アンリミテッドペイン

チョーカー

闘争の開始

 マシンガンハメルトン選手との対戦が決まり、彼のVTRは腐るほど見た。
 彼は古流拳闘術ボクシングの中でも、デトロイトと言われる超攻撃型スタイルの使い手だ。
 半身の構え。右腕を上げ、自分のアゴを防御する。このスタイル最大の特徴は左手にある。
 上げてる右腕に対して、左腕はダラリと下げて、脱力している。
 よく左腕を見れば、振り子のように左右に揺らして、リズムを取っている。
 どう攻めていくか? そう思った瞬間に痛みが顔を叩いた。
 痛み。
 そう、ここは仮想現実で、バーチャルリアルティで、電脳世界。
 身も蓋もない言葉を使えば、ゲームをプレイしてるに過ぎないのだが・・・・・・
 この世界では痛みを感じる。
 痛みとは、何か?
 外部からの刺激を電気信号が脳に伝え、そこから人間は痛みという現象を認識する。
 この世界は、脳に伝える電気信号を再現する事で、実際と同等の痛みを感じるシステムになっている。

 鋭い痛みが俺の顔面に襲い掛かってくる。
 現代格闘技でも多用される『ジャブ』という技。
 その原点こそが相手の古流拳闘術ボクシングらしい。
 相手とのリーチの距離を測ったり、相手の出鼻をくじいたり、相手に小さなダメージを細かく刻み付けたり、多くの格闘技でも基本とされる技だが―――
 すでに被弾は5、6発。
 1発、1発は決定打になるほどのダメージはないが・・・・・・なるほど。やりずらい。
 古流拳闘術ボクシングではグローブという、拳を保護する道具の着用により、脱力からの素早いパンチが可能となる。
 しかし、今回の相手、マシンガンハメルトンはグローブは着用していない。 
 拳を強く握らずパンチを放つと、その衝撃に自身の拳が耐えられず、骨折する例が多くある。
 拳を保護するグローブを着用していないハメルトンは、拳を強く握る必要があり、脱力からの素早いパンチが打てなくなっている。
 しかし、素手と言うのが、中々、厄介だ。
 グローブという大きな道具を外したことにより、肉眼でパンチを捕えるのが困難となっていたのだ。
 そして、このデトロイトという構え。
 左右に細かく揺らし、ほとんどノーモーションで下から、俺の顔面を叩いていく。
 写真のフラッシュを浴びているように、気がついた当たっているという感じだ。
 古流拳闘術ボクシングという珍しい流派を相手にして、ワザと攻撃を受けてみたが―――
 俺はガードを上げ、防御を開始する。
 そのタイミングを見越していたのか、ハメルトンは大きく踏み込んでくる。
 一瞬で俺とハメルトンの距離は0に。
 ハメルトンに組み付かれた。
 組技?古流拳闘術ボクシングにそんな技があるのか?
 コイツの試合のVTRにおいて、そんな技が使用されているのを見ていない。
 組み付かれたと認識した瞬間に浮遊感。
 俺は投げられていた。硬い地面との衝突による衝撃。
 馬鹿な。組技系の連中相手でも、ここまで綺麗に投げられた事なんてないぞ。
 一瞬のパニック。停止した思考。
 ハメルトンが俺から離れて立ち上がる。
 追撃が来る。頭部の防御を固める。
 しかし、追撃はこなかった。
 ハメルトンは立ち上がり、寝てる俺に『立ってこい』とジェスチャーで挑発してくる。
 「ふざけやがって」
 俺は悪態をついて立ち上がる。

 
 呼吸が乱れている。スタミナのロスが激しい。
 この世界のアバターは、理論上、心肺機能の疲労が起きることはない。
 やろうと思えば、何時間でも全力疾走を行う事も可能だ。
 しかし、プレッシャー、ストレス、焦り、と言った精神的な疲労感により呼吸が乱れ、アバターを動きを鈍くする。
 既に3回。ジャブから投げのコンビネーションを喰らっている。
 その甲斐もあって、いろいろわかってきた。
 あの組技は確か―――思い出した。そう、クリンチと言われる技術。
 従来の組技系の技とは違いがある。
 一度、体を沈ませてからダッシュ力で距離を縮みさせ、抱き付いてくる。
 そして、組み付いた瞬間、下から上に力が込められている。
 他の組技系格闘技と違い、組み合う間合いが0に近い。
 つまり、組んだ時には、俺は棒立ち状態―――いや、酷い時は爪先立ちになっている。
 柔道で言えば、組まれた瞬間には崩しの状態になってたわけだ。
 だから、組み付いて、体を捻るだけで投げられていた。
 OK。もう十分だ。理解した。
 またジャブの連打。俺はガードを上げて、投げを誘う。
 組み付いてくるハメルトン。タイミングは体で覚えている。
 俺は体を沈めると同時に拳を引く。
 狙いは超ショートレンジのアッパーカット。
 タイミングはドンピシャ。
 俺の拳がハメルトンのアゴへ吸い込まれていく。
 だが、しかし―――
 1秒に満たない僅かな時間。聞こえるはずのない声が聞こえた。

 「ようやく罠にかかったな」

 俺の拳は宙を切る。避けられた?このタイミングで?
 気がつけば、ハメルトンの拳が目前まで迫ってくる。
 今まで使われる事がなかったハメルトンの右拳が俺の顔面を打ち抜いた。
 首が可動域限界まで捻じられていく強烈な1撃。
 あまりにもリアルな衝撃に脳が誤作動を起こす。
 現実の俺の脳が揺さぶられて脳震盪が起きる。

 この戦いの勝敗は、アバターの各部に設定されているHPヒットポイントの消失で決まるのが1つ。
 関節技や打撃の痛みでギブアップするのが1つ。
 そして、脳震盪による失神で強制的なログアウトが1つ。

 強烈な打撃を受け、俺は体の自由が奪われていく。
 視界は狭まり、地面が近づいていく。

 ―――ドックン―――

 確かに聞こえた。
 本来、アバターには存在していないはずの心臓の鼓動。

 ―――ドックン―――

 ほら、もう一度。
 俺の体が、確かな生を実感している。

 ―――ドックン―――

 暗闇に染まったはずの視界に明かりが燈される。
 今まで自由が効かなかったはずの俺の肉体は、倒れる事を拒否。
 下半身はしっかり、踏ん張りが効き、上半身は背筋を伸ばす。
 ここまで追い込まれ、仮初の肉体は、ようやく魂を灯す。
 仮初の精神は死に。本物の俺が覚醒していく。
 霞城一郎の精神は消え去り、『痛み傷ペインウーンド』が目覚める。

 ダウン直前に追い込まれた俺が、再び拳を構えた瞬間。
 客席から爆発のような声援が起きた。

 

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