Lively White

夙多史

Lively White

 妖怪ほわいとでえ。
 二月十四日に女性からチョコレートを貰った男性に取り憑き、一ヶ月後の三月十四日に三倍返しを強制する恐怖の怪物である。
 その恐ろしさは三倍返しが最低限のマナーってところだ。中には千円もしないチョコレートにお値段五ケタの時計やらアクセサリーやらで返させるから一般高校生のお財布事情的にとっても優しくない。たぶん貧乏神の亜種かなんかだ。新幹線カードでも振り切れない。
 冗談はさておき。
 遡ればローマ帝国時代にまで辿り着くバレンタインデーはともかく、ホワイトデーの歴史は昭和だ。それも日本の菓子業界が「お返しの日を作ったらどうだネ? 売れるネ」と画策して生まれたもんだからロマンもなにもあったもんじゃない。
 いや別に否定するつもりはないんだ。寧ろ貰ったらお礼するのは当然だと俺は思っている。
 だから貰わないのが一番。たとえ義理でも三倍返しルールは発生するわけで、クラスの女子数人から貰っただけでもう俺の財布は乾燥地帯。よって貰わない。貰いたくない。べ、別に貰えないから僻んでるわけじゃないんだからね! 気持ち悪いから脳内ツンデレはやめましょう。
 バレンタインデー当日に風邪をこじらせて学校を休んだ俺は、本来なら家族以外からは貰えるはずがなかったんだ。まあ学校行っても貰えたかどうかは怪しいが、義理チョコなんて照れ隠しの道具を受け取らずに済んで残念……もとい、安心していたわけである。
 なのに、受け取ってしまった。
 当日に家まで押しかけて渡されたら、たとえ義理って言われても断れるわけないだろ。その義理チョコにお礼をしなくちゃいけなくなったじゃないか。……ホントに義理なの?
 場合によってはうっかり告白するよ? まあ、現実は適当に渡して終わりだろうけどね。

 そう思っていた俺だが、事はそんなに単純には行かなかった。

        ◆ ★ ■ ❤

 四ノ森愛優希しのもりあゆきという女子生徒がいる。
 俺が通う高校の現生徒会長様だ。成績優秀スポーツ万能。性格も明るく誰に対しても優しい上に、四ノ森家と言えばこの辺じゃちょいと有名な大富豪である。
 そしてなにより美人!
 腰まで届く艶やかな黒髪にあどけなさの残る小柄な輪郭。背は女子高生の平均並みだが、制服を着ていてもわかる胸の膨らみには世に生きる男子たちの夢が詰まっているに違いない。男子だけじゃなく女子にも人気があり、街を歩けばモデルやアイドルのスカウトが蟻の行列みたく並ぶ噂まである。
 そんな完璧超人たる彼女は、二月十四日にとんでもないことをやらかした。

 手作りのチョコを配ったのだ。学校の男子全員に・・・・・・・・

 ここで言う『男子』とは教員も含まれる。もちろん全部同じ義理チョコだったことは新聞部の調査で判明しているので、「私には本命なんていないから告白とか迷惑なのでやめてね」と暗に告げているようにも思えた。
 だが、世間は俺ほど捻くれたマイナス思考ではないんだよな。

 曰く、四ノ森愛優希は男子全員にチャンスを与えたのだと。
 曰く、義理チョコだった一つが本命に変わる可能性があるのだと。
 曰く、ホワイトデーに最も早くお返しをした者を恋人にするつもりだと。

 風邪が治って学校に行ってみれば、そんな根も葉もない噂が校内に蔓延していたのだ。
 噂を吹聴したのも新聞部だった。そこの部長を務める堀端水萌ほりばたみずもは「ニュースは待ってても来ないわ。自分で行動して手に入れる物よ」と胸を張って言い出す変態だ。物事を面白可笑しそうな方向へ転ばすことになんの躊躇もない。そのうち犯罪に手を染めないか心配である。
 とりわけ手に負えないことに、堀端水萌は噂を真実にしてしまった。奴は生徒会長に直々にインタビューをし、本当に『最も早くホワイトデーのお返しをした男子を恋人にする』と言わせてしまったのだ。なんで了承したよ生徒会長。本当にそのつもりだったとか?
 ……期待しちゃうじゃないか。

