結縁町恋文郵便局

穂紬きみ

001「恋文係の、2人と1柱。」

縁結び。
日本では八百万の神々が神無月に出雲へ集い、結ばれる男女を決めるという。

人間の身でありながら、その縁結びをしたがる者も、少なからず居るものだ。

多くが『余計なお世話』なのだが。


山間の小さな町・結縁ゆいえん
コンビニも大手スーパーも無い、いわゆる田舎町だ。

豊富なのは自然と湧き水だけ。
若者の流出に歯止めがかからず、人口は減少する一方である。

この事態を重く見た町役場は、地名に目をつけた。

結縁。

確か町外れの山の中にある古びた神社には、縁結びの御利益があったはず。

縁結び。

結婚するには恋愛が必要だ。

恋愛。

恋愛をするには相手に好意を伝えなければならない。

手紙。

手紙と言えば郵便局。
幸い、結縁町には小さな郵便局があった。

その、結縁郵便局。
新緑の隙間から西日が差し込む局長室。
ひとりの青年局員が、女性局長に呼び出されていた。

「こいぶみがかり?」

「そう、恋文係。素敵だと思わない?岡本くん」

乙女のように瞳を輝かせる局長に、岡本文弥(フミヤ)は「はあ」と曖昧に返答する。

「ノリが悪いわね。最近の若者は。岡本くんって悟り世代?」

「いきなり呼び出されて『恋文係』とか意味不明なこと言われても、普通は反応に困ります」

「それもそうか」

「それで何なんですか?その『恋文係』って」

「町おこしの一環でね。ほら、ここって『結縁町』でしょ?結ぶ縁って書いて」

「はい」

「だから『縁結び』をしてしまおう!って話になってね」

「はい」

「郵便局に、恋文を専門に扱う係を作ることになったの」

「それと俺に、何の関係があるんですか?」

自慢ではないが、フミヤは恋愛とは縁の無い人生を歩んで来た。
全く関係が見いだせない。


「鈍いわね」

「よく言われます。『だからオマエはモテないんだ』って」

「そんな朴念仁な岡本くんに、恋文係を任せたいんだけど」

「……は?」

寝耳に水とは、まさにこの事。
理解不能な人事に、フミヤは戸惑う。

「何で俺なんですか?」

「だって、この局の男性で独身なの岡本くんだけだし」

確かに、他に数名居る男性局員は全て既婚者だ。

「いや、でも。結婚してる人の方が、経験豊富でいいんじゃないですか?」

「既婚者はリアルタイムで恋愛出来ないから。恋する気持ちがわからないでしょ」

「俺だってリアルタイムで恋愛してないです」

「ちゃんと場所も助手も用意するから……やりなさい」

局長の有無を言わさぬ迫力に、フミヤは「はい」としか言えなかった。

「じゃ、コレが恋文係の事務所のキーね」

そう言って局長がフミヤに手渡したのは、やけに古ぼけた鍵。
不安げに受け取るフミヤだったが、局長は全く気にしていない。

「岡本くん、前に使われてた郵便局ってわかるよね」

現在の郵便局は昭和の後半に建てられたものだ。
以前は、もう少し町外れにあったことをフミヤも知っている。

「ああ、はい。確か明治だか大正だかに造られた、洋風のボロい建物……って、もしかして、この鍵」

「そう。そのボロい建物の鍵」

「……マジですか?」

「マジですよ。まず建物の修繕からお願いね」

「俺、大工じゃないんですけど」

「知ってる」


「知ってるって……」

「それから、助手なんだけど」

「はい。優秀な奴で頼みます」

これ以上、負担を増やされたくはない。
フミヤは局長に念を押す。

「失礼します。何ですか局長。話って」

「おお、桐崎ちゃん。いらっしゃい」

局長室に入って来たのは、今年入ったばかりの新人女子局員・桐崎華恋(カレン)だ。
彼女は名前負けしないだけの素晴らしい容姿を持っているのだが……。

「その『桐崎ちゃん』って呼び方、止めて貰えますか。不愉快です」

局長相手に、この口振り。
何かと問題が多く、あちこちの課をたらい回しにされている。

「……局長。まさか助手って」

青ざめるフミヤに、局長は笑って手を振った。

「まあ、後は若いふたりにお任せってことで」

「見合いじゃないんですから!」

「恋文係の始動は1ヶ月後だから。しっかり頼むわよ!」

局長室から廊下に追い出されてしまったフミヤとカレンは、顔を見合わせる。

まともに口を効いたこともないふたりだ。
沈黙が流れる。

(参ったな……)

