それはきっと、蜃気楼。
39.大丈夫、じゃ足りない
昨日やけに気になった時計の音も目覚めれば生活の一部で、いつも通り耳に馴染んだ。
会いたいと望んでそれが現実となって。
それは特筆する様な事なんて何一つない、食事をしたりショッピングをしたりとごく普通の事だったけれど、そんな“普通”が2人でいるだけで特別な事の様に思えた。
ふと顔を上げれば目が合い、呼び掛ければ返事をしてくれて、手を伸ばせば触れられる。
そんな事しなくたって見つめられて、呼び掛けられて、肩が触れ合う。
少し動くだけで空気も動く様な、そういう距離に2人がいる。
心が安らいで、いつまでもこの時間に身を委ねていたくなる。
だけど近くにいるからこそ、小さな表情の変化さえ手に取る様に分かるから、ひどく不安になる。
「立花さん?」
「どうした?」
いつも自分の事は後回し。辛い時だって何も言ってはくれないから心配で堪らない。
「調子悪いんじゃないですか?」
「大丈夫だよ。ありがとう。」
そう言って笑う顔は固くて、やっぱり無理をさせたのではと不安になる。もしかしたら何かあったのかもしれない。
「私がご無理言ったからお疲れなんじゃないですか?
それとも何かお悩みでもあるんじゃ……?」
「疲れてないよ。俺だってそこまで歳じゃないしね。
昨日も言ったけど、俺だって会いたかったんだから
無理はしてないよ。」
誤魔化す様に答えるから分かってしまった。無理してないとは言ったけど、悩みがないとは言わなかった。何か打ち明けられない悩みを抱えているのだろうか。いつも言われなくては気付けない自分が歯痒かった。
「私じゃお力になれませんか?」
どんな事でも話してほしい。解決はしてあげられないかもしれないけれど、話すだけで心軽くなる時だってあると信じているから。でも立花さんは小さく首を横に振った。
「そう言ってくれて嬉しいんだけど……。
俺の胸の内を伝えたら、きっと君が苦しくなる。」
「私が……?」
それでも良いと告げるのは酷な事なのだろうか。今の苦しい表情を更に歪めてしまう事になるのだろうか。…そうだとしたら私は何もしてあげられない。
「君には笑っていてほしい。大丈夫だ、って。
……そうだな、あとは。
敬語が抜けた時の君の話し方が好きだから、
できれば敬語抜きで話してほしいかな、なんて。」
軽口を叩いても顔の強張りは然程解れないまま。それでも私にできる事を望んでくれるなら、私は応えたい。
「大丈夫。」
それだけで何かが変わるなんてきっとないけど、私はできる限り明るく笑って言葉を続ける。いつだったか会社のブースで、私の手を握って伝えてくれた様に。触れる手からも伝わる様に。
「大丈夫、大丈夫。」
「うん、ありがとう。」
その瞳は揺れていて胸が熱くなる。その涙が乾いたら、どうか次は優しく微笑んで。
「ありがとう。」
次はいつ会う事ができるだろうか。明日、なんて無粋な真似はしたくなかった。少し日にちを置いて、私から誘ってみよう。そう思った。
どのくらい日にちを置いていいか分からなくなっていた翌週の火曜、朝から電話が鳴った。見ると誠さんから。
「ご注文の時計が仕上がりましたよ。」
そう畏まった風に言われて、すぐ受け取りに行きます、と告げた。いつもは使わないタクシーを呼んで雑貨屋・SIKATAに着くと、美代子さんに目を丸くされた。
「すぐって、本当にすぐねー!」
