銀河を、この手のひらに。

巫夏希

第13話

 私は通路を歩いていた。確かにエルムの言う通り、人間が通るには歩きづらい道程のように思えた。
 一番そうだと思えたのは、通路が所々陥落していることだ。その下は奈落と言わんばかり、何も見えない『闇』が広がっていた。
 闇に落ちれば、たとえ私がロボットだろうとも、生還は不可能だろう。
 私は一歩一歩確認しながら、ゆっくりと進んでいった。
 真ん中あたりまで進んだ頃には、通路に入ってから十五分近く経過していた。ペースとしては、大変遅い方だ。
「……外は大丈夫だろうか?」
 わざとらしく呟いて外を眺める。通路の外にはエルムが私を待っている。彼のためにも、そして彼女のためにも頑張らねばならない。
 この星はかつて『季節』というものが存在していたらしい。今こそ安定した気候なのだが、暑い時期もあれば寒い時期もあったというのだ。今からすれば、とても考えられない。
 彼女と話をしたなかで一番印象に残っているのは――『雪』だ。雪は私が話を聞いてきた中で難解だった。私の頭の中では、雪という存在を記憶こそしているが、見たことはなかった。そう言うと何だかおかしな話にはなるが、まあ、それ以上でもそれ以下でもない。



「ねえ、『ソクラ』。あなた雪は見たことある?」
 彼女が私に訊ねた。――あのとき私は雪を見たことがないから「いいえ、知ってはいますが、見たことはありません」と言った。
「変な人。雪は私も最後に見たのは暫く前のことだけれど、ニンゲンだったら一度くらいは雪を見ていてもおかしくないのよ」
 彼女はそう言った。確かにそうかもしれない。だが、私はニンゲンではない。ロボットなのだ。
「そうだね。……でも私は雪を見たことはない」
「まあ、私も目が見えなくなってからは見たことがないのだけれど」
 彼女はそう言って、開いていない両目を手でさすった。
 彼女は悲しげな表情を浮かべていた。
 それは――彼女の目が見えないということもあるだろう。
 そして、私と思い出が共有できないから――というのもあるのかもしれない。
 仕方のないことだ。私はロボット、彼女は人間。種別が違うのだ。
「……雪を、見せてあげたいですね……」
 その呟きは、彼女に聞こえたのかどうかは未だにわからない。



 ――どうやら、私は意識を失っていたらしい。目を覚ますと通路の真ん中に立ち尽くしていた。
 それにしても懐かしい夢を見たものだ。ロボットは夢など見ない、と著名な科学者は述べていたが、それはまったくのデタラメだったことが今ここで証明された。
 とはいえ、そんなことを言っている場合ではない。進もう。進むしかないのだ。
 通路をゆっくりと、一歩ずつ歩んでいく。
 通路はあと半分。
 あと少しで――。





 通路の終点には小さなレバーがあった。そのレバーはところどころが錆びていた。なるほど、たしかにこれは人間では扱うことが出来ないかもしれない。
 そう考えると、私はレバーを引いた。そう簡単には動かない。
 だが、私はこのレバーを動かさなくてはならない。
 彼女を救うために。
 彼女に銀河を見せるために。
 そして私はそのレバーを思い切り引いた。


 電力が供給され、『アマテラス』が動き出す。
 アマテラスが動くことによって、大地が大きく振動する。
 私はふらふらと立ち上がると、ゆっくりと通路を戻ろうとした。
 だが、そこでめまいがした。
「そういえば……エルムが言っていた……。『ロボットを動かす全部のエネルギーを使う』などと……」
 それは私も例外ではないということだ。
 そして、私はゆっくりと倒れていった――。





「――起きて」
 空間の中、私は目を覚ました。
 その空間は凡てが白で構成されていた。
「……ここは?」
 私は起き上がり、周りを見渡した。
 そこに居たのは、彼女だった。彼女は目を見開き、私を見ていた。
「――起きて、『ソクラ』。いや……」
 彼女は私の『偽りの』名前を言ったあと、それを訂正して――
「……起きてください。『ラッテア』」
 ――彼女は私の本当の名前を言った。
 私の名前はラッテアだ。ソクラではない。
 彼女が私の名前を知るはずなどなかった。なぜなら私はラッテアではなくソクラで通してきたのだから。
 なのに、今目の前にいる彼女は私の名前を口にした。
「……ラッテア、やっと会えたね……」
 私の身体はもうボロボロだった。しかし、エネルギーは空っぽだったはずなのに動くことが出来た。
 彼女はゆっくりと私に近づいて、そして私の身体を抱き寄せた。
「いいの。もう、いいのよ」
 彼女は泣いていた。
 私は彼女を悲しませてしまったのだろうか。
「違う、違うの。私のために、私のために頑張ってくれたこと。それがすごく嬉しいの」
 改めてここで、私は思い出した。
 ――私は彼女に、恋をしていたのだということに。
「ありがとう……ありがとう……」
 私も彼女に抱きついた。
 彼女が顔を上げる。
「私の名前……一度も言っていなかったよね……」
「名前?」
 名前などどうだっていい。
 私は彼女に、再び会うことができたのだから。
「私の名前は――ガラシアっていうの。ある言語で『銀河』っていうのよ」
 それを聞いて、私は何度も頷いた。
 私はもう、手に入れてしまったのか。
 銀河ガラシアを、この手のひらに……収めてしまっていたのだ。
「ガラシア……いい名前だ」
 私は頷くと、ガラシアは小さく顔を竦めた。
「恥ずかしいな……そう言ってもらえて」
「本当のことを言ったまでだ。ロボットは嘘なんてつかない」
 このまま永遠に時が流れてしまえばいいのに――私はそう願うばかりだった。

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