あるバーのマスターの話

ノベルバユーザー173744

『砂の暦』

バレンタイン前……女性は恋人に何を贈ろうかと悩むのだが、先日、相棒の『エリオット』を治療してくれたはるかは、

「私は、友達が帰省したときに贈ったりするので、あげませんよ~」

と、エリオットを抱いてニヤニヤとしている。
今日は、テディガールのレプリカではなく、深緑の珍しいテディベアを抱いている。

「確かそのベアは……」
「えぇ、確か食器メーカーさんとのコラボベアです。ベアだけお家にいるので……」
「あの……気になったのは、どうして赤ん坊の着ぐるみロンパース姿なんですか?」
「モヘアが汚れたら困るからです。日焼けも困りますし……それに可愛いからです‼」

力一杯答える遼は、

「あ、マスター。エリオットにも、いい着ぐるみ探しましょうか?」
「いえ、一応、ケースに収めていますので……」

丁寧に断っておく。

「今日は、古いCDを持ってきたのです」

と、言われて珍しい絶版だったので、ウキウキとかけたのだが、かなり最近遼に毒されている気がする。

「あ、マスター!この曲‼私好きなんですよ~」

眼鏡の中の漆黒ではなく焦げ茶色の瞳がくるんっと動く。



入ってくるときはどう見ても怪しい……マフラーと大きなマスクにキャスケットを深く被って、大きな荷物とテディベアを抱いて薄く扉を開き、その日のテディベアを滑り込ませキョロキョロと周囲を見回し、

「い、良いですか~?」

と、腹話術(?)らしきもので問いかけるか、もしくは、

「大変ご迷惑をお掛けしそうですので、失礼させていただきます~」

と深々とテディベアの頭を下げ、去っていく。
常連の客である宣子のりこ等は、初めてその姿を見たときに、引くどころか、

「あらあら、可愛いベアちゃん。帰らないで一緒に話しましょうよ~?」

と引っ張り仲間になり、電話とメールを交換したらしい。
超マイペースな遼だが、寂しがりみたいだと宣子とその彼氏になった雄洋たけひろは頷く。

「マスターも構ってあげたら?子犬かウサギみたいで可愛いわよ」
「お客様ですよ?」
「良いじゃないの、ね?雄洋さん?あ、チョコ用意するわね?」
「雄洋さんと付き合っているのでしょう?さしあげないと……」
「違うわよ。マスターによ」

マスターは、

「お礼はホワイトデーで」

と返したばかりである。

「それにしても、古いCDですが……」
「はい。C-C-Bのメンバーのお一人の関口誠人せきぐちまことさんのCDを友人に聞かせてもらって、ファンになったんです。他の曲も好きなのですが、この曲は中東っぽくって……『千夜一夜物語』が大好きだったので……」

えへへと楽しげに笑う。
流れている曲は『砂の暦』という曲である。

「遼さんは色々と詳しいですね……」
「情報は広くて浅いだけです。でも、いつもどこかに行きたいと思っていたので……曲を聞きながら世界を旅をするんです」
「……テディベアを売られたりは?」

マスターの言葉に、悲しげに、

「今まで全てを奪われてきたのに、取り上げられるなら……」
「……そうですか。すみません。辛い思いを思い出されたようですね。謝罪も兼ねて……」

マスターは、黙り込みテディベアと遊んでいる遼の前で作り上げる。

「遼さん……どうぞ」
「……はい?このお酒は……」

淡い茶褐色のカクテルグラスを見つめる。

「『アラビアン・ナイト』と申します。『クレオパトラ』とも呼ばれますね。『アラビアン・ナイト』は『千夜一夜物語』に中のひとつの話でしたね……」
「えぇ。でも、『クレオパトラ』より、『アラビアン・ナイト』の方がロマンティック……」

暗く陰っていた遼の瞳がキラキラと輝く。

「でも、『千夜一夜物語』は、后に迎えた大臣の娘シェヘラザードが、前妻の不貞に傷つく王が、新しく迎える后を次々に殺していくのを知り、嫁いでから、毎晩様々な話を王に話聞かせ、話の佳境で『続きはまた明日に』と言うのですよ?恐ろしくはありませんか?」

マスターの問いかけに、複雑そうに微妙に苦しげな顔になり、呟く。

「私がシェヘラザードなら、毎日、その夜を待ちたいですね……。傷つく王に、笑ったり驚いたり、考え込んだり……いろいろな顔を見てみたい……。そして、『明日の話を……お前を待っている』と、言ってもらいたいです」
「……」
「それに、『美女と野獣』のベルだったら……どんな姿でも、優しくしてくれる野獣を私は、愛したいと思います」

手を伸ばし、グラスを引き寄せぐいっと飲むと、立ち上がる。

「ありがとうございます。マスター。では……また」

財布からお金をテーブルに置くと、気忙しそうに立ち去っていった。

残されたのは、エリオット。
何を口にしていいのか解らず、ただエリオットに、

「相棒……お前はいいな……たたずむだけで遼さんは喜ぶ」

と告げ、テーブルを片付け、お札ではなく100円や500円など小銭を置いていった遼を思うのだった。

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