先輩として、フミヤがリードすべきなのは理解していた。
しかし、7つも年下の女の子に、どう接するべきか悩む。

先に口を開いたのはカレンだった。

「先輩。どういうことですか」

「どういうって……俺もまだ頭が混乱してて、何が何だが」

「恋文係、って何ですか」

「恋文を専門に扱う係らしいけど……」

「恋文?」

若いカレンには、ピンと来ない。


「ああ、ラブレターのことだ」

「ラブレター……」

「桐崎は、そういうの得意か?」

「くだらない、と思います」

清々しいくらいにバッサリ斬り捨てるカレン。
フミヤは苦笑いする。

「俺もくだらないとは思う」

「じゃあ、局長に文句言って来ます」

そう言って局長室のドアノブに伸ばされたカレンの手を、フミヤは掴む。

「放してください」

「止めとけ。役場からの指示らしいし、局長は悪くない」

「じゃあ、役場に文句を」

「それも止めとけ」

「何でですか?」

「みんな必死なんだよ。この町を守る為に」

違う町で生まれ育ったフミヤだったが、初めて配属された、この結縁町にも愛着があった。

「……くだらない」

「桐崎も、きっと好きになるって。この町が」

「なりません。失礼します」

そう言い捨てて一礼をしてから、カレンは早足で職場へと戻って行く。

「……若いね」

そんなカレンの後ろ姿を見送るフミヤは、この郵便局に配属されたばかりの頃の自分を思い出していた。

まだ18歳。
外務希望が、何故か内務に振り分けられ、その上コンビニも無い田舎町勤務。

腐っていたフミヤに、仕事の楽しさを教えてくれたのは局長だった。

局長に恩返しがしたい。

終業のチャイムを聴いたフミヤの足は自然に、旧郵便局へと向いていた。


バイクを走らせて、僅か5分。
今は廃線となったローカル線の駅舎の近くに、旧郵便局は在った。

左右対象に造られた木造二階建て。
風景に馴染むパステルグリーンの外壁。
レトロモダンなデザインの小さな建物。
保存状態は、お世辞にも良いとは言えない。

寂れた旧駅前通りには、日中でも人影は無い。
夕方なら尚更だ。
フミヤは敷地の前で静かにバイクのエンジンを切る。

伸び始めた雑草が行く手を阻むが、フミヤは真っ直ぐに入口へと向かった。

ポケットから、古ぼけた鍵を取り出す。

同じく古ぼけた錠前に差し込むと、意外なほどスムーズに解除された。

入口の観音開きのドアを引いてみる。
錆び付いた蝶番が不快な音を立てた。

静まり返った室内。
砂埃と蜘蛛の巣が、時の流れを語っている。

恐る恐る中に踏み込んだ。
幸い、床に傷みは見られない。

見上げた吹き抜けの天井にも、雨漏りは無さそうだ。

これなら、掃除とペンキの塗り替えくらいで済むだろう。
フミヤは安堵する。

「……ん?」

何かが視界に入った。
目の前をフワフワと舞っていたのは、白い羽毛だった。

「鳥でも住み着いてるのか?」

頭上に視線を向ければ、二階の手すりで向こう向きに腰掛ける真っ白な人影。

ここは、人が居るはずのない廃屋だ。
背筋が寒くなった。


幽霊か?とも思ったが、それにしてはクッキリ見える。

大きさからして子供だろう。
もしかしたら、近所の子供が入り込んだのかもしれない。

「おーい。そんな所に座ったら危ないぞ」

フミヤの声が聞こえないのか。
子供は向こうを向いたままだ。

「ったく。シカトかよ」

苛立つフミヤだったが、次の瞬間。
子供の身体が後ろに大きく傾いた。

「っ!」

考える間もなくフミヤは動く。
冷静に考えれば、落下して来る子供を受け止めるなど無謀なのだが。

案の定、フミヤは下敷きになった。
身体のあちこちに痛みが走る。

ようやく起き上がると、身体の上に子供の姿は無かった。
確かに衝撃はあったのに。

狐につままれた気分で立ち上がる。
と、何かが床に転げ落ちた。

それは、白くて丸くてフワフワとした物体だった。

そっと拾い上げてみる。
両手にすっぽりと収まるそれは。

「……小鳥?」

小さな頭に長い尻尾。
色は真っ白だが、形はセキレイのように見えた。

目を閉じたまま、死んだように動かない小鳥を、どうするべきか迷う。

この町には動物病院は無い。
かといって、放置するのもためらわれた。

少し考えて、フミヤは外に出る。
制服の懐に、小鳥を忍ばせて。


