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地上から約3m50cmの酸素

些稚絃羽

雨の中助ける三日目

-ねぇ、馬鹿なの?
私は確かに、たった二度会っただけの奇妙な関係のその人に向かって、三度目にしてはっきりと暴言を吐いた。でも今日のこの状況ばかりは、言わないと気が済まなかった。
小粒の雨がさぁさぁと降る中、今日もブロック塀に座っていたのだから。

今日は仕事が休み。外は朝からどんよりとした雲に覆われ、天気予報では午後から降水確率80%を弾き出していた。そんな日に外出する気にもならなくて、特にする事もなく読みかけの小説を開いていた。
午後1時を回り、予報通り雨が降り出す。ベランダの窓越しに外を伺うと、小さな家々の上に霧のような小さな雨粒が、風に乗ってうねうねと波打ちながら降り注いでいるのが分かった。結構降ってるな。
湿気ではねだした髪を抑えながらソファに戻ろうとして、玄関側の窓が開けっ放しなのに気が付く。風も強そうだから閉めとこ。窓に近付いて手を掛けた時、目の端に白い何かがちらついた。
スニーカー……?茶色い斑点の付いた白いスニーカーと黒っぽい綿パンの裾が見える。
何かを考える暇もなく、私は急いで玄関を開けた。

―ねぇ、馬鹿なの?
言わずにはいられなかった。そこには昨日も一昨日も見たあの人が、同じ場所に同じように座っていたから。しかもこの雨の中。いつからいたのか、くるくるとしていたはずの髪はあの端正な顔にべったりと張り付いているし、黒っぽいと思っていた綿パンは雨に濡れているせいで変色していたのが分かった。
開口一番に暴言を吐いた私を、ゆっくりと見下ろして穏やかな顔で言う。
「そうだなぁ。胸を張って天才とは言えないけど、
 そこまで馬鹿ではないと思ってるよ?」
―いや、そうじゃなくて。
今そういう事を言っているんじゃないんだけど。とりあえずこのままじゃ風邪引くじゃない。
―風邪引くから良かったらうち入って。
「優しいね。」
―こんなにびしょ濡れの人放っておいて
 後で風邪引かれたら夢見悪いじゃない。
「はは、流石だね。じゃ、お言葉に甘えようかな。」
男はいつものように塀から飛び降りるとこちらに近付いてくる。間近で見るとその相当な濡れ具合に唖然とした。

―ちょ、ちょっと待ってて。
玄関で待たせておいて、奥からバスタオルを引っ掴んで駆け足で戻ってくる。突っ立っている男にバスタオルを押し付ける。
―はい。これ使って。
「あぁ、ありがとう。」
受け取ったバスタオルで顔や髪をゆったりとした動作で拭くのを見て、服が必要な事に気が付く。男は華奢な体型をしているし私は男物の服ばかり持っている。大きめの物なら余裕で着られるだろう。
急いで箪笥を掻き回して大きめのトレーナーと太めのパンツを見繕い、持って行こうとしてふと思う。下着は?
記憶を巡らして、確かどこかに一枚新品があったような。箪笥の奥の奥に手を突っ込むと袋に入ったままの男性物の下着が出てきた。男友達が面白くない冗談で引越し祝いにくれたのだ。まさかこんなところで役立つとは。あの時白けた視線送ってごめん。助かった。

服は置いておいて、新しいタオルを持って玄関へ戻る。タオルを床に敷いて
―服借すから入って。足これで拭いてね。
と促す。男は呆けた様な顔をして、それから笑う。
「何かすごいね。お世話になります。」
ぺこっとお辞儀をして靴を脱ぎ出す。真っ白のスニーカーは水溜まりを踏んだのか茶色い染みを作っている。どうしてこんな日に白いの履くかな。やっぱり変わってる。
靴下も脱いで敷いたタオルで足を拭いている。
「失礼します。」
律儀に挨拶をして入る男を連れて風呂場へ。
―服はこれ着て。私のだけど男物だから入ると思う。
 あと下着は新しいのがあったからあげる。
男が持っているバスタオルを触るともう大分水を含んでいる。そのバスタオルを受け取って、
―ここにタオル入ってるから使って。
 使い終わったら洗濯機に入れておいて。
 ついでに今着てる服も洗濯するから一緒に入れてね。
と一通り告げて、カーテンを閉める。脱衣所代わりのカーテンは一人ではあまり使わないけれど、付けておいて良かった。こんな時に役立つとは。

温かいものを用意しておこうか。コーヒーは飲めるだろうか。コーヒーしかないんだけれど。まあ、最悪飲めなかったら二杯飲めばいいや。そう思ってインスタントのコーヒーにケトルからお湯を注ぐ。二つのマグカップから湯気が立ち上るのを見ながら、今の状況に笑ってしまう。
私、どうしてまだ三回しかあったことない可笑しな人のために、風邪を心配して服やらコーヒーやら用意して甲斐甲斐しく世話しているんだろう。変な感じ。

ギィと板場を踏む音が聞こえて振り返ると、着替えた服を気にしながら男が部屋に入ってきていた。その髪はまだ半分以上濡れている。
―ごめん。うちドライヤーないから。
抽斗に入れていたフェイスタオルを一枚手渡す。男はそれを手にしてありがとう、と呟く。その顔を見て、こういう日も悪くないかなと思った。

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