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セールスマン天地の微笑

高瀬暖秋

オツキサマ【3】

 

 それからの俺の人生は、一変した。
 与えられたラムネを思うがままに使い、まずは金を稼いだ。
 競馬、パチンコ、競艇、競輪、スロット、運が関わるものなら何にでも手を突っ込んだ。場合によっては個々人で賭けをして稼いだ時もあった。流石に宝くじまで手を出す勇気は無かったが、時にはラムネを複数個食べて大きな賭けに出たりもした。

 ちなみにここでラムネについての追加情報を一つ。
 使っていて気が付いたんだが、このラムネは食べれば食べるだけ効力が上がるらしい。
 効力が上がるってことはそれだけリスクも大きくなるってことだが、使い方を誤らなければ金稼ぎの効率が上がる。
 その点で言えば、ラムネを使うって事自体が中々のギャンブルだ。だが、幸いにも不運は幸運の何割かまで。
 ローリスクハイリターン。良いじゃねぇか、得しかねぇ。

 それと、これは別に大した情報じゃないが、天地から渡されたラムネは黄色い。なんでも、普通のラムネや錠剤と区別するためなんだと。
 黄色い錠剤くらいあるだろって突っ込んだら、『お好みで変更出来ますよ? もしかして日頃から黄色い錠剤を服用していらっしゃいますか?』なんて聞いてきた。
 別に薬になんて頼ってねぇから黄色でいいと断ったが。

 その他にも、ラムネを使って色んな事をした。
 飲食店に入れば開店から〇〇人目のお客様だと言われて飯代が浮き、釣りにでも行けば次から次へと魚が針に食い付いた。
 またある時は、ラムネを二粒食べて道を歩いていただけで若い女から声をかけられて、そのままホテルに向かったこともあった。あの時の反動リバウンドは確か、目覚まし代わりのビンタだったか。数ある反動リバウンドの中であれだけは堪えたな。

 とは言え、基本的にはリバウンドなんて大したことはない。故に、俺はこの一ヶ月を可能な限り謳歌した。
 金も、女も、何もかもを手にいれて、自分が世界の頂点に立ったかのように思えた時もあった。

 ……だが、満たされると同時に俺は虚しさが沸き上がるのも感じていた。
 自分の力で勝ち取ったのだという達成感。金なんて不純物を介していなかったはずの他人との繋り。ふとした瞬間に思い出す、誰かからの感謝の言葉。
 そのどれもが、この一ヶ月の中で俺には欠けていた。

 散々金を使って騒いだ後に必ず帰ってくる、何の温もりも残っていない俺の部屋を見て、思い出す。

 初めてアルバイトで給料を貰った時のこと。
 高校受験に成功した時のこと。
 二浪してようやく見つけた、掲示板に貼られた俺の受験番号。
 端金はしたかねしか無いくせに、仲間同士で金を出し合ってレンタカーを借りてナンパをしようと海に赴いた時のこと。
 川に落ちたボールを拾ってやって、野球少年達にお礼を言われた時のこと。

 このラムネを手にいれてからは感じなかった感情が、そのどの場面にもあった。
 きっと、自分の事ばかりに気を取られて、周りの小さな事にも気を配っていれば、見つかっていた感情ばかりなんだろうな。

 これが、あのラムネを使った代償。
 自分の身に余る代物を使ってしまった、俺への罰。

 ……もう、止めよう。
 金は十分に稼いだ。改めて、就職活動をしよう。先立つ物があるなら、店でも始めてみてもいい。なんでもいいから、真っ直ぐに歩こう。今まで紆余曲折はあったが、これからは真っ直ぐに生きよう。

 そう思ってからの行動は早かった。
 運が悪いことにその日は嵐の日だったが、関係無い。思い立ったが吉日だ。迷う時間なんて自分に与えてたまるか。
 もう二度とラムネに頼ろうなんて思わないよう、俺はすぐさま天地にコンタクトを取った。

『なるほど、承知致しました。では、前回お会いした喫茶店でお待ちしております。どうか、嵐にお気を付けて』

 天地は意外にもあっさりと返却に応じた。
 てっきり、儲けが無いと困ると多少渋られると思っていたのだが。まあ、結果オーライだ。怪しむだけ無駄だろう。
 俺は傘とラムネを手に、嵐の夜に飛び出していった。

