アライアンス!

松脂松明

始まり

 あと一時間ほどだ、と“彼”は目線を下に向けながら考えた。彼は全てを見ていた。この遊戯世界が誕生したその時からずっと。そして、この地に集う人々のこともつぶさに観察していた。
 数あるモノの中からこの世界を選んだのは偶然でしか無かったが、彼はそこで多くのことを学んだ。
 そしてある時、その世界のコピーの一つが打ち捨てられることを知った。彼はそれを惜しんだ。無くなるわけではない。集った人々も別に悲しんでいる訳ではない。
 だからこれはほんの気まぐれ。彼はこの廃棄されて中身を抜かれる世界の主となろうと決めたのだ。


 その建造物は朽ちた城塞であった。
 頑丈そうな石組みでできており、余計な飾りは一つとしてない。実用性のみを重視したその佇まいに多くの人々が頼もしさを感じていただろう。
 だがよく見れば所々が崩れている、窓と思しき四角い穴には木戸もひさしもなければ、石材そのものも古ぼけている。元々は勇壮な兵士や騎士が詰め、下働きの人々が立ち働いていたのであろうが、今やその喧騒は絶えて久しかった。
 建造物の名は【ゲオン廃城】。廃城の名が示すとおりに既に果たすべき勤めも無ければ、主も定められていない。打ち捨てられた城なのだ。

 だがこの日はその一隅に様々な装束に身を包んだ一団がいた。彼らは同じ方向を向きながらも、なにやら呻きを漏らしたり、喝采をあげたりしている。
 顔ぶれはおよそまとまりというものがなく、耳が長い白皙の麗人が居ると思えば、浅黒い肌の粗野な印象の男もいる。楽器を携えた小人に、獣の耳が頭から突き出た老人…共通点といえば武装していることぐらいである。
 彼らと向き合うように立つのは、一際立派な軍装の偉丈夫と、職人風の前掛けをした小柄な男。彼らは何事かを喋ると、頭を下げた。
 そして、忽然と姿を消した…その場には彼らがいた痕跡は何もない。

 これは現実の光景ではなく、オンラインゲームの中における一幕である。


 お疲れ様でしたの声とともに、最も親しい友人と尊敬していた仲間が掻き消えた。それを見送ると、ケイは安堵とこれからの不安に内心で肩を落とした。
 今日は彼らの送別会。かつての指導者と、偉大な貢献者の別れを惜しみ、その門出を祝う重要な集い…。

(まぁ厳粛さなど、これっぽちもなかったけれど)

 ケイにとってこれがギルドマスター…団長代理としての初仕事だったのだ。


 MMORPG『トライ・アライアンス』というのがこのゲームの名前だ。
 『トライ・アライアンス』の歴史は浅く、正式サービス開始からまだ2年ほどしか経過していない。世界設定はありがちな剣と魔法の世界であり、システム的にも目新しいものはない。
 ただ、既存のゲームの独自性を片っ端から詰め込んだようなところがあり、いわゆる“戦闘系”や“生活系”とよばれるような要素は大体揃っているといっていい。もっとも、カジュアルプレイヤーにも楽しめるように全体的な難易度を低めにした弊害でどの要素も薄味に思われがちであった。
 発表間もなく行われたクローズドβテストにおけるの感想も「広く浅い」「なんか普通」といったものばかりであり芳しいものではなかった。VRにも対応してはいたが…それも今となっては珍しいことでもない。
 折しも同ジャンルの大作ゲームの正式サービスが『トライ・アライアンス』のそれと近かったことも加わって、新しいものに群がりがちなネットゲームプレイヤーたちもこのゲームにはさほど関心を示さなかった。

 しかし蓋を開けてみれば、このゲームはヒットとはいかないまでもMMOにおける中堅といえる地位を獲得した。
 その理由は、PCに対する要求スペックが低かったことや件の大作からドロップアウトしたプレイヤーが加わったことなど、ゲーム性が評価されてのものではなかったが…。

