それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

2.日常

株式会社 Partner<パートナー>。
この大手企業で働き始めて4年目。エレベーターの3階のボタンは、もう見なくても押せる程になった。
3階、企画課フロアのモスグリーンの廊下に降り立つ。
6つのガラス張りのブースには、企画課の6チームがそれぞれ割り当てられている。清潔感の溢れるこのフロアを、私はかなり気に入っている。

左手の一番手前は入社後の2年間所属していたSLP―School Life Producer<学生対象>―のブース。覗くとチームメンバーだった西宮さんと目が合ってお辞儀を交わす。
そのまま奥へと進むと、右手の一番奥が今所属しているLTPのブース。Life Total Producer。あまりにも大きな仕事だけれどとてもやり甲斐があって、この肩書きをとても誇りに思っている。

ブースのドアの鍵を開けて中へ。大抵一番乗りで、まずは軽く掃除を始める。と言っても皆綺麗好きだからそんなに汚れてはいない。デスクの上は…人のまで片付けない様に言われているから置いておこう。また怒られちゃうんじゃないかな。雑誌がデスクを侵食してるって。

「はるちゃん、おはよー。」
8時20分。金城沙希かねしろさきちゃんが入ってくる。
沙希ちゃんは1つ年下の24歳。長い髪をいつもお団子に結い上げているのがトレードマーク。どうしてって聞いたら、「背が小さい分、存在感出しておかないと埋もれちゃうでしょ?」って。155cmの身長を気にしているけれど、私はそこも含めて可愛いと思うけどな。
「おはよう。そのワンピース新しい?」
「分かる?先週買ったばっかなの。どうかな?」
真っ白のワンピースには色とりどりの大きな花が沢山描かれていて、沙希のイメージにぴったり。
「すごく似合ってる。」
そう答えると、少しはにかんでありがと、と呟いた。

「あ、経理行かないと。」
そろそろ行っておかないと、柴崎さんのお仕事の邪魔をしてしまう。
「じゃ、私行ってくるね。」
「うん、ごめんね。よろしく。」
沙希ちゃんに声を掛けて、10階の経理・事務課へと向かう。

「失礼致します。」
「おはよう。菅野さん。」
「おはようございます。柴崎さん。」
柴崎未奈しばざきみなさんは経理課の課長。50代だと聞いているけれど、つるつるの肌と美貌は30代でもいけそう。
「今月分の領収証です。あと明細です。」
差し出した封筒を受け取り、明細を確認しながら
「ありがとう。いつも早くて助かるわ。」
と微笑む。同じ女性でも見蕩れてしまう。
「実は今月少し多く使ってるんですが…。」
「そう?あぁ、これくらいなら大丈夫よ。
 最近FLP―Family Life Producer<家族対象>―の
 無駄使いが深刻だからこんなの可愛いもんよ。」
良かった。沙希ちゃんがかなり心配していたから戻って教えてあげないと。
あ、夏依かよちゃん。まだ駐輪場か。間に合うかな。
「ではこれで失礼します。」
「えぇ。お疲れ様。」
「お疲れ様です。」
柴崎さんに挨拶をしてエレベーターに乗り込む。そろそろ皆来てるかな。

フロアで他のチームの方と挨拶をしながら進むと、ブースから楽しそうな声が漏れて聞こえてくる。ガラス越しに3人の男性が増えているのを確認して中へと入る。
「皆さん、お揃いでしたか。」
声を掛けると、
「菅野ちゃん、おはよー。」
と快活な声が上がる。
林田徹司はやしだてつじ君。沙希ちゃんと同い年で同期。丸い目と柔らかそうな茶色の髪はまるで子犬の様。そんな可愛い風貌とは裏腹にしっかり者。でも根っからのお調子者で、よく調子に乗っては怒られているけれど。

「林田君、おはようございます。
 立花さん、竜胆さんもおはようございます。」
おはよう、と先に返ってきたのが立花幸多たちばなこうたさん。このチームのリーダー。
歳は28歳だけれどもう10年もこのチームで働いている大先輩。仕事に対する姿勢はいつも上向きだし、分け隔てなく気遣いを示してくださるから、私達は皆立花さんを尊敬している。モデルの様な容姿とスタイルに惹かれる方も多いみたい。

もう1人は竜胆貴斗りんどうたかとさん。歳は私の1つ上の26歳で、入社は同期。最初の1年をSLPで一緒に働いた後、私より1年先にLTPへと配属された。昨年の始めに社長からLTPで働かないかと声を掛けていただいた時、「この会社でしかできない事に挑戦してみたくないか?」と悩む私の背中を押してくれたのが竜胆さん。とてもよくしてくれる優しいお兄さん、という感じ。

「はるちゃん。柴崎さん、どうだった?」
「大丈夫だったよ。寧ろいつも早くて助かるって。」
心配そうな顔で聞く沙希ちゃんにそう教えてあげると、安堵した様子で息を吐いた。
「本当に?良かったー。
 今月ちょっと経費多めに使ったから怒られるかと。」
「昨日、竜胆さんも大丈夫って言ってくれてたじゃない。」
昨日のおろおろした沙希ちゃんを思い出す。立花さんが外回りに出られて不在で、こんな事で電話したら怒られるよね、と頭を抱えていた沙希ちゃんに竜胆さんが、その金額なら大丈夫だって言ってくれていたんだけど。沙希ちゃんはお金に関してはきっちりしたいみたいだから、気になっていたのね。
ちらと竜胆さんの方を見ると、少し複雑そうな顔をしている。竜胆さんは沙希ちゃんが好き。立花さんみたいに信用しきってもらえてないのが悔しい、って言っていたからそれでかもしれないな。沙希ちゃん、早く竜胆さんの気持ちに気付くと良いな。

「後15分だ。皆最終チェックに入れ。」
いつもより低い立花さんの声が響く。疲れているのかな。
「立花さん、てんちゃんまだ来てないですよ?」
沙希ちゃんが言う。
「もうすぐ来ると思うよ。さっき駐輪場から走ってるの、
 経理の所の窓から見たから。」
さっきの事を思い出して私は答えた。すると軽快な足音が聞こえてくる。
「来たな。」
「ですね。」
立花さんと沙希ちゃんの声に従う様にそれぞれが手を止めて、夏依ちゃんを待つ。
ガラスの向こうから不安げな顔が覗く。注目されている事に気が付いて目を丸くした後、観念した様に小さくなりながら静かにブースのドアを開ける。

「すみませんでした!!」
入ってくるなり叫ぶ様にそう言って、深く頭を下げる。
「天馬。……コーヒーの準備。」
立花さんは怒る事もできず、溜め息混じりにそう言った。
天馬てんま夏依ちゃん。入社2年目の22歳。いつも会議の日にギリギリで来るから立花さんに注意されている。でも仕事に一所懸命に取り組む勉強家だし、歳の離れた妹とお母さんを支える家族思いの優しい子。もうすぐ正式なチームの一員になるだろうから、夏依ちゃんの案を見るのを今から楽しみにしている。

「……8時45分って頑張らないと来れないような時間か?」
それさえなければもっと評価してもらえるのにね。
ライトグリーンのシャツとベージュのチノパンというラフな出で立ちの夏依ちゃんが、給湯室でコーヒーの準備をするのを見ながら、思わず苦笑いが溢れる。夏依ちゃん、頑張れ。

それぞれが書類やデータチェックを済ませ、夏依ちゃんがコーヒーを7つ並べたところでドアが開く。
「おはよう。」
統括の谷田部主任が入ってきた。


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