アライアンス!

松脂松明

送別

 肉塊は傷つく度に人の姿からかけ離れていった。
 星界人の持つ優れた自己治癒能力を再現されたはいいものの、本来そのようにできていない只人の魂が上げる軋みと言えるだろう。

「〈ヒール〉!」
「〈ラピッドショット〉!っす」
「〈ヘビーブロウ〉」

 多少、敵より優れた力を持っていても人数が違う。技巧が違う。それなりの時間をかけて世界に適応した星界人を前にマリユーグは削られていくばかりで…勝敗は誰が見ても決まっているだろう。
 たまのまぐれ当たりすらも癒やし手が治してしまうとなれば、もはや勝ち目など無い。
 肉塊は既に不細工な鞠のごとき姿になっていて、手足も埋もれ始めている。

「わた、わたししし…」

 肥大化する体に心さえ取り込まれて、なけなしの知性も奪われている。
 それを見て取った魔将は特に動揺した様子を見せなかった。

『追撃部隊が来るまでの僅かな間すら保たないとはな。所詮は人間の中でも下等な個体よ』
「下等…わたし…世界の…」

 肉塊に残った最後の矜持に罅が入る。
 貴種としての誇り。自分こそが世界で至高の存在であると疑うことなく生きてきた元人間は、とうとう魔からすら見捨てられたのだ。

『王とは違い、我はお前に何の価値も見出だせていない。善の種族達が持つ浅ましさを煮固めたような姿には反吐が出る。…最後に我らの役に立て。さらばだ、愚かな人間』

 魔の宰相にして技術者は人間達を嫌っていても、舐めてはいない。かつて自分達を打ち倒し、封じた星界人となれば尚更だ。
 敵はこんな不出来な個体に遅れを取ることなど無いだろうと見切っていた。

 肉塊が膨れ上がった。それはあらかじめ仕込んであった機能。
 魔軍の主はあらゆる者に手を貸すところがあるが、行動は基本的にその者へと任せる。
 マリユーグを改造するための技術を与えたのは魔軍の主であっても、実際に手を加えたのはジークシスである。その原理を完全に理解できたわけではないが、良い勉強になったと主に感謝を捧げつつ、ジークシスは愚かな作品に最後の役目を与えた。
 わざわざ観戦していたのもタイミングを誤らないために過ぎなかった。万が一、マリユーグが勝利するのであればそれはそれで良し。順当に敗北するならば道具として最後まで使い捨てるのみ。

 咄嗟に離脱しようとする星界人達を流石だ、と感心しながらジークシスはマリユーグを破裂させた。

 飛び散る肉の粘液が森を侵していく。巨体から氾濫していくそれは星界人達の健脚を持ってしても回避仕切れないほどに広範囲に及んだ。

「ちょっ!?何っすかこれ…!」

 グラッシーが叫ぶ。肌色の液体が足を捕らえて離さない。粘性の肉がまとわりつく感触は、この世界に来てから最も不快なものであった。

「トリモチというわけですか…!」

 宙に跳んだ筈のタルタルすらも捕まっていた。体に付いた僅かな肉が伸びて、地面との繋がりを作ってしまっている。

「うぇぇ!流石にコレはないよ!誰か!」

 2人にレベルで劣るカイワレは言わずもがな。助けを求めても、応えることができるものはいない。
 遠くから馬蹄の音が聞こえてくる。魔軍は追撃を諦めておらず、肉塊は単なる足止めに過ぎなかった。
 先に逃した同胞と、盟主が逃げおおせていることを願うことしか三人にはできなかったのだ。

/

 ひっ捕らえられて引き立てられたタルタル達はター=ナの集落へと戻された。
 魔軍の騎士達は宿敵を捕らえたというのに、せせら笑うことも乱暴をすることが無かった。
 この時、初めて一行はこの集団が容易ならざる敵だと遅まきながらも理解した。こうした振る舞いは完全に統率されていなければできないものだ。
 魔軍というのはまさに軍に相応しいある種の落ち着きを持った集団であり、末端にまで主の威光と権威が行き届いているのだ。