 外に出ると、辺りは暗かった。
 いつもは町の夜を煌々と照らす月明かりは雲に隠れ、空からは大粒の雨がザアザアと降りてきている。
 決して、小雨という訳ではないらしい。傘をさして雨に打たれてみれば、その勢いのほどが分かった。
 傘を叩く雨音を鬱陶しく思いながら、俺はあの時も履いていたボロボロのスニーカーを濡らさないように、水溜まりを避けて喫茶店に向かう。

 そんな風に、喫茶店まで歩いていた時だった。
 道中で、大きな川を見つけた。
 川幅は二百メートル弱。確か、野球少年のボールを拾ってやって川と同じ川だ。
 そういえば、ガキの頃に台風が来た時、ふざけて河川敷に行ったことがあったな。その次の日に少年が溺死したってニュースを見て、それ以来ビビって止めたが。
 やっぱり、こんな時代でも俺みたいなバカは居るんだろうか。

 そんな風に考えながら、ふと河川敷の上の道から河川敷を見下ろす。
 右、左と見渡して誰も居ないことを確認し、その場をあとにしようとした――その時、ちらりと何かが俺の視界に映った。

 なんだ、あれは。増水して荒れている川の中で、ちらほらと浮かんでは消えてを繰り返す……光?
 その時、俺の脳裏を最悪の想像が過る。
 もしも、あれが誰かの手によって故意に行われていることなら、誰かへ向けてのSOS信号だとしたら。

 案の定、その想像は的中する。一瞬ではあったが光は水面を飛び出し、その光を掴む人間の手が見えた。

 瞬間、俺はほぞを噛んだ。
 どうしてもっと早く気が付かなかった。あれは間違いなく、人が溺れている。
 俺は迷わず河川敷までかけおりた。
 助けるか助けないか、なんてことは考えなかった。息を吸い込むことすらせず、反射的に駆けていた。

 だが、ただ飛び込んでいったのではミイラ取りがミイラになるだけだ。頭に血が昇った状態ではいけない。こういう状況こそ、冷静に。
 俺は濁流に飛び込む前に、今日のラムネの残数を確認する。
 もう頼らないと決めたばかりだが、背に腹は変えられない。これさえあれば、きっと助けることも不可能じゃない。
 残数の半分のラムネを一気に口に放り込み、一気に噛み潰す。
 その数おおよそ八粒。命を助けるには十分だろう。
 傘を投げ捨て、辺りに流されていたそれなりに丈夫そうな木を握り、濁流の中に我が身をなげうった。

 途端、今まで自由だった身体に大きな負荷が掛かる。荒れ狂う濁流が、決して自由にさせまいと言わんばかりに俺の身体に纏わりつく。
 身体が重い。泳ぐのは不可能、もがくことで精一杯だ。
 俺は泳ぐことを諦め、川底に足を着く。増水して首もとまで水面がきているが、足が着かない深さじゃない。もっとも、踏ん張れるかどうかはまた別の話だが。

「うらぁぁ!!」

 身体を流されないように、俺は木を川底に差し込む。あまり意味は無いだろうが、無いよりはマシだ。最悪、俺があの人の身体を掴まえることさえ出来れば、俺諸とも生き残れる可能性は高い。なんて言ったって、今の俺は幸運なのだから。
 四つ分の反動リバウンドは確かに恐ろしいが、形振り構ってはいられない。ここであの人を救えるのなら、交通事故以上でもなんでも来やがれ。

 俺の視界に、またあの光が映った。前方、やや右か。手を伸ばせば届かない距離じゃない。
 俺は目一杯、その手を伸ばした。

「――くそがっ! 掴まれぇぇ!!」

 俺の声が届いたのか、相手も俺に対して手を伸ばした。
 その時になってようやくその姿が見てた。少年だ。かつての俺のように面白がってやってきた、馬鹿な奴だ。
 高速で流れる濁流、そのスピードの中で流される少年の手に触れられるのはほんの一瞬が限界だろう。だから、絶対に見逃せない。
 流されて徐々に近付いてくる少年。その手が最も俺に向けて近付いた一瞬、その一瞬に俺も腕の間接を外すほどの勢いで、手を伸ばした。