        ★ ■ ❤ ◆

 そして三月十四日。ホワイトデー当日。
『さぁーて始まりました第一回《四ノ森愛優希にホワイトデーのお返しをしよう大会》!! まあ一回しかないだろうけどね!! みんながんばって行こうイェーイ!!』
 校内放送のスピーカーからやたらとテンションの高い声が響いた。グラウンドの中央に集められた野郎どもは『イェーイ!!』とアイドルのライブよろしく盛り上がっているものの、その内に秘める殺伐とした空気は誰を蹴落としてでも勝利を捥ぎ取りたい意志に満ち溢れていた。
 どうしてこうなった?
 なんで俺はこんな頭の悪い名前の大会に出場してんの?
『ルールは超簡単よ!! 誰よりも早く学校のどこかにいる生徒会長を見つけ、君らが用意したホワイトデーのお返しを渡す!! 無事に受け取ってもらえればその時点でカップル成立!! くふふ、君ら血に飢えた狼みたいな顔してるよマジ面白い!! 男って単純ね。あ、これ一回言ってみたかっただけだから気にしなくていいよ!!』
「おいおい……」
 俺はグラウンドの端に設置された放送席を睨んだ。ともすればこの場にいる全員の殺意を買っていたかもしれない台詞を堂々と口にした女子生徒は、新聞部部長の堀端水萌である。
 セミロングの黒髪に小柄な体躯、整った顔立ちには無邪気で活発そうな笑みを浮かべているな。こいつもかなりの美少女だが、我らが生徒会長の輝きに霞んでしまいそっち方向の注目度は低い。性格が残念なところが原因だろうね。
『開始時間は十分後の午前十時からね!! フライングしたら新聞部の奴隷だからよろしく!! 寧ろ二、三人フライングしてくんないかな? 超扱き使ってあげるから!! あと男子はたとえ彼女持ちのリア充でも強制参加だから!! 逃げたら爆発の刑に処します!!』
 新聞部の奴隷と聞いて出場者全員が一瞬顔を青くした。アレの下につくのだと思うだけで鳥肌が立つ。気持ちは大いにわかるよ。
『では最後に本大会の景品……じゃない、目標である生徒会長から一言お願いしまぁす!!』
『あの、水萌ちゃん、今人のこと景品って言いませんでした?』
 お、生徒会長の声だ。放送席にはいないから、彼女が隠れているどっかから放送を繋いでいるらしい。にしても透き通った綺麗な声だよなぁ。癒されます。
『言ってないよ』
『そ、そうですか? 私の聞き間違えでしょうか……』
『では改めまして本大会の景品から一言お願いしまぁす!!』
『言ってますよ!?』
 涙目で愕然とする生徒会長の姿がありありと脳裏に浮かびました。
 四ノ森愛優希と堀端水萌。二人は小学校からの親友だ。今の遣り取りだけである程度の親しさはわかるだろう。なんで俺が知ってるのかって? 俺も同じ小学校だったからだよ。
『あの、私を景品だと思ってる人とはお付き合いできませんからっ!!』
 ブツン、と繋がっていた放送の途切れる音がした。本当はもっと気の利いたことを言うつもりだったんじゃないかと思う。厄介な親友を持つと不憫だな。人のことは言えんが。
『それではそれでは、制限時間は二時間!! 君たちの健闘を祈ってるよ!! くふふ』
 悪戯じみた笑いを最後に開会宣言の放送は終了した。グラウンドに集まった男子たちは余程新聞部の奴隷が恐いのか、抜け駆けするような素振りは見せない。ただざわざわと落ち着きなくその辺をうろうろしているだけだった。
 さて、開始時間まで特にやることもないな。適当にストレッチでもするか。
「おやおや随分とやる気だぁね、コタロウくんや。くふふ」
 おいっちにと屈伸をしていると、背後から声をかけられた。俺こと久崎瑚汰郎くざきこたろうを『コタロウくん』と呼ぶ人間に心当たりは一人しかいない。
 振り向けば堀端水萌のニヤ顔があった。
「やる気なんてねえよ。なんなら今すぐ渡したいんだけど?」
「超やる気だった!? フライングは奴隷だよ? あ、寧ろ奴隷になってよ」
「なるか!」
「まあ、アユキちゃん可愛いもんねぇ。コタロウくんが好きになるのもわかるよ」
「いや、別にそんなことはないんだが……。てか、そもそも俺がこの大会に参加せにゃならん理由がわかんないんだけど?」
「おや? 貸し借り礼儀には厳しいコタロウくんとは思えない発言ね。はっ! さては偽物!」
「本物だ! だから、大会に出場しなくてもいいだろって話だよ! だいたい俺は――」
「おっともうこんな時間。コタロウくんの説教聞いてたら長くなるんで、あたしはもう行くことにしまぁす」
 くるっと踵を返す水萌。
「行くってどこにだよ?」
「アユキちゃんとこに決まってるっしょ。カップル成立の瞬間に傍にいないとかありえないし。まあ、コタロウくんもせいぜい頑張りなよ。どうせ到達すら無理だろうけどね」
「なんだと」
「くふふ、あたしはそんなコタロウくんの無様な姿を面白可笑しく高みから見物してるわ」
「おいコラ」
 凄むと水萌は「きゃー怖いバイバイキーン」とうざったく喚きながら駆け去ってしまった。
 いいだろう。やってやる。
 いの一番に辿り着いて、お前の目の前で見せつけてやるよ。

