ひみつの宝石
第六話 オリエンテーション
美琴の学校では五月に入ると新入生歓迎のオリエンテーションが開かれる。バスで少し行った森林公園でウォークラリーをしたり、自由にお弁当を食べたり、大仰ではないものの全校生徒が参加する楽しいイベントだ。
その日の気温は平年より高く、半袖の体育着姿がなかなか心地いい。
「美琴、ついてきてる?」
「うん」
友人の麻里が声をかけてくれた。去年から同じクラスの麻里は、時々美琴に声をかけて確認しないと、すぐに後方に置いてきてしまうことをよく心得ているようだった。
木々のむせかえるような新緑の香りが鼻腔をくすぐり、青い空が開放感を味あわせてくれる。
森林公園の中のちょっとした山はあまりきちんと整備されていないらしく、手すりや境界を示すロープも無いので踏み外したら滑り落ちてしまう。
大きな山ではないので死ぬようなことはないが、下手をすると大怪我をするかもしれない。
美琴は改めて斜面から一歩退いた。怪我をして出血などしてしまったらその血が石化してしまうかもしれない。こんな学校行事で石化を見られたら大騒ぎになってしまう。それだけは避けなければ。
その時だった。突然大粒の雨が降り始め、全員が誰に言われるでもなく急いで頂上を目指して走り始めた。美琴も続こうとするが、だんだん酷くなる雨に視界は悪くなり、足元はぬかるんでくる。雷が鳴り始めたことに気を取られた瞬間。
「あっ…!」
斜面に足が躍り出ていた。ガクンと身体が沈み、バランスを崩す。滑り落ちるような感覚に、慌てて周囲に両手を伸ばした。適当な枝に掴まって勢いを殺すが、その枝が折れるとまた滑りはじめた。
「杜田!!」
大きな手が美琴を掴んでいた。正確には美琴の体育着の肩あたりを。その手の主を見ると、須見だった。
「いいか、暴れるなよ?」
太い木に掴まった須見がゆっくりと片手を自分の方へ引き寄せる。そのゆっくりな動きに合わせて美琴が地面に足をゆっくりつけ、斜面を確実に須見の方へと上がっていく。
美琴が自分のすぐそばまで来たのを確認して、須見は自分の首を美琴に向けた。
「…掴まれ。手は怪我してないか?」
「た、多分…」
美琴が須見の首にしっかりと掴まると、肩を掴んでいた須見の手が素早く美琴の腰に回り、がっしりと抱える。須見に抱きしめられる格好で登山道に這い上がると、二人は打ち付ける雨の中その場にへたりこんだ。
「あー…心臓に悪ぃ…」
美琴も恐怖による動悸が鳴りやまなかった。須見が一息つくと美琴の全身をくまなく見ている。
「怪我は?大丈夫か?」
「う、うん…ありがとう」
心配そうに見ている須見に気恥ずかしくなって目を逸らそうとした瞬間。
須見の髪に異様なものを見つけた。犬か猫のような耳がついている。さっきまではなかったはずだ。美琴が驚きのあまり凝視していると、須見が美琴の視線を追って自分の頭に手をやった。指の先に触れた獣の耳にたどり着き、須見が一瞬ハッとする。
須見は慌てて立ち上がり美琴から逃げようとするが、未だ腰が萎えて立てないでいる美琴を置いていけなくなったらしい。思い悩むように俯いてから、美琴の方を振り返った。
「…誰にも…言わないでくれるか」
気まずそうにそう呟いて、須見は美琴の前にしゃがみ込む。すると須見の視線が美琴の肩に移った。
「あー…悪い。体育着、ツメで破いちまった」
須見が咄嗟に掴んだ場所、ちょうど肩のあたりの生地が裂けている。
「…もしかして…須見くん、護人なの…?」
「…まあ、多分そうなんだろうな。俺もこの前こうなりはじめたばかりで、よくわからねえんだ」
もしかして、私の?
美琴は一瞬だけそんなことを思ったが、すぐに打ち消した。
もしかしたらもうパートナーの石人がいるかもしれない。
須見は護人なんていうものに興味はないかもしれない。
もし自分が須見の石人だったとして、名乗り出たら嫌な顔をされるかもしれない。
そもそも、自分が石人だと言ってしまっていいのか。
「はー…おさまった。悪いな。今見たことは忘れてくれ」
「…うん」
美琴は色々な感情がごちゃまぜになった心をなんとかなだめて、須見の後ろを歩いていた。その時の美琴はまるっきり気づかなかった。一瞬見えたあの耳の色がショコラと同じだとは。
一方須見は自分がショコラだとバレていないようでほっとしていた。護人であることがバレるより、ショコラだとバレる方が何倍も嫌だった。美琴の中で可愛い子犬のショコラのイメージを崩したくはなかったのだ。
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