それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

51.欲しかったもの

「おはよう。」
「あ、おはようございます。」
翌日、振り返った先に立花さんがいて挨拶を返す。そして見つめてみる。
どんな事を考えているのだろう。今目が泳いだ。隠し事でもあるのかな。観察していたらそういうのも分かる様になるのだろうか。
内装の打ち合わせを始まってからも観察は続く。ほぼ正面の位置はとても見やすい。
今日の立花さんはじっと黙って私達の話を聞いていて、時折名指しでされる質問や確認にワンテンポ遅れて答える、という状態を保っていた。調子でも悪いのだろうか。それとも何か悩みでも?
他の皆もその様子に気が付いていて、疲れが出ているんじゃないかと声を掛けているけど、曖昧な返答を返すばかりで釈然としない。
ひどく疲れた顔でつく溜息は何度重ねても薄まる事はなくて、その様子を目にする度に悲しくなる。分かってあげられない事も変わってあげられない事も。
もし聞いたとして答えられないものだとしたら困らせてしまいそう。ただひたすら笑顔が戻る事を願うしかできなかった。


次の日も立花さんは苦しげで、何か言いたげな視線を寄越してくるけど結局何も言われないまま時間だけが過ぎていく。何も言わないのは私も同じだけれど。
仕事の方は1つずつ着実に決まっていってる。建物の雰囲気を壊さずPartnerの商品をふんだんに盛り込んでいくには色々な点に気を遣う必要があったけど、林田君がてきぱき進めてくれて順調。この昼休みを超えたらあとちょっとで終わるんじゃないかな。
「さっき企画課の休憩室の中、気付いた?」
「うんうん!何かあったのかな?」
食堂が混み始めて後ろのテーブルが女性社員のグループで埋まる。同世代の女性達はどんな事で盛り上がるんだろう。食後にお茶を飲みながらそっと耳を傾けていた。
「1人だったしね。ぱっと見ても疲れた感じだった。」
「飲んでるの炭酸だったよね。しかも強めのやつ。」
「本当珍しい。いつもブラックコーヒーなのに。」
誰かの話をしているらしい。何やらお疲れの社員さんが他にもいるんだな。
「窓の外ぼーっと見てたけど大丈夫かな、立花さん。」
立花さん、と聞いて胸が大きくドクンと鳴った。
甘くて痛くて嫌いだと言う炭酸飲料を飲んでしまう理由は何?たった1人で何を見つめているの?
知りたいけど、聞きたいけど、どこまで踏み込んで良いのだろう。隣にいたいと思い始めてからどんどん近付く事に臆病になっていく。
大切にしたいから。壊したくないから。……でもそれも弱さへの言い訳に過ぎないんだろうな。
「おまたせー。」
私の横をすり抜けて後ろのテーブルに駆け寄る女性社員。確か情報課の人だ。集まっているのが情報課のグループだと分かった。
「やっと来た。遅かったじゃん。」
「うん。課長に捕まってて。」
「あらら。」
「あ、そういえばさっきエレベーター乗ってたらさー、
 3階で停まってね。」
「立花さん?」
「何だ、もう知ってたの?」
「うちらもさっき丁度見たからさ。」
いつまで立花さんの話が続くのだろう。立花さんがどれだけ社員に注目されているかが分かる。……これでは気付かぬ間に遠くに行っちゃう事だってあるんじゃない?
「やっぱ格好良いよねー。あの鋭い視線向けられたい!」
「今日は全然鋭くなかったでしょ。」
「ううん、休憩室から出て行くとこで目合ったけど、
 笑って会釈してくれたよ?もう悩殺スマイルだよね!!」
遅れてきた女性社員は1人違う意見を言う。
「へー、じゃ元気になったのかな?」
「それなら良かった。立花さんが元気ないとか嫌だよね。」
「ん、どういう事?」
「それがさ……」
後ろの声をシャットダウンして物思いに耽る。
笑顔を自然と出せるまでになったという事はもう大丈夫なんだろうか。でも悩みが解決したばかりならそっとしておいた方が良いかもしれない。
ちょっと寂しい気もするけど今日は我慢して、来週は私から話し掛けてみよう。


「おし、これで良いんじゃないっスか?」
「終わったー。今日ばっかりはてっちゃんのおかげ。」
「何で今日だけなんだよ!?」
終業時間を迎え、ほっと息をつく。意外にも長引いてしまって今日中には無理かも、なんて思い始めていたけど終わって良かった。これを見た上尾さんの見解はどうかっていう問題はまだあるけどね。
とりあえず片付けてしまおう、とバッグを膝にのせる。そのままデスクいっぱいに広げた書類をかき集めていく。ちゃんと途中で片付けておけば良かった。
出しっぱなしにしていたファイルを開いて、書類を入れようしたところではたと気付く。
入れていなかった筈の白い紙。見慣れた文字で一文。
<君の我儘を聞かせて。>
どうして……。弾かれる様に正面に座る彼に向けて顔を上げた。それからはまるでスローモーションの様だった。
こんなにもしっかりと見つめ合ったのはとても久しぶりな気がする。立花さんが真っ直ぐに私を見つめてくれて、私も見つめ返した。
全部が嬉しい。約束を覚えてくれていた事も、彼の方から<聞かせて>と言ってくれた事も。
そして、このファイルにメモを入れられるのはあの昼休みの時間だけ。一番に私の事を思い浮かべてくれたのかな、って思ったら自然と笑みが溢れる。
笑う私を見て、彼も少し照れた様にはにかんだ。細められた目に優しさが光った気がした。

4人の声と紙の擦れる音、PM5:00を知らせる時計の小さなチャイム。
それらを遠くに聴きながら、彼と私はただ小さく微笑み合った。

 

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