勇気は今、なんと言った?
俺『たち』と聞こえたのだが……。
「ほら、早く寝るぞ、絆」
「いやいや! ちょっと待ってくれ、あたしがどうして兄貴と一緒に寝なくちゃならないんだよ!?」
「お前、何言っているんだよ、ベッドが違う。俺とお前が一緒に寝るわけがないだろうが?」
そうだよな、と言ってホッとする。
同じ寝床でないにせよ、傍に勇気がいるだけで眠れなくなる可能性もあるが。隣にいるよりかは、眠れる確率は格段に上がるはずだ。
このベッドを使え、と言われて少し服を緩めた後、ベッドに横になる。
つい二時間ほど前まで、ぐっすりと気絶していたのだが、思っていたよりもこの短時間で自分は疲れたらしく、少しずつ眠くなってくる。
このまま意識せずに眠ることができるかのように思われたが、空気の読めない、いや、ある意味で非常に読めてしまう兄の声によって絆の意識は覚醒してしまう。
「なあ、絆」
「なっ、なんだよ……」
「お前、本当の親のこと、覚えているか?」
ねえよ、とぶっきらぼうに答える。
覚えているはずがない、なにせ彼女が愛情のない両親の元へ来たのは彼女がまだ赤子の時。預けられたのか、拾われたのかはわからないが、どちらにせよ、当時のことを覚えていない。それよりも昔の記憶など、あるはずもなかった。
「そう言う兄貴はどうなんだよ、今の親とどっちが良い?」
「覚えてなんかねえよ、そんな昔のこと」
「覚えてないって、そんなこと……」
彼は絆と違い、篝火家に来たのは小学校高学年であったはずだ。それよりも前は本当の親と暮らしていたはずなのに……。
彼の父親が一家心中を図り、偶然彼だけが生き残ってしまったということは知っていた。
もしかしたら、聞いてはいけないことだったのかもしれない。
しかし、考えてみれば、絆は彼の素性を知らなかった。
もちろん、自身の兄で好きなことや嫌いなことなど、彼に気に入ってもらえるような知識は持っていたのだが、彼が絆の義兄になる前の話は知らない。
「勇気は、昔の家の方がよかったか?」
踏み込んではいけないとはわかっていたものの、気になって、そんな質問が、いつの間にか口から出ていた。
しばらくの沈黙があった。
勇気は寝てしまったのではないかと、不安になるくらいの長い沈黙。
「――正直に言うとな、篝火の家に来る前の家庭は俺にとって幸せな場所だった。もう、何もかもが崩れちまったが、それでも、俺は家族を愛していた、かな」
「……なんか、ドラマに出てくる熱血パパみたいだな」
ははっ、と笑う勇気。
確かに篝火の家は絆もあまり好きではない。
けれども、彼の言葉ではまるで、前の家族に、自分の存在までが負けてしまったような気がして、嫌な感情が心を流れていった。
同時に、彼が、いつか昔の家族の方へ行ってしまうのではないだろうかという不安に駆られる。
「ねえ、勇気……」
「ん? なんだよ――って、なんでこっち来るんだよ!」
起き上がって絆はカーテンを隔ててある彼のベッドへと近寄っていった。
それは決していやらしい気持ちがあったわけではなく、どうしようもない不安からの行動であった。
「ちょっとだけ、手、握ってよ」
いつもはかなり鈍感な兄であったが、この時ばかりは絆の気持ちを汲み取ってくれたらしく、温かい手で絆の手を握ってくれた。
そんな兄の手を絆も握り返しながら、
「今、あんたの家族はあたしだ――だから、お願いだからさ、あたしの元からいなくなるなよ」
一瞬目を見開いた勇気は、すぐに、ふっ、と柔らかく微笑んで、「わかったよ」とだけ言って目を閉じた。
その様子を見て安心したのか、眠気が襲ってきた。
ベッドで寝なきゃいけないとわかってはいたが、兄の手を放してしまうのも、なんだか不安であった。