郵便局に戻って私服に着替えたフミヤは、すぐに自宅へと向かった。

結縁町の郵便局で借り上げている、平屋の小さな古民家。
室内は今風にリフォーム済みである。

男性独身者の寮なのだが、現在はフミヤの一人暮らし状態だ。

帰宅すると、すぐに居間のコタツでノートパソコンを開く。
目当ては小鳥の世話の仕方が載ったホームページだ。

膝の上でタオルに包まれた小鳥は、相変わらず動かない。
鼓動は確かにある。
寝ているだけだろうか。

あちこちのページを行き来しているうちに、仕事の疲れが出たのか睡魔が襲った。

しばらくは我慢して作業していたフミヤだったが、さすがに吐き気までして来たらかなわない。

何とかパソコンの電源を切ってから、コタツで仰向けに倒れる。

小鳥は心配だったが、フミヤはすぐに意識を手放してしまった。


やがてフミヤは、異常な重圧で意識を取り戻す。
カーテンが開けっ放しの窓から差し込む朝日が眩しい。

ぼんやりとした視界に、白く輝く何かが映った。
それが、この息苦しさの原因だ。

唯一、自由に動く右手で、それに触れてみる。

やけに柔らかく、滑らかで温かい感触。
それはまるで、人間の頬のようだった。

「っ!?」

飛び起きたフミヤの胸の上。
そこには、見知らぬ少女が横たわっていた。


年齢は12、3歳だろうか。
まるで人形のように整った顔立ち。

何故、此処に居るのだろうか。
全く記憶が無い。

フミヤの全身から冷や汗が吹き出す。
下手をしたら犯罪者だ。
未成年者なんたら、とかいう罪に問われる。

頭を抱えるフミヤの上で、少女は目を開いた。

その瞳は赤い。

「……カラコンか?」

「キミの目は節穴?」

少女の第一声が、それだった。
絶句するフミヤに向かい、少女は続ける。

「庶民は発想も貧困だね」

何だかよく判らないが、バカにされていることだけは理解出来た。

「……あのな。おまえ何様だ?」

「神様」

「……ふざけんなよ」

「ふざけてないよ」

確かに少女は、神様の名に相応しい容姿と品格を持ち合わせている。

真っ白な長い髪。
内から光を放つような白い肌。
服装は古めかしい純白の着物だ。

「……この際、おまえが神様でも頭の可哀想なコスプレイヤーでもどっちでもいい。まず、何で此処に居るか教えろ」

「恩返し」

「恩返し?……俺にか?」

「そう」

フミヤに心当たりは無い。
新手の詐欺だろうか。

「そういうの要らないから、帰れ」

「返品不可」

「……悪質な業者かよ。受取拒否だ」

「そう言わずにさ。有り難く貰ってよ」

少女が妖艶に微笑む。
フミヤは思わず唾を飲み込んだ。

少しつり上がった大きな瞳。
形の良い艶やかな唇。
そして何より、声が美しい。

こんなに魅力的な少女は見たことがない。


神様というのも、あながち嘘ではないのかもしれない。

「くれるって……何を」

「何がいい?キミに決めさせてあげる」

「何って……」

真っ直ぐに見上げて来る少女を直視出来ない。
よこしまな心が見透かされている気がした。

「いや……何も要らない」

「欲が無い男は退屈だよ」

「何とでも言え」

とりあえず、危機は回避出来た。
フミヤはホッとするが、少女は更に続ける。

「キミは独身だよね」

「それが何だ」

「好きな子、居ないの?」

「……は?何だよ急に」

上手くはぐらかそうと、不自然に視線を逸らすフミヤ。
その両頬が少女の手で挟まれる。

「居ないの?」

赤い瞳で真っ直ぐに見据えられて問われては、言い逃れ出来ない。

「……居ない」

フミヤの返答に対し、少女は手を放して大きな溜め息をつく。

「寂しい人生だね」

「余計なお世話だ」

「じゃあ、好みのタイプは?」

「だから……何でおまえにそんなこと話さなきゃなんない」

「少子化対策」

「……意味がわからん」

彼女は、ただの残念な少女かもしれない。
そう思い始めたフミヤだったが。

「町を救うために縁結びしないと」

「……縁結び?」

「僕、縁結びの神様だから」

「僕って、おまえ……僕っ娘か?」

「なにそれ」

「自分のことを『僕』っていう女の子のことだ」

すると少女は明らかに機嫌を損ねた。
唇を尖らせて、少女は低く呟く。

「僕、男だけど」

「……は?」

「男。お・と・こ!」

それは凄まじい衝撃だった。
たとえ一瞬でも、同性に欲情してしまったのだ。