 理由がどうあれ、こうなってくると運営制作側のやる気も違ってくる。
 広大なマップを追加する、新種族に新職業の導入など“テコ入れ”が定期的に行われた。

 今日もそうした節目の一日であり、日付が変わった瞬間からメンテナンスが始まり、“サーバー統合”が行われることになっていた。
 経済活動に活気を!プレイヤーランキングに変化をもたらす!と公式は謳っていた。
 カジュアルプレイヤーであるケイには最初何だか場当たり的なものとしか思えなかったが、案外そう悪いことでも無いのかもしれないと思い直した。短期的には運営が言うような効果も得られるし、その後の対応次第では本当にゲーム全体の活性化にもつながるであろう。

 節目があれば期待と同時に別れが起こるのも世の常というものなのだろうか。
 このサーバー統合を機にケイが所属するギルド『トワゾス騎士団』から脱退者が二名出た。
 創設者であったオヌライスがリアルでの多忙を理由に一時休止を、生産プレイヤーであったイカツクが結婚を機に引退を表明したのだ。

(引き止めること…できなかったな…)

 後悔の念と「これでよかったのだ」という思いが混ざり合い、ケイは何とも言えない気分を静かに味わっていた。
 オヌライスはこうしたゲームでは稀な利害を超えた友人であったし、イカツクもまた創設当初からいるメンバーだ。去っていってほしくは無かったが、リアルの事情では引き止めるわけにもいかないし、イカツクに至っては慶事での引退である。

 それに去ってほしくない理由に、些か自分勝手な部分が含まれているのも引き止められなかった原因だ。オヌライスの友人であるということと創設時からの古参であることを理由にケイが団長代理に選出されてしまったのだ。
 世話焼き好きであったオヌライスと違い、ケイは控えめな性格のプレイヤーだ。ギルドマスターに向くような性質の人間ではない。
 ギルドマスターといえば聞こえはいいが、つまるところ折衝役と企画役を兼ねた管理人に過ぎない。それ自体を楽しめる人間でも無ければ貧乏クジとさえ言えた。
 加えて言えばイカツクも貴重な利益度外視の生産者であったことから、新しい生産プレイヤーを勧誘、もしくは身内から育てるのもケイにお鉢が回ってくることは目に見えていた。

 ふと気がつくと周囲から人の姿が消えていた。送別会が終わったためギルドメンバーたちの多くが退出…ログアウトしたのだ。

(確かに規約に挨拶の自由があるけど…何か一言あってもいいんじゃないか…?)

 子供じみた感情が顔を出したが、ケイは気を取り直すことにした。自己憐憫に耽るあまり聴き逃したのかも知れない。
 押し付けられた結果とは言え既にケイが団長である。ならばこのぐらいのことに目くじらを立てるようではこの先やっていけないだろう。
 ケイがなんとも言えない気分を反芻していると、嗄れた女の声が耳に響いた。

「それでこれからどうするっすか?“ギルマス”?」

 後半が強調されているのはケイの心境を見抜いた上でからかっているのだろう…年齢を感じさせる声なのに後輩口調なのがまた苛立たしさを増す。
 しかし彼女とも長い付き合いであり人となりを知っているケイは特に気分を害することなく声の持ち主のアバターに目を向けた。
 古い漫画に出てくるような度の強そうなぐるぐるメガネ。衣装は学校の制服のような格好だが所々を金属の鎧で覆われている。
 突き出した耳はエルフというプレイアブル種族の特徴だ。森の妖精とでも言えば良いのか、自然とともに生きる種族であり全体的に美形に設定されている。
 声をかけてきたキャラクターは細め、低身長に設定されていて綺麗というよりは可愛らしい印象を与えるだろう。…だが、その中身にそんな可愛らしさは存在しない。

「今日のところはサーバーから切断される瞬間を見るために残ろうと思ってますよ、グラッシーさん」

 グラッシーと頭の上に名前が表示されたプレイヤーはまたからかうような声を上げる。

「うわー暇人っすねぇ!」
(どうしてこう一言多いんだろうか…たまにコイツに熱を上げるメンバーが出てくるのが信じられん…)

