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地上から約3m50cmの酸素

些稚絃羽

少しだけ知る二日目

翌日も朝から17時までのシフトで、昨日より少しだけ早い時間にいつもの道を自転車で走っていく。少し冷えた風を切りながら、そこで初めて男の事を思い出した。
あの人、何だったんだろう。近所の人なのかな。
少しだけ同じ空気がした。失礼だけれど、他人には理解されないタイプの人間だ。そしてそれで良いと思っている人。

駐輪場に自転車を停めて、歩き出す。今日は扉に近付く前に気が付いた。
今日も、いる。
昨日と寸分違わぬ所に腰を下ろして、同じように目を瞑り顔を空に向けている。ただ格好だけは赤いネルシャツと薄いブルーのジーンズに変わっていた。
話し掛けてみてもいいだろうか。邪魔だと思われるかもしれないけれど、少しだけ。
そう考えて踏み込んだ右足が砂利を踏んで、ザッと音を鳴らす。その音に気が付いて男は目を開け私を見る。やがてにっこりと微笑む。昨日のリプレイのよう。話し掛ける事を許された気がした。

-今日も日光浴?
「うーん、今日は何だろう。」
-そこ、好きなの?
「そうだね。好きだからここにいるのかも。」
曖昧な答えは今日も健在だ。もう驚かないけれど。
-どうやって上がったの?
「ん?あぁ、そっちからじゃ分からないか。
 こっちに階段があるんだよ。」
そう言って塀の向こうを指差す。なんだ、階段があるのか。上がってみたい気持ちもあったけれど、今そこは男のテリトリーのようで、踏み込むのは気が引けた。

-君はいつもそうなの?
「そうって?」
-何て言うか、掴みどころがない感じ?
「はは、結構はっきり言うね。」
-気を悪くした?
「ううん。本当にそういう奴だから。」
楽しそうに笑う。自虐的でもわざとらしくもなく、心から楽しそうに。
「それで、いつもこうかって?」
-うん。
「じゃ、君はいつもそう?」
-そうって?
「何て言うか、直球で最短ルートを走る感じ?」
-君はなかなか遠回りだよね。
「はは、やっぱり直球だね。」
-……私は、いつもこう。
「でしょ?僕もいつもこう。だってこれが僕だから。」

平然と当たり前みたいにこれが僕だ、と言う。それがまるで誇りであるかのように。
-生きにくく、ない?
「自分でいる事?」
-うん。隠さず、自分のままでいる事。
「君は、生きにくい?」
-分からない。偽らないから疲れないけど、
 勘違いされるとまたか、って溜息が出る。
「どんな生き方をしたってそうじゃないかな。
 だって僕達はロボットじゃないから。」
穏やかな表情を浮かべてそう言う。
「溜息が出ないなら、人が全てロボットみたいでも
 君は良いと思う?」
問われて考える。人が全てロボットなら。
-楽しくないかな。楽しいって感情もないのか。
「僕もそう思うよ。溜息が出たり涙を流したり、
 そうしても楽しいと思える時があるから、
 僕は僕でいたいと思う。
 ただ、嘘をつけないっていうのもあるけど。」
肩を竦めて笑う。意外にもひょうきんな動きで、私も釣られて笑った。

「そろそろ行こうかな。」
塀の上から飛び降りる。同じ目線になって、
「それじゃ、さよなら。」
と昨日と同じように挨拶をして去っていく。
-さよなら。
私も同じようにその背中に声を掛ける。あの人は私と似ているようで、全く正反対の人なのかもしれない。

そう言えば名前、聞かなかったな。
でも昨日より沢山話をした事に気が付いて、ほんの少し楽しくなった。
私はロボットじゃないから。

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