それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

40.baby´s breath

今、とても緊張してる。
baby´s breathへと向かう車の中。きっと立花さんは不思議に思っているだろう。これまで数回一緒に出掛けて、私が目的地を指定した事なんかないから。
ちゃんと理由はある。1つは立花さんが一番安心できる場所でこの時計を渡したかったから。もう1つは、あの日の約束を果たすため。

「おやおや、確か菅野さんでしたかな。
 また来てくださってありがとう。」
そう言って目を合わせたマスターは全てを分かっている様に頷いてくれた。立花さんに見えない様に小さく頷き返して、私は前回と同じ席に座った。
席に着いてからも落ち着かなくて、注文は立花さんの後に続いて
「同じものを。」
で済ませてしまった。
マスターが席から離れて行って2人きり。渡すのはいつだろう。食べてから?食べながら、はないよね。でも食べる前に出しても良い?分からない。…だけどもう我慢できない。
「あの、本当は後の方がいいかもしれないんですけど。」
バッグの中の箱を慎重に取り出す。きっと箱を見ればどこの物かなんてすぐに分かるだろう。案の定、一目見て目を見開いている。
「どうしてその箱……。」
「やっぱり分かりますよね。この前お店に連れて行って
 もらった時、全部木でできた腕時計を見て、誠さんに
 素敵ですね、って話したんです。そうしたら、
 あの子が子供の頃に欲しいと強請っていたよ、
 って教えてくださって。
 ……もしプレゼントしたいと思うならパーツを選んで
 世界に1つの時計にしてあげたら良い、って。
 それで色々と選んで作って頂いたんです。」
緊張はまだ解けてはいなかったけれど、あとは口が自然と動いて話してくれていた。
きっとそうなんだ。本当に気持ちが込もった時、何を言うかなんて考えなくたって言葉は出て行くんだ。
箱を開けて優しい手つきで時計に触れるのを見ながら、私は言葉を続けた。
「赤が似合うと思ったので、入れたんですけど。
 旅行の時、林田君が浴衣に赤を選んだ時は、
 先越されてちょっと悔しかったです。
 私の方が先に思ってたのにって。」
あの時の気持ちでさえも今は楽しくて笑ってしまう。立花さんも可笑しそうに笑って、ゆっくりと時計に腕を通した。見る限りサイズはぴったりの様で、明らかに驚いた顔をしている。
「その時計の特徴は腕に吸い付く事らしいです。
 使う人の腕に馴染むそうですよ。」
感触を確かめながらじっと眺める瞳は輝いて見えて、素直に喜んでいる事を感じさせた。その時計をほしいと強請っていたという子供の頃に戻ったみたいな、そんな顔で。
「どう、かな?似合ってる?」
突然不安そうな顔で控えめに問い掛けてくる。それだけ良い物をあげられたと思っても良いだろうか。嬉しくて、安心させたくて、私は微笑んだ。
「はい。とても似合ってます。」
そうかな、と少し照れた表情で手首を回しながら色んな角度から眺めている。
「おや、良い時計をしているね。」
ランチを運んできたマスターがそう声を掛ける。立花さんは、
「うん。貰ったんだ。」
と弾ける声で自慢する様に答えた。


ランチを終えた後、立花さんの電話が鳴る。どうやら仕事の電話らしい。
「ごめん、出てくる。」
そう言って出て行くのを見送る。ここに来ると電話が鳴るな。見計らった様にマスターがやって来る。デザートのケーキを持って。
「また来てくれてありがとう。」
「……約束を果たしに来ました。」
マスターの目が細められる。私は続ける。
「立花さんの過去に触れました。泣く姿を見ました。
 ……私はまだ知らない事が沢山あって、一緒に歩くと
 胸を張って宣言はできません。だけど、それでも。
 私は泣く彼の隣に寄り添って背中を摩ってあげたい。
 笑う彼と一緒に私も笑っていたい。隣に、いたい。
 我儘かもしれないけど、そう思います。」
本当はもっと沢山あるけれど、全てを挙げたらきりがない。どんな時にも一緒に、隣にいたいという願いが全てを集約してくれる。こんな答えでも、マスターは許してくれるだろうか。
「……この店の名前をご存知ですか?」
唐突な質問に虚を突かれるけど、baby´s breathでしたよね?と返す。
「そう。baby´s breath。かすみ草の英名です。
 直訳すれば赤ちゃん、もしくは愛しい人の吐息。
 花言葉は、幸福や夢見心地を挙げておきましょうか。
 ……お客様の日常の中のほんの小さな幸福に、または
 幸福にそっと寄り添う様な。赤ちゃんの吐息の様に
 誰かにとって小さくも確かな存在になれば。
 そういう思いで妻が付けた名前です。」
マスターはどこか一点を見つめながら慈しむ様にそう語る。何か言葉を挟む事はしたくなかった。
「妻は心臓を患っていて、長く入院しています。自分は
 できないけど、そんな店にしてくれと託されました。
 その中で私はあの子に出会いました。
 この子の帰ってくる場所になってあげたいと思いました。
 かすみ草の様に、あの子を輝かせる存在になりたいと。
 ……でも今はね。幸多と貴女の2人を包むかすみ草に、
 なりたいと思いますよ。」
そこまで言って、マスターは背を向けてカウンターへと戻ってしまった。カランカランと鐘の音を小さく響かせて、立花さんが入ってきた。すれ違いざま、何か言葉を交わす2人。マスターの言葉が私の胸に広がって、暖かすぎて涙が溢れてしまいそうだった。


「立花さん!デザートにケーキを頂きましたよ!」
席へと戻ってきた立花さんに気付かれない様に、無駄な程明るく声を掛けた。立花さんはそんな私に小さく笑う。
「本当に時計、ありがとな。これ結構高かっただろ?」
「実は半分で良いって言ってくださって…。
 全部出すって言ったんですけど、誠さんに
 大人になったあの子に私もプレゼントをしたい、
 とそう言われて。
 美代子さんにも私達の気持ちだから、と。」
「皆優しいなぁ。」
潤む声がそう呟いた。でもきっと皆、私と同じ気持ち。
「立花さんがいつも優しいからですよ。
 だから皆、お返しをしたくなるんです。」
自分の事は後回しで。損得勘定なんか端から頭にもなくて。自然に当たり前に、純粋で素直な優しさをいつも変わらず示してくれる立花さんだから、そのお返しをしたくなる。喜んでほしくなる。これだけではきっとこれまでの半分も満たせないかもしれないけれど。
「大切に、しなきゃな。」
溢れる様な笑顔を私も、いつまでも大切にしていきたいとそう思うから。


マスター。私もかすみ草が良いです。
大きな花じゃなくて良いから、立花さんの隣で小さな幸福をもたらせる様な、身を委ねられる確かな存在に。
そうなった時はどうか、おかえりと迎えてください。

 

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