結縁町恋文郵便局
002「宛先のない手紙」
梅雨の晴れ間が広がっていた。
その日もフミヤは、恋文係の拠点となる旧郵便局の建物を補修していた。
カレンはもちろん手伝わない。
ユイの力を借りるわけにも行かない。
フミヤは、古びた郵便局をたったひとりで見事に甦らせた。
流れる汗をタオルで拭う。
「岡本くん、おつかれ~」
背後から聞こえた声。
振り向けば局長の新藤ほなみが、ペットボトルのスポーツドリンクを手に微笑んでいた。
「調子はどうよ」
「見ての通り。疲れました」
「若いんだから、これくらいで弱音を吐かないの」
「はい」
局長は、すっかり綺麗にペンキが塗り直された室内を見渡す。
「上出来上出来。素人にしちゃ、よくやったわね」
「ありがとうございます」
「これならいつでもオープン出来そう」
「はい」
「式典は大々的にやるから。テレビ局も取材に来るから、よろしくね」
「え……」
そんな話は初耳だ。
ひっそりと始めるものだと思っていたのだが。
「町おこしなんだから、アピールするのは当然でしょ」
「俺、テレビなんか出たくないです」
「奇遇ね。私もよ」
「……そうですか」
局長にはかなわない。
フミヤは苦笑する。
旧郵便局の前には、昔懐かしい円筒型のポストが残されたままになっている。
そのポストも再び活躍することになるのだ。
中に溜まったゴミを片付けようと、フミヤはポストを開けてみる。
「……あれ」
投函口が塞がれて使えなくなっていたはずのポスト。
その中には、埃にまみれた茶封筒が1通、残されていた。
「どうしたの、岡本くん」
「局長、これ……」
「……あらら。誰が投函したのかね」
封筒には宛先が無い。
切手も貼られていなかった。
唯一書かれていた差出人の名前を見た局長が、何やら考え込んでいる。
「……局長?」
「これって、谷口さんのおじいちゃんの名前よね」
「谷口さん……あぁ、あの変わり者のじいさん」
「何かワケありっぽいわね」
そう言う局長の顔には、清々しい笑みが。
「局長。何か企んでます?」
「企んでるとは失礼な。はい」
「何ですか?」
「後は岡本くんに任せた」
局長はそう言うと、茶封筒をフミヤに押しつける。
「ちょっと待ってくださいよ。コレをどうしろって言うんですか」
「煮るなり焼くなり、ご自由に。じゃね」
そう言い残して、局長はさっさと去って行った。
後に残されたフミヤは、右手の封筒を見て途方に暮れる。
持ち主が判っているものを捨てる訳には行かず……。
結局フミヤは、それを自宅へと持ち帰っていた。
「……どうしたもんかな」
ひとりで悩んでいても答えは出ない。
かといって、カレンに相談しても無駄だろう。
燃やせ、と言われて終わりだ。
「あとはユイか……」
見た目は子供のユイだが、年齢は四桁らしいから、きっと良い知恵を貸してくれるはず。
「ユイ……居るか」
誰もいない空間に語りかけてみる。
室内は静まり返っていた。
「ユイ、ユイ!」
「うるさいな、聞こえてるよ」
背後の神棚。
小鳥の姿でユイは現れる。
フミヤに向かってパタパタと飛びながら、ユイは少年の姿に変化していた。
相変わらず麗しい。
「悪かったな、呼び出して」
「気にしなくていいよ。僕は神様だからね。呼び出されるのには慣れてる。で、なに」
フミヤは手にしている茶封筒をユイに渡す。
「これが旧郵便局のポストに入ってて」
「宛名がないけど」
「差出人はある」
「谷口勇……ああ、あの悪ガキか」
年齢が四桁のユイから見たら、70代の谷口は子供らしい。
「悪ガキだったのか?あのじいさん」
「僕の神社のお賽銭を盗んだりね」
「そりゃひどいな」
「でしょ!だから、これ捨ててもいい?」
ユイは茶封筒をゴミ箱へ入れようとする。
「ちょ、待て!」
「フミヤはどうしたいのさ」
「どうって……」
今更、谷口へ返しに行くのもためらわれる。
しかし、捨てるのも気分が悪い。
「迷ってるなら、相棒に聞いてみたら?」
「相棒?」
「なんだっけ。カレン?」
「……聞いても無駄だと思うけどな」
「そんなに悪い娘じゃないと思うけど」
ユイがカレンをそんな風に言うのは意外だった。
それが顔に出ていたらしい。
ユイは唇を尖らせる。
「なんか文句ある?」
「……いや。明日、桐崎に聞いてみるよ」
翌日。
フミヤは旧郵便局にカレンを呼び出した。
カレンも恋文係の一員。
そう思うことにした。
水色の自転車に乗ってカレンはやってくる。
すっかり綺麗に生まれ変わった旧郵便局の姿に、カレンは驚いていた。
「おお、桐崎」
ロビーの最終点検をしていたフミヤがカレンを出迎える。
「……これ、先輩がひとりでやったんですか?」
「まあな。素人にしちゃ、上手く補修しただろ?」
「そうですね」
「これから自分が働く場所だからな。少しでも快適にしたくて」
「そうですか。話って何ですか?手短にお願いします」
相変わらず素っ気ない。
愛想の良いカレンも怖い気がするが。
「ちょっと迷ってることがあってな。桐崎の意見が聞きたい」
「私の……?」
カレンは戸惑っていた。
今まで、誰かに頼りにされた経験が無い。
「そんな難しく考えなくていい。率直な意見が聞きたいんだ」
「はい」
フミヤは事の一部始終をカレンに聞かせた。
カレンも真剣に耳を傾けている。
「で。桐崎ならどうする」
「そうですね……」
少し思案してから、カレンは顔を上げた。
「本人に直接聞きます」
「直接?何て聞くんだ?」
「どういうつもりなのか」
「どういう?」
「宛名も切手もなくて、届けられるわけないじゃないですか。そんなこともわからないのかって聞きます」
「……桐崎らしい答えだな」
燃やせと言われなかったことに、フミヤは少し安心していた。
「先輩は、どうするつもりですか?」
「俺か?俺は……やっぱり谷口のじいさんに返した方がいいと思う」
「そうですか。じゃあ、行きましょう」
「え?」
「谷口さんに返しに行きましょう」
そう言うとカレンは、フミヤの手首を掴んで出口に向かい歩き出す。
その時だった。
扉のガラス向こうに人影が見えたのは。
何やら怪しい動きをする人影。
しかしカレンは、何の躊躇も無く扉を開ける。
