勇者なんて怖くない!!~暗殺者が勇者になった場合~

初柴シュリ

第五話



 行方不明だった勇者が戻ってきたという情報は、騎士団第一番隊の飛ばした早馬により、すぐさま王宮中を駆け巡ることとなった。

 とはいえ、それに好意的な反応を示すものは少ない。そもそもこの脱走劇はかの勇者が自ら引き起こした事態であり、その分割を食うことになったのは紛れもない王宮の面々であるからだ。その上、今回の帰還の話が加わり、もはやいないものとして考えていたこれからの予定が全てパーになってしまった事も彼らの悪感情に一役買っているのだろう。勿論、彼らが勇者の死を望んでいたとは言えないが、それでもあまり良い印象を受けないのは確かである。

 と、ディーネは自らに向けられる胡乱な視線の理由をその辺りで片づけることにしておいた。

「……やっぱり逃げ出しちゃったせいですかね」

「……それを否定できないのは確かだな」

 隣で歩くメリエルも、やや苦み走った声で同意する。彼女の美しい顔には苦しげな皺が刻まれていた。

 彼らが現在歩いているのは、フリアエ王国王宮の内部。主に勇者たちの居住区へと続く通路である。華美な装飾が施されたその通路は、やや目に毒と言えるだろう。いや、ディーネからしてみればある種の眼福だろうか。なにせどこを見ても金になりそうな物しか置いていないのだから。

「その、メリエルさんにもご迷惑を……」

「いや何、気にすることはない。そんなに畏まらず、いつものように『メリーちゃん♪』と呼んでくれていいのだぞ」

 ドクン、と跳ね上がる鼓動。鍛えられた表情筋で顔にはその動揺をおくびにも出さないが、彼の内心は滝のような汗を流していた。

 メリエルからしてみれば何のことはない一言だろう。しかし、ディーネからしてみればこれは下手を打てば自分の偽装がばれてしまうほどに危険な質問である。今回は下準備無しの急ぎの任務であり、また、勇者たちの詳しい情報は王宮で厳重に秘匿されていたため、彼らのプライベートにまで話を踏み込まれると流石のディーネもぼろを出してしまう可能性が高いからだ。

 ディーネは横目でメリエルを覗き見る。彼女の表情は、どこか悪戯っぽいような色をしており、話の内容からしてもあまり真に迫った内容とは思えない。ディーネは頭の中で言葉を選びながらゆっくりと口を開く。

「――いや、そんな呼び方していませんから」

 これでどうだ…? とメリエルの様子を窺う。はたして、彼女は――

「いや全く、中々手厳しいものだ」

 ――苦笑いで肩を竦め、やれやれと頭を振った。

 どうやらうまく乗り切れたようだ。ディーネは内心で安堵しつつ、ポケットで握りしめていたナイフを離した。ここでばれてしまえば、捕まることは避けられない。ならばいっそ――、と用意していた保険であるが、どうやら今回は使わずに済んだようだ。

 と、メリエルはとある一室の前で立ち止まった。扉の横につけてあるネームプレートを見ると、どうやら何人かが集まって暮らしている一室のようだ。『古谷薫』という自分の文字の他に、『御堂春樹』と『葛城新』というディーネの読めない文字が並んでいる。

 勇者の顔と名前こそディーネは覚えたが、残念ながら異世界の文字までは網羅していない。ここをつかれた場合少々面倒なので、近々対策を打たねばならないのだが。

「さあ、ここがカオル殿の部屋だ。私は団長と話がある故、ここで失礼させてもらおう」

「ありがとうございました。メリエルさん」

「うむ、ではな」

 そういって去っていくメリエルを見送り、その姿が廊下の角を曲がって見えなくなるとディーネは扉の前へ向き直る。

「……さて、こっからがマジの本番か」

 一瞬だけ口調を戻し、改めて気合を入れなおす。ここから先は、自分の知らない『古谷薫』を知っている連中ばかりと相手をすることになる。ディーネからしてみれば命綱のない綱渡りをしている気分だが、それでも自分が暗部である以上、通ることの避けられない道だ。

 意を決して、ドアノブに手をかけ、そして深呼吸。

 さあ、行くぞ――

「薫!!」

「ふぐぉ!?」

 横から突っ込んできた何かに吹き飛ばされるディーネ。ちょうどいい具合に鳩尾に突き刺さり、思わずつぶれた蛙のような声を上げてしまう。

 そのまま飛び込んできた何かとともに、彼は一メートルほど宙を浮き、廊下に芸術的な弧を描いて叩きつけられる。その際、「げふぁ!!」という叫び声が彼から聞こえたのは気のせいではないだろう。

「な、何が……」

 まさか暗部の長たる自分が不意を取られるとは。霞む意識を必死で繋ぎ留めつつ、自分を仕留めた下手人を見ようと何とか顔を上げる。

そこには「薫薫薫薫薫薫薫薫薫薫薫ぅ!!」と謎の声を上げながら自らの鳩尾に頭をこすり付けている少女の姿があった。

(……こんな小娘に、まさか……)

 そこまで考えたところで、彼の意識は闇に沈んだ。

 

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