それはきっと、絵空事。
12.2人の共通点
「菅野。」
あんな恥ずかしい昼を過ぎて、終業時間。ちょっとわざとらしい感じが否めなかったが、金城が作ってくれた2人きりの、誘うには絶好のタイミング。
「はい。」
金城が言う程、意識していない気がする。これはどっちなんだろう。意識しているのを隠すのがとてつもなく上手いのか、それとも根本的に意識なんて少しもしていないのか。
「立花さん?」
呼びかけられてハッとする。金城の言葉に左右されすぎだ。気にしない事にしよう。
「悪い。あの、これから時間あるか?
良かったら飯、食いに行かない?」
最初の緊張がぶり返して、思わず捲し立てる様に言ってしまった。
引かれてないか……?
「はい、是非。」
そんな風に微笑まれたら、勘違いしそうになるだろ。注意してしまいそうになって、慌てて言葉を飲み込む。彼女は天然記念物並に貴重な純粋さを持っているんだ。寧ろその笑顔で、しかも二つ返事でOKしてくれた事に喜ぼう。
よく考えたら今の状況、最高だな。にやけそうだ。
「そうか。……何食べたい?」
「そうですね…。千果さんの鯖寿司が。」
何でこうも、俺の心を鷲掴むのだろう。
「立花さん、鯖の旬は秋からなんですよ?
お好きなのは分かるんですけど、
まず旬のものから召し上がって下さいな。」
鯖寿司あるかって聞いたら千果にやんわり言われた。
他の客の手前、いつもの調子は隠しているが、目つきが、鯖鯖言ってんなよ、と言っている。何度も言われているが、好物をやめるのは無理だ。
「どうしても食べたいなら後から出しますんで、
とりあえず野菜から食べて下さいね。」
何だかんだ言いつつ、いつも用意してくれている事に感謝している。
差し出された小鉢に箸を付ける。
「千果ちゃーん。」
「はぁい。ちょっと待って下さいねぇ。」
千果が俺達の前から離れて、左奥の座敷の客の元へいそいそと向かう。カウンター席の端からその姿をちらと見る。
こういう姿を見るといつも、夢が叶って良かったなと、幸せな気持ちになる。
視線を戻し、右側に座る女性に話し掛ける。
「酒、飲んでもいいからな。いつもあんまり飲めないだろ?」
他意はない。言ってから酔わせようとしてる様に聞こえるかと思ったが、本当に他意はない。相手が菅野で良かった。
「そうですね。ありがとうございます。
千果さん、美味しい日本酒ありますか?」
カウンターに戻ってきた千果に話掛ける。
ありますよー、と言って小瓶を取り出す。
「私のおすすめで、涼冠というんですけどね。
冷やしで飲む日本酒なんです。
小瓶しかないんで、飲みすぎなくていいですよ。」
「ふふ、じゃあそれを。」
「はい、お待ち下さいね。」
千果が蓋を外し、ガラスのお猪口を2つカウンターに置く。
「いや、俺はいい。」
「飲まれないんですか?」
「送っていくから。」
「あら、お優しい。」
千果が目を細めて茶化す。
「立花さん、いいですよ。タクシーで帰りますから。」
「でも俺が誘ったし。」
「寧ろ折角誘って頂いたので、一緒に飲みたいです。」
何でこうも、俺を舞い上がらせるのだろう。そんなに可愛い事言われたら、上司としてちゃんと送り届けようと思っていた意志が、いとも簡単に崩れて行ってしまう。
「……じゃ、飲む、かな。」
「はい、どうぞ。」
戻しかけたお猪口がもう一度カウンターに置かれる。
「瓶のデザインも可愛いですね。」
そう言いながら淡いブルーの小瓶を傾けて、酌をしてくれる。
「ありがとう。貸して。」
俺も酌をする。ありがとうございます、と差し出されたお猪口を合わせて、チン、と涼やかな音を響かせる。
口にした酒は良く冷えていて、喉を通っていく感じが心地良い。鼻を抜けていく香りが爽やかで、後味には深みがある。
「良い酒だな。」
「はい。美味しいです。」
