それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

5.揺らぐ

お父さん、お母さん、みのる
私は皆を、ちゃんと愛せているかな。少し不安になったよ。

私が本ばかり読む様になったのは、実がいたからかもしれない。こんな風に言ったら、また悲しい顔させちゃうかもな。
3歳下の弟、実は幼い頃から聞き分けの良い子だった。周囲の人から言わせるとお姉ちゃん子で、いつも私の後を付いて私の真似をしていた。私も実の事が大好きで、何でもやってあげたくてお母さんに笑われる程だった。
でも3歳の差は大きくて。私が話を聞いて欲しい時、お父さんもお母さんも実の傍にいた。本当は「聞いて」って声を掛ければ聞いてもらえた筈なのに、それが言えなくて、言いたい言葉は飲み込む様になった。両親を煩わせたくなかったし、実の邪魔をしたくもなかった。
それから私は、のめり込む様に本の世界に浸かり始めた。本を開けばそこには自分が住んでいる現実とは違う世界が広がっていて、寂しさを紛らわす事ができたから。

それも小学生の頃のほんの少しの間だったけれど、その習慣は色濃く根付いた。好きな作者を見つけたからというのもある。
所謂本の虫となった私は、友達が恋愛に足を踏み入れ始めた頃はミステリーを読んで探偵と一緒に謎を解いていたし、会話の中心が恋バナになりだした頃には古書店の店主と小説談義に花を咲かせていた。
そんな中学時代は周囲が何と言おうと私には充実した年月だった。恋愛は本の中で見るものとしてカテゴライズされていたけれど。


それが人と違うかもしれない、と思う様になったのは高校に入ってから。県内で一番大きな図書室がある高校に進学を決めた時は皆に呆れられたけれど、勉強も真面目にして納得させた。
同じ中学の人は1人もいなかったけれど、すぐに友達もできたし、大きな図書室は最高の癒しの空間だった。
そんな楽しい毎日が少し邪魔をされる様になった。放課後、入り浸っていた図書室で何度か告白をされた。当然私にとっては本が一番だったし全てお断りさせてもらった。その中には学校のアイドル的な存在の先輩もいたらしく、聞きつけた人達から「変わってるね」なんて言われて。
「変わってる」なんて言われたらそうなのかな、なんて思ってきて、大好きなミステリーを閉じて友達が薦める流行りの恋愛小説を開いてみる事もあった。面白かったし素敵な話だと思ったけれど、今まで一度もこんな感情を持った事ないな、という事にも気が付いた。だからといって焦りは出て来なくて。友達に「良かったよ」と本を返して、またお気に入りの探偵に会いに行く。そんな毎日をまた繰り返していった。


そういう高校時代も終わり、今の仕事を始めるまでは地元の本屋に勤めていた。大好きな本に囲まれての仕事は毎日本当に楽しくて、ずっと続けていくんだろうって思っていた。けれど結局3年もせず辞めてしまった。一番の理由は、耐え切れなくなったから。

きっかけは働き始めて2年目、常連となっていたビジネスマンのお客さんが私に好意を持ってくれた事。何度お断りをしても週に1度やって来てご飯だけでも、と誘われた。そうしていると当然同僚にも知れ渡って。
「ご飯くらい行って来たら?」
同年代の女の子達はけしかけてきたけれど、どうしてもできなくて断り続けた。ある日もその人はやって来て、同じようなやり取りをしていると、同僚で同い年の酒井君が仲介に入ってくれた。
「いい加減しつこいです。帰ってください。」
そう厳しい声で追い返そうとすると、お客さんは無理やり私を連れて行こうとして、それを止めようとしてくれた酒井君を、派手に殴った。お客さんは騒然とした店内に我に返って気まずくなったのか、その場から逃げ出して行った。

「好きなんだ。俺じゃだめ?」
2人きりの休憩室で口元にできた傷の手当てをしていると、酒井君から告げられた。傷を付けてまで助けてくれた酒井君にさえも私は何も返せなくて、無理して冗談だよ、と返した彼に甘えて、それをなかった事にした。
その後そのお客さんは来なくなって、酒井君は今まで通りに接してくれて。その様子に胸が苦しくなった。変わらず笑いかけてくれるこの人を、私は何度傷付けているのだろう。こうやって話す度、その傷を深くしているだけなんじゃないのか。申し訳なくて、でもどうする事もできなくて、そんな思いを抱えたまま仕事を続けていた。
他の人には知られたくなくて明るくいようと努めたけれど、家族にはすぐ見破られた。
「私を好きになってくれた人を傷付けたの。」
お父さんもお母さんもあえて何も言わなかった。でも実はその夜私の部屋に来て泣きそうな顔で言った。
「僕の所為だ。姉ちゃんが人を好きになれないのは、
 僕のために自分を隠してきたからだろ?」
そんな筈ないのに、高校生になった実はそれまでもずっと私から両親の愛を奪ったと、そんな風に思っていたらしい。どんなに否定しても実は納得してはくれなくて、私に対する負い目がひどく根付いている事を知った。

そして私は、耐え切れなくなった。酒井君を殴ってしまったあのお客さん、想いを冗談にさせた酒井君、長い間負い目を感じさせていた実。それぞれに対して感じる罪悪感から逃げたくなった。

そんな時偶然、Partnerの志方大史朗しかたおおしろう社長のインタビュー記事を雑誌で読んだ。社長は若い社員が多い事に対してこう答えていた。

「若い時代は少ししかありません。ある時から大人と
 一括りにされて、老いるばかりです。重要なのは
 その短い若い時に何を経験するか、何と出会うか。
 それを社員達に身をもって感じてほしいんです。
 社員は一番身近な消費者です。彼等が求めるものは
 必ず誰か別の消費者も求めています。
 等身大の自分で、嬉しいも悲しいも形にしていく。
 若い時にしか感じられない気持ちで表現する事、
 それを大事にしていきたいんです。」

人と違う私でも、誰かの求める何かを生み出せるのだろうか。現在進行形で人を傷付けている私でも、いつかその人を笑顔にできるものを生み出せるだろうか。
仕事を辞める事を決めた。家を出る事を決めた。今の状況から離れて、自分を変えたい。そしていつか、偽りなく笑顔で話がしたい。ありがとうとごめんを、心から伝えたい。

翌月には仕事を辞め、家を出てPartnerの会社のある隣県へ引っ越した。まだ履歴書を送っただけの段階だったけれど。突然の事に皆が目を丸くした。実がまた自分の所為と言いそうになるのを止めて、
「自分にできる事を見つけに行くの。だから、応援して?」
とだけ言って、出て来た。
晴れてPartnerの社員になって、自分のアイディアが形になる喜びを知った。それを手にして喜んでくれる人がいる事も、私を認めてくれる人がいる事も知った。あの時の決断は間違っていなかったと自信をもって言える。

でも、少しだけ揺らぐ。私を認めてくれた人を傷付ける。あの時の繰り返し。やっぱり私は、あの時のままなのかな。

 

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