「あ……」
思わず声を上げたのはフミヤだった。
そこには、今話していた谷口が居たのだ。
谷口はフミヤとカレンの姿を見るなり、逃げ出そうとする。
「あ……ちょっと、谷口さん!」
フミヤが声を掛けるのと同時に、カレンが走り出す。
あっと言う間に谷口に追いついたカレンは、その腕を掴んで捻り上げた。
「痛いっ!何をするんだ、この小娘が!」
「逃げ出すからです」
やっと追いついたフミヤは、すぐにカレンを制止する。
「すみません、谷口さん。大丈夫ですか?」
謝罪するフミヤと、ふてくされるカレンの顔を交互に見た谷口。
「お前等、確か郵便局の……」
「はい。岡本です。こっちは桐崎。桐崎が失礼をしました」
「何で郵便局の連中が、俺を追いかけて来るんだ」
「自分の胸に聞いてみたらどうですか」
「桐崎は黙れ。谷口さん。ちょっとお話が」
「話?」
フミヤはポケットから、例の茶封筒を取り出す。
それを見た谷口の顔色が変わった。
3人は改装が終わったばかりの旧郵便局へ戻り、作業台を椅子代わりに座る。
「……見つかっちまったか」
「ってことは、隠すつもりでポストの中にコレを?」
「捨てるに捨てられなくてな。家族の居る家にも置いておけないし」
「そこのポストなら見つからないと思ったんですか。浅はかですね」
カレンは目上の谷口にも容赦ない。
しかし谷口は怒ることもなく、逆に苦笑していた。
「中身とか……聞いてもいいですか」
すると谷口は、茶封筒の口を破いて中身を取り出して見せる。
それは、桃色の生地で作られた、可愛らしいお守りだった。
古びて色褪せてはいるが普通の、何の変哲もないお守りにしか見えない。
「……何で、これを隠したかったんですか?」
「これは俺が小学生の頃に、ある女の子から盗んだものでな」
「盗んだ……」
「最低ですね」
カレンはその愛らしい顔に軽蔑の表情を浮かべていた。
「そうだな。最低だった。彼女を傷つけてしまったことを、今でも悔やんでいるよ」
「確かに、お守りは捨てにくいですね」
「それだけじゃない。俺は彼女が好きだった。初恋の相手だ」
「初恋……」
「悔やむなら、その子に返せば良かったじゃないですか」
「返そうと思ったさ。だけど、出来なかった」
「何でですか?」
「彼女は遠くへ引っ越してしまったんだ」
郵送で返そうとも思ったが新しい住所も判らず、どうしようもなくなったのだと谷口は語る。
「……そうでしたか」
古ぼけた茶封筒に隠された谷口の気持ちを知ったフミヤ。
何が出来るか判らないが、このまま終わらせたくはなかった。
「谷口さん。その彼女の名前を教えて頂けませんか」
フミヤの眼差しは真剣だ。
谷口も、思わず口にする。
「ナツ……村田ナツちゃんだ」
「村田ナツさん、ですね」
「ご結婚されていれば、名字は変わってますよ先輩」
冷静なカレンの助言。
フミヤは素直に礼を言う。
「谷口さん。このお守りは、俺が責任を持ってお預かりします」
「……あぁ」
「必ずナツさんを見つけだしますから」
「見つけてどうするんだ?」
「コレを返して、謝りましょう」
「今更……そんなことされても、彼女も困るだろ」
困惑する谷口に、カレンは言い放った。
「返さなかったら、地獄へ落ちますよ」
「地獄……?」
「当然でしょう。泥棒は犯罪です」
「桐崎。あまり脅すな。谷口さん。とにかく俺たちに任せてください」
「……あぁ」
谷口は納得行かない様子だったが、一応は頭を下げて、自宅へと帰って行った。
「……で。これからどうするつもりですか、先輩」
「とりあえず、ナツさんの引っ越し先の住所を調べる」
「60年くらい前の話ですよ。記録が残ってるかどうか」
「ダメなら神頼みだ」
「神頼み?そんな非現実的な方法で見つかるとでも?」
呆れるカレンに、ユイを紹介すべきかフミヤは迷う。
「桐崎は、神様とか信じないよな」
「当然です。神様なんか居ません」
「そうか……」
今は紹介する時ではないようだ。
フミヤはお守りをもう一度、確認する。
「これ……」
そのお守りには、『結縁神社』の文字が。
ユイの神社の名前だ。
フミヤは駆けだしていた。
「先輩!どこ行くんですか?」
「悪い、桐崎。すぐに戻るから!」
フミヤは旧郵便局近くにある、廃線になった電車の駅の建物に駆け込む。
「ユイ、ユイ!」
「はいはい、なに」
いつの間にか、待合室のベンチにユイが座っている。
フミヤも隣に腰掛けて、手の中のお守りを差し出した。
「ユイ、このお守り。お前の神社のだよな」
「うわ、懐かしい。どうしたのコレ」
「誰が買ったか覚えてるか?」
「無茶言うね。いくら神様でも、そこまでは」
「……そうか。そうだよな」
手懸かりを無くしたフミヤはうなだれる。
そんなフミヤの顔を、ユイは下からのぞき込んだ。
「……なんだよ、ユイ」
「別に」
「顔がにやけてるぞ。人が落ち込んでるのが、そんなに面白いか?」
「人間って見てて飽きないよね」
「何だそれ……」
「このお守り。誰の?」
「あぁ……。60年くらい前に、この町に住んでた、村田ナツさんって女性のだ」
「ふーん」
「何か思い出せないか?何でもいいから」
「フミヤはナツを探してるの?」
「あぁ。探し出して、このお守りを返したい」
「なんのために?」
「何のって……谷口のじいさんのためだ。今のままじゃ、じいさんは死んでも死にきれない」
「なるほど。わかった」
ユイはベンチから立ち上がる。
「ちょっと出雲まで行ってくるよ」
「……出雲?何しに」
「出雲には、日本人全てのデータが集まってる。ナツのことも、なにかわかるかもしれない」
「……ユイ」
ジッと見つめて来るフミヤに、ユイは居心地悪そうに目を逸らす。
「ありがとな!」
フミヤは思わずユイを抱き締めていた。
抵抗されるのを覚悟していたが、意外にもユイは大人しかった。
「……ユイ?」
逆に怖くなってユイの顔を確認すれば、何故か涙を浮かべている。
「え……ユイ?ごめん、悪かった!」
訳も判らず謝るフミヤだったが、ユイは無言で背を向けると、鳥の姿になって待合室を飛び出して行ってしまった。
残されたフミヤ。