        ■ ❤ ◆ ★

 大会開始後、そこは死屍累々の戦場と化した。
 男たちが猛り狂って殴り合いを始めたわけじゃない。半額弁当の取り合いじゃないんだから、基本的にそういう暴力行為は禁止だ。
 男同士に限っては・・・・・・・・
「男子どもを行かせるんじゃないわよ! 愛優希様は絶対に我々がお守りするのよ!」
「「「らじゃーっ!!」」」
 四ノ森愛優希の女子親衛隊がグラウンドの出入口にバリケードを張っていたのだ。出て行こうとする男子を片っ端から押し返している。女子に対する暴力行為も許されるはずがなく、男子連中は成すすべなく倒され放題だった。
 普通男子に人気のある女子は女子から嫌悪されがちだが、四ノ森愛優希はそうじゃない。まあ中には嫌っているやつもいるだろうけれど、大半の女子は尊敬の眼差しで慕っている。『お姉さま』と呼ばれている場面を見たことすらある。どこの女子校だ。
「殴ってでも蹴ってでもなんなら刺してもいいわ! ここから先は一歩も通しちゃダメよ!」
「「「らじゃーっ!!」」」
 刺すのはアカンやろ。
「序盤からなんて難易度だ……」
 水萌は校舎の方へ駆け去った。なら四ノ森愛優希も校舎のどこかにいる。回り道をしている余裕はないな。でも正面から突破することも正直難しい。
 まあ、手がないわけじゃないが。
「久崎!」
 呼ばれて振り向くと、そこには数人の男子が一箇所に固まっていた。
「ここは手を組もうぜ。じゃねえと突破なんてできやしねえ」
 そう言ってきた体格のいい男子はクラスメイトの三井だった。他にも同じクラスの田中に大森に教頭先生……おい、あのバーコードハゲなんでいんの?
「そうだな。俺も丁度それを考えてたとこだ」
「決まりだな。よし、この中の誰が犠牲になっても振り返るな! オレたちは手を組んだ以上、誰が四ノ森と付き合うことになっても文句は言わない! いいな!」
「「「おうよ!」」」
 威勢よく皆が返事をし、俺たち即席チームは親衛隊のバリケードに挑む。
「フッ、ここは私に任せなさい」
 バーコードハゲ、もとい教頭先生がメガネをくいっと持ち上げて自信満々に前を走る。だから、なんであんたいんの? ロリコンなの?
「きょ、教頭が来たわ!?」
「迎撃するのよ!」
 女子たちがサッカーボールやらバケツやら金属バットやらを投げてくる――って金属バット超危ない! だが教頭先生は女子たちの投擲物を難なくスルリとかわし、

