ようこそ!異世界学園勇者クラスへ

夙多史

一章 勇者クラスの休日(5)

 稜真とシェリルは街の広場のベンチに腰を下ろして溜息をついていた。
「どうりで誰も誘って来なかったわけだ」
 いつもなら夏音辺りが意気揚々とクラス全員に声をかけるようなイベントだが、稜真も含めて既に先約ばかりだった。耳のいい夏音のことだから直接訊かなくてもその辺りの情報は拾えるだろう(〝妖〟組だけよくわからないが、恐らく個人で来て鉢合っただけかと思われる)。
 空気を読んだ、とは思えない。
 あの龍泉寺夏音だ。空間的な意味での空気は読めても、人間関係的な雰囲気の空気は積極的に破壊しようとする性格である。恐らくどこかのタイミングで街に散らばっている勇者クラスの面々を招集するつもりではないだろうか。
「よく考えたら、別に逃げなくてもよかったんだよな」
 一部近寄りがたい組み合わせだったとはいえ、知り合いだ。こちらから軽く声をかければ済む話だった可能性もある。確定ではなく『可能性』になる辺りが勇者クラスの怖いところだ。
「いかがいたしますか、リョウマ様?」
「そうだな。少し休憩したら、もう一度いろいろ回ってみよう。そこで誰かとバッタリ会ってもそれはそれで一緒に行動してもいいし」
「そう……ですね。はい、それがよろしいかと思います」
 シェリルはどこか残念そうに俯いたが、すぐに顔を上げて可憐に微笑んだ。そんな彼女を見ていると、せっかく稜真のために気合いを入れて調べてくれたのになんだか悪い気がしてくる。どうにかフォローしてあげたいが、上手い言葉が見つからない。
「シェリルは疲れてないか? あっちこっち動き回ったし、〝超人〟の俺に合わせてたら身が持たないだろう?」
 せめて気にかけよう。労わろう。裏の世界が関わっていない対人スキルにはイマイチ自信のない稜真が今できることはそのくらいだ。
「このくらいなら大丈夫です。私も学園で訓練を受けているんですよ?」
「ははは、そうだったな。でも流石に俺も喉が渇いてきた」
「あ、ではそこのコンビニで飲み物を買ってきますね」
「ああ、たの――コンビニ!?」
 聞き慣れた言葉を聞くはずのない世界で耳にした稜真は思わずシェリルを二度見した。
「はい、『コンビニエンスストア』と言って、なんと夜の八時まで開いているお店なんです」
「田舎か!?」
「すぐそこの、あのお店がそうです」
 シェリルが指差した先にある建物は、赤や青や緑の塗装がされたカラフルな平屋――ではなかったものの、白い煉瓦造りの小売店には確かにこの世界の文字で『コンビニエンスストア』と書かれている。
 シェリルと一緒に店内に入ってみると、入口の正面に会計台があり、木製の商品棚が所狭しと陳列し、瓶詰めされた飲み物や袋詰めされた食品が並んでいた。冷却・保温も魔法で行っている。飲食品だけでなく日用雑貨や雑誌なども置かれていた。
 日本のものとは差はあるが、間違いなくコンビニだ。
「これも茉莉先生のアイデアか?」
「はい、そうです。やっぱりリョウマ様の世界だと当たり前にあるものなのですか?」
 柑橘系の果汁を加えた飲料水を冷却棚から手に取りつつ、シェリルが問う。稜真はなんと答えればいいかと少し逡巡し、腕を組んで店内を見回した。
「国にもよるけど、当たり前過ぎて世界観に響くレベルだよなぁ」
「せかいかん?」
 建物の外見や内装、陳列されている商品は間違いなく異世界の物だったことは幸いである。道中に見た魔動車ほどのインパクトはない。
 だが、異世界でコンビニ。もっと現代的な世界ならともかく、こんな中世ヨーロッパな世界でだ。
 同じ飲料水を二本買って店を出る。元のベンチに戻って一口含むと柑橘系の爽やかな味が口内に広がった。
「まあ、十年も住んでたら世界観より便利さだよな」
 魔王が討伐され、時代が変わりつつある。
 恐らく今は、そんなパラダイムシフトの真っ只中なのだろう。
「リョウマ様にとっては、やはりこちらの世界は不便なのでしょうか?」
「ああ、そういう意味で言ったんじゃないよ。俺は今のところこの世界で不自由したことないからな。シェリルたちのおかげだ」
「あ、ありがとうございますッ!」
 かぁあああっと頬を赤らめて何度もペコペコ頭を下げるシェリル。これはお世辞ではなく稜真の本音だ。実際、彼女たちにはよくしてもらっている。もし右も左もわからない状況で異世界の生活を強いられていたらと思うとぞっとする。
 そういえば、と稜真は気づく。
 恥ずかしそうに顔に手をあてているシェリル個人についても、稜真はまだよくわかっていないのだ。
「シェリルはどうしてあの学園に通おうと思ったんだ?」
「え?」
「いや、いきなりで悪い。俺自身のことはけっこう話したけど、まだシェリルのことはあんまり知らないなって思ったんだ」
 これまでは世界のことばかり知ろうとしていっぱいいっぱいだった。だが、今は休暇を満喫できる程度には余裕がある。自分の身の回りの世話をしてくれる彼女のことを、『白魔法科の少し臆病だが優しい女の子』という情報だけでなく知っておきたい。
「やっぱり勇者の仲間になるってことに憧れてたのか?」
 そう訊ねると、シェリルは湖の彼方へと視線を向けた。
「そうですね。もしそうなれれば素敵だなって思ってはいました」
「その言い方だと、理由は他に?」
