結縁町恋文郵便局
006「偽りの恋文」
それは、9月の末日。
目覚まし時計に起こされたフミヤは、まだ眠い頭を抱えて起き上がる。
隣に敷かれていたはずの、ユイの布団は綺麗に畳まれていた。
いつもなら、まだ寝ているユイの姿は無い。
「……ユイ?」
胸騒ぎがする。
フミヤは布団を蹴り上げると、狭い家の中でユイを探す。
居間、台所、玄関……。
ユイは居ない。
何か、ユイを怒らせるようなことをしただろうか。
フミヤは自分の行動を省みるが、思い当たることは無い。
「ユイ……」
その時。
洗面所の方から水音が聞こえた。
フミヤはすぐに扉を開ける。
ユイは居た。
しかし、フミヤは慌てて扉を閉めた。
「フミヤ?どうしたの」
「俺が悪かった!」
「何が?」
「何がって……」
フミヤが目にしたのは、風呂上がりで一糸纏わぬユイの姿だったのだ。
それはあまりに美しかった。
しかし、見られたユイの方は全く気にしていない様子である。
神様は、そんな些細なことで怒ったりはしないらしい。
濡れた髪をタオルで拭きながら、洗面所から出てきたユイはフミヤを見上げる。
「僕、ちょっと出掛けるから」
「出掛ける?どこへ」
「出雲」
「……出雲?」
「今で言うと、島根県」
「それはわかる。何しに行くんだ?」
「会議のお手伝い」
「会議?」
「神様の会議」
「神様が、何の会議をするんだ?」
「縁結びだよ。知らないの?」
頷くフミヤに、ユイは飽きれ顔だ。
「毎年10月。日本中の神様が出雲の大国主さまのところへ集まって、人間たちの縁結びの会議を開くの。10月は神無月って言うでしょ?それは、みんな出雲へ行ってしまって神様が不在になるから」
「……そうなのか」
「そうなの。で、僕は大国主さまのお手伝いに行くの」
「なるほど。で、いつ帰るんだ?」
「11月かな」
「一ヶ月も居ないのか?」
表情を曇らせるフミヤに、ユイは歩み寄る。
「フミヤ。僕が居ないと寂しい?」
「……別に」
「あ、そう」
「俺はいいけど、この町は大丈夫なのか?氏神さまが不在で」
「大丈夫。ちゃんと留守番の神様が来るから」
「そうなのか」
フミヤの横を通り、ユイは玄関にある姿見の前に立ち、一生懸命に髪を整えている。
恵まれた容姿のユイだが、フミヤと一緒の時はあんな風に身だしなみを気にしたことはない。
大国主というのは、ユイの上司なのだろう。
上司に逢うのだから、きちんとした格好で行かなくてはならないのだろう。
しかし、フミヤの目には、ユイがデート前の少女にしか見えなかった。
それは、あながち間違いではなかった。
結縁神社から直通の道で出雲大社に着いたユイ。
その白い頬は、微かに紅潮している。
真紅の瞳は、多くの神様の中に大国主の姿を探していた。
「ユイ」
呼ばれて振り向けば、同じく大国主に仕える同僚の姿が。
「……」
ユイは完全に無視して、再び大国主の姿を探し始める。
「ユイ!聞こえてんだろ?」
「うるさい。黙れ海蛇」
「相変わらず生意気だな。セキレイのくせに」
「カイ。僕に構うな」
「ちょっと大国主さまに可愛がられてるからって、いい気になるなよ」
「キミは可愛くないからね」
爬虫類系の顔立ちをしたカイは、確かにユイと比べたら可愛いとは言えないが。
「あまり調子に乗ってると、食っちまうぞ」
「できるものならね」
「かわいくねぇ」
「キミにかわいいって言われても、嬉しくない」
口ではユイにかなわないカイ。
ついに手を出し、ユイの首に腕を回して絞め上げる。
しかし、それくらいで泣くユイではなかった。
草鞋のかかとで、思い切りカイのつま先を踏みつける。
「~っ!」
あまりの痛さに、カイは声も上げられず地面に転がった。
「相変わらず仲良しだね、ユイとカイは」
転がるカイを見下していたユイの頭上から、響いた優しい声。
驚き振り返れば、捜し求めていた大国主の姿があった。
「っ大国主さま!」
多くの妻神を持つ大国主は、やはり魅力的なのだろう。
ユイでさえも、頬を真っ赤にして視線を逸らす。
「よく来たね、ユイ」
「……もったいないお言葉」
「大国主さま!ユイが俺の足を踏みました!」
主である大国主にユイの悪事を言いつけるカイだったが。
「カイが先に手を出したからだろう。ユイは理由もなく、そんなことはしないよ」