「a.b.cは正の数でa^bc=b^ac=c^abの等式が成り立つとき、a.b.cのうち少なくとも2つは等しいことを証明は、a=0またはb=0またはc=0のときは不成立。よってa≠0,b≠0,c≠0のときを考える。b^(a b c^2)=c^(a (b^2) c)=c^(ab) ・ c^(bc)=b^(ac) ・ c^(bc)。つまりb^(bc)=c^(bc)。対数をとってbclog(b/c)=0 ⇔ b=cよって少なくとも2つは等しいとなり――」

 メガネを押さえながらなんか対数の証明らしき呪文を唱えた。
「ひやぁああああっ!?」
「あ、頭が、頭が割れるぅ!?」
「くっ、我ら親衛隊が文系一筋と知っての狼藉かっ!?」
 知らんがな。数学の証明問題を聞いただけでバッタバッタと倒れるとか。なんなの君ら馬鹿だったの? それともバッタなの?
「さあ、女子が怯んでいる隙に抜けますよ!」
 キラン、とメガネを光らせて教頭が言う。なんかムカつくな、あのドヤ顔。
「大変だ!? 田中が教頭の証明問題にあてられて変な笑顔で九九を唱え始めた!?」
 お前もか、田中。
「うぐ、せ、せめて一人でも多くここで引き止めるのよ!?」
「「「らじゃーっ!!」」」
 親衛隊の女子たちが一斉に田中へ飛びかかる。
「「「「田中ぁああああああああああああああああああっ!?」」」」
 俺たちは置き去りにしてしまった戦友の名を叫ぶ。すると、女子たちにもみくちゃにされながら田中がグッとサムズアップしてみせた。ていうか、寧ろ羨ましくないアレ?
「俺のことはいい。後は……任せた……ぞ……………………4×4=15」
 九九すらできないのかよ!

        ❤ ◆ ★ ■

 田中を欠いた俺たち四人は校舎の中に突入していた。
 バリケードを突破した猛者は他にもいたらしく、何人もの男子たちがダンジョンに配置されたモンスターのように校舎内を徘徊している。
「放送機材が置いてある場所は限られている。まずは放送室か生徒会室から探した方がよさそうだな。四ノ森が動いてないなら、そのどっちかにいる可能性が高い」
「久崎、お前天才か?」
 三井が驚いたように目を丸くして俺を見る。急激にこれをチームメイトにしていいのか不安になってきた。
「じゃあ生徒会室に行こうぜ。なんせ四ノ森は生徒会長だからな。きっとそこに――おわっ!?」
 勢いよく廊下を曲がった大森がつるんと足を滑らせた。
「ワックスだ! 廊下にワックスがかけてあるぞ!」
 やっぱり一筋縄じゃいかないか。見たところ、ワックスは生徒会室の方向に対してかかっているようだな。となれば、やはり四ノ森は生徒会室に?
「あの、ちょ、助けてくんない?」
 震えた声がした方に目を向けてみると、大森が生まれたての小鹿のようにぷるぷるしながらワックスべた塗りの廊下に立ち上がろうとしていた。そこへ、追撃が来る。
「皆さん下がって!」
 真っ先に気づいたのは教頭先生だった。
 廊下の向こうから、体育祭の球転がしで使う大玉がいくつも転がって来たのだ。
「げふーっ!?」
 赤玉と白玉の来襲にまだ廊下の中央でぷるぷるしていた大森だけが逃げ遅れた。押し潰され、そのまま滑って大玉と共に廊下の彼方へ運ばれてしまう。
「「「大森ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!?」」」
 また一人、仲間が減った。
「大森君は残念ですが、彼の無念を晴らすためにも我々だけでも先に進――あっ」

 つるっ――ぐごぎっ!

 とても嫌な音が聞こえた。
「おごぉうううう腰がぁ!? 腰がぁあっ!?」
「「格好悪いぞ教頭ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」」
「いたわ! こっちよ!」
 最悪なことに親衛隊にまで見つかってしまった。
「さっきはよくもやってくれたわね! 全員ふん縛るのよ!」
「「「らじゃーっ!!」」」
 親衛隊の女子たちが一斉に躍りかかる。教頭先生に。
「行くぞ久崎! 教頭の犠牲を無駄にするな!」
「あ、ああ」
 生返事をし、俺は三井とスケートの要領で生徒会室に向けて廊下を滑った。