しばらく呆然としていたが、旧郵便局にカレンを残したままであることを思い出し、慌てて戻る。
「悪い、桐崎!」
「先輩。どこ行ってたんですか」
「ちょっとな」
カレンは無表情のまま、フミヤへと歩み寄って来た。
そして、おもむろに手を伸ばす。
「……桐崎?」
「羽。肩についてましたよ」
カレンが指先で摘んでいたのは、真っ白な鳥の羽だった。
「あぁ、ありがとうな」
「どういたしまして」
羽を手渡されたフミヤは、恐る恐るカレンに問う。
「桐崎は……鳥は好きか?」
「食べるのは好きです」
「……そうか」
思わず、カレンに焼き鳥にされるユイを想像してしまった。
(これは、2人を逢わせない方が良さそうだな……)
フミヤとカレンは力を合わせて、室内の細部まで磨き上げた。
作業がひと段落した頃、外から扉が開かれる。
「ただいま~」
疲れはてた様子のユイが、少年の姿でフラフラと局内に入って来た。
「……ユイ!」
まさか、こんなに早く帰って来るとは。
神様なのだから、瞬間移動が出来ても不思議ではないのだが。
「先輩。知り合いですか?」
白髪で着物姿のユイを、カレンは訝しく思っているようだ。
「あ……えっと……」
「フミヤ……僕のこと、カレンに話してないの?」
「……うん」
ユイの視線はフミヤを責めていた。
そんな2人の様子に、カレンは何かを察する。
「先輩の家に住む、座敷わらしとかですか」
カレンは真顔だ。
冷静で毒舌なカレンの意外な一面を見た。
「座敷わらしと一緒にしないでよ。僕は神様。この町の氏神」
「神様……?」
「結縁神社の神様」
「ああ、あのボロい神社の」
カレンの言葉で、ユイは明らかに機嫌を悪くした。
「好きであんなところに住んでるんじゃない。町の人間が手入れをしてくれないから」
「あんなところに独りで、寂しくないの?」
カレンはまた、意外な言葉を発した。
フミヤもそこまで思い至らなかったが、確かにあの神社に一人きりは寂しいだろう。
注目されたユイは、小さな唇を僅かに歪ませた。
「……寂しいなんて感情は、神様には無いね」
「そう。ならいいけど」
「フミヤ、これ」
そう言ってユイがフミヤの胸元に、三つに折り畳まれた紙を押しつける。
「なんだ、これ」
「住所だよ住所!フミヤが僕に頼んだんだろ?もう忘れたの」
「住所って……ナツさんの?」
「他に誰の住所が?」
「すごいな……さすがは神様」
「僕に手伝えるのはここまで。後はフミヤとカレンがどうにかしてよ」
それだけ言い残すと、ユイは小鳥の姿で郵便局を飛び出して行ってしまう。
目の前でそれを見せられては、カレンもユイが神様だと認めるしかなかった。
「先輩……。神様っているんですね」
「ああ。俺も最初は信じられなかったけどな」
「ナツさんの住所はわかりましたが……。後はどうしますか」
「谷口のじいさんに手紙を書いてもらう」
「書きますかね。素直に」
「……そこが問題だ」
翌日。
小雨の降る中、フミヤは谷口の家を訪ねていた。
谷口の妻は数ヶ月前に他界している。
子供たちも町を出ていて、今は谷口ひとりで暮らしていた。
「茶くらいしか出せんぞ」
「お構いなく」
「今日は何の用だ」
仏頂面の谷口に、フミヤはナツの住所が書かれた紙を差し出す。
「ナツさんのご住所です」
「……それがなんだ」
フミヤは正座し直して、谷口に頭を下げた。
「谷口さん。ナツさんへ手紙を書いてください」
「手紙?」
「そうです。我々が責任を持って、ナツさんへ届けますから」
「……いやだ」
「谷口さん!」
「俺はこんなこと頼んでない。お前等が勝手にやっただけだ」
「それは……そうですけど」
谷口はナツの住所をフミヤに突き返す。
「帰れ」
「待ってください。まだ話が」
「帰れ!警察呼ぶぞ」
谷口は頑なだった。
フミヤは引き下がる。
谷口の家を出ると、赤い傘が目に入った。
「桐崎……」
「その顔を見ると、失敗だったみたいですね」
「ああ……」
「行きましょう」
先に歩き出すカレンに、フミヤは問う。
「行くって、どこへ」
「旧郵便局です。私にいい考えがあります」
「考え?」
「いいから早く」
急かされるまま、フミヤはカレンの後に続く。
それから半月が経った。
旧結縁郵便局改め、結縁恋文郵便局が正式にお披露目される日の前日。
すっかり準備が整った郵便局の中で、フミヤは落ち着きなく歩き回っていた。
明日はテレビ局が取材に来る。
しかし、緊張の理由はそれだけではない。
「桐崎……ユイ……」
時計に目をやる。
カレンが出てから、もう2時間が経過していた。
「先輩!連れて来ました!」
カレンに引きずられて来たのは谷口だ。
説得に応じなかったのだろう。
家着にサンダル姿が、いかにも無理矢理連れて来られた事実を語る。
「何なんだ貴様等は!こんなことして、ただで済むと思うなよ!」
「すみません、谷口さん。どうしても今じゃないとダメなんです」
「何がだ!」
その時。
遠慮がちに入口の扉が開かれた。
「あの……」
品の良い老女が、そっと中の様子を窺っている。
「恋文郵便局は、こちらですか?」
「はい。そうです」
フミヤが答えると、老女は安堵の表情を浮かべて局内へと歩みを進める。
「良かった。無事に来られて」
「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」
カレンは老女をソファに案内して、すぐにお茶の用意をする。
「どうぞ」
状況がつかめず突っ立っている谷口にも、カレンはお茶を出した。
「すみませんでした、原田さん。ご足労おかけして」
フミヤに原田と呼ばれた老女は、笑顔で答える。
「いいのよ。来たいって言ったのは私なんだから」
「ありがとうございます。それで、手紙は」
「これなんだけど……何だか恥ずかしいわね」
老女が手にしていた手紙には、やけに幼い文字が並んでいた。
「この手紙にまつわるエピソードをお聞きしたいのですが」
「私、この町で小学生時代を過ごしてね。とても楽しかったのだけど、転校することになって」
カレンは老女の言葉を書き留めている。
「クラスメイト全員に手紙を書いて渡したんだけど、ひとりだけどうしても渡せない男の子が居てね」