お猪口を傾ける姿を見て、幸せな時間だなと思う。まるでいつまでも続くような、そんな錯覚をして。それが錯覚だと気付いて、誤魔化すようにお猪口を呷る。
「……菅野は、休みの日は何してるんだ?」
お見合いの様な質問になったが、明日休みだなと思ったら、ふと出た質問だった。イシダイの煮付けに手を伸ばす。
「お休みは、仕事に使えそうなアイディアを探しに出ますね。」
「……本当に仕事好きだな。まぁ、分かるけど。」
買い物に出かけても、ついつい仕事目線で商品を見てしまう。恐らく皆そうだろう。
「趣味とかないのか?」
「趣味ですか?読書くらいでしょうか。」
本好きの俺としては、何とも嬉しい答えだった。
「へぇ、好きな作家は?」
「えと、世良颯人ってご存知ですか?」
何とマイナーな。ミステリ作家の世良颯人が好きな女性は少ないだろう。
「知ってる。俺も好きでデビュー作から全部持ってる。」
「本当ですか!?周りに知ってる人、全然いないんです!!」
珍しく興奮している。もしかしたら初めて見るかもしれない。
「立花さんはどの作品が好きですか?」
「『吹き荒ぶ荒野の中で』かな。
サイコホラーだったけど、臨場感すごかったし。」
「確かにあれは良かったです。
犯人の妹が駆け寄るシーンは思わず泣いちゃいます。」
「菅野が好きなのは?」
「どれも好きですけど…一番は『転身』ですかね。
あんな探偵、他の人では描けないと思います。」
「意外だな。『白羽の矢』とかかと思った。」
「あ、それも良いんですけどね。刑事さんが怖くて。」
「あぁ、分かる。」
まさかこんな風に好きな作家の話で盛り上がるなんて、思ってもみなかった。
今日は驚く事ばかりだ。
「でも、全作品持ってるなんてすごいですね。」
「無類の本好きだからな。壁一面本棚なんだ。」
「え!すごい!!私それ子供の頃からの夢なんです。」
すごい食いつき方だ。
「いいなー。」
しかも何だか子供みたいだ。可愛い。
でも今度見に来る?なんて流石に言えない。
「今まで借りる方が多かったので、あんまり
持ってなくて。あと10冊増やしたら、大きい
本棚買おうって思ってるんです。」
珍しく酔ってきたのか、少し舌足らずな口調で言う。
何でこんなに可愛いんだろう。
「……眠たい。」
突然そう言ってまだ半分中身の入ったコップを片手に、カウンターに突っ伏した。考えると最初の小瓶の後、お猪口をコップに変えて数種類の日本酒を数杯ずつ飲んで、今持っているので、恐らく12杯目になるか。
上司のくせに何飲ませすぎてんだよ!!
「菅野。菅野。」
肩を揺らしても起きない。どうすりゃいいんだ。
「この子も緊張してたのね。」
千果がいつもの調子で話しかけてくる。
どうやらいつの間にか他の客は引き上げたらしい。
「緊張?」
「酒に強くていつも平然としてるのに、
今日はこんなに酔ってる。」
「ただ単に量が多かったんだろ。」
「この子の飲み方は、この量で酔う人の飲み方じゃないわ。
それにいつもより瞬きが多かったし。」
店を始めてから、相手の仕草で感情が大体分かるようになった、と前に言っていたことがある。
「緊張、させてたのか。」
「あら、この緊張は良い兆候だと思うけど?
上司としてというより、男として見て緊張してる感じ。」
金城も千果も良い様に言ってくれるが、本当の事なんて本人にしか分からないからな。
「タクシーで送るか……。」
「うちに泊めてもいいわよ?」
「え?」
「どうせ明日は休みなんだし、あとでタクシー代
払う払わないで言い合うのも面倒でしょ。」
一理あるが、でも。
「俺はどうすんだ。」
「泊まればいいじゃない。」
すごい事をさらっと言われた。
「寝込みを襲うつもりなら帰すけど。」
「襲わねぇよ!!」
なんて事言うんだ。そんな非道な事しねぇよ。
「ならいいじゃない。寝起きの姿見れるなんて貴重よ?