「そうやって甘やかすから、ユイがつけあがるんです!」
「いつも出雲に居て私の側に居るカイとは違って、ユイは遠くの町でひとりきりで頑張っているんだから。逢った時くらい甘やかしても罰は当たらないよ」
「大国主さま……」
ユイのことを、大国主はきちんと見ていてくれている。
それだけで、ユイは涙が出るくらい嬉しかった。
縁結びの会議は難航していた。
縁を結ぼうにも、最近の若者たちには結婚する気が無く、恋愛すら面倒くさいという。
価値観の多様化の時代。
それも仕方ないのかもしれない。
会議が終わった後も、大国主はひとり自室で仕事を続けていた。
縁結びの責任者としての重圧が、重くのしかかる。
夜を共にしたいと妻神が訪れても、大国主はそれを優しく諭して帰してしまった。
その様子を偶然に目撃してしまったユイは、お盆に載せて来たお茶と夜食を運ぶべきか迷う。
「……ユイ?」
驚いてお盆を落としそうになった。
顔を上げれば、障子の隙間から大国主がこちらを見ている。
「どうしたんだい?」
「あ……あの、お夜食を」
「わざわざ運んでくれたんだね。ありがとう」
「いえ……失礼します」
お盆を渡して帰ろうとするユイを、大国主は呼び止めた。
「ちょっとお話をしないかい?」
「でも……」
大国主は縁結びの仕事で、妻神を追い返すほど多忙な身だ。
邪魔をしたくはない。
「少し気分転換がしたいんだ」
「……僕なんかでいいんですか?」
「ユイと話がしたいんだよ」
そこまで言われては、断ることなどできない。
ユイは緊張しながら、大国主の部屋に入る。
六畳の質素な和室は、たくさんの本や帳面で埋め尽くされていた。
悩みの大きさが伺える。
「その辺り、適当に片付けて座ってもらえるかい?」
「はい」
「本も帳面も電子化すれば楽なんだろうけどね。どうも馴染まなくて」
神様の世界にも、最近はパソコンなどが普及している。
カイもスマホを買ったとユイに自慢していた。
「僕も苦手です」
「そうなのかい?若いのに」
若い、といっても4桁の年齢だが。
「ああいうものが人間に普及してから、縁が希薄になった気がして」
インターネットが人類を繋ぐようになり、地域の繋がりは逆に弱くなったとユイは感じている。
「ユイは、郵便局の手伝いをしているんだったね」
「はい」
「郵便局も今は大変みたいだね。みんな用件はメールで済ませてしまうから。手紙や葉書は書かなくなっているんだろう?」
「……はい」
「直筆でこそ、伝わる想いもあると私は思う。古い考えかな」
「いえ!僕もそう思います!本当の気持ちは、やはり自分の手で書いて伝えるべきです!それをしなくなったから、日本はこんなふうに……すみません!」
日本をこんなふうにした張本人の大国主相手に力説してしまったことに気づいたユイは、慌てて口を閉ざして頭を下げた。
「なぜ謝るんだい?」
「余計なことを言いました……」
「ユイ」
大きな手が、小さな手を包む。
顔を上げれば、優しい笑顔。
戸惑うユイの頭を、大国主はそっと撫でる。
「ユイは正直だね。そして優しい。こんなユイを遠くの町へやること、私はやはり心配だ」
「大国主さま……」
「ユイ。出雲に戻ってきなさい」
「え……」
大好きな大国主に言われて、嬉しくないはずはなかった。
しかし、ユイの脳裏にはフミヤやカレン、町の人々の顔がよぎる。
何度も投げだそうとした結縁町。
それが今は、こんなにも愛おしい。
「大国主さま……」
「なんだい?」
「僕は……結縁町に戻ります」
「……大丈夫なのかい」
不安を滲ませる大国主に、ユイは笑って見せた。
「大丈夫です!僕は、まだ人間を信じてます」
あの町ならば。
きっと立ち直る。
根拠の無い自信が、ユイにはあった。
霜月。
出雲に集まった神々は、それぞれの持ち場へと戻って行く。
会議の後片付けを終えたユイも、帰り支度を始めていた。
「もう帰るのか?」
大国主への挨拶を終えて、鳥居をくぐろうとしていたユイ。
声を掛けて来たのは、犬猿の仲であるはずのカイだった。
久々に逢った喧嘩相手が居なくなるのが寂しいらしい。
「うん。会議も終わったし」
「オマエ、本当に大丈夫なのか?」
「なにが?」
「オマエの担当地区、相当ヤバいって聞いたぞ」
確かに結縁町の過疎化は進む一方だ。
ユイもそれは自覚している。
「余計なお世話だよ」
