それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

56.受けさせたくなかった取材

翌週。昨日も既にピリピリとした空気を放っていた立花さんが、今日は輪をかけてひどい。目付きは悪いしいつもの優しい彼はどこに行ったのだろう。今も頑張って話し掛けた沙希ちゃんに低い声で言葉を投げつけた。
でも分かっているつもりだ。今日が生活情報誌ライフの取材日だから、気を張っているという事。今更やめるなんて言えない事も。
会議室ではなくこのブースでする事になったのは、そう頼み込んだからだと昨日本人からこっそり聞いた。同じ空間にいるだけで少しでも安心できるならそれがいい。今の状態のまま1人送り出すのは私もとても心配だし。今日のために持ち込まれたソファに深く腰掛け、眉を顰める様子はひどく不安を煽る。
「立花さん、困ったらいつでも言ってくださいね。
 とりあえずとびきり美味しいコーヒー淹れますから。」
自分にできる事と言ったらそれくらいしか浮かばなかった。こんな些細な事でも立花さんの力になれば。
「ありがとう。頼むよ。」
今にも散りそうな笑顔に、早く終わらせてほしいと願う。そして改めてトラウマの大きさを感じた。
コン、コン。
ノックの音に振り返ると、見知らぬ男女が小さく頭を下げた。

コーヒーが落ちるのを給湯室で待ちながら、名刺交換をする声を聞いていた。
パンツスーツを着こなした30代の女性は南早苗みなみさなえさん。セミフレームの眼鏡を掛けているせいか気丈な雰囲気はあるけど、素顔は愛らしく物腰も穏やかそうだった。
対してカメラマンの工藤兼明くどうかねあきさんは何やら格闘家の様に逞しく、髭に覆われた顎は肌が見えない。口数が少ない方らしく、名前を言ったきり立花さんと南さんが話している間も工藤さんの声は聞こえなかった。
淹れたてのコーヒーを3つ、お盆に載せて給湯室を出て行く。
「……正直お受けいただけるとは思いませんでした。
 本当にありがとうございます。」
「まぁ、いつまでもごねる歳でもありませんので。」
立花さんの顔に苦笑いが浮かぶ。ジュエリー企画の宣伝が主とは言え、記者を前にして嫌な顔はできないだろう。タイミングはここだ、と声を掛ける。
「失礼致します。コーヒーをお持ちしました。」
「ありがとうございます。……まぁ美味しい!」
「本当に美味いな。」
南さんに続いて工藤さんもそう言ってくれてほっとする。立花さんのコーヒーには先に少し砂糖を入れておいた。口を付けて硬かった頬が少し解れたのを確認する。良かった。
「ありがとうございます。おかわりもございますので。」
給湯室に戻って、後は無事に終わるのを待つばかりだと考える。でももし立花さんが困って助けを求めてきたら、それに全力で応えられる様に気を引き締めておこう。大きく息を吐いてデスクへと向かった。


「そのイベントには立花さんも参加されるんですか?」
「あ、はい。LTP全員で参加させていただく予定です。」
仕事をしながらも、耳はそちらを向いている。多分皆も同じ。だってブースの中は南さんの質問の声と立花さんの回答の声、そして工藤さんの切るシャッター音ばかりが響いているから。
イベントというのはジュエリー企画の商品お披露目会。新聞や雑誌の記者だけでなく一般の人も集めて行なわれるこのイベントに、私達も参加する事になっている。沢山の人がイベントについて知ってくれるのは嬉しいけど、それに立花さんが使われるのはとても申し訳ない。
「皆さんがイベントに出られる事ってあまり
 ないんじゃないですか?」
「そうですね。
 企画課は表に出る仕事ではないですから。」
「ですよね。今日来るまで皆さんがこんなに
 美男美女揃いとは知りませんでしたから。」
沙希ちゃんがお団子頭を触る。夏依ちゃんは両手で頬を覆う。林田君は背筋を伸ばした。……嬉しい気持ちがだだ漏れだ。立花さんが厳しい目で見てるよ!
「ところで、立花さんは今お幾つなんですか?」
南さんは急に立花さんの個人的な部分に質問をシフトさせる。
「え、29です。」
「あら、私より7つも下。あ、それは良いとして。
 という事は今の仕事を始められて11年?」
「そうなりますね。」
今日はジュエリー企画とイベントについての取材じゃなかったっけ?今度はこの仕事の魅力について問う。
「魅力、ですか。
 やはり自分達が考えた新たな商品が形になって、
 それを沢山の人が大切に使ってくださっているのを
 見ると、本当に嬉しいですね。」
「本当に仕事を愛しておられるんですね。」
「……はい。」
その後も話が戻る事はなく。どんな家に住んでいるのか、休日は何をしているのか、最近のブームは?なんてまるで芸能人へのインタビューみたいな質問ばかりで、もう少しで私が声を荒らげそうになった。立花さん本人が上手い具合に躱しながら答えていたから抑えたけど。一体どんな記事にするつもりなのだろう。

「殆どはぐらかされてしまいましたねぇ。
 じゃあ最後に、1つ。
 ズバリ、好きな女性はいますか!?」
それ、一番必要のない質問じゃないですか?こんなにも怒りが沸々と沸いてきたのは人生で初めて。南さんの印象はガタガタと崩れていく。
「……ノーコメントで。」
「これもだめですか……残念です。
 ではこれにて取材は終了とさせていただきます。
 ありがとうございました。」
「……ありがとうございました。」
やっと終わった。無意識に握り固めていた掌をゆっくり開こうとする。指の動きがあまりにぎこちなくて相当力が入っていたんだと分かる。南さんの残念という言葉にも引っかかったけど、記憶の中でなかった事にする。
「次回の月末号に掲載する予定で、こちらに現物を
 お送りしますので、是非チェックしてくださいね!
 それでは、失礼致しました。」
さっきまで根掘り葉掘り聞いていたとは思えない程の素早さで、それだけ言い残して去って行く。工藤さんもお辞儀だけして当たり前の様に出て行ったから、いつもこうなんだろう。一先ずこれで嵐は去った。
「終わった……。」
「後半の方、宣伝全く関係なかったですよね?」
「最初から立花さんの事を聞く取材だったんだろう。」
私が小言を言うと竜胆さんがやれやれといった様子で返してくる。やっぱりそうなんだ。
「あー、まんまと乗せられたパターンですね。」
「記者の方って怖いですね……。」
沙希ちゃんも夏依ちゃんも哀れんでいる。こんな事なら今後も取材は拒否してもらった方が良いかもしれない。
「俺が思うに、見出しは『若きエリートの知られざる素顔!!』
 とかじゃないッスか?」
林田君が可笑しそうにそう声を上げるけど、笑えない。そんな週刊誌みたいなタイトル掲げられたら、変に注目されちゃうじゃない。興味本位で立花さんに寄っていく人が増えたら……考えたら気絶してしまいそう、


結果的に、林田君の予想は寸分違わず的中していた。
誰もが忙しさのために取材があった事すら忘れかけていた月末。わざわざページに付箋まで付けられた明日発売のライフが立花さん宛に届いた。
大きく載せられた立花さんの写真は、さすがプロが撮っただけあって立花さんの良さが引き出されていた。この写真のために雑誌買おうかな、と思う程。
でも問題は内容。後半の、言っては悪いけど下世話な質問ばかりが取り上げられて、企画の事やイベントの事は端に追いやられている。
やっぱり何を思われても途中で止めに入れば良かった。
……もうライフは買わないもん。

 

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