それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

20.過去に触れ、未来への予感

翌朝。どこに行くと言われても良い様にカジュアルな服装を選ぶ。でも一緒にいる立花さんが恥ずかしくないものにしなくては。改めて思い返すと、男性と2人きりで出掛けるのは初めてだな。この前も2人きりだったけれど、千果さんの家から出掛けたから何か少し違う。こうして自分の家から、出掛けるための服装を考えてまで男性と休みの日に出掛ける。私の生活も少しずつ変化しているな…。
そんな事を考えていると少し時間がかかってしまって、慌てて着替える。
時間厳守の立花さん。私がお誘いしたのに迎えに来てもらうのだから、ちゃんと家から出て待っていたい。どんな所に連れて行ってくれるのかな?鏡の前のにやけた自分に喝を入れて、AM9:55、玄関のドアを開いた。

白い光に目が慣れてきた頃、一台の車が目の前に横付けされる。助手席側の窓が開くと、
「おはよう。乗って。」
と中から呼ばれる。ドアを開けて挨拶をしながら乗り込む。
「外で待ってなくて良かったのに。暑かったろ?」
車が大通りを出ると、申し訳なさそうに言われる。待っていたのなんてほんの1、2分だ。
「いえ、もう来られそうな気がしたので出て来た
 だけですから。出てからすぐ来られたので、
 タイミングはバッチリでしたよ?」
「ならいいけど、もし俺が遅くなってたら
 どうするつもりだったんだ?」
そんなの決まっている。
「大丈夫です。立花さんは予定の3分前に必ず
 来られますから。」
「でもなぁ……。」
まだ渋る様子。心配してくれているのは分かるけれど、立花さんだから出てこられるのに。
「立花さんが遅れる事って絶対ないですよね。
 信頼してますから、時間丁度に出てこられるんです。」
はっきりそう伝えると、やっと納得してくれたのか黙ってしまった。何とも言えない顔をしていたけれど。

昨日の飲み会の話やら外に見つけた散歩中の犬の話をしていると、知らない街に入っている事に気が付く。私にとってこの県はまだまだ知らない所だらけだ。
「そういえば、どこへ向かっているんですか?」
聞いてみたけれど秘密と言われてしまう。着くまでのお楽しみ、かな?
「着いた。」
意外にもすぐに車が止まって呆気に取られる。出ておいで、と促されるままに外に出ていくと、そこには一面の輝く青。
「あ、海ですねっ。」
「ここ、俺の地元なんだ。」
私の地元は割と山の方だったし海に遊びに行ったのも小さい頃に数える程。仕事で移って来てからは一度も見た事がない。久々に眺める海。私の記憶の中の海は、こんなにも優しいものだっただろうか。
「そうだったんですか。
 こんな素敵な海を見て育ったんですね。」
「……今日は話をしたいんだけど、いいかな?」
真っ直ぐ海を見つめたままで告げられる。緊張を孕んだ声には決意が隠れていて。「その時はどうか、あの子の言葉を、受け止めてやってほしい。」マスターの言ったその時が、もうそこまで来ていた。だから私は迷わず、
「はい。勿論です。」
そう笑顔で答えるのだった。


海辺のレストランのオープンテラス。見渡す限りの海がまるでレストランの一部の様で、その穏やかさに心も安らぐ。
もっと緊張すると思っていた。聞く覚悟はマスターに言われたあの日からできていたけれど、実際に聞くとなればもっと、緊張して固まってしまうんじゃないかと思っていた。それでもこんなに穏やかでいられるのは、立花さんが好きなこの場所の所為かもしれない。浜辺に親子の姿が見える。
「俺の家、ここから本当に近くて、小さい頃は
 あの海でよく遊んでた。母さんと2人きり
 だったけど、いつも楽しかった。」
始まりはとても静かにやってきた。海を見つめたまま話す横顔がこの場に不釣り合いな程美しくて、私は息を呑んだ。


