月を探す星。

月を探す星。


 秋のしっとりとした雨の降る午後のこと。
 人気のない石畳の路地にある、古めかしい町家の骨董屋「聖堂ひじりどう」の店主は、店先の暖簾をほっそりとした手で持ち上げて空を仰いだ。
「よく降りますねぇ」
 灰色の雲しか見えない空から落ちてくる雨が、古い瓦にあたりぱたりぱたりと音を立てる。それもまた風情があるものだと、店主の柔和な眼差しが穏やかに細められる。
 そんな、長い睫毛を持ち上げて空を見ていた店主の視線がふと下に向く。そして珍しく目を丸くした。
 いつからいたのだろう。そこには小さな少女が立っていた。
 肩で切りそろえられた黒髪が美しい幼い少女が、黒い瞳で店主の淡い色をした瞳をひたむきに見つめている。
 聖堂近辺にも子供はいるが、長く住んでいる店主でも見かけたことがない少女だ。しかも店主がその気配に気付かなかったことが、この長身の和服の男を何よりも驚かせている。
「こんにちは」
 しかし店主はいつものように穏やかに微笑し少女に声をかけた。古い印象を受ける洋装姿の少女は、店主の声ににっこりと微笑んだ。
「どこからいらしたのですか? はじめましてですよね」
 身を屈めるようにして少女に視線を合わせて店主は続けるが、少女は言葉を返すことはなくただニコニコと笑っているだけだった。その笑顔は子供らしく邪気のないもので、見ているだけで店主の顔が綻んでしまう。黒髪に黒い瞳。すべらかな肌は子供だということを引いても張りがあり美しい。東洋人ではない顔をしている少女だが、様々な民族の血が混じりあい、独特の雰囲気を持つ容姿をしていた。白い肌に、仕立てのいい紺碧の海を思い出させる色の洋装がよく似合っている。
「お父様かお母様は一緒ではないのですか? それに、傘も持っていないようですねぇ」
 少女は何も手に持っていない。しかしこの雨の中、傘を持っていないのに濡れてもいない。朝から降り続いた雨に濡れずにここまでやってこれたのだろうか。車の入り込めない細い路地のこの店の前まで、少女は一人でやってきたのだろうか。店主は何も話さない幼い笑顔を見つめながら少し考えた後、艶やかな黒髪を撫でて目許を更に和らげた。
「誰かお迎えに来るまで、お店の中で待っておいでなさい。お茶でも淹れて差し上げましょう」
 そう柔らかく声をかけて、和服の男は少女を店の中に促した。
 古い店の中には、相変わらず古いモノたちで溢れてる。客のいない骨董屋の中は静寂に満たされているが、少女の姿を目にすると、少しばかり古いモノたちが互いの目配せをしてひそひそと話を始める。店主はそんなモノたちを視界の端に捕らえながら小さく笑い、しかし何も言わずに、少女を来客用に置いている座り心地のいいソファに腰掛けさせた。
 そのまま待っているように伝え、自分はお茶の準備に奥に入っていき、温かな日本茶と、少女のためにこちらも温かな紅茶にミルクを入れて、もらい物のクッキーとシフォンケーキを盆に載せて店に戻った。
「さあ、どうぞ」
 優雅な所作でそれらを少女の前に置くが、少女はなにやら店の中をキョロキョロと見渡している。まるでなにかを探しているように廻る大きな瞳が、やがてしょんぼりと自分の膝に落ちた。
「なにか探しに来たのですか?」
 少女の前の椅子に腰を下ろした店主が茶器を手に少女に問いかけたが、少女は何も言わないまま瞳を持ち上げて店主を見つめる。先ほどから言葉を話さない少女の口許が、何かを言いたげに時折動くのを見て、店主はふと言葉を重ねた。
「失礼ですが……。言葉を話せないのですかね、あなたは」
 穏やかに問うた店主に、少女が小さく息を呑んだ後こくりと頷いた。悲しそうに瞳が歪んでいく。滲み出すその涙に店主は小さく眉根を寄せて、それからふんわりと優しく微笑んだ。
「気付かずに申し訳ありません。書くものを用意しましょう。それならばあなたの言いたいことを私に伝えて頂けますよね」
 すいと立ち上がり、店主がいつも座っている場所に行く。そこには古めかしく大きな椅子と机のセットがある。引き出しを細い指で開け、そこにあった何枚かの紙と万年筆を手に少女の下に戻り静かに差し出した。少女はそれを受け取り、小さな手で深い赤の万年筆を手に紙に字を書いた。それは子供らしい歪ながら愛らしい文字で、少女の母国語なのだろう。日本語ではない言語で「おねえちゃん」と書いていた。
「お姉さま、ですか?」
 黒い瞳を見返しながら、店主は半ば独り言のように言葉を零した。店の中の品々の中にこの少女の姉がいると言うことだろうか。