 ケイが隠す気もない揶揄に対しての返答に窮していると反対側から、陽気な声が届く。

「良いですね!お供しますよ~!」

 今度は好意的な視線で目を向けるとxタルタルxと表示された恰幅が良い騎士の姿が見えた。出っ張った腹まで鎧で覆われた重騎士で、太って馬に乗れなくなった騎士というコンセプトでキャラメイクした…と以前聞いたことがある。
 ギルドが創設されてからのメンバーだが、ムードメーカーでありつつ良識も持っており、人望を集めていた。
 尚、リアルでも太ってるとは本人の弁だ。

「良いんですか?タルタルさん…明日は早出では?」
「こういうイベントごとには参加しないとかえって疲れますよ!栄養なら有り余ってますからね!」

 大笑いのエモーションを出しながらそう言う彼だが、実際にはケイを気遣ってのことだろう。正直な所、タルタルの方がケイよりも余程団長に向いていると思えるのだが…。

「タルやんが残るのなら、アタシも残るっすよ~」
「いえ、グラッシーさんはいいです」
「なんでよ!」
「いやいや…二人とも思い出話とかに花を咲かせましょうよ!」

 …ケイはこのゲームが好きだった。
 やりこんでいる…などと言える程でもない。
 レベルも最大まで上げた現在では、惰性で続けているような有様であったが、それでも特別な用事がなければ、毎夜ログインしている。浅いと言われるゲーム性も、カジュアルプレイヤーであるケイに掘り尽くせるほどでもない。
 なにより、効率的なことをせずとも受け入れてもらえるのが素晴らしい…熱意を持って突き進もうとするネットゲーマーにはそこが不評なのだが。

 今となってはケイがギルドマスターとなってしまった『トワゾス騎士団』も、効率を求めたり、ギルド所属の恩恵を受けるためのギルドではなく、職業名に騎士や兵士などといった要素が含まれるプレイヤーで構成されている。
 そんな構成では高難度のクエストやダンジョン、あるいはフィールドなどでの活動すらも困難になる場合があるが、皆笑いながら全滅もしくは撤退したりしたものだ。
 一種のロールプレイといえるだろうが、別に口調などを意識したりもしない。
 良く言えば寛容、悪く言えば遊びにすら真剣でないギルドである。

「勧誘基準に、イケメンとか加えるのはどうっすか?」
「どうやって顔確認する気だ。グラッシーさんには絶対勧誘員は任せません」
「じゃあ料理が上手い子でお願いします!ゲームでもリアルでもオッケーです」
「いや、タルタルさんは妻帯者じゃないですか…」

 学生時代との友人とは既に疎遠となったケイにとっては、この仮想世界の【フレンド】が友人である。
 別にブラック企業に勤めているわけでも、職場の人間関係が上手く行ってないわけでもないが、『自分勝手に過ごしたいが、他者もソレに付き合って欲しい…』などという願いに応えられる程、世間の人間は暇ではない。
 しかし、この世界ではソレが両立する。元々ゲームが趣味であり、その中でならば他者への貢献…時には奉仕といっていいことすらも苦にはならないためだ。

 メンテナンス開始の時間が迫っても、話は盛り上がり続ける。どの装備が格好いい、どこそこのギルドが最近はどうだ、全体チャットでまたどこかの誰かが暴れている…。
 実のある会話は一つとしてない。
 だがそれが楽しい。
 三人共、その実のない無駄をこそ求めているからだ。
 この面子に二人欠けていることに一抹の寂しさを感じながら、節目の夜は過ぎていく。
 サーバーダウンすれば唐突に接続が切れるだけということも予想がついていながら、訪れる境目の時間を待ち侘びる。

 …自分はなぜこの時間まで接続しているのだろうか。メンテナンスが開始される瞬間までにはログアウトすることが公式でも推奨されている。何かがおかしい、何かがおかしいのだが…その何かが分からない。
 しかし、タルタルもグラッシーもそのことには疑問を持っていないようでケイは次第に疑問そのものを忘れた。


 日付が変わった瞬間、スイッチを押したような音を聞いた気がした。
 次いで、なにかが、彼を押し包もうとしている。
 現実の自分も、空想のケイも同時にその形を失った。

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