 だが、俺の手はあと一歩というところで少年の手を掴めなかった。
 空振り、掴めない濁流を握り、何も出来ずに終わる。

 終わる? 何が? 少年の命が?
 ――ふざけるなよ。そんなこと、あってたまるか。
 目の前で消えるかもしれない命を、みすみす見逃してたまるか。

 気がつけば、俺は自分のポケットに手を差し込んでいた。手探りで探すのは、あのラムネ。俺の運の全てを詰め込んだ、あの容器。
 取り出したラムネの容器には、川の泥水が内側まで入り込んでいた。

 構うものか。泥水だろうと何だろうと、運が手に入れられるならなんでと飲んでやる。

 俺は泥水ごとその容器の中身を飲み干した。
 そして、かろうじて俺の身体を地面に縫いつけていた木を投げ捨てて、濁流の勢いに身を任せて少年の元へと飛び込んだ。
 当然、濁流の中で前なんて見えない。だが、今に限って見る必要などない。なんて言ったって、今の俺は幸運なのだから。

 目を瞑り、伸ばした手。
 やがて、その手に人肌が触れる。その瞬間を逃さず、俺はその身体を強引に抱き込んだ。
 しかし、そこから足掻くことは出来ない。川底に足を着くことも出来なければ、泳いで河川敷まで戻るなんてもっての他だ。
 だから、俺は自分の幸運を信じて、そのまま濁流に流された。

 荒れ狂う波が俺の身体を弄ぶように踊る。時折俺の身体を川底へ叩きつけ、抱き込むその手を離させようとする。
 馬鹿野郎が、離すものか。何があってもこの手だけは、離すものか。
 これはきっと天恵だ。足を踏み外した俺が元の生き方に戻るための、更正するための試練だ。
 だから、俺は手を離す訳にはいかない。この子を救えなかったのなら、俺は本当にクズになっちまう。
 前後不覚の感覚に陥り、好き放題波に遊ばれる中、俺は初めて神様って奴を信じた。

 ――頼む、神様。コイツだけは救ってやってくれ。

 俺がそう願った――その時だった。
 チクリ、と俺の首元に針が刺さったような感触があった。だが、濁流の中でそれが何なのかを確認する術は無い。漂流物の中に危ないもんでもあったのか、なんて思っていると、俺の身体に異変が起きた。

 引っ張られている。首元――いや、服か、服に引っ掛けられた何かが、俺を引っ張っている。
 濁流に逆らいながら微弱ではあるが、徐々に、確実に、俺の身体は河川敷に寄っていく。
 やがて、足をついても流されない深さまで到達し、俺は立ち上がって河川敷まで歩いた。
 奇跡。そうだ、奇跡だ。あのラムネのおかげで俺は命拾いした。

「良かった。こんな所に居たんですね、月山様」

 河川敷の地面に身体を投げつけ、少年と共に仰向けになっていた俺の耳に届いたのは、聞き覚えのある声。

「……天地、か」

「ええ、そうです。貴方にラムネを売った、あの天地です」

 ほんの少し首を上に向ければ、そこには相変わらずスーツとシルクハットを着こなしている天地がいた。
 こんな嵐の中でもスーツなのかよ、筋金入りの格好つけだな、おい。
 だが、感謝はしないといけないだろうな。

「アンタが、俺を助けてくれたのか?」

「はい、微力ながらお力添えさせて頂きました。もっとも、私が月山様の存在に気が付けたのは月山様の運のお蔭でしょうが」

「……? どういう事だ?」

「私が月山様を探していた時、偶然・・川に刺さっている木を見つけましてね。何だろうと見つめていると、偶然・・ちらほらと光が見えるではありませんか。もしや……と思いまして近付けば、偶然・・月山様だったという訳ですよ。見つけた後は、これで釣り上げました」

 これ、と示して天地が俺に見せた物は一本の釣り竿だった。

「これも我が社の商品なのですが、狙ったものを何でも釣り上げられるという品物なのです。私としては、必ず釣れる釣りに魅力があるのか不思議なものですが、これが中々のヒット商品でして。月山様の次の顧客への販売用として偶然・・持ち歩いていたんですよ」