 古めかしい骨董屋聖堂は、ただ古いモノを集めているわけではない。この品々の中には人間のいう魂というものが宿っている。それらはいいものも悪いものも関係なく、人づてに所持され、なにかの巡り合せでこの店に流れ着いたモノたちだった。それらを、また何かの巡り合せで訪れた客に、店主はいくらかのお金で引き渡す。ただし店主からは品を薦めたりしない。あくまでも買い手となる人間の心の導くままに任せている。
 そんな店に現れたこの少女が、既にこの世の存在ではないことは最初に分かっていた店主ではあるが、姉を探しに来たということは正直想定外だった。
 必死に涙を堪えている少女の瞳に、店主は何も心配は要らないといったように笑みを深める。
「少しあなたのことを教えていただいてもいいですか? お姉さまを探すお手伝いを私にもさせてください」
 店主の薄い伽羅色の瞳が少女の深淵を覗き込むように光を増したとき、店の中に冷たい風と濃厚な薔薇の香りが巻き起こる。それに和服の男は視線を流した。
「おや」
 少女もまた何かを見つけようと黒い無邪気な瞳を巡らせる。二人の視線の先で、黒い粒子のようなきらめきが形を成し、馴染みの黒衣の死神の姿を現し始めた。
 黒に近い青の髪に白い肌、この世の宝石の中でもこれほど美しい輝きを持つものはないと思えるような極彩の青紫の瞳を持つ死神アンリが、いつもの薔薇の蔦の絡みつく大きな死神の鎌を手にしてあどけなく微笑んだ。
「こんにちはぁ、ご主人」
「はい、こんにちは」
 店主もいつもどおり挨拶をする中、アンリは少女に視線を流して間抜けなほど安堵した色を滲ませた。
「よかったぁ。やっぱりここだったんだね」
 大きく息を吐きながらアンリは少女の顔を見て笑う。本当は恐ろしいまでに整っているはずの死神の顔が、そんなことを忘れてしまいそうなほど子供っぽくなる。とことこと歩み寄り、白い手で少女の頭を柔らかく撫でて声をかけた。
「僕が一緒に行くから待っててって言ったのに。先に行っちゃだめじゃないの」
 ちょっと怒っているような、しかし安心したことが何よりも勝る顔つきでアンリは優しく少女を嗜める。自分を見下ろしてくる死神のその顔を見上げた少女は、黙ったまま小さく首をかしげた。
「……どういうことか説明していただけませんかね?」
 なにやら話の見えない店主がアンリに尋ねると、アンリは少女の隣に腰を下ろして、合わせているローブの間に手を差し入れると何かを取り出した。
「この子の本体っていえばいいのかな。これです」
 小さいベルベッドの箱をかちりと開く。そこには星をモチーフにした可愛らしい指輪が一つ収まっていた。
「ほう……」
 傷一つなく金色の光を纏うその指輪の状態とデザインのよさに、店主が感心したように声を零した。幾つかの色の違う石が控えめに飾られており、古いものでありながら時代を感じさせないそれを見て、少女もまたにっこりと微笑んだ。
「昨日、僕が回収した人間が持っていたものなんですけど、ずっとこの指輪の対を探していたようです。でも見つけられなくて寿命が来てしまったって残念がっていました。この子はどうやら双子らしくて、その片割れの子を探してあげようかと思って」
 古美術を収集するのが趣味だったある男に数十年前に引き取られた指輪であるが、元々はある貴族の双子の娘たちが生まれたときに祝いとして、月と星をモチーフにしてそれぞれ作られたものだと言う。ある国の有力な一族の娘として生まれたその双子たちは、国の内乱で幼い命を絶たれた。そのまま身体と共に指輪も地中に埋められたが、数年の後に墓を荒らされ金目のものはすべて奪われたらしい。この少女の本体を持っていた男は、指輪を二つ一緒にして鎮魂してやりたいと考えていたと、アンリが魂の回収のときに聞いたということで、優しくお人よしの死神は死を迎える男に、その手伝いをさせてほしいと願い出た。
 手伝いといっても、店主の下にこの指輪を持ってくることくらいしかできはしないのだが。
「それで僕ちょっと忙しかったからすこしだけ待っててねって言ってたんですけど、気付いたら指輪を置いていなくなってて……ほんとにだめだからね? ご主人のところだから良かったけどさ、本体から離れたら君はあんまり長く存在できないんだよ? 消えちゃったらお姉ちゃん探すこともできなくなるんだからね?」
 死神の心底心配そうな声と顔に、少女は少し考えた後、申し訳なさそうに眉根をひそめた。それからアンリの、男にしては細い手を取って、自分の柔らかな頬に添える。アンリは何をするのかと見守っていたが、その様子にあどけなく笑い、少女が可愛くて仕方がないと言った様に小さく笑いを零した。
