ようこそ!異世界学園勇者クラスへ

夙多史

一章 勇者クラスの休日(3)

 翌日は雲一つない青空がどこまでも続いていた。
 気候も穏やかで風もなく、実に素晴らしいお出かけ日和である。
 休日でも活気のある学園内でのんびり過ごすのも悪くはない。が、せっかく『外』に出られるのであれば出てみたいと思うのが人の心。特に引き籠り属性のない稜真は早速とばかりに職員室で外出許可を貰い、お世話係が用意してくれた馬車に乗って学園の正門をくぐった。
 まず目の前に広がった景色は――
 青々とした、長閑な草原。
 遠くには背の高い山々が連なり、石のタイルで舗装された道が草原を割るようにして視界から途切れるまで延びている。左手には鬱蒼と繁った森。右手には風車と思われる建造物がくるくると回っている。よく目を凝らせばウサギに似たもふもふの小動物が草原をぴょこぴょこと駆けていた。
「おお! おおおおっ!」
 これが異世界。いや地球上にも似たような景色がないこともないが、都会では決して味わえない大自然の解放感に稜真は思わず馬車から立ち上がっていた。
 すると、隣で馬車の手綱を握っている少女がクスリと笑った。
「ふふ、なにか面白いものでも見えましたか、リョウマ様?」
 ツインテールに結った輝くような蒼銀の髪に、あどけなさの残るも整った顔立ち。肌はミルクのように白く、くりっとした大きな青い瞳が微笑ましそうに稜真を見ている。
 触ると壊れそうなほど儚げで華奢な彼女は、稜真の召喚者でありお世話係をしている白魔法科の生徒――シェリル・ラ・コールフィールドである。今日は休日でしかも外出するためか、制服ではなくフリルのついた可愛らしい白いワンピースでオシャレしている。女子にとって外出は勝負なのだろう。そこにはどことなく気合いが感じられた。
「この辺りはなにもなくてつまらないと思いますが」
「そんなことはない。異世界ってだけで俺たちには珍しい物ばかりだからな」
 日本にいた頃から非常識には慣れ親しんでいる稜真であるが、異世界などというぶっ飛んだファンタジーは流石にフィクションだった。せいぜい〝術士〟の召喚する使い魔や精霊が存在している『同じ世界の高位相』くらいなものだ。
「もし私がリョウマ様の世界に行けばきっと同じことを思うのでしょうね」
「どうかな? こっちとあっちじゃだいぶ違うし、確かに珍しいかもしれないが……」
「リョウマ様のお話を聞いただけでも凄い世界って思いましたよ」
「そうか。もしそんな日が来たら、いろいろと案内してあげるよ」
 現状、稜真たちが元の世界に帰る方法は存在しない。勇者召喚は他世界から死にかけの魂を転移させ、その記憶を元に肉体を再構成させる魔法だと聞いた。それだけでもとんでもない魔法だが、いかんせん一方通行なのだ。
 理論上では応用すれば送還魔法もできそうではある。しかし、それは実現できないだろうと稜真は考えていた。なにせ自分たちのよく知る世界へ引き寄せるのではなく、まったく未知の場所へと送り出すのだ。成功しても肉体の再構成に失敗したり、地球でもリベルタースでもない第三第四の世界に転移してしまってはどうしようもない。
 だから帰るとしても別の方法を模索するべきだ。

