灰の栄光

花牧優駿

【第1話】デビュー前日



 僕の名前は大久保和馬おおくぼかずま。今年、2030年の3月にデビュー予定の見習いジョッキーだ。

 2015年から外国人騎手の通年免許が発行されるようになって、僕ら日本人の若手騎手はデビュー後も苦戦を強いられることが多かった。

 そのせいか、今の日本人騎手会は長らくスター不在。競馬学校を卒業してもあまり騒がれることがほとんどありません。以前は『期待の新人!』みたいな感じで取り上げられたりもしたみたいだけど。

 そろそろ、厩舎に顔出さないと!

 「先生、高さん、おはようございます!!」

 「おう、おはよう。お前、いつも元気良すぎてこっちがびっくりするわ」

 「馬脅かすんじゃねえぞ〜?」

 僕が所属してる厩舎の長、藤倉達郎ふじくらたつお調教師(美浦地区)と、高山昇たかやまのぼる調教助手。この2人には特に可愛がってもらってます。
 お決まりになったこの大声挨拶。一人でも多くの人に名前を覚えてもらわなきゃね。

 「いよいよ明日デビューだな。ここ2ヶ月でお前が立て直した馬なんだから、悔いのないようにな。とは言っても、デビュー戦なんて掴まってるだけでいっぱいいっぱいだろうけどな、ハハハハ」

 厩舎の大仲に行くと国見栄一郎くにみえいいちろう調教師(美浦)がいた。国見先生は藤倉先生と大の仲良しで大学時代からの付き合いらしい。その縁で、藤倉先生の所属になった僕の応援をしてくれることになった。

 「明日はウチの馬も1頭任せるんだから、無様な競馬するなよ〜? 外人から替えてお前乗せるのをオーナーに納得させるの、結構高く付いたんだからな〜。ザギンでシースーだよ」

 「はい!出来る限り精一杯やってきます!」

 本当に藤倉先生と国見先生には頭が上がらない。こんなバックアップしてくれてるんだから、男として燃えない訳が無い。まだ18歳だけど。



______その夜、調整ルーム。


 ジョッキーは金曜の夜に調整ルームに入る。基本は門限21時。美浦トレセンや各地の競馬場にあるジョッキー専用ホテルみたいなもの。
 ここから日曜のレース終了後まで、外部との連絡が遮断される。公正競馬を謳う以上は必要な措置、だろうか。

 「よっ和馬!明日いよいよデビューだな。お前と俺で同じレースで乗れないのが残念だなぁ」

 同期の岡田和広おかだかずひろが声を掛けてきた。和和コンビとして競馬学校時代からの親友だ。

 「まぁルーキーなんてそんな簡単に乗せてくれないもんな。オーナーさんからしたら、顔も名前も知らないアンちゃんに任せられないってことだろ」

 「だよな〜。こればっかりは勝って勝って、一つでも上の着順目指して追って、アピールしまくるしかないもんな」

 「そだな。馬券買ってる人は3着までの世界だけど、俺らは8着までの世界だからな。そこに食い込めるかどうかで印象はだいぶ違うはずだもんな」

 「手当とか色々あるもんな〜。俺はよくわからんけど」

 そう言って岡田が笑う。岡田は父親が調教師で、そこの所属だ。確か……和繁かずしげさん。美浦地区の岡田和繁調教師。
 じいちゃん、ひいじいちゃんは牧場を経営してたらしい。じいちゃんの方はまだまだ健在っていってたかな?

 「今日は早く寝ようぜ。緊張で寝れないにしても、身体横にしとくだけでも気待ち違うっしょ」

 「確かにお前の言う通りだな。んじゃ、おやすみな!」

 そう言って走り去る岡田。廊下は走るな、って貼り紙がされる日も近いかもな。

 「おっ、お前は確か……藤倉先生のとこの新人か?」

 「あ、ハイ! 大久保和馬と言います! 松本さん、よろしくお願いします!」

 「噂通り元気くんだな……。俺も元々は藤倉先生の所にいたんだ。一応兄弟弟子な訳だ。よろしくな」

 松本さん。松本幸二まつもとこうじ騎手。美浦地区を代表する騎手の一人で、デビュー2年目から毎年重賞を勝ち続けてるらしい。15年連続だったっけか。クラシックはまだ勝ってないけど、天皇賞だったりG1タイトルも勿論持ってる。

