悪ゆめ飛び火

北河原 黒観

消火器

 薄暗いな。

 天井に張り付いている保守球がその微かな光量で、部屋に置いてある物が何であるのかを教えてくれる。

 どうやらここはリビングで、俺はゲームをしながら二人掛けソファーで寝入ってしまっていたようだ。
 親がしてくれたのだろう、テレビは消され俺の身体には薄い掛け布団が一枚掛けられていた。
 えーと今は。
 壁掛け時計を見やる。

 針は夜の二時を指していた。

 朝までまだまだ時間がある。もう一眠り出来るな。
 薄い掛け布団を肩まで上げ枕代わりであるクッションの位置を調節して本格的に寝に入ろうとしていると、なんとなしに足を置いているソファーの床へと視線を落とした。

 やばっ!

 足を向けて寝てしまっていた。
 昨日兄貴が変なものを持って帰って来ていたモノ・・の方へ。

 それは一枚の古びたふだが貼り付けられた、錆び付いた消火器。
 これがなんであるのか分からないが、悪趣味の兄貴の事だ。ろくでもないモノである事は間違いなさそうであるのだが……。

 俺は迷信とかをとても気にするほうである。
 救急車が通れば親指を隠し、いくら爪が伸びていたとしても夜には絶対に切らない。
 ましてや神棚などの神聖な場所や呪われていると噂される廃墟、また道端にあるお地蔵様など、安易に触らない方が良いと言われる物には極力近づかないようにして来た。
 それをあろうことか、足蹴にする意味合いを持つ、足を向けて寝ると言う行為に及んでしまっていたのだ。
 俺は不気味な消火器に向かい、両手を合わせると目を閉じた。

 どうか、バチが当たりませんように!

 ん?
 何故かは分からないが、何か気配を感じたような気がした。
 そして瞳を開く。

 気のせいか?

 そして視界の端に何か映っている事に気づき、その映っている何かのほうである部屋の隅へと顔を向けた。

「あっ」

 呼吸と共に一瞬心臓が止まったあと、胸を叩かれたかのように心臓が大きく鳴った。
 そして一瞬で眠気が覚めてしまう。

 俺の視線の先には、見知らぬ少年がうつむくようにして部屋の隅に立っていたのだ。
 前髪で隠れて表情は見えないが、間違いなくこちらを向いて立っている。

 なっ、なっ、なっ。

 びっくりし過ぎて口は開いているのに、声が出てこない。
 そして少年は引き寄せられるようにしてこちらの方へ、ゆっくりと歩みを始めた。
 少年が一歩近づくたびに冷たい、湿った汚れた空気もこちらに流れてくる錯覚に襲われる。

 なんなんだよ!

 この場でこのまま寝転がっているのは、なんか不味い!
しかし唯一の救い扉は少年の後方にある。
えぇい、くそ!
 次の瞬間にはさっと身体を起こし立ち上がると、ここから逃げるため壁に身体をぶつけながら狭いリビングを駆け扉を目指す。
 しかし浮き足立つ脚は上手く地面を蹴れず、体が必要以上に上へ跳ね中々前に進まない。
 そうこうしていると、グッと服を引っ張られる。服の裾を少年に掴まれてしまっていたのだ。
 そして少年はその冷えた両手を使い、しがみついてこようとする。

 俺は死に物狂いで抵抗した。
尻餅をつきながら手足をじたばた動かした。
 そしてなんとかその手を振りほどき、逃げるようにして部屋から飛び出す。
 二階には両親がいる。
 急角度な階段のため、手を付きながらも無様な格好で上がっていく。
 コの字型になっている階段を駆け上がると、L字型の廊下の先に部屋がある。そこが両親の部屋だ。
 いつの間にか喉がカラカラだ。
膝には打ち付けたばかりの青あざが出来ている。

 早く!
 早く!

 階段が終わった!

 バタンッ!



 その時、一階から扉が開く音がけたたましく鳴り響いた。
 そして階段を駆け上がってくる音が続く。

 ドツドツドツドツ!

 ひぃっ、くるな!
 俺が何をしたってんだよ!

 急いで廊下を曲がり、両親の部屋を開けようとするのだがーー。

 ガチャガチャ、ガチャガチャ!

 扉は開かない。

「お父さん! お母さん!」

 ダツダツダツ!

 音が階段を上るそれでは無くなり、廊下を走り来る音へと変わった。
 L字型の廊下のためまだ姿が見えないが、追いかけて来ている少年はすぐにでもこちらにその姿を現すはずだ。
 手足が震え歯軋りも止まらない。

 くそっ、さっきから俺を怖がらせやがって!
 バケモノなんてしった事か!
 一矢報いてやる!
 来るなら来い!
 ドアノブを握りながらも目を見開くと、力の限り歯を剥いた。

 足音が曲がり角の手前まで来た。
来る!

しかし音は、そこでパタリと消えた。
 それから嫌な沈黙が始まる。

時間が流れるにつれて、俺の心にあった刃向かう力は減っていき、そして無くなった。
 ダメだ、やっぱりダメだ!

 しかし蛇に睨まれた蛙のように、膝が僅かに上がるのみで脚が廊下から離れない。

 動け!

 動け!
 動け!

 動け!
 動け!
 動け!
 動け!

 心臓が早鐘を打つ中、ジワリジワリとだが後退する事が出来、背中一杯に硬い壁の感触を感じる事が出来た。
 しかしそれは、これ以上後ろに下がる事が出来ない事を意味していた。

「お父さん! お母さん!」

 ガチャガチャガチャ!

 再度右に見えるドアノブに手を掛けるが、やはり開かない!

 そして、曲がり角から黒い何かが、少しだけ見えた。

 ドクンッ!

 心臓がアバラ骨を突き破るくらいの、これまでの人生で最大の強さで跳ね、その痛みで両手を胸に当て前屈みになる。

 呼吸が上手く出来ないがそんな事はどうでもいい。
 目を背けたいが視線はそれに釘付けになっている。
 俺の身体が引きつった状態で固まってしまい、心臓の痛みで涙と涎が止まらない。

 少しだけ見えていたそれは、人の頭部、黒い髪の毛だった。
 それがゆっくりとだが、次第に視界に映る面積を増していく。
 そして濁った灰色に浮かぶ少年の瞳孔が、恨めしそうに俺の瞳の奥を覗いていた。

コメント

コメントを書く

「ホラー」の人気作品

書籍化作品