それはきっと、絵空事。

些稚絃羽

38.寂しい気持ち

1人になると、どうしたって楽しい時間を思い出す。
1人きりの部屋には慣れたと思っていた。実際寂しいと感じる事はなかったから。
でも本当は違ったのかもしれない。
寂しくなかったんじゃなく、寂しいと感じる神経が麻痺していただけかもしれない。
突然母さんを失った時の、あの時のまま、心が考えるのをやめていたのかもしれない。
今、楽しかった旅行から帰って1人になる。
見慣れた室内。座り心地の良いソファ。コーヒーメーカーが鎮座するキッチン。少し広めのお風呂。大きなベッドのある寝室。
この10年、毎日見てきた“いつもと同じ部屋”。
なのに何故だかそれを持て余している。心に焼き付いた時間が、幻影を見せる。今にもそこかしこから、あいつらが顔を出して立花さん、って呼び掛けられる様な。
でも、どこを探したっている筈もなくて。しんとした部屋の中、小さな溜め息が意味もなく響いた。
2週間もすれば、嫌でも毎日顔を合わせるのに。
五月蝿く思っていた皆の騒ぎ声さえも、ここにあってくれればと思っている。
こんな事を言ったらきっと笑われてしまうけれど、いつの間にか居心地の良い、家族の様に思っていたんだ。
俺が見ていて助けてやらないと、と思っていたのに本当はその何倍も助けられていた。
…彼女と出会って、沢山の見えていなかったものに気が付く。
そうして心に空いて埋まらなかったものが、少しずつ埋まって満たされていく。
彼女と出会えて、皆と出会えて、本当に良かった。

<素敵な時間をありがとう。>
1人ずつにメールを送る。一斉送信だってできたけど、1人1人に伝えたくて。それでも上手く表現できないから、たった一言だけ。
すぐに返信が返ってくる。林田からだ。
<色々付き合ってもらっちゃって
 ありがとうございました!
 今度の膝枕はシラフの時に……。>
きっと照れているんだろう。茶化して誤魔化そうとしている。
次に金城から。
<marieのフルーツタルト、と言いたいとこですが
 昨晩の事があるのでなしにしましょう。
 写真はプリントアウトして会社で渡しまーす。
 立花さんの気付いてない写真がいっぱいあるので
 お楽しみに~♪>
あの時以外にも撮られてたのか。しかも何で上から目線なんだよ。
<今気付いたんですけど、
 立花さんに膝枕してもらったなんて
 会社の女性社員にバレたらどうしましょ!?
 もしバレたら守ってくださいね!!>
天馬からの返信。守らないといけない様な事、起こらないから。
でも本当に何かあるとしたら、守ってやる。
竜胆からは、
<こちらこそありがとうございました。金城の事も。
 でも、今日のはちょっとタチ悪いですよ。
 それから。菅野は誰よりも、立花さんといる時が
 一番楽しそうです。
 それでは、ゆっくり休んでください。>
という返信。何というか……竜胆らしいな。特に爆弾を軽く投下してくる辺りが。
1人1人のメールの文面に、個性がよく表れている。再度読んで笑ってしまう。
コーヒーを飲もうとキッチンへ。カップになみなみと注いで、ソファへと戻る。そこでもう一度、メール受信を知らせる音が鳴る。
彼女からの返信。早く読みたい様な、読まずに置いておきたい様な。でも読みたくて、メールを開く。そこにはこう書かれていた。

<本当に楽しかったです。
 温泉も、花火も、車の中の筆談も。
 でも拗ねたり逃げたりして、ごめんなさい。
 もう逃げたりしないので、安心してくださいね。
 立花さん。こんな事を言うと可笑しいと思われる
 かもしれませんが、さっき別れたのに、皆に
 会いたくなってしまいました。
 皆の笑い声が耳をついて離れません。
 こんなに1人の部屋が静かだと思った事はないです。
 何だか変な感じです。
 それで、明後日のお出掛けは保留にしましょう。
 良ければ明日、出掛けませんか?
 無理はしないでくださいね。お疲れだと思うので。
 いかがでしょうか?>

花火も筆談も、俺との事を思い出してくれていると思うと苦しくなる程に嬉しい。
傷付くと言った俺への、もう逃げないという約束。
皆に会いたくなる。同じ気持ちだ、とそれだけで心が満たされる。
笑ってしまうよ。
良ければとか無理はしないでとか言う割に、明後日のお出掛けは保留にしましょう、と断定している。控えめなお願いなのか決定事項なのか分からないな。
それに保留って言葉。それってもし明日会って明後日もって言ったら、明後日も会ってくれるって事?
君も俺と、何度も会いたいって思ってくれてるって勘違いしちゃうけど、いいのかな?
でも今それを聞くのは違う気がして、
<俺も同じ事を思ってた。
 こんなに寂しいと思ったのは初めてかもしれない。
 俺も、明日会いたい。>
と打って返信する。まるで恋人へ送る様な文面にむず痒くなる。
少し間があってメールが来る。
<明日、楽しみにしています。
 おやすみなさい。>
明後日の約束が、明日に変わる。そんな小さな事に胸が高鳴る。
俺が君に会いたいって思うこの気持ちと同じくらい、君が俺に会いたいと思ってくれる日が来たら。そう願ってやまない。
今日は胸いっぱいの喜びと、それに寄り添う寂しさを、優しく抱きしめて眠ろう。

 

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