「……もういい、ちょっと静かにしてくれ」

「申し訳ございません。お怪我は?」

「大丈夫だ。はっ……偶然、ね」

「偶然、でございます」

 要するに、また俺はラムネに頼っちまったって事か。
 いや、まあいい。命があるだけマシだ。
 ……ん、そういえば、

「――――!? そうだ! 子供は! 子供は無事か!!」

 思い出したように飛び起き、少年の方に視線を向ける。
 すると、少年の脈を確かめている天地の姿があった。

「大丈夫です。少しだけ水を飲んでいますが、適切な処置を行えば命に別状はありませんよ」

「……そうか、良かった」

 天地は流れの良い手つきで応急手当をこなしていく。
 意識確認、呼吸確認、気道確保とそこまで処置を進めて、最後に119番に連絡して一息吐いた。
 妙に手慣れている。前にも似たような事を経験しているんだろうか。

「後は救急車待つだけです」

「なんか悪いな、天地。何でもかんでもアンタに任せちまって。本当に、俺は運が良い」

「ははっ、以前とは全く真逆の事を話していますね、月山様」

「まあな、それもこれもあのラムネのお蔭だ。感謝してる」

「それは良かったです。……では、救急車を待つ間に契約の件を済ませてしまいましょうか」

「ああ、その件なんだけどな――」
「承知しております、月山様」

 いつかのように、俺はまた天地に口を抑えられた。
 なんだ、この人は本当に何でも知ってるのか? ……いや、この人ならあり得る。なんて言ったって命の恩人だ、信じよう。

 俺がそんな事を思った、ちょうどその時だった。

 ――天地が、俺にいつか向けたみたいな嘲笑の混じる笑みを向けたのは。

「月山様は、今日を持って死亡致します。ですので、この一ヶ月の使用料として貴方を全財産は我が社が徴収させて頂きます」

「………………は?」

 なんて、言った? 今、コイツは、なんて言った?
 死亡? 徴収? 俺が死ぬ? …………は?

「な、な、何、言ってんだ? アンタ」

「言葉通りでございます。必要なら、復唱致しましょうか?」

「そんなことは誰も言ってねぇ! 今言ったことがどういう事かって聞いてんだよ! 俺が死ぬ!? 全財産を徴収する!? ふざんけんなっ! 聞いてねぇぞ!」

「いやはや、あの理解力はどこへ行ったのやら。私、少々月山様に失望しております」

「黙れ! 黙れ黙れ! 説明しろ!!」

「承知致しました。では、説明させて頂きます」

 業務内容を読み上げるように、天地は淡々と口にする。

「もしかして、気が付いていないのかもしれませんが、月山様。貴方はラムネを全て使ってしまっているんですよ」

 はあ? ラムネ?
 ……そうだ。そういえば、少年を助けるために泥水も丸ごと飲み干した。あれのせいで、俺は死ぬ?
 いや、でもそれはおかしいだろう。あのラムネを使って俺がしたのは少年を助けることだけだ。反動リバウンドがあるなら、あの少年をそのまま失うだけなんじゃ……。

「混乱しているようですね。それでは、一から説明させて頂きます。貴方は全てのラムネを使いきりました。そのため、貴方には反動リバウンドとして不幸が生じます。貴方はラムネを使って、自分の命を拾った・・・・・・・・。当然、その反動リバウンドは月山様の死となるわけです」

「い、いや! ちょっと待ってくれ! 俺がしたのはアイツを助けたことだけだ! ラムネを使って命拾いしたなんて! そんな大袈裟ことじゃないはずだ!!」

「果たして、そうでしょうか?」

 天地は、極めて冷ややかな声で告げる。

「以前の貴方なら、こう仰ったのではないのでしょうか? 『総じて良い結果なら、それは運が良いという事だ』と」

「――――!?」

 図星だった。
 それは確かに、かつての俺が感じていたこと。そして、ラムネを手にした俺が、忘れてしまっていたことだった。

「私が貴方の命を救えたのは、全ての貴方の幸運のお蔭です。総じて貴方の命が助かっているのなら、ラムネを使いきった時点で貴方の死は確定しているのですよ」

「……そ、んな」

「ああ、料金の件につきましては完全に此方の都合でございます。いやはや、貴方の死後、貴方の財産を野放しにするのは勿体無いですからねぇ。此方の手段・・・・・を使って、全て回収させて頂きますので、悪しからず」