そのため、絆は兄の寝ているすぐそばで、ベッドに突っ伏した形で、気絶するように眠っていったのであった。
※
自分一人だけが違う、そんな環境で篝火絆は育ってきた。
赤子の時に今の親に拾われた絆は、小さい頃から両親とは違う容姿であることを知っていた。
それを問うたびに、父は血のつながりがないからだといった。
純粋な日本人ではないらしい絆であったが、本当の親の名前は誰も知らなかった。
彼女が小学校高学年になる前、同じく血の繋がりのない兄が家にきた。
兄は見た目も中身も普通の日本人であったためか、あるいは愛想のない絆が嫌われていたのか、両親は兄妹を差別するように育てた。
お前とは、本当の親子ではない。そんな言葉を何度も言われ続けて、育ったためか、家族と血が繋がっていないということで、ショックを受けることは次第になくなっていった。
だが、絆の両親はいつも、彼女のことをまるで腫物を触るかのように接しており、家族のなかで義兄、勇気だけが彼女の味方であった。
ただ、人間、慣れとは怖いもので歳を重ねていくたびに、親が彼女に向けてくる、なんとなく居づらい家の空気に慣れていった。
今思えば、両親は絆に対して暴力を振るうことはなかった。怒られた記憶さえもない。恵まれていた、と解釈することもできるかもしれない。
一番近い存在であるはずの両親が絆に対してずっと、無関心を貫いていたせいか、その環境は、絆を少しばかり人間不信に陥らせてしまったらしい。
だから、彼女は義兄以外に心を開くことは滅多になくなった。
いや、彼女が他人を信じられなくなった本当の理由違う。
それは、中学校の時にさかのぼらなければならないだろう。
中学生というのは、自己顕示欲が芽生え、同時に大人たちに周りと比較され始める時期になる。
そんな中、周りとは違う容姿や、性格、そして、境遇は差別の対象となる。
絆もそんな被害にあっていた一人であった。
親と血のつながりがないという同情すべき点、周りとの協調性がない点、それなのに澄ましていれば綺麗で、男性ファンが多い点。
あらゆる箇所に置いて、彼女を妬む人間は多く、絆は、いつも周りから盛大ないじめを受けていた。
学校に行けば、当たり前のように自分の机の上には落書きがしており、帰りに教科書忘れたら最後、二度と返って来なかった。靴はいつも持ち歩かなければ、靴下で帰宅することになる。
いじめをしている人間は分かっている、しかし、あまりも人数が多く、教師に相談したところで告げ口の代償にエスカレートするだけだ。
絆を心配してくれる生徒も、当然いた。
だが、自身に被害がくることを恐れているおり、味方と言えるほどの人間は一人としていなかった。
そんな中、彼女を癒してくれる、いや、ストレスを解消してくれるのが、音楽であった。
嫌なことがあるたびに、激しい音楽で自分を奮い立たせた。
絶対に負けてなるものかと、屈伏してなるものかと、絆は孤独な戦いを選んだ。
ちょうどその頃、ギターを初めて、絆はのめりこんでいた。
そう、あの時は見て、話し、聞き、動く、人間よりもこの手にあるギターの方が遥かに自分のことを知ってくれているような気さえした。
絶対に学校へは行き、誰かに何を言われても、何されても、文句ひとつ言わずにいようと思っていた。
だが、絆にはしばらく学校に行かない時期があった。
その日は、新譜を買ったので、放課後に部活で使っていない音楽室を使わせてもらおうと、学校へギターを持ってきていた。
今まで様々なものを壊されてきたが、まさか子供が弁償できないほどのものを壊すとは考えていなかったのは、彼女の責任であるともいえた。
それが、甘え考えだと気づいたのは、全てが終わってしまった後である。
ほんの一時、そう、一時だ。
休み時間にトイレに行こうと、席を立ったほんの数分の間である。