「その男の子に渡せなかったのが、この手紙ですか」
「そうなの。谷口勇くん。みんなユウちゃんって呼んでたわ」
「なるほど」
何かを察して静かに郵便局を出ようとした谷口だったが、老女がそれに気づいた。
「あの。あなたも、出せなかった手紙を出しに来たの?」
「……出せなかった手紙?」
「そうなの。恋文郵便局のオープン記念企画らしくて。出しそびれた手紙を、相手に届けてくれるんですって」
老女の言葉を聞いた谷口は、フミヤとカレンを睨む。
「桐崎の企画なんです。いいと思いませんか?」
「とてもロマンチックで素敵よね」
「ありがとうございます」
「……俺には関係ない」
立ち去ろうとする谷口へ、フミヤは老女から受け取った手紙を差し出した。
「どうぞ。村田ナツさんからです」
一瞬、事情が飲み込めずに、老女は首を傾げる。
やがて全てを理解したのか、ソファからゆっくりと立ち上がった。
「……ユウちゃん?」
昔の呼び名で呼ばれた谷口。
老女……ナツの顔を見ることなく、出入口の扉へ手を掛けた。
「待って、ユウちゃん!」
「谷口さん!このままでいいんですか!?」
フミヤは谷口に歩み寄ると、預かっていたお守りを強引に手渡す。
「コレが捨てられなかったのは、ナツさんに伝えたい言葉があったからじゃないんですか」
「……知らん。こんなもの、俺は知らん!」
谷口が放り投げたお守りが、ナツの足下に落ちた。
ナツはそれを、静かに拾い上げる。
その表情は穏やかだった。
「……やっぱりユウちゃんだったのね」
「……やっぱり?ってことはナツさん、このお守りを盗んだ犯人、知ってたんですか?」
フミヤの質問にナツは頷く。
「何で……」
谷口は全てを知っていたナツが、何故黙って転校してしまったのか知りたかった。
「何でって……好きな子のことは、よく見てしまうものだから。ユウちゃんがこのお守りを隠す所も、見てしまったの」
「……好きな子?」
「今だから言うわね。私、ユウちゃんが好きだった」
「なっちゃん……」
谷口もまた、ナツを昔の呼び名で呼ぶ。
「好きだから、先生に言いつけることも出来なくてね。ユウちゃんに直接言う勇気もなくて。そうこうしてるうちに、転校することになってしまって。だからね。手紙に書いたの」
ナツはフミヤから自分の手紙を受け取ると、封筒から出して読み返し、苦笑する。
「ユウちゃん。私は居なくなるけど、お守りを見たら思い出してくれるかな。ですって」
60年前にナツが書いた手紙の通り、お守りは谷口にナツを思わせ続けた。
「こうしてまた逢わせてくれたのも、結縁さまかもしれないわね」
古ぼけたお守りを大切そうに撫でるナツ。
谷口はナツに駆け寄ると、深く頭を下げる。
「なっちゃん……悪かった!」
「ユウちゃん……」
「俺もなっちゃんが好きだった。だから、困らせたくなって……」
「わかってますよ。もう過ぎたことだから。怒ってないわ」
怒っていたら、ナツはここへは来なかっただろう。
「もしかしたらユウちゃんに逢えるかも、と思って来たの。ありがとうね。郵便局のお兄さんとお姉さん」
礼を言われて、フミヤもカレンもホッとしていた。
余計なお節介だ、とのお叱りも覚悟していたのだ。
「せっかくだから、懐かしい町を散策して行くわ」
ナツにとっては生まれ育った町。
今の閑散とした町は、ナツの目にどう映るだろうか。
「結縁さまにお礼も言いたいし。ユウちゃんも一緒に行きませんか?」
「……あぁ。仕方ないな」
「いってらっしゃい!」
60年越しのデート。
フミヤは満面の笑みで送り出す。
「ありがとな、桐崎。おまえのアイデアが無かったら、どうしようもなかった」
「どういたしまして」
「しかし、ナツさんが出せなかった手紙を持ってるって、何でわかったんだ?」
「大人の女性は、一通や二通ありますよ」
カレンはその可能性に賭けて、隣県で暮らしていたナツに連絡を取った。
その手紙だけでも、との考えだったが、本人が来てくれて助かった。
「手紙の相手が違う男だったらアウトでしたが」
「……だな」
「僕にもお礼を言って欲しいな」
いつの間にかソファに座っていたのはユイだ。
「ユイ。神社はいいのか?」
「神様は分身できるから大丈夫」
「お礼って……あなた何かした?」
カレンの容赦ないツッコミ。
ユイは屈しない。
「一度は切れた縁の糸。繋ぎ直したのは僕なんだけど」
「それって……」
「ナツを呼んだのは僕」
「違います。ナツさんを呼んだのは、私のアイデアですよ先輩」
「黙れ小娘」
「あなたこそ」
険悪な雰囲気になるカレンとユイ。
「まあまあ。上手く行ったんだからいいだろ?喧嘩すんなよ」
「先輩。先輩はどっちだと思いますか」
「そうだ。フミヤに決めてもらおう。カレンを取るか僕を取るか」
迫る美少女と美少年の迫力。
フミヤは後ずさりする。
「先輩!」
「フミヤ!」
「あー、もう!」
フミヤは両手を伸ばすと、カレンとユイの頭を撫でた。
「どっちもよく頑張った!」
フミヤの言葉に、カレンとユイは照れ笑いを浮かべる。
意外に可愛らしいところもあるな、とフミヤは嬉しくなった。
「明日からも頑張ってくれよ」
「あ!」
カレンが声を上げた。
「何だよ桐崎」
「明日のオープニングセレモニーの練習……してませんよ先輩!」
「あ……」
谷口とナツのことに気を取られて、失念していた。
「マズいぞ桐崎。俺、挨拶しなきゃいけないのに」
「私、段取り任されてたのに」
急に焦り出すフミヤとカレン。
ユイは大きなあくびをしている。
「人間って大変だね」
他人事なユイに、フミヤはすがりついた。
「頼むユイ……緊張しないように御利益をくれ!」
「僕、縁結びの神様なんだけど」
「先輩。そんな役立たずに頼っても時間の無駄です」
カレンの言葉に、ユイは頬をひきつらせて言う。
「……言ったな小娘。何がなんでも明日の式典は成功させてやるよ」
こうしてユイも協力して、恋文係は本格的に動き出した。
次の物語は、すぐそこに迫っていた。
≪つづく≫
その日もフミヤは、恋文係の拠点となる旧郵便局の建物を補修していた。
カレンはもちろん手伝わない。
