アライアンス!

松脂松明

目覚め

 “彼”は新しい世界が産まれたことに喜びを感じていた。世界は順調に育っており予定されていた時代まで到達したのだ。ならば彼らを目覚めさせる時が来たのだ。いや設定に齟齬を産まないように今少し待たねばならない。
 そうでなければ“彼”が愛した彼らにも新鮮味が感じられまい。その時が来たら自分もまたこの世界に降り立つのだ。この世界に生きる存在…しかし少し特別な存在として用意した端末もある。
 待ち遠しい、待ち遠しい。


 瞼に光を感じて、“ケイ”は深い眠りから浮上した。

(…朝か?)

 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。そう感じた彼は、未だ働かない頭で違和感を覚える。
 寝床にせよ、情報端末の前であろうと、“ケイ”の現実における部屋の間取りでは、朝になっても陽光が顔に当たることはまずないのだ。

 ケイは、背中に感じる冷たさと、金属がこすれるような音を僅かに感じとり、顔をしかめた。
 …どこで眠ってしまったのであろうと、さっさと目を覚まし、仕事の準備をしなければいけない。そう考えてケイは目を開く。
 視界に入ったのは石材で作られた天井だった。所々欠けており、耐えてきた年月の長さを伺わせる。
 それはケイのギルドが溜まり場としていた、『ゲオン廃城』で見慣れたものだった。

(ヘッドマウントディスプレイを着けたまま寝たのか?)

 そんなに疲れていただろうか…と自分自身を訝しみながら
 ヘッドマウントディスプレイを外そうと、手を動かし…空を切った。

「…ん?」

 思わずマヌケな声が漏れる。
 あるべき物の手応えが無く、手をしげしげと眺める。
 小手を装着した手であり、甲には鋼が輝いており、掌は丁寧に柔らかくした革状のもので覆われている。
 しかし…『小手をはめた手を見ている』事実に違和感を覚える。
 『トライ・アライアンス』において主観視点で手を見る機会が有るのは、武器を握った状態ぐらいであり、このように手のひらを見ることはできない。

(夢か…?明晰夢とかいうやつなのかな…)

 そう真剣に考えていると、女の声が降ってきた。

「ようやく起きたの?呑気にしているわね…」

 中年と言うにはまだ若く、さりとて少女と言うには憚られる年齢の女性の声。少し嗄れた声は聞き慣れたものだ。
 声の方を見やると、制服のような衣装にところどころ鋼が輝き、古典的漫画のようなぐるぐるメガネをかけたエルフが立っている。
 間違いなくギルドメンバーのグラッシーだ。
 しかし、印象が違う。ゲームのグラフィックなどではなく、実際に生きている生物のようだ。
 『トライ・アライアンス』のグラフィックは“そこそこ”程度のレベルであり、仮に最高設定にしてもその域を出ることはない。

(やっぱり夢か…夢の中まで『トライ・アライアンス』尽くしになったのか俺は)

 よくよく観察してみると、頭の上に名前の表示もない。
 やはり夢だ。

 しかし、話しかけられて黙っているのは夢であろうと居心地が悪い。

「…グラッシーさん?どうしたんです、そんな声を出して…なにか怒ってます?」

 とりあえず、そう声をかけてみるとグラッシーは、ため息を付きながら腕を組む。
 「どうしたものかな、コイツ」…そう言われている気がした。そう思われているのは分かったがケイには何が何だか分からない。
 しばらく返答を待っていると、いきなり頬を思いっきり抓られた。夢の中だと言うのに、痛みがはしる。
 流石にされるがままでいるわけにいかず、手を払いのける。妙に現実味の有る感触がある。

「お前な…」

 言いかけると、グラッシーは手と声で続きを遮る。

「ジャンプ」
「は?」
「いいから、その場でジャンプ。思いっきりね」

 段々と腹が立ってきたが、元々押しに弱い性質だ。夢の中であろうと男としては情けないが、いわれるがままに姿勢を取る。

(なんだこの状況は…。しかし全力でジャンプなんて何年ぶりだ)