私からプレゼントしてあげるわ。」
上からで何か嫌な感じだ。……でも寝起き見てみたい。
抗えない気持ちに動かされて、泊まる事が決定した。
あんな恥ずかしい昼を過ぎて、終業時間。ちょっとわざとらしい感じが否めなかったが、金城が作ってくれた2人きりの、誘うには絶好のタイミング。
「はい。」
金城が言う程、意識していない気がする。これはどっちなんだろう。意識しているのを隠すのがとてつもなく上手いのか、それとも根本的に意識なんて少しもしていないのか。
「立花さん?」
呼びかけられてハッとする。金城の言葉に左右されすぎだ。気にしない事にしよう。
「悪い。あの、これから時間あるか?
良かったら飯、食いに行かない?」
最初の緊張がぶり返して、思わず捲し立てる様に言ってしまった。
引かれてないか……?
「はい、是非。」
そんな風に微笑まれたら、勘違いしそうになるだろ。注意してしまいそうになって、慌てて言葉を飲み込む。彼女は天然記念物並に貴重な純粋さを持っているんだ。寧ろその笑顔で、しかも二つ返事でOKしてくれた事に喜ぼう。
よく考えたら今の状況、最高だな。にやけそうだ。
「そうか。……何食べたい?」
「そうですね…。千果さんの鯖寿司が。」
何でこうも、俺の心を鷲掴むのだろう。
「立花さん、鯖の旬は秋からなんですよ?
お好きなのは分かるんですけど、
まず旬のものから召し上がって下さいな。」
鯖寿司あるかって聞いたら千果にやんわり言われた。
他の客の手前、いつもの調子は隠しているが、目つきが、鯖鯖言ってんなよ、と言っている。何度も言われているが、好物をやめるのは無理だ。
「どうしても食べたいなら後から出しますんで、
とりあえず野菜から食べて下さいね。」
何だかんだ言いつつ、いつも用意してくれている事に感謝している。
差し出された小鉢に箸を付ける。
「千果ちゃーん。」
「はぁい。ちょっと待って下さいねぇ。」
千果が俺達の前から離れて、左奥の座敷の客の元へいそいそと向かう。カウンター席の端からその姿をちらと見る。
こういう姿を見るといつも、夢が叶って良かったなと、幸せな気持ちになる。
視線を戻し、右側に座る女性に話し掛ける。
「酒、飲んでもいいからな。いつもあんまり飲めないだろ?」
他意はない。言ってから酔わせようとしてる様に聞こえるかと思ったが、本当に他意はない。相手が菅野で良かった。
「そうですね。ありがとうございます。
千果さん、美味しい日本酒ありますか?」
カウンターに戻ってきた千果に話掛ける。
ありますよー、と言って小瓶を取り出す。
「私のおすすめで、涼冠というんですけどね。
冷やしで飲む日本酒なんです。
小瓶しかないんで、飲みすぎなくていいですよ。」
「ふふ、じゃあそれを。」
「はい、お待ち下さいね。」
千果が蓋を外し、ガラスのお猪口を2つカウンターに置く。
「いや、俺はいい。」
「飲まれないんですか?」
「送っていくから。」
「あら、お優しい。」
千果が目を細めて茶化す。
「立花さん、いいですよ。タクシーで帰りますから。」
「でも俺が誘ったし。」
「寧ろ折角誘って頂いたので、一緒に飲みたいです。」
何でこうも、俺を舞い上がらせるのだろう。そんなに可愛い事言われたら、上司としてちゃんと送り届けようと思っていた意志が、いとも簡単に崩れて行ってしまう。
「……じゃ、飲む、かな。」
「はい、どうぞ。」
戻しかけたお猪口がもう一度カウンターに置かれる。
「瓶のデザインも可愛いですね。」
そう言いながら淡いブルーの小瓶を傾けて、酌をしてくれる。
「ありがとう。貸して。」
俺も酌をする。ありがとうございます、と差し出されたお猪口を合わせて、チン、と涼やかな音を響かせる。
口にした酒は良く冷えていて、喉を通っていく感じが心地良い。鼻を抜けていく香りが爽やかで、後味には深みがある。
「良い酒だな。」
「はい。美味しいです。」
