それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

59.宣言と自信

ショップの建設が終わったと知らせを受けた私達は、上尾さんと予定を合わせて見学に来た。
私達も完成形を見るのは今日が初めてで、思い通りの仕上がりに手を叩いて喜んだ。
実際の建物を見て最終調整をしたいと言う上尾さんは、ゆっくりとした足取りで時折壁や床に触れながら全体の様子を見ていく。一通り終えるととても満足そうに頷き、源さんに近付いた。
建築家と空間デザイナー。年齢も性別も何もかもが違う2人だけど、それぞれの仕事に対するプライドや誠実さには通じるものがあって、既に信頼関係が生まれている様だった。
これで源さんの仕事は終わり。楽しかった、という一言を残して何もなかった様に去って行く姿に、源さんと仕事ができて本当に良かったと思う。
「ここからは私の出番ね。来週から始めようと思うわ。」
上尾さんが言う。本格的にオープンする日が近付いているんだと思うと、少しだけ緊張する。でも上尾さんがPartnerの皆の気持ちを込めてくれると思うと心強かった。
準備があるから、と出て行く上尾さん。一瞬迷って、私は追いかける事を決めた。

「上尾さん!」
喧騒に紛れ込もうとしている背中に声を掛けた。不思議そうにこちらを振り返る。その目をじっと見つめて私は言葉を出す。
「私、忘れていました。全部知っていた事。
 優しくて暖かくて真っ直ぐに私に力をくれる彼だって、
 悩んだり不安になったりするって、知っていたのに。
 ……だから私、言葉でちゃんと伝えます。
 見ているだけの私はもうやめにします。
 上尾さんが言ってくださった言葉で、本気で前に進む
 決心がつきました。ありがとうございました。」
深く深く頭を下げた。何度も決心しては揺らいでいた気持ちを立て直してくれたのは上尾さん。その感謝をどうしても伝えたかった。向こうで大きく息を吐く音が聞こえた。
「私は何もしてないじゃない?
 気付いたのは貴女自身で、想い続けた彼のおかげ。
 それにまだ、頑張るのはこれからでしょ?」
鋭い目で見つめられて背筋を伸ばす。「想い続けた彼のおかげ」。変わらず想いを示してくれる彼でなければ、きっとこんな気持ちにはならなかった。そして伝えるのは、まだこれからだ。
「……そうですね。彼の、おかげです。」
「もう。他人の惚気なんか興味ないのよ。
 あぁー、早く旦那に会いたくなっちゃった。」
肩を竦めて不満そうな顔のまま、じゃまたね、と告げて踵を返し歩き出した上尾さんにもう一度頭を下げる。
「どうせなら次は2人並んで惚気けてよね。」
その声に顔を上げると、上尾さんは弾ける様に笑ってみせた。
そしてまた背を向けて歩き出す。後ろ手に軽く手を振るから、見えていないと分かっているのに小さく手を振り返した。
あの笑顔の幼さと小さくなる背中の凛々しさが驚く程対照的で、だけどそれがとても格好良かった。
期待に答えられるといいな、なんて思っている自分が何だか可笑しくて笑っちゃう。
今日の空は良く晴れていて、反射する光の粒が妙に眩しかった。


「……はい。これで全部です。
 じゃ、向こうまで宜しくお願いします。」
必要な商品の項目リストを挟んだバインダーを業者に渡す。2人の業者はそれを受け取ると颯爽と大型トラックに乗り込み出て行った。
走り去るトラックを見送ると、携帯のメール画面を開く。
<全て搬入完了です。後はお願いしますね。>
それだけ打ち込んで立花さん宛に送信する。ブースに戻ろうとエレベーターに乗り込むと早速返信がくる。
<了解。他の奴がさぼらない様に見張っといてくれ。>
その文面に笑ってしまう。画面に向かって了解です、と呟き、電子音と共に停止したエレベーターから降りた。
廊下を進んでブースのドアを開けると、
「今日はゆっくりしよーぜ。どうせ雑務ばっかだし。」
と言う林田君の声が飛び出してくる。私はすぐさま林田君の目の前で携帯を操作する、ふりをする。
「早速林田君がさぼろうとしています。」
「ちょ、菅野ちゃん?何してるの?」
「立花さんにメール。見張っておく様に言われてるから。」
「だめー!!」
林田君が必死で止めようと立ち上がると、沙希ちゃんがその頭を丸めた雑誌で叩く。
「企画の仕事じゃないからってさぼろうとしない。
 千果さんに言いつけちゃうからね。」
「それもだめに決まってるだろ!」
そう言いながらもまだ楽をしたい気持ちが強いのか、給湯室から戻ってきた夏依ちゃんを同志と見て駆け寄る。
「ほら、天馬ちゃんもさ、書類整理とか嫌いだろ?
 何とか言ってやってくれよーう。」
「え、私、結構好きですけど。」
真顔で返されて何も言えなくなる林田君。俺の味方は1人もいないのか、と呟いて渋々デスクにつく。
私達3人は顔を見合わせて笑うと、同じ様にデスクについてそれぞれの仕事を始める事にした。