 例えば、次元を肉体のまま自由に渡れるらしい魔族の技術を奪うとか。

 そうなってくると先日の襲撃事件の黒幕である魔人――ベルンハードを取り逃がしたのは痛かった。奴は魔王カラザキ――元悪徳政治家で稜真の護衛対象だった殻咲隆史をこの世界へと連れてきた。捕縛して尋問するべきだっただろう。
 だが、後悔しても仕方がない。チャンスはまだあるはずだ。今は魔王カラザキを撃退しただけでも僥倖と思うことにしよう。
「なあ、シェリル。これから行く『学園の外』の街ってどんなところなんだ?」
「はい。丁度この真正面に見えます山を迂回した先にある、ルルンという港町です。そこが学園の南正門側から最も近い街になります」
「港町? この学術自治州は四つの大国の中心なんだろう? 海なんてあるのか?」
 地図も見たことあるが、完全に内陸だったと稜真は記憶している。
「あ、いえ、海ではないんです。ヴァルフィーア湖という大きな湖がありまして、ルルンはその湖畔に作られた街です」
「あー」
 そう言えば学園の南側に青い部分があったような気がする。地図上では小さかったが、縮尺を考えれば琵琶湖の三倍はあっただろう。港ができるわけである。
「なにが有名なんだ?」
「湖で養殖されたお魚や水上で栽培された水キャベツなどが特産品ですね。食べ物以外ですと、『ディープムーン』という水晶玉のように大きな青真珠が迎賓館に展示されているようです。湖に巣食っていた魔獣を勇者マツリ様が倒した時にお腹から出てきたものだとか」
「茉莉先生が?」
 あの人は世界中を旅して魔王を討ち取った英雄だ。どこにどんな伝説が残っていても不思議はないだろう。
「街外れには立派な桑園もありまして、そこで取れたシルクで作られた服が魔法学部の女の子たちの間でブームになったこともありました。実は、このワンピースもそうなんです」
 僅かに頬を朱に染めてシェリルは微笑んだ。稜真に自分の世界のことを語る彼女は生き生きしていて、とても楽しそうに見える。
「けっこう詳しいんだな。近くの街とはいえ」
「たまに買い物に出たりしていますし、それに……」
「それに?」
 なぜか言い淀んだので訊き返すと――かぁああああっ。
 シェリルはみるみる頬を赤くし、
「昨日、ちょっと調べました。その、リョウマ様のお役に立てればと」
 恥ずかしそうに俯いて、消え入りそうな声でそう呟いた。
「はは、それは早く街に着いてシェリルの努力を披露してもらわないとな」
「ええっ!? あ、その、えっと、そ、そ、そんなに期待されるほどのことでは!?」
 わたわたと顔の前で手を振って慌てるシェリル。思わず手綱を放してしまったことで馬が嘶く。ハッと正気づいて、彼女は混乱する馬をどうどうと落ち着かせた。まだ耳まで真っ赤だ。
 慌てるシェリルは可愛いが、これ以上は交通安全に関わってくる。だから話題を変えることにしよう。
「このまま馬車であとどのくらいなんだ?」
「一時間と少しくらいでしょうか」
「俺が走った方が速いな……」
 馬車の速度は二十キロ程度。原付の法定速度より遅い。となると、稜真がシェリルを抱えて〝超人〟の速度で駆ければ数分の距離だろう。
「急ぎましょうか?」
「いや、今はこうやってのんびり移動したい気分だ。馬車には乗ったことがないし、もう少しこの新鮮さを楽しみたい」
「かしこまりました」
 何事も速ければいいってものではない。科学の発達した元の世界は便利ではあるが、やはり生物としては排気ガスやなにやらで汚染された向こうよりこちらの方が居心地は――

 ドゥルルルルルルルルゥ!!

「は?」
 幻聴でなければ、車のエンジン音のような音が聞こえた。いや、幻聴ではない。稜真は感覚型の〝超人〟ではないが、それでも常人より耳はいい方だ。

 ドゥルルルルルルルルゥ!!

 確かに聞こえる。
 馬の嘶きでは決してない、人工的な機械の唸り。タイヤが地面を擦る音。
「……」
「リョウマ様?」
 顔を上げると、前方から一昔前のディーゼルのような黒い車が物凄いスピードで走ってくるのが見えた。まだ遠くでシェリルは気づいていないようだが、明らかに時速百キロ以上は出ている。あっという間に、常人でもハッキリと視認できる距離まで近づいた。
「なんだ、アレ?」
「魔動車のことでしょうか?」
 シェリルは特に疑問もなく答えた。そのまま彼女は馬車を脇に寄せて自動車に道を譲る。馬車と自動車が交差した瞬間、稜真は反射的に窓から中を覗いてみた。
 ――女?
 左ハンドルの運転席にサングラスをかけた若い女性が座っていることを確認。他に人は乗っていない。女性はこちらを一瞥することもなく、速度も落とさず学園に向かって真っすぐ走って行った。
「この世界、主流な移動手段って馬じゃないのか?」
 ちょっと世界観がわからなくなった稜真が訊ねるが、シェリルにとっては驚くほどのことではないらしい。普通に答えが返ってくる。
「えっと、魔動車は魔王討伐後から開発が進められていた魔法機械です。乗ったことはありませんが、馬より速く、しかも快適に移動できるらしいですよ。それでも普及され始めたのが最近ですので、まだまだ馬が主流ですね。買おうとするとすごく高かったはずです」
 日本で言えば自動車が流行り始めた大正時代辺りだろう。それにしてはデザインがもう少し未来だった。しかし、よく考えれば納得はできる。近未来的な魔導銃が普通に武術科の武器庫に置いてあるくらいだ。自動車――もとい、魔力で動く車があったとしても不思議はない。
 ――いや、待て。
 開発が始まったのが魔王討伐後ということは――
「もしかしてだが、その開発に茉莉先生が関わってたりしないか?」
「はい、よくわかりましたね。勇者マツリ様は他にもいろいろな技術をこの世界にもたらしてくださいました」
「やっぱり……」
 稜真はげんなりと肩を落とした。タネがわかってしまえばどうってことはない。向こうの科学技術をこちらの魔法技術に置き換えたのだ。
 茉莉先生が〝超人〟として日本でどんなことをやっていたのか知らないが、戦闘のプロであれば自動車から飛行機まで様々な乗り物の構造くらい熟知している。稜真だってその気になればテロリストに爆破された旅客機を不時着させる程度ならできるのだ。
「というか、シェリル、その魔動車の知識は一般常識なのか? それとも昨日調べたのか?」
「いえ、一年生の頃に社会の授業で習いました」
「ああ、既に教科書に載ってるのね」
 あれば便利だから欲しいと思う気持ちはわからないでもないが――
 せっかく異世界を遊覧していたのに、少々風情をぶち壊された気分になる稜真だった。

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