それはきっと、絵空事。

些稚絃羽

2.日常

株式会社 Partner〈パートナー〉。3階、企画課フロア。
モスグリーンの通路を挟んで両側に、3個ずつのガラス張りのブース。
右手の一番奥に、俺の所属するチームLTPのブースはある。
「おはよう。」
「 あ、立花さん。おはようございます。」
会議のため始業より30分早く出社した俺はブースのドアを開けて、チームメンバーの金城沙希かねしろさきと挨拶を交わす。

「早いな。まだ30分前だぞ。」
「同じ会議に出る上司より後に出社なんて恐れ多くて
 できません。」
真面目な顔して言った後、カラカラと笑い出す金城はお団子頭がトレードマークの、チームのムードメーカーだ。白地に大判のカラフルな花柄が描かれたワンピースが眩しい。
「俺の事、上司だと思ってたのか。」
「当たり前じゃないですか、リーダー。」
「よく言う。重要事項の決定と飲みの支払いの時だけだろ。」
「あら、バレました?そんなに拗ねないで下さいよー。」
155cmしかないという金城は、182cmの俺の肩を励ますようにポンポンと叩く。
24歳で俺より年下なのに、この馬鹿にした様な態度には困りものだ。手を軽く払って奥の自分のデスクへと向かう。

室内には6つ組合わされてドーナツ型を模した大きなデスクと、その中心にはプロジェクター。
メンバー6人が対面する形のこのテーブル。デスクは1つずつがかなり大きく設計されており、それぞれに同じノートパソコンが置かれているが、それ以外のスペースは座る人間の個性で溢れている。
「デスク、片付けとけよ。特に入り口正面なんだから。」
「あたしのデスク、いつも綺麗ですけどー?」
「その並べられたお菓子を仕舞ってから言え。」
「これはデスクワークの必需品なのに。」
「文句言うな。どうせ会議中は食えねぇし、
 小言も聞きたくないだろ?」
「……はーい。」
前回の統括からの小言を思い出したのか、金城は苦い顔でお菓子を仕舞う。その表情に苦笑しながら、天井からスクリーンを引き出す。

そうしているところにスーツ姿の男が2人、入ってくる。
「おはようございます。」
「おはよう。」
「おはようございまーす。あ、沙希もういんの?」
「おはよー。君達、遅いぞ。」
「いや、金城は早すぎる。
 朝から疲れるからゆっくり来てくれ。」
「沙希、また立花さん苛めてたのか?」
「こら、てっちゃん。失礼ね。楽しく会話してただけよ。」
4人になって更に賑やかになる。実質話しているのは3人だが。

同期で同い年の金城からてっちゃんと呼ばれる、ふわふわした茶髪に丸い目が特徴的な男は、林田徹司はやしだてつじ
若干軽い男だが、大事な所は必ず決めてくれるなかなかの男だ。1階の受付嬢に新しい顔を見つけるとすぐナンパする軽さがなければ、もっと評価出来るが。

挨拶をしてからただ笑顔で話を聞いていたもう一人は、竜胆貴斗りんどうたかと
金城と林田の1つ先輩で年齢は26歳。
いつも笑顔で口数は少なく、行動派で短髪の良く似合う爽やか好青年だ。だが寸鉄人を刺す所があるため、案外チーム一の危険人物である。

「林田も早くデスク片付けろ。
 お前の雑誌が俺のデスクを侵食してる。」
「あれ、すみません。昨日ちゃんと重ねたのに。」
「重ねずに仕舞え。何のために引き出しがあるんだ。
 しかも私用のだろ。」
「いやいや、これも仕事のための雑誌っスよ?」
「……もう何も言わないから仕舞っとけ。」
ジト目で見てやると肩を竦めて雑誌を集めだす。
一番上の表紙には『年上女性を落とす一言特集』とある。
この同期2人はよく似ている。どちらも皆の気持ちを盛り上げてくれるが、まだまだ子供っぽい。少しは竜胆を見習ってほしいのだが。

林田と逆側の隣のデスクに座って書類の確認をしている竜胆をちらと見る。男の俺から見ても良い男だと思う。
仕事に関してはかなりの切れ者だし効率的。
さり気なく先に立って行動するのにわざとらしくない。
可愛い弟の様な林田も社内の女性に人気だが、竜胆は男女、先輩後輩関係なく慕われている。
そんなできる男が同じチームにいるのは何とも心強いが、ただ1つ心配なこともある。