「心配してやってるのに……やっぱり可愛くねぇ」
「カイ」
「……なんだよ」
「ありがとう」
ユイからの突然の礼を、カイはどう受け止めて良いのかわからない。
ユイは背伸びをすると、戸惑うカイに抱きついた。
予想外なユイの行動。
カイは固まる。
甘い香りが鼻をくすぐった。
「ちょ……おい、やめろって!」
「やめない」
「どういうつもりだ?新手の嫌がらせか?」
「失礼だね。こんな美少年に抱きつかれて嬉しくないの?」
「男を愛でる趣味はねぇ」
「あ、そう」
意外とあっさり、ユイは引き下がる。
「あとはよろしく」
「オマエに言われなくても、わかってる」
「じゃあね」
「おう、気をつけてな」
ユイの後ろ姿を見送ったカイが振り向くと、そこには大国主の妻神が居た。
「っスセリさま!」
慌てて姿勢を低くしたカイに、妻神は無表情のまま問いかける。
「あの者は、おぬしの相手か」
「え……?」
「今、抱き合うておったな。そういう仲か」
「……違います!誤解です!」
「では、やはりあの者は我が夫の相手か」
「……は?」
妻神の言おうとしていることが、カイには理解できない。
「末端の下僕の分際で、我が夫と通じるなど……汚らわしい。島流しでは生温い。消し去ってくれようか」
妻神の嫉妬深さは有名だ。
どうやら妻神は、大国主とユイが深い関係だと勘違いしているらしい。
「ち、違います!ユイは、アイツはそんな奴じゃありません!」
「なにが違う。かばえばおぬしも同罪ぞ」
「第一、ユイは男ですよ」
「それがなんだ。相手が男でも浮気は浮気ぞ」
燃え上がった嫉妬の炎は止まらない。
困り果てるカイは、自分の着物の懐に、何かが入っていることに気づく。
取り出してみると、それは一通の手紙だった。
「それは何だ」
「……さぁ」
「貸せ」
妻神はカイの手から強引に手紙を奪い取る。
そして、手紙を広げて読み始めた。
すると、あんなに険しかった妻神の表情が、見る見る穏やかになって行く。
全く状況が飲み込めないカイに、妻神は手紙を返して微笑んだ。
「すまなかった」
「……え」
「仲良くな」
「はぁ……」
嵐が去って静まり返る鳥居。
カイは、恐る恐る手紙を開く。
そこには、ユイの繊細な文字が並んでいた。
しかし、その内容はとんでもないものだった。
顔を青くしたり赤くしたりしながら手紙を読んだカイが、その足で向かった先は。
「ユイ!」
結縁町、郵便局の独身寮。
カイは呼び鈴も鳴らさずに玄関を開け、土足で居間へと上がり込む。
そこにユイの姿は無く、突然の来客に呆然とするフミヤだけが居た。
「おい、オマエ。ユイはどこだ」
ユイと同じ真っ白な髪と赤い瞳の少年。
フミヤは、彼も神様だと理解する。
「ユイの友達か?」
「友達じゃねぇ!」
「うるさいなぁ、カイ。何の用だよ」
旅の汚れをシャワーで落としていたユイが、濡れた髪を拭きながら居間に戻ってきた。
「ユイ、てめぇ!」
ユイに掴みかかろうとするカイを、フミヤは反射的に制止する。
「邪魔すんな、このでくのぼう!」
「落ち着けって。何があったかしらないが、暴力じゃなくて話し合いで解決しろ」
「ダメだよフミヤ。カイは話し合いとかできる賢い奴じゃないからさ」
完全に馬鹿にされたカイは、フミヤの脇をすり抜け、その背後のユイに手紙を叩きつける。
「何なんだよ、この手紙は!」
「あぁ、読んだ?」
悪びれもせずに返すユイ。
カイの怒りは頂点に達する。
「読んだ?じゃねぇ!てめぇの手紙のせいで、俺は変態扱いだ!」
争う2人の神様の横で、フミヤは問題の手紙を拾って読み進める。
そこに書かれた赤裸々な言葉に、フミヤは暫し絶句。
「ユイ……これ本当か?」
フミヤに読まれたことに気づいたカイは、血相を変えて手紙を奪い返した。
「本当だったらどうする?」
「本当なわけねぇだろうが!何で俺がコイツと……」
カイはそれ以上言えなかった。
意外に純粋なカイに、ユイは意地悪な笑みを浮かべる。
「ひどいなぁ。あんなに激しく愛し合ったのに」
「ふざけんな!」
ユイが書いた手紙。
そこには、カイへの熱い想いが綴られていた。
もちろん、真っ赤な嘘だが。
「何でこんな嘘の手紙書いてんだよ、てめぇは!」
「だって。そうしないと僕、スセリさまに消されるから」
「はぁ?」