「何かあったの?」
「うーん、わたしにもよく分かんないんだよー。
 VFブイエフからの電話みたいなんだけど。」
「問題発生、ですかね?」
問題が起きたのはそろそろ12時を回る頃。コピーを取りに出て戻って来ると、苦い顔で電話応対をしている林田君と、それを心配そうに見守る沙希ちゃんと夏依ちゃんという構図ができあがっていた。
VFというのはジュエリー企画の商品の販売を委託しているジュエリーショップ、Jewelry V.F.の事。全都道府県に支店を持つこのショップの社長と志方社長が知り合いらしく、その繋がりで今回の契約が結ばれたんだけど、発売日目前に連絡だなんて何かあったのだろうか。
「……はい。では後程折り返しご連絡させて頂きます。
 はい。はい。では失礼致します。」
とりあえず電話はそれで終わったらしく、林田君は受話器を置くと大きな溜息を吐く。
「何の電話だったの?」
「イベントの時挨拶したVFの支店長、覚えてる?」
「白木さん?あの軽い感じの。」
沙希ちゃんの言葉で思い出す。ここから1時間程の距離にある支店の店長、白木玲生しらきれおさん。なぜかわざわざ握手を求められたのだけど、今まですっかり忘れていた。何だか苦手な雰囲気の人だな、と思った気がする。電話はその白木さんからだったらしい。
「おう、その人。で、白木さんが発売初日に立花さんに
 販促に来てほしいんだって。」
「販促って、何するんですか?」
「何か1日店長みたいな事してほしいらしい。」
「それ立花さん、OKしますかね?嫌がりそう……。」
夏依ちゃんの考えに私も同感。初日のあの支店には取材も入ると聞いている。本来は本店での取材が普通だけど、Partnerの商品だから同じ県の支店でする事になったそう。だから行けば確実に取材にも参加させられる事は目に見えている。それが分かっていて立花さんがすんなり承諾するとは思えない。
「他の人じゃだめなの?例えば私が代わりに行くとか。」
「どうだろ。でも話の感じとしては立花さんが良いっぽい。
 しっかし、何か断れる雰囲気じゃないよなー。
 こっちは商品置かせてもらってる身な訳だし。」
林田君の言う事ももっともだ。どちらの言い分も分かるから挟まれた林田君は大変だったと思う。
「とりあえず立花さんに連絡するかな。」
そう言って今度は自分の携帯で電話をかけている。今頃向こうは積み込みが終わった頃だろうか。
すぐに繋がったらしく、林田君は簡単に説明をする。
「そうなんスけど、これはうちじゃなくて
 ジュエリーショップからの要請で。
 イベントの盛況ぶりを見た店長さんが、是非にって。
 1日目だけで良いって言ってるんスけど。」
予想通りすぐに納得はしていない様で、説明を加えている。漏れ聞こえてくる声が何か叫んだ。
「何でっスか!」
つられたのか林田君も声を張る。また何かを主張する声が聞こえてきた。聞こえなくても、また記者の標的にされるのは耐えられない、といったところだと思う。
……私で説得できるだろうか。
「林田君、ちょっと貸してくれる?」
「え、あぁ、うん。」
驚いた様子の林田君から携帯を受け取る。行かない方が立花さんのためには良いけど、会社間をギスギスさせるのは会社にとっても良くない。少しでも私が互いの潤滑油になれるなら。

「立花さん。一緒に行きましょう?」
「え?」
電話の向こうの戸惑う彼に、できるだけ優しく言葉を掛ける。
「本当は代わりに行けたら良いんですけど、
 立花さんが行かないとだめみたいなんです。
 ここでもし断って、これからの販売に影響がないとは
 言い切れないので、嫌だとは思いますが行きましょう?」
小さな息遣いだけが聞こえる。
「もしそこで何かあったとしても、絶対私が守ります。
 約束したじゃないですか。」
少しの沈黙。それでもきっと断らないだろうって自信があるんだ。
「……そんな風に言われてどう断れって言うの。」
「ふふ。立花さんの弱点ですね。」
守る、って言葉は立花さんにとても効くらしい。だって言うといつだって嬉しそうに口元を綻ばせるから。それだってもう、知っているの。
「君には勝てる気がしないよ。」
そう言いながら笑いの混じる溜息をつく。そんな彼に嬉しくなる。助けられてばかりじゃなく、ちゃんと隣にいて支えたいと思う。
「……これから帰るから。」
ぽつりと落とされた何気ない言葉が、無性に私の心を暖かくする。だって私の元が帰ってくる場所だと言われている気がするから。
「はい。気を付けて帰ってきてください。
 ……待ってます。」
するりと自然に、考えるまでもなく素直に言葉にできた。最後にうん、と呟いた声に幸せを感じた。

ふと顔を上げると意地悪な笑みを浮かべた3人と目が合う。その表情の意味が何となく分かって顔に熱が集まる。
「立花さん、早く帰ってこーい。」
「いじり倒してやるんだから。」
「それ、私も混じっていいですかね?」
そんな事を言い出すから、ますます恥ずかしい。
「もう!休憩行ってきます!」
居た堪れなくなってブースを飛び出す。そうしながらも、早く帰ってきてほしいなんて思う私は少し意地悪だろうか。

 

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