ユイの力を借りるわけにも行かない。
フミヤは、古びた郵便局をたったひとりで見事に甦らせた。
流れる汗をタオルで拭う。
「岡本くん、おつかれ~」
背後から聞こえた声。
振り向けば局長の新藤ほなみが、ペットボトルのスポーツドリンクを手に微笑んでいた。
「調子はどうよ」
「見ての通り。疲れました」
「若いんだから、これくらいで弱音を吐かないの」
「はい」
局長は、すっかり綺麗にペンキが塗り直された室内を見渡す。
「上出来上出来。素人にしちゃ、よくやったわね」
「ありがとうございます」
「これならいつでもオープン出来そう」
「はい」
「式典は大々的にやるから。テレビ局も取材に来るから、よろしくね」
「え……」
そんな話は初耳だ。
ひっそりと始めるものだと思っていたのだが。
「町おこしなんだから、アピールするのは当然でしょ」
「俺、テレビなんか出たくないです」
「奇遇ね。私もよ」
「……そうですか」
局長にはかなわない。
フミヤは苦笑する。
旧郵便局の前には、昔懐かしい円筒型のポストが残されたままになっている。
そのポストも再び活躍することになるのだ。
中に溜まったゴミを片付けようと、フミヤはポストを開けてみる。
「……あれ」
投函口が塞がれて使えなくなっていたはずのポスト。
その中には、埃にまみれた茶封筒が1通、残されていた。
「どうしたの、岡本くん」
「局長、これ……」
「……あらら。誰が投函したのかね」
封筒には宛先が無い。
切手も貼られていなかった。
唯一書かれていた差出人の名前を見た局長が、何やら考え込んでいる。
「……局長?」
「これって、谷口さんのおじいちゃんの名前よね」
「谷口さん……あぁ、あの変わり者のじいさん」
「何かワケありっぽいわね」
そう言う局長の顔には、清々しい笑みが。
「局長。何か企んでます?」
「企んでるとは失礼な。はい」
「何ですか?」
「後は岡本くんに任せた」
局長はそう言うと、茶封筒をフミヤに押しつける。
「ちょっと待ってくださいよ。コレをどうしろって言うんですか」
「煮るなり焼くなり、ご自由に。じゃね」
そう言い残して、局長はさっさと去って行った。
後に残されたフミヤは、右手の封筒を見て途方に暮れる。
持ち主が判っているものを捨てる訳には行かず……。
結局フミヤは、それを自宅へと持ち帰っていた。
「……どうしたもんかな」
ひとりで悩んでいても答えは出ない。
かといって、カレンに相談しても無駄だろう。
燃やせ、と言われて終わりだ。
「あとはユイか……」
見た目は子供のユイだが、年齢は四桁らしいから、きっと良い知恵を貸してくれるはず。
「ユイ……居るか」
誰もいない空間に語りかけてみる。
室内は静まり返っていた。
「ユイ、ユイ!」
「うるさいな、聞こえてるよ」
背後の神棚。
小鳥の姿でユイは現れる。
フミヤに向かってパタパタと飛びながら、ユイは少年の姿に変化していた。
相変わらず麗しい。
「悪かったな、呼び出して」
「気にしなくていいよ。僕は神様だからね。呼び出されるのには慣れてる。で、なに」
フミヤは手にしている茶封筒をユイに渡す。
「これが旧郵便局のポストに入ってて」
「宛名がないけど」
「差出人はある」
「谷口勇……ああ、あの悪ガキか」
年齢が四桁のユイから見たら、70代の谷口は子供らしい。
「悪ガキだったのか?あのじいさん」
「僕の神社のお賽銭を盗んだりね」
「そりゃひどいな」
「でしょ!だから、これ捨ててもいい?」
ユイは茶封筒をゴミ箱へ入れようとする。
「ちょ、待て!」
「フミヤはどうしたいのさ」
「どうって……」
今更、谷口へ返しに行くのもためらわれる。
しかし、捨てるのも気分が悪い。
「迷ってるなら、相棒に聞いてみたら?」
「相棒?」
「なんだっけ。カレン?」
「……聞いても無駄だと思うけどな」
「そんなに悪い娘じゃないと思うけど」
ユイがカレンをそんな風に言うのは意外だった。
それが顔に出ていたらしい。
ユイは唇を尖らせる。
「なんか文句ある?」
「……いや。明日、桐崎に聞いてみるよ」
翌日。
フミヤは旧郵便局にカレンを呼び出した。
カレンも恋文係の一員。
そう思うことにした。
水色の自転車に乗ってカレンはやってくる。
すっかり綺麗に生まれ変わった旧郵便局の姿に、カレンは驚いていた。
「おお、桐崎」
ロビーの最終点検をしていたフミヤがカレンを出迎える。
「……これ、先輩がひとりでやったんですか?」
「まあな。素人にしちゃ、上手く補修しただろ?」
「そうですね」
「これから自分が働く場所だからな。少しでも快適にしたくて」
「そうですか。話って何ですか?手短にお願いします」
相変わらず素っ気ない。
愛想の良いカレンも怖い気がするが。
「ちょっと迷ってることがあってな。桐崎の意見が聞きたい」
「私の……?」
カレンは戸惑っていた。
今まで、誰かに頼りにされた経験が無い。
「そんな難しく考えなくていい。率直な意見が聞きたいんだ」
「はい」
フミヤは事の一部始終をカレンに聞かせた。
カレンも真剣に耳を傾けている。
「で。桐崎ならどうする」
「そうですね……」
少し思案してから、カレンは顔を上げた。
「本人に直接聞きます」
「直接?何て聞くんだ?」
「どういうつもりなのか」
「どういう?」
「宛名も切手もなくて、届けられるわけないじゃないですか。そんなこともわからないのかって聞きます」
「……桐崎らしい答えだな」
燃やせと言われなかったことに、フミヤは少し安心していた。
「先輩は、どうするつもりですか?」
「俺か?俺は……やっぱり谷口のじいさんに返した方がいいと思う」
「そうですか。じゃあ、行きましょう」
「え?」
「谷口さんに返しに行きましょう」
そう言うとカレンは、フミヤの手首を掴んで出口に向かい歩き出す。
その時だった。
扉のガラス向こうに人影が見えたのは。
何やら怪しい動きをする人影。
しかしカレンは、何の躊躇も無く扉を開ける。
「あ……」
思わず声を上げたのはフミヤだった。
そこには、今話していた谷口が居たのだ。
谷口はフミヤとカレンの姿を見るなり、逃げ出そうとする。