「スセリさま。僕と大国主さまの仲を疑っててさ。疑いを晴らすには、僕はカイが大好きってことにしないと」
「だからって、ここまで書くことねぇだろうが!」
「何事もやりすぎくらいがちょうどいいんだよ」
「オマエはいいよな。俺はずっと出雲に居るんだぞ。周りから変態扱いされながら過ごすんだぞ」
「ご愁傷様」
「……殺す!」
殺意を漲らせるカイ。
気の毒に思いながらも、フミヤは止めに入る。
「まぁまぁ、落ち着けってカイくん」
「これが落ち着いていられるか!」
「ユイ、ちゃんと謝れ」
「え~」
拗ねて唇を尖らせるユイ。
自分の恵まれた容姿がよくわかった上での、その甘えた表情。
「……しょうがないな」
つい、甘やかしてしまうのはフミヤの悪いところだ。
「何がだよ。しょうがなくねぇ!」
「カイくん。ユイを助けると思って、そういうことにしてくれ」
「納得できるか!」
「そんなに嫌なら、彼女でも作りなよカイ。そうすれば疑いも晴れる」
「そんな簡単にできるか!俺は理想が高いんだよ!」
「こんにちは。先輩。何の騒ぎですか?」
神様の言い争いの最中に現れたのは、カレンだった。
「おぉ、桐崎。どうした」
「先輩、傘忘れてましたよ」
「そうか。わざわざありがとな」
フミヤに傘を手渡したカレンは、視線に気づく。
見ると、カイがジッとカレンを見つめていた。
「……なに。喧嘩売ってるの」
「……居た」
「……なにが」
「俺の理想の女」
「はぁ?」
「いい。その相手を見下した感じ」
危険を察知して後ずさりするカレン。
しかし、カイは逃さない。
素早く距離を縮めると、カレンの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「俺の妻になれ」
「……頭おかしいの、あなた」
神様相手にも容赦ないカレン。
明らかに軽蔑の眼差しを向けるが。
「いいなぁ。その冷たい目」
「近寄らないで。殴るわよ」
あのカレンが珍しく怯えていた。
見かねたフミヤが止めに入ろうとしたが、ユイがそれを止める。
「ユイ、いいのか?止めなくて」
「いいの。面白いから」
「面白いって……本気で嫌がってるぞ桐崎は」
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってね」
「……そういうもんか?」
「先輩!助けなさい!」
カレンからの要請。
それに応えたのはユイだった。
「カイ。早く出雲へ帰らないと、大国主さまに叱られるよ。仕事、溜まってるのに」
「あ……やべぇ!」
急に焦りだしたカイは、懐から取り出した何かを強引にカレンの手に握らせると、恐るべき俊足で玄関から飛び出す。
呆気にとられるカレン。
開いた手のひらには、小さなお守り袋があった。
それを見たユイが、小さくつぶやく。
「本気だったか」
「……どういうこと?」
「これ、カイの母親の形見」
「なんでそんな大事なものを私に?」
「本気でカレンを妻にしようと思ってるんだろうね」
「なにそれ……重い」
「まぁそう言わずにさ。カイは悪い奴じゃないよ。神様だし」
「人間でも神様でも、男は男でしょ。要らない」
そう言うと、カレンはお守り袋をユイに押しつけて部屋を出ていく。
「かわいそうに」
「カイくん、落ち込むだろうな」
「かわいそうなのはカレンだよ」
「なんで桐崎が?」
フミヤの質問に、ユイはお守り袋の中身を出して見せる。
それは、真っ白な蛇の抜け殻の一部だった。
「これがあれば、一生お金に困らなかったのに」
「そうなのか?」
「神様の抜け殻だからね。御利益はあるよ」
「……もったいない」
「フミヤがもらっとく?」
「いや、それはダメだ。カイくんに返す」
「そう言うと思った」
馬鹿正直なフミヤが、ユイは好きだ。
「フミヤ」
「なんだ」
「僕、結縁町の神様で良かった」
「……そうか」
「僕をここに左遷してくれた、スセリさまの嫉妬に感謝しなくちゃね」
「そうだな……って、そんな理由でここの担当になったのか」
「そうだよ」
「……聞かなきゃ良かった」
世の中、知らない方がいいこともある。
こうして神無月が終わり、結縁町にユイが戻って来た。
恋文郵便局は年賀状販売のノルマに怯えながら、今日も元気に営業している。
目覚まし時計に起こされたフミヤは、まだ眠い頭を抱えて起き上がる。