教室に戻ってきた絆は愕然とするしかなかった。
教室の自分の椅子の上、そこにはむき出しのギターが置いてあった。
弦は全て切れており、ボディにはいくつものはさみか何かで切りつけられた跡があった。フィンガーボードには深い傷があった、大方壁に打ち付けでもしたのだろう。
そして、机の上には『格好つけるな、ブズ』と水性マジックで書かれていた。
その後のことは、よく覚えていない。
ただ、カァーと頭が熱くなって、首筋から全身に力がみなぎってきたのは覚えている。
そして、授業が始まるチャイムで気が付いたときには、そこは惨状と化していた。
教室中の机椅子は、ぐしゃぐしゃでひっくりかえっている者あり、いじめに関わっていたと思われる、十数人が、例外なく皆倒れていた。血を流している人も一人や二人じゃない。
無関心を貫いていた生徒は絆を見て怯えており、誰かが呼んできた教師に、すぐさま絆は拘束された。
骨折や歯が割れているなど、被害を受けた生徒たちは例外なく、何処か大切なものを壊されていた。その人間が陸上部ならば足、美術部ならば指、帰宅部ならば携帯であった。入院を余儀なくされた生徒もいた。
教師の言葉に、絆は正直に『覚えていない』と伝えた。
いじめの事実を言ったら少しは同情されたが、同時に自身のやったことに悔いはないと告げたところ、容赦なく、一カ月ほど精神病院に入れられた。
不謹慎かもしれないが、そこでの生活は楽で良かった。
自分のペースで勉強し、誰の邪魔にならないところを見つけて、新しく買ったギターを弾いていた。
病院内の周りは、意味もなく彼女にわけのわからないことを放し始めるような連中はいたが、学校の中のような直接的な被害はなかった。
親もたまにしか来ないし、しかも、あまり長居はしない。
もちろん、義兄が来たときは話もしたし、彼が自身のバイト代で買ってくる新譜や本はとても嬉しかった。
そして、一か月後、名目上は『謹慎処分』ということで離れていた学校へと不本意ながら帰ってくることになったのだ。
またいじめに耐え抜く時間が戻ってくるのか、そう覚悟していたのだが、周りの反応は絆の考えていたものとは違うものであった。
彼らは、両親と同じ、絆に関わらないようになったのだ。
怖がられるということは、楽である。
誰も必要最低限のこと以外で話しかけてこないのだから。
たった一度のことであったのに、絆に対する周りは変わった。
教師からも暴力をふるう不良生徒、などというレッテルを貼られ、他生徒からは怖がられる。
絆が高校に進んだ後も、同じ中学校の連中がいたため、それは続き、孤独ながらも不自由のない生活が高校の一年間でも続いている。
篝火絆にとって、自分のことを知っていて、彼女を一人の人間として、接してくれるのは兄、勇気だけであった。
そう、だから、彼だけは絶対に死んでほしくはない。
この命に代えても、彼をこのゲームから救いたい、それが篝火絆の今の願いである。
※
「あれ……ここは…………?」
目が覚めると、絆は薄暗い保健室であった。
眠る前の記憶を少したどると、自分がなぜ今、ここにいるのかは把握できた。
状況把握が完了すると同時に、絆は、近くを確認する。
先に起きてしまったらしく、傍には義兄がいる気配はなかった。
手を握りながら眠ってしまうとは、なんと恥ずかしいことを自分はしてしまったのだろうと後悔した。
絆の肩には毛布がかかっていた。兄が配慮してくれたということでいいのだろうか。
「なんだ、これ?」
眠る前、確かに兄の手を握っていた絆の手の中には、いつの間にか一対のイヤリングが握られていた。
紫色の花が描かれている赤い石がついた、持っているだけで不思議な感じを受けるイヤリングであった。