フミヤの自尊心が揺らぐ。

そんなフミヤの気持ちなどお構いなしに、少女のような少年は続けた。


「キミって不健全だよね」

「ふ……不健全?どこがだよ」

まさか、やましい心が見抜かれたのだろうか。
背中を冷や汗が伝う。

「毎日毎日、職場と家の往復しかしてないでしょ」

「それのどこが不健全だ」

「最後に恋をしたのは、いつ?」

「……中学……いや、小学生?」

「……終わってる」

「悪かったな」

「そんなんで『恋文係』なんか務まるの?」

少年の口から出たのは、まだ役場と郵便局の人間しか知らないはずの事実。

「なんで……」

「言ったでしょ?僕は神様だって。役場の人間が久々に僕の社に来て、一生懸命お祈りしてたから。『恋文係が成功しますように』って。その前に社の修繕とか掃除をして貰いたいんだけど」

「本当に……神様なのか?」

「何回言ったら信じるの」

「何で神様が俺の上で寝てる」

「昨日、古い郵便局で何か拾って帰った覚えない?」

フミヤは記憶をたどる。

「そうだ……鳥。真っ白な小鳥」

「正解。あれが僕でした」

「何で……鳥?縁結びの神様なんだろ?」

「僕は縁結びの総本山である出雲大社にまします、大国主神さまの眷属だから」

「……けんぞく?」

「出雲大社の神様の使いは海蛇だけど、セキレイって説もあるの」

「……へ~」

正直、フミヤは半分も理解していなかった。
一般男性の神社や神様への関心など、その程度なのだ。


「あの古い郵便局が恋文係の本拠地になるって言うから、ちょっと遊びに行ったら、キミが来て」

「……そうだ。何で二階から落ちて来たんだ?神様のくせに」

おかげでフミヤは下敷きになったのだ。
文句を言わなければ気が済まない。

「試してみようと思ってさ」

「何を」

「キミが、恋文係にふさわしい人間か」

「つまり……おまえはわざと落ちてわざと拾われて、俺をテストするために此処に居るわけか?」

「御名答」

全て仕組まれていたのは腹立たしいが、ここで怒るのも大人気ない。
フミヤは堪える。

「で、テストの結果は」

「ギリギリ合格」

「……何でギリギリ」

あんなに頑張ったのに、その結果は不本意だ。

「キミは恋を軽んじてる」

そこを突かれたら、フミヤも反論出来なかった。

「男としての魅力にも欠ける」

「いや待て。それは関係ないだろ」

「でも人間的には素晴らしい。見知らぬ相手のために必死になれる人間は少なくなってるのに、キミはバカみたいに僕を助けた」

「全く誉められてる気がしないのは気のせいか?」

「気のせいだよ。そんなこんなでプラマイゼロ」

「プラマイゼロでギリギリ合格って。えらく厳しいテストだな」

「ギリギリでも合格なんだから、文句言わない」

そこでようやく、少年はフミヤの上から降りた。
身体が軽くなる。


フミヤも起き上がり、少年と向き合った。

胡座あぐらをかいて座る姿も、少年は少女のように可憐だ。
悪戯な表情も愛らしい。

「気に入ったよ」

「……何が?」

「キミのことが。だから、恋文係に力を貸してあげる」

「力?」

「縁結びの力」

それはとても有り難い申し出だったが、フミヤは深読みしてしまう。

「それって、見返りとか要求されないよな?」

「……神様舐めてるの?悪魔と一緒にしないでよ。ボランティアだよボランティア」

「そうか。それなら頼む」

「この町がこんな風になった責任、僕にもあるからね」

「……そうなのか?」

少年の表情が陰る。
それ以上の追求は、して欲しくないのだろう。
フミヤもそこまで鈍くはない。

「おまえの力を借りたい時は、どうしたらいい」

「必要な時は名前を呼んで。僕は町のみんなから『結縁さま』って呼ばれてるけど、結(ユイ)でいいや。キミの名前は?」

「岡本文弥。フミヤでいい」

「よろしく、フミヤ」

差し出された白く小さな手を、フミヤは握り返す。

頼りない感触。
守りたくなる。

そんなことをユイに言ったら、また機嫌を悪くしそうなので止めた。

フミヤ、カレン、そしてユイ。
2人と1柱が集まり、恋文係は始動に向けて動き出す。

それは、小さな奇跡の始まりだった。


【つづく】 

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