それはきっと、絵空事。

些稚絃羽

60.雪が降る

「午前中だけで良いそうですよ。
 大丈夫です。悪い様にはなりません。」
出発時、助手席でそう励まされる。これから行くJewelry V.F.のショップは会社から約1時間程の所にある。近いから自分の車で行く事にした。
「気が重いよ。……このままどっか行っちゃおうか。」
半分冗談、半分本気で言ってみる。
「そんな事はしないでしょう?
 立花さんはやると決めたら絶対やる人ですから。」
「誰かが俺の弱点を押したりするから。」
当たり前という風に断言されるから、むすっとして文句を言うと、口元を抑えて笑うのが分かる。
「ふふ。ツボ押しと一緒です。押された時は痛くても
 後ですっきりして、やって良かったって思いますよ。」
「……痛いの嫌い。」
「ふふふ。例えですから。痛くないですよ。」
子供を宥める様に彼女は優しく言葉を落とす。
冗談を飛ばしては返して、を繰り返す。初めは2人きりの車内に結構緊張したものだけど、いつしかこれが普通になっている事に気が付く。

「あの、そういえば。」
少し不自然に会話が変えられる。彼女にしては珍しくて、何かあるのかなと不思議に思う。
「ん?」
「この近くって、陽見ヶ丘があります、ね。」
初めはあった勢いが少しずつ無くなっていったが、辛うじて最後まで聞こえた。
陽見ヶ丘。俺にとってそこは特別な場所だ。そしてそれはきっと、彼女にとっても。
「そうだな。ショップから多分10分位で着くんじゃないか?」
今、あの場所の話題が出るのはどういう事だろう。シバザクラが見えなくなったあの丘は、恐らく寂しい場所になっているだろうに。
「近い、ですね……。」
まだ何か言いたげな口は閉ざされて、暫く沈黙が降りた。

「あ、雪。」
それは突然に降り出して、フロントガラスにふわりと落ちる。
俺の声に反応して、俯いていた彼女は顔を上げる。
雪は次第に量を増し、行き交う人達の頭に白い飾りを施した。
「積もりそうですね。」
「だな。寒くない?」
「あ、はい。大丈夫ですよ。」
会社を出た時よりきっと外は寒くなっているだろう。
歩道を歩く人がコートの首の辺りを握り締めている。


「積もったら、」
「ん?」
「もし、雪が積もったら、陽見ヶ丘に行きませんか?」
赤信号にかかる。仲の良い小さな兄妹が横断歩道を歩いていく。
真意が知りたくて、隣の彼女に目を移す。射抜く様なその目は、よく見ると小刻みに揺れている。
「……きっと一面が真っ白になって綺麗だと思います。
 多分もっと、特別な場所に、なると思うんです。」
クラクションが鳴る。信号は青に変わっていて。慌ててまた走り出す。
多分もっと特別な場所になる。その声は少し震えている様に思えた。
それはどういう意味を指してる?これはただの景色の話?それとも…?
「だめ、ですか?」
不安げな声が問い掛ける。
深読みするのは無駄だ。今は考えるべきじゃない。
「……きっと、積もるよ。」
やけに緊張して出た言葉は、恥ずかしいくらいに弱くて。
それでも伝わったのか、彼女は小さくはい、と応えた。


「おはようございます。立花さん。
 今日はご無理を言ってすみませんね。」
「白木さん。おはようございます。
 今日から販売の方、宜しくお願いします。」
中に入ると、店長の白木玲生しらきれおさんがにこやかに迎えてくれる。40代前半の男性だが、風貌や話し方は20代のそれで、はっきり言ってチャラい。林田も目じゃないくらいに。
「菅野さんも来てくださったんですね。今日もお美しい。」
「いえ、とんでもないです……。」
イベントの時に初めて顔を合わせた時からこの調子だ。あの時は挨拶を交わした程度だったが、苦手な部類にすぐさまランクインした。
「それで私達はどのようにしたら宜しいでしょうか?」
白木さんが菅野に触れる前に声を掛ける。伸ばしかけていた手を下ろした白木さんが話し出す。
「そうですね。今日は10時半オープンにしてるんですよ。
 それで10時から約15分、取材が入ってまして。
 その取材とオープン後の接客に加わって頂こうと。」
「接客と言われましても、私も彼女もその点については
 素人ですから、お力になれるかどうか……。」
「いやいや、売り込んでほしいというよりは、
 興味を持たれたお客様に商品の魅力を伝えたり、
 知りたい事に答えてもらえば十分ですよ。」
そう言って親指を立ててウインクする。どうしてこうも仕草が鼻につくのだろう。
ただ今だけは、車中での出来事を考え込む事ができないこの状況が、ある意味救いではあった。
「分かりました。何とかやってみます。」
「お願いしますね。菅野さんもよろしく。」
「あ、はい。」
でもやっぱり苦手だな。あからさまな感じが特に。

その後すぐに店内で始まった取材。俺と菅野が来ている事を知らされていなかった記者達は、前のめりで競う様に俺達に質問をしようとしていたのだが。
「皆さん。今日この2人はただのうちの従業員ですので。
 予定されている商品のご質問だけに留めてくださいね。」
白木さんが「商品の」と繰り返し強調して言う。先手を打たれた彼等は、おずおずと居住まいを正す。取材中のその目は常に隙を狙ってはいたが、少しでも話が脱線しそうになる度に、白木さんの鋭い視線とやんわりした風を装った言葉で完全に阻まれて、意気消沈していくのが分かった。
この人、本当は結構良い人なのかもしれない。

取材も終わり、開店準備を始める白木さんに
「ありがとうございました。」
とお礼を言うと、
「自分の店で他の男がもてはやされるなんてナンセンス。
 そうは思わない?立花君。」
なんて答えが帰ってくる。やっぱりこの人は根っからこういう人なんだな、と上がりかけた好感度が大暴落していった。
生まれて初めての接客は思いの外楽しくて、白木さんの事もすぐ気にならなくなった。昼を過ぎて、
「もう帰るなら、一緒にランチ行かない?」
と誘われたが丁重に断った。あまり楽しめそうにもないし。
そうしたら、菅野さんだけでも、なんて言い出すから軽く逃げる様にして車に乗り込んだ。
「私、正直白木さん苦手です……。」
「気にするな。俺もだから……。」
白く染まった街並みを車内から見つめながら、2人で深い息を吐いた。

 

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