いったい何でこんなものを持っているのか。
いや、それよりも、自分は一体どれくらい眠っていたのか。
スマートフォンを取り出して、時間を確認すると、なんと4時になっていた。5時間ほど眠っていたらしい。
いつもよりも少ない睡眠時間であったが、緊急事態で体が緊張しているためか、あまり苦ではなかった。
それよりも、勇気の姿が見えないことに不安を覚えて、絆は立ち上がり、ベッドの前にあるカーテンを引く。
しかし、保健室の中には誰もいなかった。
トイレにでも行ったのだろうか、いや、カルと勇気の両方が同時にここを空けるなんてことがあるだろうか。
嫌な予感がする。
そばに勇気がいないことが、不安で仕方がなかった。
その時、ガラガラと言う音と共に、誰かが保健室の中に入ってきた。
入ってきた人物の方を向いた絆は、絶句する。
その光景はあまりにも、非現実的なものであった。
「…………ゆっ、勇気!」
扉の前で倒れた勇気の元へ行く。
だが、何をすればよいのか、絆にはわからなかった。
彼の身体は血にまみれていた。
すでに五体満足ではない。
右腕、左足がなく、左の耳はそがれ、左の目はくり抜かれていた。
息はしているものの、これでは時間の問題だ。
兄が死ぬ、そんなことは信じられない、いや、信じたくなかった。
何とかしようと、触れるが、ヌメリとした感触を得て、驚いて手を引いてしまう。
自分が怖がっていたという理由で勇気が死ぬ、そんなことは嫌だ。
絆は救急箱を取って、彼を抱き上げる。
すると、勇気の口が開く。
「きず、な……、無事、か……?」
「勇気、しゃべるなよ!」
「馬鹿か、話さなきゃ、遺言も言えやしないだろうが」
「…………っ!」
勇気の言葉をそのまま解釈するなら、彼はすでに生きることを諦めていた。
絆は、包帯を取り出して、体中からあふれてくる血を止めながら、
「勇気こそ馬鹿だろ、死ぬとか決めつけてんじゃねえ! あたしが、助けるから……」
「きず、な……」
「うるさい、だから口を開く――」
「絆!」
怒鳴られて、絆はビクッとして、口を紡ぐしかなかった。
それでも手は、彼を一秒でも長く生かそうと慣れない手つきで、手当てをしていく。
彼が大声を出したためか、血はドクドクと流れていた。いくらふさいでも流れていく。
「くそっ、止まれよ、止まれよ!」
行き場のない怒りを声に出しながら、絆は手当てしていく。
しかし、いくら抑えても白いタオルは真っ赤に染まっていくばかり。
傷口はどれも、まるでギロチンに切られたように綺麗なもので、プラモデルの手足が取れたような跡であった。
必死に介抱しても、一向に良くなる気配はない。むしろ、悪くなる一方だった。
次第に彼女の目から涙が溢れてくる。
その涙をぬぐったのは、勇気の手であった。
「泣くなよ――お前には、力が、あるんだから……このゲームを、生き残るだけの、力が」
「……なに、言ってんだよ」
兄貴一人を救えない自身の無力を感じていた絆に兄は、そんな言葉を告げた。
ゲームを、一人で生き残ったところでどうなる、元の世界に勇気がいなければ、絆にとって帰る意味はなくなる。
「そんな力、いらないよ、あたしには勇気が必要なんだ」
「……まるで、恋する乙女の、告白だな」
「どんな解釈をしてくれてもいい、だから、死なないで!」
「……無茶言うなよ」
絆にとって、兄という存在は彼女とそれ以外の世界のすべてをつないでいた。
彼がいなくなるということは、絆にとって、この世に生きている意味がなくなるということである。
彼がいなくなれば、篝火絆の心は、きっと崩れていき、何も考えられなくなるだろう。
「あたしを、置いてかないでよ、お兄ちゃん!」
兄の身体の前で、ボロボロと泣いた絆に対して、勇気は「すまない」、とだけ答えた。