 足を撓ませて、石畳を蹴る。
 大分不格好だっただろうな、と妙に長く感じる時間の中で思う。視界の中で縦に流れていく景色が妙にハッキリとしていた。

 瞬間、衝撃が頭蓋を揺らした。頭に星が浮かぶという古典的な漫画の表現を思い出すような衝撃だった。
 突然の事態に、地面に無様な着地をしたあと、頭を抑えてうずくまる。何かを言おうとケイが喉を震わせた瞬間、僅かに開いた穴からホコリが石粉と混ざって降り注ぎ、それを吸い込んでしまった。
 むせて咳き込むが。…・その苦しさは到底夢ではあり得ないものだった。
 呼吸を荒くしながらも上を見上げると天井には穴が開き、ソレを中心にひび割れが生じている。

(…少なくとも5メートルはあるんだぞ!?)

 見るものも、感じるもの、何もかもがあり得なかった。


 彼女が目覚めたのは、およそ二時間以上前――時計がないので正確には分からない――らしい。
 グラッシーもまた、自分と同じようにこの状況が信じられずに色々と試してみたが、とうとう夢ではないようだという結論に達したのだった。
 …よく見れば、かつて溜まり場にしていた一隅の壁には穴が幾つか開いている。
 聞いてみると殴ってみたとのことだった。

(この状況も信じがたいけど、グラッシーさんのこの性格も男前過ぎるような…)

 しかし、ゲームにおいて普段とは違う性格を演じたり、ボイスチェンジャーをつかったりするというのは別におかしなことでもないと思い直し、周囲をもう少し調べようと首を回す。

 視界に入った男の姿に目を丸くする。
 ドワーフと呼ばれる小柄で頑強な種族の外見。特徴的なのは突き出した腹で、その体は重装備で覆われている。…タルタルだ。
 彼もまたこの状況に巻き込まれたのだろうか。巻き込まれた、という言葉が正しいかも分からないが。しかし明らかに様子がおかしい、地面にへたり込み小声でブツブツと何かを口走っている。
 普段の彼からは想像もつかない姿で、こんなタルタルの姿は見たことがない。
 陽気で鷹揚な振る舞いは見る影もなく、ケイが起きたことにも気付いていないようだった。
 彼の頭の上にも名前の表示は無かった。


 部屋に響くのは、タルタルの呟きだけとなった。ケイも、グラッシーも、無言だ。
 どう考えても、あり得る状況ではない。しかし、いくら頭で否定しても埃っぽい部屋の空気が、座った尻に伝わる冷たさが、これは現実なのだとつきつけてくる。

(これが、夢なら“リアル”だって夢ということになりかねない。いやこっちが現実で“あっち”が夢だとか?)

 静かな混乱が頂点に達したのか、とうとう古代の思想家のような堂々巡りに陥ってくる。
 先程、グラッシーの口調がつっけんどんだった理由もわかってきた。この状態で感情を抑えようとせず話しかければ、泣きわめいたり奇声を上げたりする自信が自分にもある。

 グラッシーは、膝を抱えながら俯いている。タルタルは、途切れること無く、何かを自分に言い聞かせているようだ。
 ケイ自身も状況を受け入れることなどできそうもなかったが、二人を見ていると冷静になってくる。

(いや…冷静じゃない…ただ…)

 内向的であり、感情を発露することさえ不得手な自分は、混乱と悲しみで落ち込むこともできないのだ。ただ立ちすくんでいるのとなにも変わらない。
 そう、悲しい。
 二人が沈んでいることが悲しかった。
 ゲームの中だけでの付き合いでも、ケイにとっては彼らは“友達”だったのだ。たとえ、彼らにとってそうでなかったとしても。
 いたたまれなくなったケイは、“溜まり場”を離れる。彼らに対して、ケイは何も言うことはできない。人生経験も豊富でない、魅力や輝きをもたないケイの言葉では、彼らを不快にするだけだ。

 ゆえにもし、彼らを立ち直させるならば情報が必要だ。
 コレが夢である可能性や、ゲームに関わるなにかだという推論、いやここが異世界あるいは『トライ・アライアンス』の世界だという絶望的な事実でさえ構わない。
 そう自分を説得して、彼は逃げ出した。

 薄暗い通路を歩く、ところどころに光が差しているため外は朝か昼だろう。
 建物の構造は記憶にある『ゲオン廃城』そのものだ。

(ただ…記憶にあるよりずっと老朽化してるような…)