        ◆ ★ ■ ❤

 結論から言うと、生徒会室はハズレだった。
 生徒会室の扉をスライドさせると、突然中からぬんと丸太のような腕が生えてきたのだ。
「え?」
 腕は三井の顔面を鷲掴むと、ぐいっと強引に室内へと引っ張り込む。
 生活指導のメスゴリラ、もとい熊塚先生だった。実家は北海道らしく、地元の猟友会に参加してヒグマと素手でタイマンを張った伝説を持つ超人である。体格のいい三井だが、熊塚先生はその二倍はあるように見えた。
 捕まったら逃げられない。
 つまり三井は逃げられない。
「三井、無事を祈る……」
「ちょっ!? 久崎さまヘルプッ!?」
 涙目の三井には悪いが、俺まで捕まっちゃアレなのでそそくさと生徒会室を後にした。
 そのまま放送室にも行ってみたが、こちらもハズレ。先に来ていた男子が扉を開けた瞬間、同じように熊塚先生に捕まって……え? ここ生徒会室の反対側なんですけど? なんで? ワープでもしたのあの魔人? Z戦士なの? それとも青鬼なの?
「ひいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
「……」
 放送室の中から漏れ聞こえる悲鳴に、俺は静かに回れ右をした。
 それから親衛隊の方々とのエンカウントを極力避け、校舎内の心当たりを一つ一つ潰して行った。が、四ノ森はおろか水萌の気配も一向に見つからない。熊塚先生とは行く先々で悲鳴と共に遭遇するのはなんでなの?
「……どこにいるんだ?」
 ぶっちゃけ手詰まりだった。制限時間は残すところ三十分。未だに発見の放送がないってことは、誰も見つけられてないんだ。それどころか校内を徘徊する男子の姿も少なくなってきたな。リタイアが続出していると思われる。
 まさか、四ノ森がこれほどかくれんぼ強かったとは……………………いや、違う。
 四ノ森は頭脳明晰だが、こんなに小ズルい性格はしていない。親衛隊を配置したのも、ワックスを塗って大玉を転がしたのも、メスゴリラを手懐けたのも、全部別の人間の策謀だ。
 堀端水萌。奴しかいない。
 あいつの性格なら四ノ森をどこに隠す?

『くふふ、あたしはそんなコタロウくんの無様な姿を面白可笑しく高みから見物してるわ』

 ふと、水萌が言ったことを思い出す。
 高み……高いところ……まさか、屋上?
 そういえば、普段立ち入りを禁止されている場所だから候補に入れてなかったな。
 見つけてやんよ、待ってろ水萌!

        ★ ■ ❤ ◆

「あ、誰か来ましたよ」
「やっと? おっそーい。もうほとんど制限時間ギリギリじゃ……あっ」
 屋上の扉を開けると、案の定、見知った二つの顔が並んでいた。扉に鍵はかかっていなかったが、机や椅子の山で完全封鎖されていたため少々手間取った。つか、封鎖は卑怯過ぎだろ。
「コタロウくん……」
 一瞬、水萌の表情に悲しげな色が陰ったように見えた気もするが、すぐに彼女はいつもの底抜けに明るく憎たらしい笑顔を貼りつける。
「コタロウくんはとっくにリタイアしてると思ってたんだけどなぁ」
「屍を踏み越えて来たんだよ」
「校舎内に入ったとこまでは見てたんだけどね」
 言い返すと、堀端水萌は「くふふ」と意地悪く笑う。女じゃなかったら殴っていた。
「けど、安心するのはまだ早いよ。ちゃんとお返しは用意してきた?」
「当然」
 俺は制服のポケットから綺麗にラッピングされた包みを取り出し、四ノ森愛優希を見る。ここで忘れてましたじゃ話にならない。それは相手にとって大変失礼だからな。
「久崎くん……」
 四ノ森は覚悟を決めるように大きな胸の前できゅっと拳を握った。少し潤んだ黒真珠のような瞳に俺の姿を映す。湧き上がる不安を必死に押し込めた彼女の姿は、一分一秒でも早く彼氏になって守ってやりたくなる衝動に駆られてしまう。
 でも。だけど。
 そうじゃ、ないんだ。
「悪い、四ノ森」
 申し訳なく思いながら、俺は包みを突きつける。