 誰も彼もが勇者の仲間を目指しているわけではないことは知っている。武芸部剣術科のアリベルト・フォン・ヴィターハウゼンなどもそうだろう。
 シャリルみたいな性格の娘がどうしてフォルティス総合学院――それも一種の士官学校の体を成している武芸・魔法・魔法工学の学部に入学したのか稜真は不思議だった。
「はい。えっと、私がウェルズス連邦国の出身という話はしましたよね?」
 確認の言葉に稜真は頷く。
「ウェルズス連邦国は大小数多くの島々からなる国でして、私の家――コールフィールド家はその内の小さな島を一つ任されている領主になります」
「領主ってことは、シェリルは貴族だったのか?」
「いえ、ウェルズスは貴族制ではありません。女王様と王族の方はいますが、島の領主は三年ごとに島民の選挙で決められるのです」
 日本で言う市長選挙のようなものだろう。
「コールフィールド家はもう三十年ほど連続で領主を任されています。みんなから信頼されているのだと思いますが、小さな島なので他に領主になろうって人がなかなかいないせいもありますね」
「もしかして、親に学園に入れって言われたとか?」
 世間体のために入学している生徒だって少なくはない。貴族の生徒はほとんどがそれだと思われる。
「そういうわけではありません。その、十年前の魔王軍との戦いで、島の土地のほとんどが酷く汚染されました。今は女王様が国の白魔法使いを動員していただいたおかげでだいぶ回復していますが、まだまだ瘴気を浄化し切れていない土地も残っています」
 魔王軍との戦いがどれほど壮絶だったのか?
 魔法という概念があるこの世界で十年も汚染され続ける大地がある――その話を聞くだけでも、稜真は軽く戦慄しそうになった。
「私はまだ子供でしたが、元の島の綺麗だった景色は今でも鮮明に覚えています。あの頃の島を取り戻したい。島の人たちが心の底から安心して笑って暮らせるようにしたい。そう思ったんです。だから――」
「なるほど、それでシェリルは白魔法を習うために学園に入ったんだな」
「はい、幸い魔法の才能は少しはあったみたいですので」
 少しどころか勇者を召喚するほどだ。シェリルは学園に九人しかいない優秀な魔法使いであることは間違いない。本人に言ってもぶんぶんと首を振るだけだろうが……。
「シェリルだったらなんとかなるさ。俺は白魔法どころか魔術も使えないけど、できることがあれば言ってくれ。喜んで手伝うよ」
「い、いえ、これは私の個人的な話です。リョウマ様のお手を煩わせるわけには……」
「俺はこの世界でなにかの目標が欲しいんだ。暗躍してるっぽい魔族の件とは別にな」
 なにかを倒したり壊滅させたりすることは性分的に目標にしたくない。稜真は復讐者でもなければ戦いに飢えた戦闘狂でもないのだ。
「ですが」
「勇者って奴は大雑把に言うと『召喚した者の願いを叶える存在』だ。大概は魔王討伐になるんだろうけど、この世界に魔王はいない」
 今後また殻咲みたいな魔王もどきが現れるかもしれないが、とりあえず今はいない。
「俺の召喚者はシェリルだ。だからシェリルの目標に勇者おれを使ってくれ」
「ッ!」
 シェリルは言葉に詰まって息を飲んだ。なんだかこの世界で生きるために彼女を利用しているような感じだが、それは言い方が悪いだけだ。
 稜真の本分はボディーガード。他人を守ることが仕事だ。異世界だろうとその意思を曲げるつもりはない。恐らく今後もずっと。
「リョウマ様……あ、あのあの、せ、せめて命令でお願いします! でないと私、何度も遠慮して断ってしまいそうではわわわっ」
 混乱しているのか目を回しながらシェリルはあたふたしていた。首が忙しなく動き回ってツインテールが暴れている。
 稜真は苦笑した。
「俺に手伝わせろ。いいな?」
「は、はいぃ!」
 要望通り命令形で言うと、シェリルは背筋をピンと伸ばして硬直した。頭で湯が沸かせそうなほど顔が真っ赤である。
 これ以上追い詰めると倒れそうだ。
「じゃあ、休憩は終わりにしてまたどこか回るか飯でも――ッ!?」
 その時、稜真の〝超人〟としての感覚が背後からの危険を察知した。
「伏せろ!?」
「ひゃあッ!?」
 反射的にシェリルを押し倒す。一瞬前まで稜真がいた場所を銃弾が掠め、地面に弾痕を刻んだ。
 そのまま――バシュッ! バシュッ! バシュッ!
 何発もの弾丸が連続して地面を抉っていく。
「狙撃? 夏音か?」
 やがて銃撃が止んだ時、地面には弾痕ではっきりと文字が書かれていた。

『今すぐ迎賓館に集合しなさい!』

 日本語だった。画数の多い漢字まで精密に描かれている。迎賓館から撃ったのだとすれば、この広場から軽く二キロメートルは離れた距離からの狙撃だ。まさに〝超人〟的な腕前だろう。
 そう稜真が感心していると――

『PS.イチャついてんじゃないわよ爆発しなさい!(怒)』

 追記がされた。
 そこでようやくシェリルを押し倒したままだと気づく。稜真の下にいるシェリルは赤という色を極限まで突き詰めたような顔色で口がへなへなになっていた。
「わ、悪い!?」
「はうぅ」
 咄嗟に飛び退いた稜真だが、シェリルは力なくベンチに倒れたまましばらく動けそうになかった。

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