 自分達は一体これからどのような憂き目にあうのか?想像もできない一行であったが、より大きな衝撃でその未来図を書くことも止めてしまった。

 友たる団長、ケイが打ちひしがれている姿を見たためだった。

 それはあり得ない光景だった。少なくともタルタルはこのような日が来ることは考えてもいなかった。
 ケイは戦闘を楽しむ、凶刃である。傷付けることも傷つけられることも、楽しむようにできている男であった。
 それが敵を前にして項垂れている光景などあり得る筈もない。

 常であるならば、例え首だけになろうとも相手を食いちぎろうとする男が芯からの敗北を迎えていた。
 見れば、広場は地面に幾条もの線が走っている。ケイが得意とするスキルが吹き荒れたのは疑いなく、戦闘の結果敗北したのだろうが…それだけでケイが精神的に参るはずはないとタルタル達は知っていた。

「やぁ揃ったようだね。ルムヒルトから話は聞いているよ!さぁお茶会にしようか…長々と話をしたせいかケイゴも疲れてしまったようだ。僕は話し足りないぐらいなんだけれどもね」

 その原因が目の前に立つこの少女なのだろう。魔軍の兵たちが準備しだした即席の会場を前にしてタルタル達は戦闘にも劣らない覚悟で望むことになった。

//

 椅子に腰掛けて話を聞く。
 それはケイに語られた話の繰り返しであった。
 ゆえに我慢できるものか、とタルタルは魔軍の主へと踊りかかった。必殺の鉄槌に込められるのはありとあらゆる怒り。感情を伴わないように戦闘を行ってきた男が内包していた鬱屈の全てが、渾身の膂力とともに放たれる。

 動き出そうとする部下を手振りで制して、黒髪の少女はその全てを受け止めた。

 頭が吹き飛び、地面に糊となって広がる。
 通常ならば死んでいて当たり前の光景に、尚もドワーフは槌を振り上げる。あたかも鍛冶仕事のように。

「ひぃあああああ!」

 どちらが苦しんでいるのか分からない叫びは、これまでのタルタルの嘆きが噴出した形だ。
 胴体を紙のように平たくなるまでに打ち付けて、手足を砕いて煎餅のような有様へと変えていく。

 親しかったカイワレとグラッシーはその豹変に声も出ない。
 彼女達にとってはタルタルは頼れる大人だった。無理をしているのは知っていたが、これほどまでとは想像していなかった。自分達の不明を恥じようとするが、目の前で起こる惨劇を前にして意識が追いつかないのだ。
 実態がどうであれ、未だ幼さの残る容姿が鉄に蹂躙されていく光景は被害者にしか見えなくて…恐怖が先立ってしまう。

 それをケイはぼうっと眺めていた。何が起こるか、もう知っているからだ。

「少しは気が晴れたかな?何を怒っているのかわからないから、ちょっと心外ではあるけど」

 潰れた手足が、顔が、胴体が瞬く間に元の姿へと回帰していく。まるで映像の逆再生だ。
 周辺に散った血潮すら舞い戻って体に収まっていく。

 精神のストレスは肉体である程度発散できるものだ。
 鬱憤を晴らし終わってなどいないのに、中途で止まる惨劇。何もかもが意味を成さなくなった事実を前にしてタルタルは泣いた。
 中身も器も大の大人が声を上げて、赤子のように。

///

「お話…ということはアタシらも話していいっすね?」
「もちろんだよサエ」

 空気を変えたのはグラッシーだった。
 突然、真実を知らされてしまったケイとタルタルに関しては不幸な出会いだったとしか言えない。
 だが、衝撃に置いて行かれたからこそグラッシーはある程度の落ち着きを持って慣れない交渉を開始できたのだった。
 違う名で呼ばれたことは驚きだったが、もう怯むような段階でも無いだろうとそこには触れない。

「まずは…ああっと、アタシらがどうやって過ごして来たかとか知りたくないっすか?」
「それはもちろん!」

 まずは心証を良くする。筈だったのだが、そもそも先程のタルタルの蛮行さえも特に気にしてはいないらしい。
 とはいえ、この人物が“黒幕”なのだ。自分達のことを知ってもらえば、多くのことに終止符が打てるかもしれない以上は楽しませて損は無い。
 これまで過ごしてきた日々を語れば、長くなりそうだった。