そう言って豪快に笑う隣で誠さんは目を細めて微笑んでくれた。
店の奥の部屋へと上がらせてもらって、時計を受け取る。確認して、と言われるけれどなぜだか緊張して上手く箱を開けられない。手こずりながらもどうにか開けると、言葉が出なかった。
私が描いたデザインがそのまま形になっている。何度も仕事でそういう場面に立ち会ってきた筈なのに、そのどれよりも胸が震えた。
力強くて優しい木の色。赤く色付けされた真っ直ぐ伸びる針。これを見たらどんな顔をしてくれるだろうか。
「……ありがとうございます。とても素敵です。」
「こちらこそ礼を言いたいよ。どうもありがとう。
素敵なものを作らせてくれて。」
そんな風に言われて戸惑う。私はお願いしただけなのに。
「人は描くものに心が出るね。貴女の描いたデザインには、
あの子を大切に思う気持ちが詰まっていたよ。
それを見て物作りの素晴らしさを改めて感じたんだ。」
私も今感じた。誰かを思って物を生み出す事の楽しさや充実感。そして喜んでくれたらきっと、これ以上ないってくらい幸せ。
会計をしてもらおうと聞いていた代金を出すと、半分で良いよ、と言われる。そういう訳にはいかないと主張したけど、
「大人になったあの子に私もプレゼントをしたいんだ。」
と言われて押し返されてしまった。お金を握ってどうする事もできずにいると、美代子さんも優しく言ってくれる。。
「気にしないでよ。私達の気持ちだから。
多分これが最初で最後、私達にできる事だと思うから。」
そう言われると断る事は申し訳なくてできなかった。
「……また2人で、ここに来ますね。」
一言それだけ言うと、待ってるよ、と笑ってくれた。
家に帰ってから、私は立花さんにメールを送った。
<こんにちは。
もし明日予定がなければ、会えませんか?
渡したいものがあるんです。>
最初の硬い文を消して打ち直した。すぐに敬語はなくせないけどこうやって少しずつ近付いていきたい。
<OK。お昼頃迎えに行く。>
すぐに返ってきた文面にほっと息をついて、
<ありがとうございます。了解です。>
と返した。少しだけ断られるんじゃないかって不安もあった。私の願いが通じたかな。
早く渡したい。沢山の感謝を込めて、誠さんと美代子さんの気持ちも添えて。
たった一言の大丈夫だけじゃ、満足できない。望まれる以上に何かをその心に残したい。
どうか私と笑ってください。
会いたいと望んでそれが現実となって。
それは特筆する様な事なんて何一つない、食事をしたりショッピングをしたりとごく普通の事だったけれど、そんな“普通”が2人でいるだけで特別な事の様に思えた。
ふと顔を上げれば目が合い、呼び掛ければ返事をしてくれて、手を伸ばせば触れられる。
そんな事しなくたって見つめられて、呼び掛けられて、肩が触れ合う。
少し動くだけで空気も動く様な、そういう距離に2人がいる。
心が安らいで、いつまでもこの時間に身を委ねていたくなる。
だけど近くにいるからこそ、小さな表情の変化さえ手に取る様に分かるから、ひどく不安になる。
「立花さん?」
「どうした?」
いつも自分の事は後回し。辛い時だって何も言ってはくれないから心配で堪らない。
「調子悪いんじゃないですか?」
「大丈夫だよ。ありがとう。」
そう言って笑う顔は固くて、やっぱり無理をさせたのではと不安になる。もしかしたら何かあったのかもしれない。
「私がご無理言ったからお疲れなんじゃないですか?