お猪口を傾ける姿を見て、幸せな時間だなと思う。まるでいつまでも続くような、そんな錯覚をして。それが錯覚だと気付いて、誤魔化すようにお猪口を呷る。
「……菅野は、休みの日は何してるんだ?」
お見合いの様な質問になったが、明日休みだなと思ったら、ふと出た質問だった。イシダイの煮付けに手を伸ばす。
「お休みは、仕事に使えそうなアイディアを探しに出ますね。」
「……本当に仕事好きだな。まぁ、分かるけど。」
買い物に出かけても、ついつい仕事目線で商品を見てしまう。恐らく皆そうだろう。
「趣味とかないのか?」
「趣味ですか?読書くらいでしょうか。」
本好きの俺としては、何とも嬉しい答えだった。
「へぇ、好きな作家は?」
「えと、世良颯人ってご存知ですか?」
何とマイナーな。ミステリ作家の世良颯人が好きな女性は少ないだろう。
「知ってる。俺も好きでデビュー作から全部持ってる。」
「本当ですか!?周りに知ってる人、全然いないんです!!」
珍しく興奮している。もしかしたら初めて見るかもしれない。
「立花さんはどの作品が好きですか?」
「『吹き荒ぶ荒野の中で』かな。
サイコホラーだったけど、臨場感すごかったし。」
「確かにあれは良かったです。
犯人の妹が駆け寄るシーンは思わず泣いちゃいます。」
「菅野が好きなのは?」
「どれも好きですけど…一番は『転身』ですかね。
あんな探偵、他の人では描けないと思います。」
「意外だな。『白羽の矢』とかかと思った。」
「あ、それも良いんですけどね。刑事さんが怖くて。」
「あぁ、分かる。」
まさかこんな風に好きな作家の話で盛り上がるなんて、思ってもみなかった。
今日は驚く事ばかりだ。
「でも、全作品持ってるなんてすごいですね。」
「無類の本好きだからな。壁一面本棚なんだ。」
「え!すごい!!私それ子供の頃からの夢なんです。」
すごい食いつき方だ。
「いいなー。」
しかも何だか子供みたいだ。可愛い。
でも今度見に来る?なんて流石に言えない。
「今まで借りる方が多かったので、あんまり
持ってなくて。あと10冊増やしたら、大きい
本棚買おうって思ってるんです。」
珍しく酔ってきたのか、少し舌足らずな口調で言う。
何でこんなに可愛いんだろう。
「……眠たい。」
突然そう言ってまだ半分中身の入ったコップを片手に、カウンターに突っ伏した。考えると最初の小瓶の後、お猪口をコップに変えて数種類の日本酒を数杯ずつ飲んで、今持っているので、恐らく12杯目になるか。
上司のくせに何飲ませすぎてんだよ!!
「菅野。菅野。」
肩を揺らしても起きない。どうすりゃいいんだ。
「この子も緊張してたのね。」
千果がいつもの調子で話しかけてくる。
どうやらいつの間にか他の客は引き上げたらしい。
「緊張?」
「酒に強くていつも平然としてるのに、
今日はこんなに酔ってる。」
「ただ単に量が多かったんだろ。」
「この子の飲み方は、この量で酔う人の飲み方じゃないわ。
それにいつもより瞬きが多かったし。」
店を始めてから、相手の仕草で感情が大体分かるようになった、と前に言っていたことがある。
「緊張、させてたのか。」
「あら、この緊張は良い兆候だと思うけど?
上司としてというより、男として見て緊張してる感じ。」
金城も千果も良い様に言ってくれるが、本当の事なんて本人にしか分からないからな。
「タクシーで送るか……。」
「うちに泊めてもいいわよ?」
「え?」
「どうせ明日は休みなんだし、あとでタクシー代
払う払わないで言い合うのも面倒でしょ。」
一理あるが、でも。
「俺はどうすんだ。」
「泊まればいいじゃない。」
すごい事をさらっと言われた。
「寝込みを襲うつもりなら帰すけど。」
「襲わねぇよ!!」
なんて事言うんだ。そんな非道な事しねぇよ。
「ならいいじゃない。寝起きの姿見れるなんて貴重よ?
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