「あ……ちょっと、谷口さん!」
フミヤが声を掛けるのと同時に、カレンが走り出す。
あっと言う間に谷口に追いついたカレンは、その腕を掴んで捻り上げた。
「痛いっ!何をするんだ、この小娘が!」
「逃げ出すからです」
やっと追いついたフミヤは、すぐにカレンを制止する。
「すみません、谷口さん。大丈夫ですか?」
謝罪するフミヤと、ふてくされるカレンの顔を交互に見た谷口。
「お前等、確か郵便局の……」
「はい。岡本です。こっちは桐崎。桐崎が失礼をしました」
「何で郵便局の連中が、俺を追いかけて来るんだ」
「自分の胸に聞いてみたらどうですか」
「桐崎は黙れ。谷口さん。ちょっとお話が」
「話?」
フミヤはポケットから、例の茶封筒を取り出す。
それを見た谷口の顔色が変わった。
3人は改装が終わったばかりの旧郵便局へ戻り、作業台を椅子代わりに座る。
「……見つかっちまったか」
「ってことは、隠すつもりでポストの中にコレを?」
「捨てるに捨てられなくてな。家族の居る家にも置いておけないし」
「そこのポストなら見つからないと思ったんですか。浅はかですね」
カレンは目上の谷口にも容赦ない。
しかし谷口は怒ることもなく、逆に苦笑していた。
「中身とか……聞いてもいいですか」
すると谷口は、茶封筒の口を破いて中身を取り出して見せる。
それは、桃色の生地で作られた、可愛らしいお守りだった。
古びて色褪せてはいるが普通の、何の変哲もないお守りにしか見えない。
「……何で、これを隠したかったんですか?」
「これは俺が小学生の頃に、ある女の子から盗んだものでな」
「盗んだ……」
「最低ですね」
カレンはその愛らしい顔に軽蔑の表情を浮かべていた。
「そうだな。最低だった。彼女を傷つけてしまったことを、今でも悔やんでいるよ」
「確かに、お守りは捨てにくいですね」
「それだけじゃない。俺は彼女が好きだった。初恋の相手だ」
「初恋……」
「悔やむなら、その子に返せば良かったじゃないですか」
「返そうと思ったさ。だけど、出来なかった」
「何でですか?」
「彼女は遠くへ引っ越してしまったんだ」
郵送で返そうとも思ったが新しい住所も判らず、どうしようもなくなったのだと谷口は語る。
「……そうでしたか」
古ぼけた茶封筒に隠された谷口の気持ちを知ったフミヤ。
何が出来るか判らないが、このまま終わらせたくはなかった。
「谷口さん。その彼女の名前を教えて頂けませんか」
フミヤの眼差しは真剣だ。
谷口も、思わず口にする。
「ナツ……村田ナツちゃんだ」
「村田ナツさん、ですね」
「ご結婚されていれば、名字は変わってますよ先輩」
冷静なカレンの助言。
フミヤは素直に礼を言う。
「谷口さん。このお守りは、俺が責任を持ってお預かりします」
「……あぁ」
「必ずナツさんを見つけだしますから」
「見つけてどうするんだ?」
「コレを返して、謝りましょう」
「今更……そんなことされても、彼女も困るだろ」
困惑する谷口に、カレンは言い放った。
「返さなかったら、地獄へ落ちますよ」
「地獄……?」
「当然でしょう。泥棒は犯罪です」
「桐崎。あまり脅すな。谷口さん。とにかく俺たちに任せてください」
「……あぁ」
谷口は納得行かない様子だったが、一応は頭を下げて、自宅へと帰って行った。
「……で。これからどうするつもりですか、先輩」
「とりあえず、ナツさんの引っ越し先の住所を調べる」
「60年くらい前の話ですよ。記録が残ってるかどうか」
「ダメなら神頼みだ」
「神頼み?そんな非現実的な方法で見つかるとでも?」
呆れるカレンに、ユイを紹介すべきかフミヤは迷う。
「桐崎は、神様とか信じないよな」
「当然です。神様なんか居ません」
「そうか……」
今は紹介する時ではないようだ。
フミヤはお守りをもう一度、確認する。
「これ……」
そのお守りには、『結縁神社』の文字が。
ユイの神社の名前だ。
フミヤは駆けだしていた。
「先輩!どこ行くんですか?」
「悪い、桐崎。すぐに戻るから!」
フミヤは旧郵便局近くにある、廃線になった電車の駅の建物に駆け込む。
「ユイ、ユイ!」
「はいはい、なに」
いつの間にか、待合室のベンチにユイが座っている。
フミヤも隣に腰掛けて、手の中のお守りを差し出した。
「ユイ、このお守り。お前の神社のだよな」
「うわ、懐かしい。どうしたのコレ」
「誰が買ったか覚えてるか?」
「無茶言うね。いくら神様でも、そこまでは」
「……そうか。そうだよな」
手懸かりを無くしたフミヤはうなだれる。
そんなフミヤの顔を、ユイは下からのぞき込んだ。
「……なんだよ、ユイ」
「別に」
「顔がにやけてるぞ。人が落ち込んでるのが、そんなに面白いか?」
「人間って見てて飽きないよね」
「何だそれ……」
「このお守り。誰の?」
「あぁ……。60年くらい前に、この町に住んでた、村田ナツさんって女性のだ」
「ふーん」
「何か思い出せないか?何でもいいから」
「フミヤはナツを探してるの?」
「あぁ。探し出して、このお守りを返したい」
「なんのために?」
「何のって……谷口のじいさんのためだ。今のままじゃ、じいさんは死んでも死にきれない」
「なるほど。わかった」
ユイはベンチから立ち上がる。
「ちょっと出雲まで行ってくるよ」
「……出雲?何しに」
「出雲には、日本人全てのデータが集まってる。ナツのことも、なにかわかるかもしれない」
「……ユイ」
ジッと見つめて来るフミヤに、ユイは居心地悪そうに目を逸らす。
「ありがとな!」
フミヤは思わずユイを抱き締めていた。
抵抗されるのを覚悟していたが、意外にもユイは大人しかった。
「……ユイ?」
逆に怖くなってユイの顔を確認すれば、何故か涙を浮かべている。
「え……ユイ?ごめん、悪かった!」
訳も判らず謝るフミヤだったが、ユイは無言で背を向けると、鳥の姿になって待合室を飛び出して行ってしまった。
残されたフミヤ。
しばらく呆然としていたが、旧郵便局にカレンを残したままであることを思い出し、慌てて戻る。
「悪い、桐崎!」
「先輩。どこ行ってたんですか」
「ちょっとな」
カレンは無表情のまま、フミヤへと歩み寄って来た。