 堀端水萌の目の前に・・・・・・・・・

「……へ?」
 目を点にする水萌。俺の行動がさっぱり理解できないという顔をしているな。
「いやだって俺、四ノ森からチョコ貰ってないし」
「「えっ?」」
 驚く二人。そうでしたっけ? と四ノ森が記憶を辿っているのを横目に、俺は続ける。
「二月十四日は俺学校休んでたろ? あの日家まで来て渡したのはお前じゃないか、水萌」
「や、そ、それはそうだけど……え? アユキちゃん渡してないの?」
「そういえば、一つだけ余ってたから数え間違えたのかと思って……自分で食べちゃいました」
「なにやってんの!?」
 ガン、と頭をトンカチで打ちつけられたように驚愕する水萌を見て、俺は一つ確信に至る。
「……やっぱり、男子全員にチョコ配るように四ノ森を唆したのもお前だな」
「あ、バレた?」
 ちろり、と水萌は悪戯がバレたように舌を出した。
「なんでそんなことしたんだ?」
 責めるつもりはなかったが、どうも口調がきつくなっていたらしい。バツが悪そうに苦笑いする水萌を四ノ森が庇った。
「あの、久崎くん、水萌ちゃんにお願いしたのは私なんです!」
 つい強く出てしまったことにハッとしてから、四ノ森は訥々と身の上を語り始める。
「実は、父の会社が来月合併することになっていまして、それに合わせて先方の社長さんの息子さんとお見合いを……私、それが嫌で」
「それで先に彼氏を作っときたかったんだぁね」
 水萌の補足に、はい、と申し訳なさそうに四ノ森は頷く。
「でも私、まだ好きな人とかいなくて。水萌ちゃんに相談したら、こうやって一番にお返しをしてくれる人は本当に私を想ってくれている人だと。その人なら好きになれると思ったのです」
「全部こいつが面白可笑しく転がしただけだろ」
「失敬な! あたしだってちゃんとアユキちゃんのこと考えてやったんだよ! 面白可笑しく転がしたけど!」
「転がしたんですかっ!?」
 友の裏切りを見たようにショッキングな表情をする四ノ森だった。本当に友達は選んだ方がいいと思います。できれば誰か今の俺にも同じこと言ってくれ。
「とにかくこれは水萌に対するお返しだ。だから俺は大会なんか参加する必要なかったんだよ」
「うっ……」
 言葉に詰まる水萌は、俺が差し出す包みを見詰めて硬直していた。そこに親友が背中を押す。
「受け取りましょう、水萌ちゃん。学校を休んでいる人の家にまで行って渡したのですから、好きなのでしょう? 久崎くんのこと」
「ふぁ!? い、いや、ああああれはほら義理だしソンナコトナイデスシオスシ!?」
 かぁああああああ、と信号機のように高速で赤面する水萌。あたふたと解読できない手話でなにかと交信しているな。UFOでも飛んでるの?
「言っとくけど、俺もそこまで鈍感じゃないからな。だからこのお返しを、どう受け取ってくれても構わない。恋人になれって言うなら……なるよ」
「はうっ……!」
 水萌は口をあわあわさせながら、壊れたからくり人形のようにぎこちない動きで包みを受け取った。
「じゃ、じゃあ……よ、よろひく……お願いしましゅ……」
 噛み噛みだった。それから一つ、二つ、三つと深呼吸をして少し落ち着きを取り戻す。頬はまだ赤く染まったまま、包みを見詰めて恐る恐る彼女は訊ねた。
「……中身、なに?」
「マシュマロ」
「……あ、ホントだ。あはは、定番過ぎぃ~。……これホントに三倍?」
「ああ、量はきっちり三倍だ」
「量!?」
「手作りだったから単価とかわからないし、ならこっちも手作りで返すのが礼儀かなと」
「手作り!? マシュマロを!? すごっ!?」
 水萌はツッコミの勢いのままマシュマロを一個口に放り込む。「そしてうまっ!?」とさらなる驚愕をして意外そうに俺を見た。で、すぐ顔を真っ赤にして俯く。俺も釣られてそっぽを向いた。暑いな。まだ三月なのに。
「私の恋人を見つけるはずが、先に水萌ちゃんの恋人が見つかっちゃいましたね」
「こいびっ!? ちょ、はずいからそういうこと言うのやめてよ!?」
「ふふ、狼狽する水萌ちゃんってなんか新鮮です。私の方は残念でしたが、お二人のことは心から祝福しま――」
「ようやく見つけましたよ四ノ森愛優希さん!」
 ドバン! と勢いよく屋上の扉が開き、深淵から響くようなしゃがれ声が屋上に轟いた。
 俺たちは何事かと思ってそちらを振り向く。そこには魔界の瘴気のごとく全身から湯気を立ち上らせた老年男性が息も絶え絶えに屹立していた。足元には親衛隊の女子たちが何人も必死にしがみついていて、彼女たちが一歩一歩引きずられる様は一種の地獄絵図を想起させる。
 声を失った俺たち三人に、正確には四ノ森愛優希に、鬼神のオーラを漂わせる老怪人はバーコード頭を上気させてゆっくりと歩み寄る。
 ていうか教頭先生だった。
「きょ、教頭先生!?」
 ようやっと声を出せた四ノ森に、教頭先生はスーツのポケットから小箱を取り出して蓋を開ける。中身は大粒のダイヤモンドの指輪だった。
「し、四ノ森愛優希さん! わ、私と、結婚を前提にお付き合いをハァハァむふぅ!」
「ひっ!?」
 短く悲鳴を上げて四ノ森は後じさる。顔色は真っ青だった。ちなみに俺はドン引き、水萌は「スクープきたぁーっ!!」と携帯であらゆる角度からパシャパシャしていた。さっきまでの恥じらいどこ行ったの?
「さあ! 私のお返しを受け取りなさい!」
「ひぃっ!?」
「さあ!」
「ひやあっ!?」
「さあ! さあ! さあ!」
「ひえぇえっ!?」
 教頭先生が迫る。四ノ森が下がる。教頭先生がさらに迫る。四ノ森がもっと下がる。
 そして――