「……ふざ、けるなよ」

 何が、幸運だ。
 最初から、こうなる事が決まってたみたいに、冷たい目で俺を見やがって。
 これからって時に、終わっちまうのかよ。またやり直そうって思った時に、死んじまうのかよ。

「助けてくれ! 頼むっ! これからなんだよ! これから! やり直すんだっ! だから!! ……こんなところで、死にたくねぇんだ。アンタなら、どうにか出来るんじゃないのか?」

 俺は必死で懇願した。
 地面を這いつくばって、天地に膝まづいて、その足にすがり付いて、必死で叫んだ。
 天地はしゃがんで俺と目線の高さを合わせ、俺に向かって相好を崩した。

「構いませんよ」

「――――!  本当か!」

「ええ。ただし、一つ条件があります。貴方を助けるために、報酬を貰う必要があります」

「…………報、酬」

 俺は今、何も持っちゃいない。
 家を出るときに持ったのは、傘とラムネだけだ。ラムネは空で傘は川に入る前に投げ捨てた。財布も今は川の底だろう。今の俺に、報酬に値するものは何一つ無い。
 だが、天地が要求したのは意外な物だった。

「そう悲観的な顔をしないでください、月山様。実は私、月山様を助けるために傘を放り出してきてしまいましてね。傘を頂ければ、貴方の命をお助けします」

「……本当、か?」

「ええ。以前も言いましたが、私はお客様を騙すようなことは決して致しませんので」

 天地の言葉に頷き、俺は這いつくばったまま自分の傘を探す。
 多少は川に流されたが、そう遠くまでは進んでいないはずだ。なら、まだ近くにあるはず。

「――あった!」

 僅か十メートル程先で転がっている広がったままの傘。あの大した柄の無い、地味な黒色の傘は間違いなく俺の物だ。
 急げ、急げ。早くしないと、いつ死ぬかなんて分からない。出来るだけ早く、あの傘を。
 そう胸中で念じて、地面を這う。立ち上がるほどの気力は既にない。地道にこうして進む他無い。

「あと、少し――」

 俺がその傘に飛び付いたとほぼ同時に、突風が吹いた。
 風邪に煽られて、傘が月の無い闇夜に紛れる。俺を嘲るように、ふわり、ふわりと宙を舞う。
 見逃してたまるか。絶対に、絶対に、あれを手に入れるんだ。

 そう、俺は必死だった。
 必死で、決してその傘から、目を逸らさなかった・・・・・・・・・

 風が弱まり、傘が徐々に降下してくる。傘が風を煽られながら、不規則に揺れる。クルクルと回転しながら、それは落ちてきた。時に闇に紛れ、時に姿を現し。
 もうすぐ、俺の手に入る。そうすれば、俺はまだ死ななくて済む。
 そうすれば、俺はやり直せるんだ。

 生きたい。
 俺のそんな切なる願いは――――――叶わなかった。

 どうしてか、空中で傘が閉じた。
 さっきまでゆらゆらと揺れていた傘は、真っ直ぐと自由落下を始める。
 その傘の先端が、決して目を逸らさなかった俺の目に――、

「――――」

 俺は、死んだ。
 最後の最後で、運悪く、死んだ。


 ■■■


「いやはや、やはりお亡くなりになってしまいましたか」

 落下してきた傘の先端によって眼球を貫かれ絶命した月山を見下ろして、天地はぼそりと呟いた。

「人の欲には際限が無い、それは分かりきったことです。……ですが、意外でしたねぇ。私はてっきり、貴方は他人の為に運を使いきるなんて愚かなことをする人ではないと思っていたのですが」

 激しさを増す雨が、ひたすら月山の身体を打つ。
 天地は雨を避けるために、バッグから折り畳み傘を取り出した。

「死因は事故死、と判断されるのでしょうが――」

 僅かな間、天地は黙って考え込む。
 そして数秒後、差したばかりの傘を投げ捨て、天を仰いで、言った。

「本当の死因は、貴方に『ツキ・・が無かった』、と言ったところでしょうか」

 高らかな笑い声が、その一帯に響き渡る。
 けれど、降り注ぐ雨の轟音にかきけされて、その声を聞いた者は誰一人としていなかった。

 常に闇夜を照らしているはずの月光ですら、その姿を見ることは無く。

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