「父さんはエンジニアで、俺が物心付く頃に仕事中の事故で
 死んだ。4歳位だったかな。父さんの記憶は殆どない。
 それからはずっと母さんが1人で俺を育ててくれた。
 何個も仕事掛け持ちして、でも俺と過ごす時間も大切に
 してくれて。事あるごとにもう耳にタコができる位、
 父さんは本当に格好良い、エンジニアだったのよ、って。
 エンジニアの意味も知らないくせにただ尊敬してたよ。
 母さんはいつも頑張ってくれていたし、俺も大きくなって
 家の手伝いをする様になった。ひとり親だから可哀想とか
 小さいのに手伝わされてるって思われる事もあったけど、
 周りが思う様な不自由もなかったし、俺自身が母さんを
 手伝いたくてそうしてて、毎日本当に楽しかったんだ。」

幼い頃を懐かしむように、ぽつりぽつりと落とされる言葉。その目は少し光って見えた。

「中学生になって、当たり前の様にエンジニアを目指した。
 父さんの背中を追いたいと思ったし、母さんを助けられる
 と思ったから。高校も専門の大学を受けやすいところを
 選んだ。偏差値は高かったけど、もう必死で勉強して。
 無事に受かってからは、学校の課題だけじゃ足りなくて
 専門知識を独学で勉強したりもした。
 初めはちょっと飛ばしすぎてパンクしそうだったけど。
 学校の中で誰よりもエンジニアになりたいと思っている
 自信があったし、そのために人一倍努力してたと思う。
 志望校の大学にも受かって、これからって時だったのに。」

顔が苦しげに歪む。先の言葉を想像して泣きそうになる。でも、泣いちゃだめだ。

「…卒業目前の2月に、母さんが仕事先で突然倒れて、
 病院に運ばれてから死んだ。詳しく聞かなかったから
 分からないけど、何かの病気でもう末期だったらしい。
 毎日働き詰めで病院にも行かなかったから気付かなくて。
 …本当は傍にいる俺が気付いてあげなきゃいけなかった。
 病院で母さんの顔を見て、何も考えられなくなった。
 俺のためにずっと頑張ってくれてたのに、勉強ばっかで、
 母さんの事を全然気遣ってあげてなかったんだ。」

その時の喪失感は計り知れない。

「抜け殻みたいで、何もかも終わった気がした。
 守りたかった家族1人ろくに助けられない奴が、どうして
 人のために働くなんて言えるんだって、全部投げた。
 千果が何度も励ましてくれたけど耳を貸さなかった。」

どれだけ自分を責めたのかも、想像できなかった。

「少しでも母さんの存在を感じたくて、小さい頃よく行った
 雑貨屋に行ったんだ。店の人は俺の事を覚えてくれていて
 温かいココアを出して歓迎してくれた。泣きそうだった。
 そこで息子だって紹介されたのが志方社長だった。
 社長は俺の両親の事聞いたらしくて、俺の頭を撫でてさ、
 「今までよく頑張ったな。でも何もしないままなら、
  父ちゃんも母ちゃんも、何やってんだって怒るぞ。
  お前の事はこれから俺が助けてやる。
  母ちゃんにできなかった恩返しを、
  俺と一緒に世界中の人にしてみないか?」って。
 その大きな手が妙に暖かくて、嬉しくて。
 父さんみたいだって思ったら、いつの間にか泣いてた。
 恩返しをしたい、頑張りたいって思ったんだ。」

確かに辛い過去があって、でもだからこその出会いもあって。

「働き始めてから、マスターと出会った。
 良い店があるって千果が紹介してくれて。
 仕事の面も心の面も俺を助けてくれる、
 父さんみたいな人が2人もできて。
 ……あの時差し伸べられた手を、振り払ったり
 しなくて良かった。」

海を見つめていた瞳が私を映す。溢れそうになる涙を堪えながら、私は微笑む。約束したからじゃない。今目の前にいる事を、伝えたかったから。

「この道を選んだから、君に出会えた。
 これ以上の幸せはないってくらい、今幸せなんだ。」

優しい声で、優しい表情で、幸せだと語る。その幸せの中に自分が存在する事が堪らなく嬉しい。でもこの人にはもっと。

「ふふ、大げさですよ。これからもっと
 大きな幸せが、やってくるはずですから。」

もっと幸せであってほしい。願いだけどそうなる様な予感がしていた。
そこにまた、自分も存在していてほしいと、小さく願った。

 

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