そして、おもむろに手を伸ばす。
「……桐崎?」
「羽。肩についてましたよ」
カレンが指先で摘んでいたのは、真っ白な鳥の羽だった。
「あぁ、ありがとうな」
「どういたしまして」
羽を手渡されたフミヤは、恐る恐るカレンに問う。
「桐崎は……鳥は好きか?」
「食べるのは好きです」
「……そうか」
思わず、カレンに焼き鳥にされるユイを想像してしまった。
(これは、2人を逢わせない方が良さそうだな……)
フミヤとカレンは力を合わせて、室内の細部まで磨き上げた。
作業がひと段落した頃、外から扉が開かれる。
「ただいま~」
疲れはてた様子のユイが、少年の姿でフラフラと局内に入って来た。
「……ユイ!」
まさか、こんなに早く帰って来るとは。
神様なのだから、瞬間移動が出来ても不思議ではないのだが。
「先輩。知り合いですか?」
白髪で着物姿のユイを、カレンは訝しく思っているようだ。
「あ……えっと……」
「フミヤ……僕のこと、カレンに話してないの?」
「……うん」
ユイの視線はフミヤを責めていた。
そんな2人の様子に、カレンは何かを察する。
「先輩の家に住む、座敷わらしとかですか」
カレンは真顔だ。
冷静で毒舌なカレンの意外な一面を見た。
「座敷わらしと一緒にしないでよ。僕は神様。この町の氏神」
「神様……?」
「結縁神社の神様」
「ああ、あのボロい神社の」
カレンの言葉で、ユイは明らかに機嫌を悪くした。
「好きであんなところに住んでるんじゃない。町の人間が手入れをしてくれないから」
「あんなところに独りで、寂しくないの?」
カレンはまた、意外な言葉を発した。
フミヤもそこまで思い至らなかったが、確かにあの神社に一人きりは寂しいだろう。
注目されたユイは、小さな唇を僅かに歪ませた。
「……寂しいなんて感情は、神様には無いね」
「そう。ならいいけど」
「フミヤ、これ」
そう言ってユイがフミヤの胸元に、三つに折り畳まれた紙を押しつける。
「なんだ、これ」
「住所だよ住所!フミヤが僕に頼んだんだろ?もう忘れたの」
「住所って……ナツさんの?」
「他に誰の住所が?」
「すごいな……さすがは神様」
「僕に手伝えるのはここまで。後はフミヤとカレンがどうにかしてよ」
それだけ言い残すと、ユイは小鳥の姿で郵便局を飛び出して行ってしまう。
目の前でそれを見せられては、カレンもユイが神様だと認めるしかなかった。
「先輩……。神様っているんですね」
「ああ。俺も最初は信じられなかったけどな」
「ナツさんの住所はわかりましたが……。後はどうしますか」
「谷口のじいさんに手紙を書いてもらう」
「書きますかね。素直に」
「……そこが問題だ」
翌日。
小雨の降る中、フミヤは谷口の家を訪ねていた。
谷口の妻は数ヶ月前に他界している。
子供たちも町を出ていて、今は谷口ひとりで暮らしていた。
「茶くらいしか出せんぞ」
「お構いなく」
「今日は何の用だ」
仏頂面の谷口に、フミヤはナツの住所が書かれた紙を差し出す。
「ナツさんのご住所です」
「……それがなんだ」
フミヤは正座し直して、谷口に頭を下げた。
「谷口さん。ナツさんへ手紙を書いてください」
「手紙?」
「そうです。我々が責任を持って、ナツさんへ届けますから」
「……いやだ」
「谷口さん!」
「俺はこんなこと頼んでない。お前等が勝手にやっただけだ」
「それは……そうですけど」
谷口はナツの住所をフミヤに突き返す。
「帰れ」
「待ってください。まだ話が」
「帰れ!警察呼ぶぞ」
谷口は頑なだった。
フミヤは引き下がる。
谷口の家を出ると、赤い傘が目に入った。
「桐崎……」
「その顔を見ると、失敗だったみたいですね」
「ああ……」
「行きましょう」
先に歩き出すカレンに、フミヤは問う。
「行くって、どこへ」
「旧郵便局です。私にいい考えがあります」
「考え?」
「いいから早く」
急かされるまま、フミヤはカレンの後に続く。
それから半月が経った。
旧結縁郵便局改め、結縁恋文郵便局が正式にお披露目される日の前日。
すっかり準備が整った郵便局の中で、フミヤは落ち着きなく歩き回っていた。
明日はテレビ局が取材に来る。
しかし、緊張の理由はそれだけではない。
「桐崎……ユイ……」
時計に目をやる。
カレンが出てから、もう2時間が経過していた。
「先輩!連れて来ました!」
カレンに引きずられて来たのは谷口だ。
説得に応じなかったのだろう。
家着にサンダル姿が、いかにも無理矢理連れて来られた事実を語る。
「何なんだ貴様等は!こんなことして、ただで済むと思うなよ!」
「すみません、谷口さん。どうしても今じゃないとダメなんです」
「何がだ!」
その時。
遠慮がちに入口の扉が開かれた。
「あの……」
品の良い老女が、そっと中の様子を窺っている。
「恋文郵便局は、こちらですか?」
「はい。そうです」
フミヤが答えると、老女は安堵の表情を浮かべて局内へと歩みを進める。
「良かった。無事に来られて」
「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ」
カレンは老女をソファに案内して、すぐにお茶の用意をする。
「どうぞ」
状況がつかめず突っ立っている谷口にも、カレンはお茶を出した。
「すみませんでした、原田さん。ご足労おかけして」
フミヤに原田と呼ばれた老女は、笑顔で答える。
「いいのよ。来たいって言ったのは私なんだから」
「ありがとうございます。それで、手紙は」
「これなんだけど……何だか恥ずかしいわね」
老女が手にしていた手紙には、やけに幼い文字が並んでいた。
「この手紙にまつわるエピソードをお聞きしたいのですが」
「私、この町で小学生時代を過ごしてね。とても楽しかったのだけど、転校することになって」
カレンは老女の言葉を書き留めている。
「クラスメイト全員に手紙を書いて渡したんだけど、ひとりだけどうしても渡せない男の子が居てね」
「その男の子に渡せなかったのが、この手紙ですか」
「そうなの。谷口勇くん。みんなユウちゃんって呼んでたわ」
「なるほど」