////

 流れる自分達の働きを聞きながら、ケイは少しずつ気を取り直しつつあった。
 未だに立ち直れぬタルタル。こうしているとこの世界にやってきた日そのままのようだった。
 かつての世界に生きていれば不幸な末路を迎えたという話がケイを打ち据えたわけではない。特筆すべきところのなかった元の自分などそんなものだろうという諦念があるばかりだ。

 何度入れ直されたか分からぬ茶をがぶりと飲み下す。敵が淹れたものだというのに熱さが染み渡り気力が湧いてくる。

 しかし、タルタルはそうではない。家族がいる…それも妻子持ちであるらしいタルタルは元の世界への帰還を切望していた。
 そう、“元”の世界だ。
 もう戻る気の無いケイとは異なり、今でも彼のいるべき場所はあの世界なのだ。

 ケイは凶刃である。仲間との友誼という手が握っていなければ、何の利ももたらさない。
 だから仲間であるタルタルが帰還を果たそうとも、不幸な最後を迎えると聞いて力を失った。

 茶菓子を口に放り込む。香ばしさが口いっぱいに広がった。魔軍とその主の味覚も人間とさしてかわらないのだろうか?美味い。

 この世界の記憶を持ったまま、帰還を果たせば元の世界で襲い掛かってくる不幸を避けられる可能性は高くなる。少なくとも、そう努力することは可能。
 そうなっても、この世界における人殺しの罪を背負ったままになる。元来が優しいタルタルにとっては、それもまた苦しみだ。

 流れていた物語が終わる。
 きらきらと目を輝かせる魔王は本当に子供のようだった。

「貴方には個人的には、とても感謝している。この世界は楽しかった…そう、元の世界よりも」
「そうだね。あたしも子供に戻ったようだった。元の世界でも流石にここまで小さくは無いしねぇ」

 周囲からは、突然立ち直ったように見えただろうケイの言葉にもカイワレは乗ってくれる。いつも通り、仲間の様子にも目を配っていたのだろう。

「そう言ってくれると嬉しいよ。どうも楽しんで貰えないこともあるようでね…なぜかな?」

 その目はタルタルを向いている。
 目は口ほどに語るのか、その視線からケイは何となく魔軍の主を少しだけ理解できた。

 元が巨大過ぎるせいか、彼女の理解というのは何事につけ大雑把なのだ。細かいところに及ぶことがない。見た目以上に子供のような精神をしているのだろう。
 だから不幸から救った筈の存在がこの世界に順応してくれないのが不思議でたまらない。
 …事前に了解でも取らなくては誘拐と変わりが無いということにも気付かないのだ。

「まぁ…そのあたりについては今更私に言う資格はありませんが、この通り帰りたがっている仲間もいます。なにか都合の良い方法は無いものですかね?」
「なぜ?言っただろう?君たちはあの地球では不幸になるばかりだ。この世界にいた方が幸せなのに」
「とはいえ、元の世界を気にして楽しむばかりでもいられ無いでしょう。記憶を弄るとかしてから――」
「「ダメだ」」

 重なった声は意外にも魔軍の主とタルタルのものだった。前者は理解できるが、後者が制止する意味はケイには分からない。
 この一点において、ケイは魔軍の主よりも子供とさえ言えるほどに後退していた。人の感情は斑模様なのが当たり前であり、定まらぬものなのだ。
 ケイが戦闘“だけ”楽しんでいたのではないように、タルタルも全くこの世界を楽しんでいなかったわけではないと理解できずにいる。

「私の意思は私で決めます。ここで私がやったことは、全て覚えて生きます。…あんなことをした後でなんですが、元の世界への帰還は可能なのですか?」

 ドワーフの問いかけに魔軍の主は腕を組んで考え込んだ。その頭の中で何が検証されているのか、理解することはこの世の誰にもできないだろう。

「可能…だと思う。元々あちらの世界からこちら側へと引きずって来たんだから、逆をすればいいだけだ。確実は保証できないけど99%はね。けど良いのかい?記憶を持ったままで帰ったとしても社会が変わるわけじゃあない。辿る末路は同じだろうと僕にだって想像がつくよ。それでも?」
「それでも。子供のために帰らなくては」