「こんな可愛いことされたら怒れないじゃないさ」
 言葉では呆れたように言っているが、顔は明らかに嬉しそうで、その死神の顔を見た少女もまた無邪気に笑いかけた。店主はそんな二人を穏やかに笑みを浮かべて眺め、綺麗な所作でお茶を口にした。
「それで、この子のお姉さまなのですが。申し訳ありませんが今のところこの店の中にはいませんねぇ」
 店の中にはたくさんの品があるが、その中の全てを勿論把握している店主の記憶には、少女の姉はいない。後ろで結っている黒髪をさらりと背中で流して、優雅に首をかしげた男はどうしたものかと考えを巡らせた。
 死神であるアンリはこの世界に属しているわけではない。天界と言う住むべき世界がある。そこに下界の品を長くとどめておくことはあまり望ましいことではなく、できればこの少女の姉を早く見つけ出して弔ってやるのが最善だと言うことは明白だった。
 少女と筆談で話をしていると、幼いながらの記憶でも、生きていた時代が激動だったと理解できる。たくさんの使用人に囲まれて広い城で暮らしていた少女たちでも、城の外がどれだけ荒れ果てて自分たちが恵まれているかを理解していた。そしてその生活を一瞬で奪われて命を獲られた。情けなどなく親を殺され使用人たちを殺され、姉を殺されて全てを目に焼き付けて、少女は死を迎えた。そのときに手をかけてきた兵士の顔は今でも忘れることはできないと言うが、しかし長い時間を経て、怒りや憎しみなどは綺麗に昇華されているようで、それだけは店主にとっても救いだった。こんな幼い子供に汚い感情がいつまでも纏わりつくのは良くないことだ。
 店主は何気ない話を織り交ぜながら、アンリと共に少女をリラックスさせて話を引き出した。初めて会った和服の男に少女は人見知りすることなく、拙く可愛らしい字で必死に言いたいことを伝えてくる。それがいじらしくて可愛らしくて、死神もいつも以上に優しく笑みを湛えながら少女の相手をしてやっていた。
 やがて、店主が少女の黒い瞳を見つめながら一つの結論を出した。
「ここで、お姉さまを探していきましょうか」
「それって、この子をここで引き取るということですか?」
 アンリが少女の手をきゅっと握ったまま聞き返すと、店主は綻ぶような笑顔を滲ませた。柔和な印象の強い店主の顔が一層華やかに柔らかい色を滲ませる。
「今すぐお姉さまを見つけることはなかなか難しいかもしれませんが、それでもここで待っていただければ、私も安心して探すことができますし、この子が私と出会ったこともまた何かのご縁ですからねぇ」
 そこで言葉を切った店主は、零れるほどに親愛を湛えてその目を細めた。
「あなたが会いたいと願えば、必ずお姉さまはこのお店にやってきますよ。私の予感は当たるので安心してください」
 穏やかに微笑む店主に、少女はしばらく黙って見返していたが、やがて大きく頷いた。長い時間一人でいたことを思えば、この不思議な店で姉を待つのも悪くない。そう思ったのかもしれない。
 店主は少女が頷いたのを確認すると、本体である指輪を箱に収めたまま手にした。ほっそりとした手にそれを載せ、そのまま立ち上がると、古い壁に取り付けられた陳列用の棚に静かに置いた。そこは店主の目線より少し低い高さと店の入り口に近い場所で、風どおりもよく天気のいい日は陽射しが廻り視界もいい。
「ここなら、お姉さまがきたときにすぐに分かるでしょう?」
 店主はソファに座っている少女をすいと抱き上げてその場所へ連れて行く。長身の店主に抱き上げられた少女は、普段と違う視線の高さに驚きながらも、自分の本体を見つけてにっこりと微笑んだ。邪気のないまさに天使かと見紛うほどに純粋な笑みで和服の男を見つめ、それからか弱い腕で店主の首に縋りつくように抱きつく。
「もう、一人ではありませんよ。ここがあなたの新しい居場所です」
 小さな身体を抱き締めながら、店主は慈愛に満ちた微笑を見せた。その様子が嬉しくてアンリもあどけなく微笑んで、すぐ近くの壁に立てかけている死神のかまに視線を廻らせる。そこに絡みついている深緑の薔薇の蔦も、嬉しそうにさざめいた。
 朝から止むことのなかった雨がいつの間にか上がり、空には雲の切れ間から青が溢れようとしていた。それは少女と姉の再会を予感させるようだった。

 *おしまい*

「月を探す星。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「その他」の人気作品

コメント

コメントを書く