 「明日は迷惑かけてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします」

 「どんだけよろしく言うんだよ……。まぁデビューは誰でも通る道だし、ある程度はみんな許してくれるさ。1ヶ月もしたらそんな扱いはしてくれないけどな」

 「そうですよね……」

 「まぁ、明日のお前のデビュー戦で乗る馬は前走外人で2着だった。しかも3着を4馬身離してな。流れに乗れれば、未勝利戦だし勝てるさ。他に強いのも出てこないしな」

 「……」

 「おいおい、今から緊張すんなよ。緊張は馬に伝わって動きを硬くしちまうからな。そのレースは俺も乗るんだ。藤倉先生に頼まれてな。ハッキリ言って勝つのは無理な馬だが、お前の先導役はしてやってくれ、ってな。
 中山の直線は短けぇし、4コーナーを俺の馬がバテた所をお前が交わして先頭で通過、そのまま押し切り、って寸法だ。
 俺が逃げて2番手がお前、そして3番手を岡田先生の馬が取って後ろの動きを封じる。お前は俺の作るペースに付いてくればいい。
 出遅れだけはするなよ。万が一出遅れたら、4コーナー直前から外に出して追い出せ。
 どっちに転んでも、俺がアシストしてやる。可愛い弟弟子の初陣だからな。岡田先生にも今度礼の挨拶行っとけよ」

 「それって八百長とかにならないんですか……?」

 「出てる馬が全部1着目指してるかって言ったら答えは100%ノーだからな。どんなレースにおいてもな。
 勝ってもクラスが上がって頭打ちなら、今の条件で3着4着拾ってる方がオーナーや厩舎の収入は圧倒的に増えるしな。
 なんかわかりやすいレースあったかな……。そうだ、今度時間ある時に『2015年のチャンピオンズカップ』観てみろよ。オーナーが違っても生産牧場が同じってパターンなんだけどな。
 その生産牧場が勝たせたい馬は追い込み馬で、シンガリからレースを進めるんだ。そして4コーナーでは最内を突いてくる。だが、なぜか前が詰まることは無い。生産側が経営するファンドの馬が進路を確保しつつそこを譲るんだよ。
 大外枠からのスタートで、折角最内のポジションが取れてるのに、だ。3コーナーから4コーナーで綺麗に2頭のポジションが内外で別れるからわかりやすいと思うぞ。
 アシストを受けた追い込み馬は2着に負けちまうんだけどな、結局。
 正直なとこファンドの馬がそのまま最内キープしてたら勝ってたようなレースなんだけどな。そればっかりは前もって決めてる事だからしょうがないし」

 もう説明だけでほとんど状況が目に浮かぶけど、後で一応確認しておこう。

 「まぁ。そんな訳だ。競輪でもラインっていわれてるようにやられてることだし、欧州競馬なんてラビットやペースメーカーなんて当たり前だからな。
 大レースで逃げてた馬が直線向くと、なぜか大外へ向けて進路を取って全く追われないままゴール、なんてシーンも多々ある。
 あとはベテランジョッキーの引退レースとかでは、その騎手が逃げて、誰も競りかけないままゴールまで淡々とレースが流れるってことも多いんだわ。
 だからお前も堂々として、馬を気持ちよく走らせてやればいいんだ。寧ろ、ここまでお膳立てして勝ち切れない、見せ場も作れないとなると、ホントに見切り付けられちまって、短くない騎手人生で一切日の目を見ることが無くなる。そういう世界だここは」

 「分かりました……。アドバイスありがとうございます!!」

 「礼なんかいいよ。お前が先輩になった時、後輩にちゃんと声掛けてやってくれよ?」

 「勿論ですとも。頑張りますよ、俺。松本さんに追いつけるように!」

 「抜かすのは勘弁してな? ちょっと話し過ぎちまったな。まぁ、そういう事だから明日は任せろ。ゆっくり休めよ」

 「はい。お疲れ様です!」




 いよいよ明日から俺の騎手生活が始まる。



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