隣に敷かれていたはずの、ユイの布団は綺麗に畳まれていた。
いつもなら、まだ寝ているユイの姿は無い。
「……ユイ?」
胸騒ぎがする。
フミヤは布団を蹴り上げると、狭い家の中でユイを探す。
居間、台所、玄関……。
ユイは居ない。
何か、ユイを怒らせるようなことをしただろうか。
フミヤは自分の行動を省みるが、思い当たることは無い。
「ユイ……」
その時。
洗面所の方から水音が聞こえた。
フミヤはすぐに扉を開ける。
ユイは居た。
しかし、フミヤは慌てて扉を閉めた。
「フミヤ?どうしたの」
「俺が悪かった!」
「何が?」
「何がって……」
フミヤが目にしたのは、風呂上がりで一糸纏わぬユイの姿だったのだ。
それはあまりに美しかった。
しかし、見られたユイの方は全く気にしていない様子である。
神様は、そんな些細なことで怒ったりはしないらしい。
濡れた髪をタオルで拭きながら、洗面所から出てきたユイはフミヤを見上げる。
「僕、ちょっと出掛けるから」
「出掛ける?どこへ」
「出雲」
「……出雲?」
「今で言うと、島根県」
「それはわかる。何しに行くんだ?」
「会議のお手伝い」
「会議?」
「神様の会議」
「神様が、何の会議をするんだ?」
「縁結びだよ。知らないの?」
頷くフミヤに、ユイは飽きれ顔だ。
「毎年10月。日本中の神様が出雲の大国主さまのところへ集まって、人間たちの縁結びの会議を開くの。10月は神無月って言うでしょ?それは、みんな出雲へ行ってしまって神様が不在になるから」
「……そうなのか」
「そうなの。で、僕は大国主さまのお手伝いに行くの」
「なるほど。で、いつ帰るんだ?」
「11月かな」
「一ヶ月も居ないのか?」
表情を曇らせるフミヤに、ユイは歩み寄る。
「フミヤ。僕が居ないと寂しい?」
「……別に」
「あ、そう」
「俺はいいけど、この町は大丈夫なのか?氏神さまが不在で」
「大丈夫。ちゃんと留守番の神様が来るから」
「そうなのか」
フミヤの横を通り、ユイは玄関にある姿見の前に立ち、一生懸命に髪を整えている。
恵まれた容姿のユイだが、フミヤと一緒の時はあんな風に身だしなみを気にしたことはない。
大国主というのは、ユイの上司なのだろう。
上司に逢うのだから、きちんとした格好で行かなくてはならないのだろう。
しかし、フミヤの目には、ユイがデート前の少女にしか見えなかった。
それは、あながち間違いではなかった。
結縁神社から直通の道で出雲大社に着いたユイ。
その白い頬は、微かに紅潮している。
真紅の瞳は、多くの神様の中に大国主の姿を探していた。
「ユイ」
呼ばれて振り向けば、同じく大国主に仕える同僚の姿が。
「……」
ユイは完全に無視して、再び大国主の姿を探し始める。
「ユイ!聞こえてんだろ?」
「うるさい。黙れ海蛇」
「相変わらず生意気だな。セキレイのくせに」
「カイ。僕に構うな」
「ちょっと大国主さまに可愛がられてるからって、いい気になるなよ」
「キミは可愛くないからね」
爬虫類系の顔立ちをしたカイは、確かにユイと比べたら可愛いとは言えないが。
「あまり調子に乗ってると、食っちまうぞ」
「できるものならね」
「かわいくねぇ」
「キミにかわいいって言われても、嬉しくない」
口ではユイにかなわないカイ。
ついに手を出し、ユイの首に腕を回して絞め上げる。
しかし、それくらいで泣くユイではなかった。
草鞋のかかとで、思い切りカイのつま先を踏みつける。
「~っ!」
あまりの痛さに、カイは声も上げられず地面に転がった。
「相変わらず仲良しだね、ユイとカイは」
転がるカイを見下していたユイの頭上から、響いた優しい声。
驚き振り返れば、捜し求めていた大国主の姿があった。
「っ大国主さま!」
多くの妻神を持つ大国主は、やはり魅力的なのだろう。
ユイでさえも、頬を真っ赤にして視線を逸らす。
「よく来たね、ユイ」
「……もったいないお言葉」
「大国主さま!ユイが俺の足を踏みました!」
主である大国主にユイの悪事を言いつけるカイだったが。
「カイが先に手を出したからだろう。ユイは理由もなく、そんなことはしないよ」
「そうやって甘やかすから、ユイがつけあがるんです!」
「いつも出雲に居て私の側に居るカイとは違って、ユイは遠くの町でひとりきりで頑張っているんだから。逢った時くらい甘やかしても罰は当たらないよ」