それとも何かお悩みでもあるんじゃ……?」
「疲れてないよ。俺だってそこまで歳じゃないしね。
昨日も言ったけど、俺だって会いたかったんだから
無理はしてないよ。」
誤魔化す様に答えるから分かってしまった。無理してないとは言ったけど、悩みがないとは言わなかった。何か打ち明けられない悩みを抱えているのだろうか。いつも言われなくては気付けない自分が歯痒かった。
「私じゃお力になれませんか?」
どんな事でも話してほしい。解決はしてあげられないかもしれないけれど、話すだけで心軽くなる時だってあると信じているから。でも立花さんは小さく首を横に振った。
「そう言ってくれて嬉しいんだけど……。
俺の胸の内を伝えたら、きっと君が苦しくなる。」
「私が……?」
それでも良いと告げるのは酷な事なのだろうか。今の苦しい表情を更に歪めてしまう事になるのだろうか。…そうだとしたら私は何もしてあげられない。
「君には笑っていてほしい。大丈夫だ、って。
……そうだな、あとは。
敬語が抜けた時の君の話し方が好きだから、
できれば敬語抜きで話してほしいかな、なんて。」
軽口を叩いても顔の強張りは然程解れないまま。それでも私にできる事を望んでくれるなら、私は応えたい。
「大丈夫。」
それだけで何かが変わるなんてきっとないけど、私はできる限り明るく笑って言葉を続ける。いつだったか会社のブースで、私の手を握って伝えてくれた様に。触れる手からも伝わる様に。
「大丈夫、大丈夫。」
「うん、ありがとう。」
その瞳は揺れていて胸が熱くなる。その涙が乾いたら、どうか次は優しく微笑んで。
「ありがとう。」
次はいつ会う事ができるだろうか。明日、なんて無粋な真似はしたくなかった。少し日にちを置いて、私から誘ってみよう。そう思った。
どのくらい日にちを置いていいか分からなくなっていた翌週の火曜、朝から電話が鳴った。見ると誠さんから。
「ご注文の時計が仕上がりましたよ。」
そう畏まった風に言われて、すぐ受け取りに行きます、と告げた。いつもは使わないタクシーを呼んで雑貨屋・SIKATAに着くと、美代子さんに目を丸くされた。
「すぐって、本当にすぐねー!」
そう言って豪快に笑う隣で誠さんは目を細めて微笑んでくれた。
店の奥の部屋へと上がらせてもらって、時計を受け取る。確認して、と言われるけれどなぜだか緊張して上手く箱を開けられない。手こずりながらもどうにか開けると、言葉が出なかった。
私が描いたデザインがそのまま形になっている。何度も仕事でそういう場面に立ち会ってきた筈なのに、そのどれよりも胸が震えた。
力強くて優しい木の色。赤く色付けされた真っ直ぐ伸びる針。これを見たらどんな顔をしてくれるだろうか。
「……ありがとうございます。とても素敵です。」
「こちらこそ礼を言いたいよ。どうもありがとう。
素敵なものを作らせてくれて。」
そんな風に言われて戸惑う。私はお願いしただけなのに。
「人は描くものに心が出るね。貴女の描いたデザインには、
あの子を大切に思う気持ちが詰まっていたよ。
それを見て物作りの素晴らしさを改めて感じたんだ。」
私も今感じた。誰かを思って物を生み出す事の楽しさや充実感。そして喜んでくれたらきっと、これ以上ないってくらい幸せ。
会計をしてもらおうと聞いていた代金を出すと、半分で良いよ、と言われる。そういう訳にはいかないと主張したけど、
「大人になったあの子に私もプレゼントをしたいんだ。」
と言われて押し返されてしまった。お金を握ってどうする事もできずにいると、美代子さんも優しく言ってくれる。。
「気にしないでよ。私達の気持ちだから。
多分これが最初で最後、私達にできる事だと思うから。」
そう言われると断る事は申し訳なくてできなかった。
「……また2人で、ここに来ますね。」
一言それだけ言うと、待ってるよ、と笑ってくれた。
家に帰ってから、私は立花さんにメールを送った。
<こんにちは。
もし明日予定がなければ、会えませんか?
渡したいものがあるんです。>
最初の硬い文を消して打ち直した。すぐに敬語はなくせないけどこうやって少しずつ近付いていきたい。
<OK。お昼頃迎えに行く。>
すぐに返ってきた文面にほっと息をついて、
<ありがとうございます。了解です。>
と返した。少しだけ断られるんじゃないかって不安もあった。私の願いが通じたかな。
早く渡したい。沢山の感謝を込めて、誠さんと美代子さんの気持ちも添えて。
たった一言の大丈夫だけじゃ、満足できない。望まれる以上に何かをその心に残したい。
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