勇気のその回答に、絆は泣き崩れてしまう。
そんな義妹に兄はゆっくりと話していく。
「……俺の命は、長くない……俺の遺言は、ただ一つ――『絆、お前がゲームから勝って生き残ること』、だ」
「そんなの……」
「……頼む」
彼の眼に、勝てるはずもない絆は、頷いてしまった。
それでも泣き止む様子がなかった絆に、兄は自身の学生帽子を深々と被せた。
そして、勇気は、「ありがとう」と言った後、苦しそうに、続けた。
「お前は、ヒヤシンスの花が描かれている、イヤリングを持っているはずだ」
嗚咽をまえながらも、コクリ、と絆は頷く。
先ほど起き上った時に、いつの間にか持っていたイヤリングのことを言っているのだろう。
「そいつは、お前の、『力』だ……そいつがあれば、お前が負けることは、無い」
力……。
イヤリングを取り出すと、そこには、微かにも確かな温かさがあった。
これが、勇気が、自分のために残してくれる、生き残る方法。
「このゲームを、クリアするために、必要なこと、は……」
「勇気!」
勇気は、息をするだけでも苦しそうであった。
絆は彼を抱き上げる。
「勇気……やっぱり、あたし――」
「世界を疑え……神を、疑え」
勇気なしでは生きていけない、そんなことを言おうとして、思いとどまる。ここでその言葉を言ってしまったら、彼のたった一つの願いに反することになってしまう。
それでも、耐え切れない絆は彼の頬に涙を垂らす。
「お前って、結構、綺麗、だったんだな……」
最後に、そう言った彼は、目を閉じる。
彼の名前を何度も叫ぶも、二度と返答が来ることはなかった。
絆の腕の中で息を引き取った兄。
その顔に苦痛の表情は一切なかった。
「あっ……ああ、あああああああああああっ!」
動かなくなった兄を抱きしめながら、絆は声を上げる。
記憶が混乱するくらい、頭がおかしくなるくらいに叫び、泣いた。
絆の声は、いつまでも響いていた。
我に返った絆は、半壊した兄の遺体を保健室のベッドに寝かせた。
本来ならば、埋めなければならないのかもしれないが、こんな世界に一人彼の身体を置いていくなんて、絆には出来なかったのだ。
ふらふらと、廊下を数歩、歩いた絆は、何もないところで崩れ落ちる。
これは、何の冗談なのだろう。
悪夢なら冷めてほしい。
(勇気が、死んだ……)
床を見ると、勇気の血の跡が永遠と続いている。兄は、最後に義妹にあうために一体どこから歩いてきたのだろうか。
ボーと、電気の光で明るくなっている廊下の先を見る。
見ていると、段々と、自分が次に何をすべきか、頭の中で考えついた。
この血の跡の先には――兄を殺した、人間がいる。
兄の手を、足を、目を、耳を、切ったそいつは、首輪を取っていなかった。つまり、ゲームの関係がなく、兄は殺されたということになる。
兄を殺した奴、そいつは、今ものうのうとこの世界の中で生きている。
それがたまらなく悔しい。
「あたしが……やらなきゃ、な…………」
ゆらり、と立ち上がった絆は、兄の形見のイヤリングを耳に着ける。
その瞬間、彼が、言っていた『力』というものを理解した。
これなら、やれる。
兄を殺した奴が誰かはわからない。ここには警察は来られないし、もうすでに証拠なども消してしまっているかもしれない。
だが、構わない。
それならば、自分以外の全てのプレイヤーを殺せば良いだけのこと。
絆は、学生帽子を深くかぶり、一歩、一歩と、廊下を歩き始める。
「あたしが断罪する――皆殺しだ」
世界で一番大切なものを失った絆の歩みには、迷いはなかった。
『復讐鬼』と化した一人の少女は、赤い月の下で歩いていったのであった。
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