「大国主さま……」
ユイのことを、大国主はきちんと見ていてくれている。
それだけで、ユイは涙が出るくらい嬉しかった。
縁結びの会議は難航していた。
縁を結ぼうにも、最近の若者たちには結婚する気が無く、恋愛すら面倒くさいという。
価値観の多様化の時代。
それも仕方ないのかもしれない。
会議が終わった後も、大国主はひとり自室で仕事を続けていた。
縁結びの責任者としての重圧が、重くのしかかる。
夜を共にしたいと妻神が訪れても、大国主はそれを優しく諭して帰してしまった。
その様子を偶然に目撃してしまったユイは、お盆に載せて来たお茶と夜食を運ぶべきか迷う。
「……ユイ?」
驚いてお盆を落としそうになった。
顔を上げれば、障子の隙間から大国主がこちらを見ている。
「どうしたんだい?」
「あ……あの、お夜食を」
「わざわざ運んでくれたんだね。ありがとう」
「いえ……失礼します」
お盆を渡して帰ろうとするユイを、大国主は呼び止めた。
「ちょっとお話をしないかい?」
「でも……」
大国主は縁結びの仕事で、妻神を追い返すほど多忙な身だ。
邪魔をしたくはない。
「少し気分転換がしたいんだ」
「……僕なんかでいいんですか?」
「ユイと話がしたいんだよ」
そこまで言われては、断ることなどできない。
ユイは緊張しながら、大国主の部屋に入る。
六畳の質素な和室は、たくさんの本や帳面で埋め尽くされていた。
悩みの大きさが伺える。
「その辺り、適当に片付けて座ってもらえるかい?」
「はい」
「本も帳面も電子化すれば楽なんだろうけどね。どうも馴染まなくて」
神様の世界にも、最近はパソコンなどが普及している。
カイもスマホを買ったとユイに自慢していた。
「僕も苦手です」
「そうなのかい?若いのに」
若い、といっても4桁の年齢だが。
「ああいうものが人間に普及してから、縁が希薄になった気がして」
インターネットが人類を繋ぐようになり、地域の繋がりは逆に弱くなったとユイは感じている。
「ユイは、郵便局の手伝いをしているんだったね」
「はい」
「郵便局も今は大変みたいだね。みんな用件はメールで済ませてしまうから。手紙や葉書は書かなくなっているんだろう?」
「……はい」
「直筆でこそ、伝わる想いもあると私は思う。古い考えかな」
「いえ!僕もそう思います!本当の気持ちは、やはり自分の手で書いて伝えるべきです!それをしなくなったから、日本はこんなふうに……すみません!」
日本をこんなふうにした張本人の大国主相手に力説してしまったことに気づいたユイは、慌てて口を閉ざして頭を下げた。
「なぜ謝るんだい?」
「余計なことを言いました……」
「ユイ」
大きな手が、小さな手を包む。
顔を上げれば、優しい笑顔。
戸惑うユイの頭を、大国主はそっと撫でる。
「ユイは正直だね。そして優しい。こんなユイを遠くの町へやること、私はやはり心配だ」
「大国主さま……」
「ユイ。出雲に戻ってきなさい」
「え……」
大好きな大国主に言われて、嬉しくないはずはなかった。
しかし、ユイの脳裏にはフミヤやカレン、町の人々の顔がよぎる。
何度も投げだそうとした結縁町。
それが今は、こんなにも愛おしい。
「大国主さま……」
「なんだい?」
「僕は……結縁町に戻ります」
「……大丈夫なのかい」
不安を滲ませる大国主に、ユイは笑って見せた。
「大丈夫です!僕は、まだ人間を信じてます」
あの町ならば。
きっと立ち直る。
根拠の無い自信が、ユイにはあった。
霜月。
出雲に集まった神々は、それぞれの持ち場へと戻って行く。
会議の後片付けを終えたユイも、帰り支度を始めていた。
「もう帰るのか?」
大国主への挨拶を終えて、鳥居をくぐろうとしていたユイ。
声を掛けて来たのは、犬猿の仲であるはずのカイだった。
久々に逢った喧嘩相手が居なくなるのが寂しいらしい。
「うん。会議も終わったし」
「オマエ、本当に大丈夫なのか?」
「なにが?」
「オマエの担当地区、相当ヤバいって聞いたぞ」
確かに結縁町の過疎化は進む一方だ。
ユイもそれは自覚している。
「余計なお世話だよ」
「心配してやってるのに……やっぱり可愛くねぇ」
「カイ」
「……なんだよ」
「ありがとう」