 『ゲオン廃城』はサイドストーリーで訪れる場所だ。あるイベントアイテムを確認するためだけの場所であり、いわゆる”エネミー”は出現しない。

(だからこそ溜まり場にしていたわけだけど…)

 ただこの世界が『トライ・アライアンス』の世界だと確定したわけではない。
 先のジャンプの時のことを考えると、どうやら使用していたキャラクター通りの身体能力を獲得しているようだが、安心はできない。
 できるだけ注意しながら進んでいく…もっとも敵に出くわしたとしても精神はこの自分なのだから逃げられるかどうかすらあやしいが。

(そういえば俺の見た目はどうなっているんだ?本当に“ケイ”なのか?ゲームのキャラクターと同じ姿というのも、グラッシーさんとタルタルさんの様子を見てそう思っているだけで、鏡を見たわけでもなし)

 考えながら、進んでいくと外への扉がある空間に辿り着く。

(やはり記憶にあるよりボロボロだな…とするとここは『トライ・アライアンス』の世界で、なおかつ時代も進んでいる?)

 朽ちているとは言え、城の扉だ。かなりの大きさで、蝶番にあたる部分は錆で半ば結合している。
 現実での自分ならば、開けられるか怪しいが、手を当てて押すとさして重みも感じずに扉は開いた。

 その時目に飛び込んだのは一面の緑であった。
 焦燥感も消え果て、ただソレに圧倒される。かつて行ったことのある、どの景勝地もコレには及ばない。近くにある朽ちた鉄格子さえも絵になっている。
 それを見た『ケイ』は痛みよりもハッキリした感触で納得していた。

(ここが『トライ・アライアンス』の世界であるかは、まだわからない。けど――)

 ここが異世界であるのだと。


(まず現時点で、調べられるだけのことを調べて、情報を集める)

 先程は、逃げるための言い訳に使った目的だが、今度は違う。タルタルとグラッシーの顔を上げさせ、“溜まり場”から連れ出すためだ。このゲオン廃城に残るにしても、あのままではいけない。なによりもケイ自身が耐えられない。
 あの美しい光景を見て、なぜこの世界のことを受け入れることにしたのは自分でも理屈にできない。
 ただそれほど感動したということなのか。あるいは別の感情なのか。

 “溜まり場”にはまだ戻らない。
 かつてイベントアイテムが設置されていた場所に移動し、準備を整える。執務用の机も置いてあり、かつてはここの主の執務室であったと窺えた。
 学者でもないケイには正しい検証の仕方などわからないが、幾つかに分類して検証することにした。
 まず物資、次に自分の身体の状態、そして戦闘能力だ。
 世界設定も重要だろうが、調べる手段がないので断念せざるを得ない。

(まず物資だが、全く持ってないのか、あるいはどこかに持っているのか?)

 ゲーム画面と異なり、UI〈ユーザーインターフェース〉は見えない。
 そうなると、インベントリ画面などの開き方も当然分からない。

「メニュー画面」

 呟いても反応はない。漫画やゲームのように視界に各種画面が出ることを期待していたケイは既に挫けそうだが、無理矢理に気合を入れ直した。

「メニュー画面開け…メニュー画面出ろ…インベントリ開け…インベントリ出ろ…」

 ブツブツと呟くさまは傍から見れば異常者だろうが、ケイは真剣そのものだった。
 非常に恥ずかしいのは確かで頬は熱くなるが、見栄を張っているわけにはいかない。

(言葉では駄目か…なら念じるとか?)

 祈るように念じてみる…がなにも表示されない。
 念のために、叫びながら念じてみたがコレも意味はなかった。
 出だしから躓いていたケイは、闇雲にやるよりマシだと思い、基本を一から思い出す。
 その発想自体が引き金となって、雷光のようにあるアイデアが閃く。

(チュートリアルだ!)

 MMORPGに限らず、ゲームでは最序盤に操作方法の練習が盛り込まれている。それこそ移動の仕方からであり、説明書やヘルプガイドを読まない人間は想像以上に多いためだ。
 『トライ・アライアンス』に於いては、主人公の上官が教えてくれる。まぁ、その後の戦闘方法のチュートリアルで上官はあっさりと死んでしまうのだが…。
 そのチュートリアルではインベントリの開き方も教えてくれる。
 その際のセリフは「Iキーを押すとマジッグバッグが開く!【初心者用ポーション】を右クリックで使用しろ!」だ。

(ありがとう!コポー隊長!)

