あるバーのマスターの話

ノベルバユーザー173744

『I LOVE YOU』

今日、マスターは機嫌が良かった。
年末に別れた友人の高坂こうさかが、早速遅ればせながら『年賀状』の代わりにと挨拶状を送ってきた。
すると、新しい住所と高坂政義こうさかまさよし彩和さわ花橘はななと言う名前が並び、

「『オレンジ・サキニー』を、彩和と飲んだ。彩和が喜んでくれた。ありがとう。花橘も成人したら3人で飲もうと思う。また、会いに行くよ、マスター」

と、書かれていた。
少しずついい方向に向かってほしいものだと、それに、家族の幸せをと思っていた。

そして、お店を開ける際に選んだCDは、尾崎豊。
独特のハスキーな声と、それでいて激しさと物悲しさ、もどかしさを感じる。
お店を開けてしばらくはお客はこなかった……年始のために忙しいのかもしれない。
静かな店の中で、今日はグラスを磨いたり、カクテル用の道具をチェックしていた。

カラン……

ドアベルが鳴って、お客が姿を見せる。

「……おや?しのさんではありませんか‼それに、確か……」
「お久しぶりです。マスター」
阿倍保名あべやすなです。こんばんは」

華やかな印象のある篠と、落ち着くと言うか端整なのだが地味な印象を受ける保名である。
二人は二つ違いの従兄妹同士である。

宣子のりこが来て日はないが、悲しげに泣いていたあの日から気になっていた為、優しげに微笑む姿に、こちらも頬が緩む。

「明けましておめでとうございます。どうぞ、今日は本当に来ていただけて嬉しいですよ」

篠……葛葉くずのはの指定席だった柱に沿った席と、その隣に案内する。

「……去年は……あんな風に出ていったから……宣子に『マスターが心配していたわよ』って……。ご心配をお掛けして本当にごめんなさい」

頬を赤くして気恥ずかしげに頭を下げる葛葉に、

「いいえ、宣子さんにお伺いして、お元気そうだと……安心していました」
「あぁ良かった。自殺したとか思われなくて。へこたれないんだから‼」
「葛葉。一時期本気で大丈夫かって、おじさんやおばさんが本当に心配していたんだぞ?」
「ごめんなさい。兄さん……あら?」

マスターがテーブルにおいていた挨拶状に気づく。

「マスター、これ」
「あ、気にされないでください。篠さんも知っている、お酒を持って来てくれていた高坂さんが、お店を閉めて引っ越されたんですよ」
「……あら?本当。高坂さんの字だわ。でも……」
「奥さんが彩和さん。お子さんが花橘さんだそうです。奥さんがつけたそうですよ」
「花橘ちゃん……かわいい名前ね」

篠は目を細め、懐かしげに微笑む。

「橘の花言葉は『永遠』、古今和歌集の和歌にもあって、懐古の情といった意味があるそうです」
「『五月さつき待つ花橘はなたちばなをかげば昔の人の袖の香ぞする』……懐旧の情、昔の恋人への心情ですね。ここからとられたんでしょうか?」
「保名さん、お詳しいですね‼」
「兄さん‼……もう……。マスターごめんなさい。兄さんってば、和歌や日本の昔の連歌等の研究をしているの。もう……今日はマスターに会いたいっていってるのに、着いてくるんだから」

口調は、鬱陶しくついてくる彼氏が邪魔‼と言いたげだが、顔はうっすらと頬を赤くしている。
二人は、宣子がいっていたようにいとこ同士だが、それ以上の絆があるようである。

「篠さん、保名さん。今日は私のおすすめでよろしいですか?」
「『オレンジ・サキニー』かしら?」
「いいえ。少々お待ちくださいね」

氷を入れたゴブレットに赤ワインを入れ、そしてゆっくりと同量の飲み物を流し込む。
最後にストローを差すと、差し出した。

「次の曲になったら、どうぞお飲みくださいね?」

篠はキョトンと、

「次の曲?」
「えぇ」

今の曲は、『oh my little girl』である。
首をかしげている篠の横で、実は一人緊張していた保名にマスターは軽くウインクをする。
はっとする保名の耳に、次に聞こえてくるのは、

「『I LOVE YOU』ね……このカクテルは……?」

問いかける篠に、隣にいた保名が、

「く、葛葉……」
「なぁに?兄さん」
「に、兄さんじゃない‼葛葉。私と結婚してほしいんだ‼ずっと傍に居て欲しい……泣かせたりしない。大切にする、駄目か?」

横に並ぶ幼馴染みであり従兄を見つめ、ボーッとしていた篠は、ボロボロと涙を溢れさせる。

「えっ?だ、だって……だって、兄さん……」
「葛葉の傍に、あいつが居て……諦めようと思った。だから離れた……でも、あいつは最低な行動で、お前を苦しませ、悲しませた。もう、離れるものかと思ったんだ」

ポケットを探り、緊張した手つきでケースの蓋を開けると、シンプルだが、篠の誕生石らしいブルーサファイアのリングが現れる。

「神様に誓う前に、マスターの前でお前に誓う。だから……受け取ってくれないか……?」
「……に、保名……あ、ありがとう……本当に?」
「男に二言はない‼」
「男前ですね‼篠さん、益々お好きになられたんじゃありませんか?」
「ま、マスターまで‼」

潤んだ瞳のまま、保名を見ると、微笑む。

「……はい。はい‼ありがとう……」
「はぁぁ……良かった」

本当に緊張していたらしく、大きくため息をつく。

「保名さん、篠さん……乾杯のカクテルをどうぞ」
「はい」
「いただきます。ね、ねぇ、マスター。このカクテルは?」

ひと口口に含んだ篠は問いかける。

「『キティ』と言います」
「キティ?」
「えぇ。英語で女性の名前のキャサリンの愛称であり、子猫を子供が呼ぶときの略称です。今回はこの曲の中に、『子猫』と言うフレーズがありましたから……」
「えっ?待ってって、マスター、保名に聞いていたの?」

篠の問いかけに、

「いいえ。でも、お二人の雰囲気が……ですから」

二人は顔を見合わせ頬を赤くする。

「ま、マスター、式に、来てくれる?」
「是非……ありがとうございます」
「良かった……」

長年の親しい篠の新しい道を祝うように、音楽がバーの中を流れていたのだった。

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