ユイからの突然の礼を、カイはどう受け止めて良いのかわからない。
ユイは背伸びをすると、戸惑うカイに抱きついた。
予想外なユイの行動。
カイは固まる。
甘い香りが鼻をくすぐった。
「ちょ……おい、やめろって!」
「やめない」
「どういうつもりだ?新手の嫌がらせか?」
「失礼だね。こんな美少年に抱きつかれて嬉しくないの?」
「男を愛でる趣味はねぇ」
「あ、そう」
意外とあっさり、ユイは引き下がる。
「あとはよろしく」
「オマエに言われなくても、わかってる」
「じゃあね」
「おう、気をつけてな」
ユイの後ろ姿を見送ったカイが振り向くと、そこには大国主の妻神が居た。
「っスセリさま!」
慌てて姿勢を低くしたカイに、妻神は無表情のまま問いかける。
「あの者は、おぬしの相手か」
「え……?」
「今、抱き合うておったな。そういう仲か」
「……違います!誤解です!」
「では、やはりあの者は我が夫の相手か」
「……は?」
妻神の言おうとしていることが、カイには理解できない。
「末端の下僕の分際で、我が夫と通じるなど……汚らわしい。島流しでは生温い。消し去ってくれようか」
妻神の嫉妬深さは有名だ。
どうやら妻神は、大国主とユイが深い関係だと勘違いしているらしい。
「ち、違います!ユイは、アイツはそんな奴じゃありません!」
「なにが違う。かばえばおぬしも同罪ぞ」
「第一、ユイは男ですよ」
「それがなんだ。相手が男でも浮気は浮気ぞ」
燃え上がった嫉妬の炎は止まらない。
困り果てるカイは、自分の着物の懐に、何かが入っていることに気づく。
取り出してみると、それは一通の手紙だった。
「それは何だ」
「……さぁ」
「貸せ」
妻神はカイの手から強引に手紙を奪い取る。
そして、手紙を広げて読み始めた。
すると、あんなに険しかった妻神の表情が、見る見る穏やかになって行く。
全く状況が飲み込めないカイに、妻神は手紙を返して微笑んだ。
「すまなかった」
「……え」
「仲良くな」
「はぁ……」
嵐が去って静まり返る鳥居。
カイは、恐る恐る手紙を開く。
そこには、ユイの繊細な文字が並んでいた。
しかし、その内容はとんでもないものだった。
顔を青くしたり赤くしたりしながら手紙を読んだカイが、その足で向かった先は。
「ユイ!」
結縁町、郵便局の独身寮。
カイは呼び鈴も鳴らさずに玄関を開け、土足で居間へと上がり込む。
そこにユイの姿は無く、突然の来客に呆然とするフミヤだけが居た。
「おい、オマエ。ユイはどこだ」
ユイと同じ真っ白な髪と赤い瞳の少年。
フミヤは、彼も神様だと理解する。
「ユイの友達か?」
「友達じゃねぇ!」
「うるさいなぁ、カイ。何の用だよ」
旅の汚れをシャワーで落としていたユイが、濡れた髪を拭きながら居間に戻ってきた。
「ユイ、てめぇ!」
ユイに掴みかかろうとするカイを、フミヤは反射的に制止する。
「邪魔すんな、このでくのぼう!」
「落ち着けって。何があったかしらないが、暴力じゃなくて話し合いで解決しろ」
「ダメだよフミヤ。カイは話し合いとかできる賢い奴じゃないからさ」
完全に馬鹿にされたカイは、フミヤの脇をすり抜け、その背後のユイに手紙を叩きつける。
「何なんだよ、この手紙は!」
「あぁ、読んだ?」
悪びれもせずに返すユイ。
カイの怒りは頂点に達する。
「読んだ?じゃねぇ!てめぇの手紙のせいで、俺は変態扱いだ!」
争う2人の神様の横で、フミヤは問題の手紙を拾って読み進める。
そこに書かれた赤裸々な言葉に、フミヤは暫し絶句。
「ユイ……これ本当か?」
フミヤに読まれたことに気づいたカイは、血相を変えて手紙を奪い返した。
「本当だったらどうする?」
「本当なわけねぇだろうが!何で俺がコイツと……」
カイはそれ以上言えなかった。
意外に純粋なカイに、ユイは意地悪な笑みを浮かべる。
「ひどいなぁ。あんなに激しく愛し合ったのに」
「ふざけんな!」
ユイが書いた手紙。
そこには、カイへの熱い想いが綴られていた。
もちろん、真っ赤な嘘だが。
「何でこんな嘘の手紙書いてんだよ、てめぇは!」
「だって。そうしないと僕、スセリさまに消されるから」
「はぁ?」
「スセリさま。僕と大国主さまの仲を疑っててさ。疑いを晴らすには、僕はカイが大好きってことにしないと」
「だからって、ここまで書くことねぇだろうが!」
