あるバーのマスターの話

ノベルバユーザー173744

『Love is all』

今日は、マスターは珍しくうんざりしていた。

クリスマス直前だと言うのに、学生時代の友人が、他の店で飲んで悪酔いのままやって来たのである。
来てくれるのはうれしいが、くだをまく姿は見られない……。
共にいるのが息子らしい。
彼が小さい頃に会っていたが、大きくなると、面影はあっても目を見張るものである。

「だからな……えーと、そうなんだ‼最近は不景気で本当に駄目だ‼」
「父さん‼だからやめよう、ね?恥ずかしいから」
「何が恥ずかしい‼私は必死に働いて……働いて、働いてきて……お前に譲ろうと思っていたのに……」
「景気が悪いんだから仕方ないよ」

隣に座っている青年は苦笑する。

「父さんは、ちゃんと働いてきたんだから……」
「……家族も省みず……お前にも、別れた嫁さんにも……」

酒の勢いのせいか、泣き出す。

「どうしてなんだ……こんなはずじゃなかったのに……本当は……」
「……温かいおしぼりをどうぞ」
「ありがとうございます。はい、父さん」
「うぅぅ……」

鼻はかまないが、涙をぬぐう父の肩を撫でながら、息子は流れている音楽を聴き呟く。

「徳永英明さんの『Love is all』ですね。たしか湾岸戦争の頃に……」
「そうですね。確か雄洋たけひろさんでしたか?お父さんには肩掛けを用意いたしますから、こちらをどうぞ……」

二人のようすを静かに見守りつつ、何かを作っていたマスターはグラスを差し出す。

「これは……」
「『クリス』と言うカクテルです」
「『刀剣クリス(Kris)』……ですか?」
「『クリスマス(Christmas)』『サンタクロース(Santa Claus)』の『クリス』ですよ。ブランデーベースのカクテルで、シェイカーは使わないものです」
「ワシが飲む……」

手を伸ばす友人に、
雄堯たけあきは、これにしろ」

と、柚子茶を渡す。

「いただきます」
「どうぞ」

ようやくおとなしくなった父親の横で、カクテルを手にして、

「大きいですね、グラス……」
「トニックウォーターで割っているので、ですが自信作ですよ」

ゆっくりと飲み干した雄洋は、目を丸くする。

「……美味しいです‼私は、日本酒とか、焼酎の緑茶割りとか、烏龍茶割り……だったので」
「あぁ、焼酎割りも一工夫加えると美味しくはなるのですが、甘いものは?」
「好きです」
「じゃぁ、炭酸ジュース割りなどは?焼酎にも味の好みは分かれますので」
「そうなんですか……」

少し嬉しそうな顔をする。

「お酒は飲みすぎるとダメですが、ここでは楽しんで飲んで戴けたらと思います」

柚子茶と飲みすぎのせいだろうか、寝入ってしまった父親の背中を撫でながら、雄洋は呟く。

「父の背中は……本当に大きかったです……。強くて働き者で、自慢の父でした……」
「……」

グラスを拭きながら、青年の声に聞き入る。

「やっぱり景気が悪くなって……人件費を削減しようと、母も僕も必死で……でも、母は疲れてしまって……妹の家に……。妹の家にも小さい甥に姪もいるのに……実家には帰れないし……戻ってくれと言うのですが……父も母も意地を張って……。離婚届は出してないんです」
「……雄洋さんは……大変ですね」
「……慣れてますから」

苦笑とも、諦めともつかぬ微妙な表情で目を伏せた。

「戦いで残るのは荒れ果てた大地に、濁った水に、埃っぽい空気……がれきを取り除き、一からよりマイナスからです。父は……心配してくれる母や妹がいるのに……もっと……自分を責めないで欲しいです」
「……次は、少し、楽しめるカクテルをお出ししますね。ゆっくりされてください」
「ありがとうございます……」

音楽を聴きながら氷のカラカラという音が優しく響いたのだった。

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