何かを察して静かに郵便局を出ようとした谷口だったが、老女がそれに気づいた。
「あの。あなたも、出せなかった手紙を出しに来たの?」
「……出せなかった手紙?」
「そうなの。恋文郵便局のオープン記念企画らしくて。出しそびれた手紙を、相手に届けてくれるんですって」
老女の言葉を聞いた谷口は、フミヤとカレンを睨む。
「桐崎の企画なんです。いいと思いませんか?」
「とてもロマンチックで素敵よね」
「ありがとうございます」
「……俺には関係ない」
立ち去ろうとする谷口へ、フミヤは老女から受け取った手紙を差し出した。
「どうぞ。村田ナツさんからです」
一瞬、事情が飲み込めずに、老女は首を傾げる。
やがて全てを理解したのか、ソファからゆっくりと立ち上がった。
「……ユウちゃん?」
昔の呼び名で呼ばれた谷口。
老女……ナツの顔を見ることなく、出入口の扉へ手を掛けた。
「待って、ユウちゃん!」
「谷口さん!このままでいいんですか!?」
フミヤは谷口に歩み寄ると、預かっていたお守りを強引に手渡す。
「コレが捨てられなかったのは、ナツさんに伝えたい言葉があったからじゃないんですか」
「……知らん。こんなもの、俺は知らん!」
谷口が放り投げたお守りが、ナツの足下に落ちた。
ナツはそれを、静かに拾い上げる。
その表情は穏やかだった。
「……やっぱりユウちゃんだったのね」
「……やっぱり?ってことはナツさん、このお守りを盗んだ犯人、知ってたんですか?」
フミヤの質問にナツは頷く。
「何で……」
谷口は全てを知っていたナツが、何故黙って転校してしまったのか知りたかった。
「何でって……好きな子のことは、よく見てしまうものだから。ユウちゃんがこのお守りを隠す所も、見てしまったの」
「……好きな子?」
「今だから言うわね。私、ユウちゃんが好きだった」
「なっちゃん……」
谷口もまた、ナツを昔の呼び名で呼ぶ。
「好きだから、先生に言いつけることも出来なくてね。ユウちゃんに直接言う勇気もなくて。そうこうしてるうちに、転校することになってしまって。だからね。手紙に書いたの」
ナツはフミヤから自分の手紙を受け取ると、封筒から出して読み返し、苦笑する。
「ユウちゃん。私は居なくなるけど、お守りを見たら思い出してくれるかな。ですって」
60年前にナツが書いた手紙の通り、お守りは谷口にナツを思わせ続けた。
「こうしてまた逢わせてくれたのも、結縁さまかもしれないわね」
古ぼけたお守りを大切そうに撫でるナツ。
谷口はナツに駆け寄ると、深く頭を下げる。
「なっちゃん……悪かった!」
「ユウちゃん……」
「俺もなっちゃんが好きだった。だから、困らせたくなって……」
「わかってますよ。もう過ぎたことだから。怒ってないわ」
怒っていたら、ナツはここへは来なかっただろう。
「もしかしたらユウちゃんに逢えるかも、と思って来たの。ありがとうね。郵便局のお兄さんとお姉さん」
礼を言われて、フミヤもカレンもホッとしていた。
余計なお節介だ、とのお叱りも覚悟していたのだ。
「せっかくだから、懐かしい町を散策して行くわ」
ナツにとっては生まれ育った町。
今の閑散とした町は、ナツの目にどう映るだろうか。
「結縁さまにお礼も言いたいし。ユウちゃんも一緒に行きませんか?」
「……あぁ。仕方ないな」
「いってらっしゃい!」
60年越しのデート。
フミヤは満面の笑みで送り出す。
「ありがとな、桐崎。おまえのアイデアが無かったら、どうしようもなかった」
「どういたしまして」
「しかし、ナツさんが出せなかった手紙を持ってるって、何でわかったんだ?」
「大人の女性は、一通や二通ありますよ」
カレンはその可能性に賭けて、隣県で暮らしていたナツに連絡を取った。
その手紙だけでも、との考えだったが、本人が来てくれて助かった。
「手紙の相手が違う男だったらアウトでしたが」
「……だな」
「僕にもお礼を言って欲しいな」
いつの間にかソファに座っていたのはユイだ。
「ユイ。神社はいいのか?」
「神様は分身できるから大丈夫」
「お礼って……あなた何かした?」
カレンの容赦ないツッコミ。
ユイは屈しない。
「一度は切れた縁の糸。繋ぎ直したのは僕なんだけど」
「それって……」
「ナツを呼んだのは僕」
「違います。ナツさんを呼んだのは、私のアイデアですよ先輩」
「黙れ小娘」
「あなたこそ」
険悪な雰囲気になるカレンとユイ。
「まあまあ。上手く行ったんだからいいだろ?喧嘩すんなよ」
「先輩。先輩はどっちだと思いますか」
「そうだ。フミヤに決めてもらおう。カレンを取るか僕を取るか」
迫る美少女と美少年の迫力。
フミヤは後ずさりする。
「先輩!」
「フミヤ!」
「あー、もう!」
フミヤは両手を伸ばすと、カレンとユイの頭を撫でた。
「どっちもよく頑張った!」
フミヤの言葉に、カレンとユイは照れ笑いを浮かべる。
意外に可愛らしいところもあるな、とフミヤは嬉しくなった。
「明日からも頑張ってくれよ」
「あ!」
カレンが声を上げた。
「何だよ桐崎」
「明日のオープニングセレモニーの練習……してませんよ先輩!」
「あ……」
谷口とナツのことに気を取られて、失念していた。
「マズいぞ桐崎。俺、挨拶しなきゃいけないのに」
「私、段取り任されてたのに」
急に焦り出すフミヤとカレン。
ユイは大きなあくびをしている。
「人間って大変だね」
他人事なユイに、フミヤはすがりついた。
「頼むユイ……緊張しないように御利益をくれ!」
「僕、縁結びの神様なんだけど」
「先輩。そんな役立たずに頼っても時間の無駄です」
カレンの言葉に、ユイは頬をひきつらせて言う。
「……言ったな小娘。何がなんでも明日の式典は成功させてやるよ」
こうしてユイも協力して、恋文係は本格的に動き出した。
次の物語は、すぐそこに迫っていた。
≪つづく≫
「現代ドラマ」の人気作品
-
-
357
-
266
-
-
207
-
139
-
-
159
-
142
-
-
139
-
71
-
-
137
-
123
-
-
111
-
9
-
-
38
-
13
-
-
28
-
42
-
-
28
-
8
コメント