「何事もやりすぎくらいがちょうどいいんだよ」
「オマエはいいよな。俺はずっと出雲に居るんだぞ。周りから変態扱いされながら過ごすんだぞ」
「ご愁傷様」
「……殺す!」
殺意を漲らせるカイ。
気の毒に思いながらも、フミヤは止めに入る。
「まぁまぁ、落ち着けってカイくん」
「これが落ち着いていられるか!」
「ユイ、ちゃんと謝れ」
「え~」
拗ねて唇を尖らせるユイ。
自分の恵まれた容姿がよくわかった上での、その甘えた表情。
「……しょうがないな」
つい、甘やかしてしまうのはフミヤの悪いところだ。
「何がだよ。しょうがなくねぇ!」
「カイくん。ユイを助けると思って、そういうことにしてくれ」
「納得できるか!」
「そんなに嫌なら、彼女でも作りなよカイ。そうすれば疑いも晴れる」
「そんな簡単にできるか!俺は理想が高いんだよ!」
「こんにちは。先輩。何の騒ぎですか?」
神様の言い争いの最中に現れたのは、カレンだった。
「おぉ、桐崎。どうした」
「先輩、傘忘れてましたよ」
「そうか。わざわざありがとな」
フミヤに傘を手渡したカレンは、視線に気づく。
見ると、カイがジッとカレンを見つめていた。
「……なに。喧嘩売ってるの」
「……居た」
「……なにが」
「俺の理想の女」
「はぁ?」
「いい。その相手を見下した感じ」
危険を察知して後ずさりするカレン。
しかし、カイは逃さない。
素早く距離を縮めると、カレンの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「俺の妻になれ」
「……頭おかしいの、あなた」
神様相手にも容赦ないカレン。
明らかに軽蔑の眼差しを向けるが。
「いいなぁ。その冷たい目」
「近寄らないで。殴るわよ」
あのカレンが珍しく怯えていた。
見かねたフミヤが止めに入ろうとしたが、ユイがそれを止める。
「ユイ、いいのか?止めなくて」
「いいの。面白いから」
「面白いって……本気で嫌がってるぞ桐崎は」
「嫌よ嫌よも好きのうち、ってね」
「……そういうもんか?」
「先輩!助けなさい!」
カレンからの要請。
それに応えたのはユイだった。
「カイ。早く出雲へ帰らないと、大国主さまに叱られるよ。仕事、溜まってるのに」
「あ……やべぇ!」
急に焦りだしたカイは、懐から取り出した何かを強引にカレンの手に握らせると、恐るべき俊足で玄関から飛び出す。
呆気にとられるカレン。
開いた手のひらには、小さなお守り袋があった。
それを見たユイが、小さくつぶやく。
「本気だったか」
「……どういうこと?」
「これ、カイの母親の形見」
「なんでそんな大事なものを私に?」
「本気でカレンを妻にしようと思ってるんだろうね」
「なにそれ……重い」
「まぁそう言わずにさ。カイは悪い奴じゃないよ。神様だし」
「人間でも神様でも、男は男でしょ。要らない」
そう言うと、カレンはお守り袋をユイに押しつけて部屋を出ていく。
「かわいそうに」
「カイくん、落ち込むだろうな」
「かわいそうなのはカレンだよ」
「なんで桐崎が?」
フミヤの質問に、ユイはお守り袋の中身を出して見せる。
それは、真っ白な蛇の抜け殻の一部だった。
「これがあれば、一生お金に困らなかったのに」
「そうなのか?」
「神様の抜け殻だからね。御利益はあるよ」
「……もったいない」
「フミヤがもらっとく?」
「いや、それはダメだ。カイくんに返す」
「そう言うと思った」
馬鹿正直なフミヤが、ユイは好きだ。
「フミヤ」
「なんだ」
「僕、結縁町の神様で良かった」
「……そうか」
「僕をここに左遷してくれた、スセリさまの嫉妬に感謝しなくちゃね」
「そうだな……って、そんな理由でここの担当になったのか」
「そうだよ」
「……聞かなきゃ良かった」
世の中、知らない方がいいこともある。
こうして神無月が終わり、結縁町にユイが戻って来た。
恋文郵便局は年賀状販売のノルマに怯えながら、今日も元気に営業している。
「現代ドラマ」の人気作品
-
-
357
-
266
-
-
207
-
139
-
-
159
-
142
-
-
139
-
71
-
-
137
-
123
-
-
111
-
9
-
-
38
-
13
-
-
28
-
42
-
-
28
-
8
コメント