ガラスの向こうに見えた姿に鼓動が大きな音を立てる。
「皆さん、お揃いでしたか。」
「菅野ちゃん、おはよー。」
「林田くん、おはようございます。
 立花さん、竜胆さんもおはようございます。」
よく通る、凛とした声が鼓膜を震わす。
おはよう、と返し気付かれない程度に見つめる。
菅野湖陽かんのこはる。25歳。
ネイビーの生地に同色の小花柄をあしらった、上品な膝丈のスカート。レモンイエローのインナーに、七分丈のオフホワイトのジャケット。胸まで真っ直ぐ伸びる黒髪を、今日は後ろで一つに括っている。切れ長の目、長い睫毛、通った鼻筋、犬を思わせる少し大きめな口。殆ど素顔に近いその肌は、白いが健康的で。頬には穏やかな笑みに合わせて小さな笑窪ができている。

「はるちゃん。柴崎さん、どうだった?」
弾ける様な金城の声に我に返る。林田も金城も彼女を先輩として扱っていない。彼女はそんな事に意を返さないが。
「大丈夫だったよ。寧ろいつも早くて助かるって。」
「本当に?良かったー。
 今月ちょっと経費多めに使ったから怒られるかと。」
「昨日、竜胆さんも大丈夫って言ってくれてたじゃない。」
その口から竜胆の名前が出てきて、大げさな程胸の奥が痛くなる。
分かっている。昨日は午後から店を回っていたから、皆の午後のやり取りを知らない。しかもただの経費の話だ。とてもたわいのない、仕事の話。まして2人は同期で、同じチームメンバーとなる前からの知り合いだから、俺が知らない2人の会話なんて、数知れずあるだろう。
それでも、それだから。心がざわつく。
それはきっと、竜胆の良さを知っているからだ。
根からの良い奴で、俺自身も竜胆をかっているからこそ、すぐにでも彼女を目の前からかっ攫ってしまう様な気がして。
俺よりも彼女の近くにいるのが羨ましくて。
不安で不安で堪らない。彼等をまとめる上司として、最悪だ。

心の奥の醜い色を隠しながら、
「後15分だ。皆最終チェックに入れ。」
と上司の顔をして告げる。
「立花さん、てんちゃんまだ来てないですよ?」
「もうすぐ来ると思うよ。さっき駐輪場から走ってるの、
 経理の所の窓から見たから。」
菅野が、代わりに金城に答える。
向こうの方からタッタッタ、と足音が聞こえてくる。
「来たな。」
「ですね。」
皆が手を止めてガラスの向こうを見やる。
端からひょこっと出された幼い顔が、皆に見られてる事に気付いてギョッとする。そっとドアを開けて入って来た。
「すみませんでした!!」
ドアも閉まりきらない内に深々と頭を下げて叫ぶ。
「天馬。……コーヒーの準備。」
最近は怒るよりも呆れる度合いの方が多くなってきた。

天馬夏依てんまかよ。22歳。
新入社員、ではない。もう会社に入って1年、このチームに来てからも10ヶ月が過ぎた。
この会社では朝一で会議やプレゼンが頻繁に行われ、その日はどの部署も15分前、つまり8時45分までに準備を整える。
その時間に必ず遅れるのが、この天馬だ。
入社後1年は、最初に配属されたチームでメンバーの補佐や諸々の雑用をこなして仕事を勉強する事になっている。
一番後輩である人間が一番遅れて来るというのは、常識的にどうかと思うが、このチームのメンバーはあまり気にしない。天馬の為を思い、何度も注意をしていたが、メンバーの優しさと天馬の仕事の頑張りを見て、口を噤む事が多くなった。だがそろそろ学習して欲しい。

「8時45分って頑張らないと来れないような時間か?」
備え付けの小さな給湯室で、コーヒーの準備をする天馬の後ろ姿を見ながら呟く。ライトグリーンのシャツにベージュのチノパン姿が狭い空間で右に左に忙しなく動く。いつまで経っても疑問だ。

皆がそれぞれ最終チェックを完了し、天馬の入れたコーヒーが並び終わった時、
「おはよう。」
統括の谷田部主任が入ってきた。




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