「ご、ごめんなさい無理ですぅううううううううううううううううううっ!?」

 ついに堪えられなくなったのか、四ノ森は泣き叫びながら全力疾走で屋上から逃げ出すのだった。「愛優希様!?」と親衛隊の方々もそれに続く。教頭先生は真っ白に燃え尽きて灰になっていた。
「ぷっ、アユキちゃん昔っから運だけは持ってないんだよねぇ」
「運とかいう問題かよ」
 俺と水萌はお互い向き合って笑う。突然のハプニングのおかげか、俺たちの間にはもうあまり羞恥心はなかった。
「ねえ、コタロウくん」
 不意に、水萌が訊ねてきた。
「ん? なんだ?」
「つ、付き合うってさ……具体的に、なにすればいいんだろ?」
「さ、さあ? デートとかするんじゃないか?」
「そんなことはわかってるよ! その辺具体的にだよ! あとデート以外はなにすればいいかわかんないし……」
 上目遣いでもじもじする水萌は普段の百倍可愛かった。普段が可愛いかどうかは置いといて。
 デート以外……デート以外……ベッドの上でドッキンバッタン? なんでもないです。
「む? やらしいこと考えてる?」
「ソンナコトナイデスシオスシ」
「ちょっ、それ誰のマネ!?」
 恥ずかしそうにポカポカと叩いてくる水萌。全然痛くない。すると思い出したように屋上風が吹き、煽られた体が自然にぶるりと震える。
「……とりあえず、中に入ろうぜ。屋上めっちゃ寒い」
「そだね。うぅ、二時間もこんなとこいたからホント体冷えたぁ」
「あったかい飲み物でも奢ってやるよ」
「お、それ彼氏らしい……のかな?」
「知らん」
 俺と水萌はまだ少しぎこちなく笑い合いながら、二人並んで屋上を後にした。
 これから俺たちがどうなっていくかはわからない。なんせ、まだ始まったばかりだからな。まあ、ゆっくり考えていくさ。

 ちなみにその後、不憫過ぎる生徒会長は無事にお見合いを断れたのだとか。

コメント

  • ノベルバユーザー601499

    話がおもしろいから飽きないですね。
    これからの展開がどうなるか楽しみです。

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