 心から彼に感謝しつつ、自分がどこかにバッグを持っていないか探す。

(…あった)

 腰の後ろ、やや右のあたりにポーチのようなものがある。
 恐る恐る留め金を外し、手を突っ込むと見た目以上に手が入った。
 希望が見えてきたことに、興奮しながら今度はアイテムの取り出し方を探る…闇雲に探ったところで手は何にも触れない。
 その体勢で体感で30分ほど試行錯誤すると方法が分かった。
 中に入っているアイテムを思い浮かべながら手をいれると、ガラスのような手触りの物に手が触れたため、掴んで取り出す。
 出てきたのは、赤い液体の入った大きめの瓶。ヘルプが出ないためハッキリとは分からないが、瓶の形状からして【HP回復ポーション(大)】だろう。


 最初の成功に勇気づけられたケイは、さらに検証を進める。
 次は自分の身体だが、これはやはり『トライ・アライアンス』で使用していたキャラクターと同一のもののようだ。
 ラジオ体操の動作をしてみる。…肉体は現実の自分に近くしてあるので、動作に違和感はない。
 次に小手の鋼の部分を鏡代わりにして身体のあちこちを見る…顔も現実に近づけたつもりだったが、肌などに問題が全く無いためかなり美化されて見えて、わけもなく恥ずかしい気分に襲われる。
 ともかく素人判断だが異常は見つけられない…精々指に生えてるはずの毛が無いとかそのぐらいだ。

 最後に戦闘能力の確認だ。自分が剣を実際に佩いているというのは、擦り切れたはずの少年心が疼いて胸を熱くさせた。

(こんな状況なのに、少しワクワクして嫌になるな…)

 胸を高鳴らせながら、無骨な剣の柄を握る。自然な動作で剣は鞘から抜け、〈ディフェンダーソード+9〉の刀身が鈍く輝く。
 刀身は短めで、太い…まるで西洋剣をむりやり鉈にしたような両刃の剣だ。

(剣を鞘から抜くにはコツがいるって聞いたことがあったけど…この身体に染み付いてるのか?)

 軽く素振りをする。重量感のある剣でも、この体ならば問題なく振り回せる――鞘から抜く時と同じように、ある程度様になっているのが不思議である――。
 ただ、慎重にやらなければ、自分の足を切ってしまいかねない。また、いくら記憶にあるモーションをなぞってもスキルは発動しない。他にも方法があるのか、そもそもこの世界にはスキル自体無いのか、その判断は難しい。
 外れた石材をいくつか集め、試し切りをしたが、思い切り振り下ろすと削れるような音を立てて石材は切断された…ついでに床も切れてしまった。
 次は軽く振ると石材のみ切れ、その次に軽く当てるだけにすると爪の先ほどの切れ目ができるに留まった。

(加減はできるようだ…嫌だなぁコレを試すの…)

 軽く当てることを試したのは次の検証のためだ。ケイは小手を外すと、指の位置を慎重に調整し…刃を軽く当てた。

「本当かよ…」

 思わず呟いてしまったのは、指が無傷だったためだ。
 つまりこの体は劣化しているとはいえ石材より硬いことになる。石の種類までは分からないものの、生身より切断に弱いとは思えなかった。

(コレで最後の検証だ…!)

 無傷だったため次まで行うことになってしまった…次の次までは行きませんようにと願いながら、今度は指の端に向かって軽く剣を振り下ろした。
 指の端に軽く切り傷ができ、赤い血が浮き出す。若干涙目になりながら、指を口で吸う。
 痛みもあるし、血も流れていることがこの段階で証明された。意識してやったことではないが、血の味から味覚もあることが分かったのだ、予想以上の成果と言っていいだろう。

(やるべきことはやった…後はこの先次第だ)

 決意を胸に部屋を出て、”溜まり場”に向かう。

「グラッシーさん…タルタルさん…お願いします!」

 独り言を呟きながら、足を進めるケイは、指の傷がもう塞がったことに気付かなかった。この肉体の超人的な生命力に気付くのは、しばらく後になってからのことだった。

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