 そう言い切れる男のなんと雄々しいことだろうか、少なくともケイには不可能であった。ケイが同じ立場に立ったとしたら…辛いことは嫌だという当たり前に縛られて竦んでしまうだろう。

「では君の意思を尊重しよう。…それで?対価は?」
「…要求するんですか、対価」
「何かいきなり俗っぽくなっちゃった感じっすねぇ」

 一行の言葉に少女らしい憤慨を見せながら、黒幕は反論した。

「何でも認めるわけ無いだろう?魔軍に与しているのも定まった流れで劣勢になったのを均衡へと戻してあげるだけだ。僕が楽しくなくっちゃあ意味がない」

 タルタルの悲壮な決意が台無しな空気になってしまったが…その和やかさとは裏腹にケイはこの存在を明確に敵と見定めた。
 力を持った子供が暴れるように、気分が乗れば世界を蹂躙してしまうだろう。そう確信したからこそ、ケイは初めて快楽ではなく、義務感の下に殺意を練り上げた。こいつは自分と同じように死んだほうがマシな手合だと――


//////

 時刻は既に夕暮れ時、かつての首都の広場を覆っていく。
 対価を見出だせずにいたときに“それ”が灯りに照らされていくのが見えた。転移門。星界人が利用する瞬間移動施設。
 それを見たときにひらめいた。魔軍の主の肉体を倒すことは可能だと、どこまでも自分らしく戦闘にこだわった解決法が浮かんだのだ。

「楽しむ…それがあなたの目的ならば、私が楽しませることで対価にはなりませんか?」

 少女の口が三日月に歪む。花の顔は悪意が無いからこその邪悪に満ちていた。

「…具体的には?」
「戦いで。私があなたを倒します」
「…その前提ならば僕も今度は手加減しない。それでも、この肉体に勝てると?」

 手加減しない。つまりそれは復活を許さないということで死を意味しているのだろう。…何を今更。

「ええ、それでも今度は私が勝ちます」
「くはっ。ははっははは!良いよ、そんな方法があるなら見てみたい!君の命がけを対価に彼を元の世界へと戻そう!とても残念だけれども、それを上回る楽しみをくれると信じて!」

 …こいつは本当に分かっているのだろうか?私が勝つということは、魔軍の主の滅びを意味しているのだがそれすらも楽しみの前にはどうでも良いと?
 この“敵”はやはり自分と同類であるらしい。
 だからこそ必ず殺す。自分の仲間の日常にコイツは不要である。

///////

 別れは短く。とても味気ないものだった。
 先代の団長との別れと同じように。

「団長…、何だか押し付けるようなことに…」
「いえ、それは気のせいですよタルタルさん。というか、あなたはこれからが大変でしょうから人の心配をしている暇は無いですよ。私は戦って殺すだけなので気楽なものです」

 小柄な体躯。丸い顔と腹のドワーフを見ることも、その声を聞くことももう無いと思えば寂しい。しかし仲間の門出だ。めいいっぱいの激励として肩を叩く。

「カイワレさんとグラッシーさんは本当に?」
「まぁアタシらは元々戻る気あんまり無かったっすから平気っす。こっちでイケメンに囲まれてる方が幸せっすね」
「あんな話を聞いた後じゃ、戻る気しないよねー。…これから頑張ってね」

 対価を求められる以上は、魔軍の主を楽しませるものが見つからなくては帰還は叶わない。全てはこの世界の神たる魔王の機嫌一つ。ケイの命をかけても、帰れるのは1人だけだった。
 相応しいのはタルタルしかいないと、一行は等しく思っていた。この場にいなかった星界人については…考えても仕方が無い。仲間を贔屓するまでだった。

「別に今すぐじゃなくてもいいんだけど?」
「いえ、今すぐで」

 決心が鈍ると考えているのか、タルタルは即座の帰還を希望した。
 さようなら、さようなら。
 本当に会えなくなる相手に言ったのは初めてのことで…涙が出た。思えばこの世界に来てから泣いたことなど初めてだった。
 さようなら、私の数少ない友達…そう口にする前にタルタルの姿は掻き消えた。
 本当にあの日の送別会のようだった。

 違うのはこの不純物。 

「さぁ決戦の日取りを決めようか?」

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