【書籍化】マジックイーター 〜ゴブリンデッキから始まる異世界冒険〜

飛びかかる幸運

163 - 「肉裂きファージ」


「肉裂きファージ、召喚」


 左手から黒い靄が大量に噴き出し、それが渦を巻くようにして空中へと集まると、一つの球体が出来上がった。

 黒い膜で覆われた黒い球体が、ふわふわと宙に浮いている。

 いつの間にか風が止み、あたりの喧騒は消えていた。

 静寂。

 吸血鬼ヴァンパイアの息を呑む音だけが、微かに耳に届く。

 黒い球体に変化は見られない。

 ただ、宙に浮いているだけだ。

 その何の変化も起きない時間が、その黒い球体の存在をより不気味に際立たせているようですらある。

 一瞬、これで終わりか?という考えが頭をよぎったその時、球体の表面がボコボコと蠢いた。

 その凹凸は、次第に大きくなり、その輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。

 それは――巨大な口だった。

 何かが内側から膜を食い破ろうと蠢き――


 ――食い破った。


 ワラスボのようにグロテスクな巨大な口が飛び出すと、黒い膜はぼろぼろと崩れ去った。

 現れたのは、頭部全体が巨大な口となったモンスターだ。
 
 そのモンスターは、黒い血のような筋を葉脈のように張り巡らせた翼を大きく広げると、ドスンと地響きを立てながら地面へ着地してみせた。

 頭部以外は翼竜の姿に酷似している。

 だが、皮膚のようなものはなく、全身の筋肉は剥き出しで、全体的に黒い。

 腕はなく、地に着いた両脚は、巨体の身体でも地上を素早く走れそうなほどに太かった。

 脚の爪は大きく湾曲し、獲物を捕らえるために進化したかのような鋭利な鉤爪となっている。

 更に、尻尾には、頭部と同じような口がついており、無数の牙が並んでいる。

 姿は翼竜なのに、翼竜に見えない異端な姿。

 その不気味な黒い怪物が吼える。


――キシャァアアア!!


 鼓膜を貫くような激しい振動が、その場にいた者の耳を襲った。

 空腹。

 絶望的なまでの空腹。

 その咆哮は、召喚されたことを喜んだものではなく、満たされることのない空腹を嘆き、苦しみ、そして――

 目の前の食糧を切に求める心の叫びだった。


[R] 肉裂きファージ 4/4 (黒×3)  
 [飛行]
 [毎ターン:ライフ5点を失う]
 [与ダメージX:稚児ファージ0/1召喚X]


(ファージ系は、素直に命令を聞くようなタイプじゃなさそうだな……)


 現実世界でファージというと、細菌に感染するウイルスの総称――バクテリオファージを意味するが、それがMEでのファージの名前の由来にもなっている。

 世界に感染し、瞬く間に蔓延するウイルスのような存在という意味だ。


 そのファージの姿を目の当たりにした吸血鬼ヴァンパイアが無意識に後退り、炎の熱に肌を炙られて短い悲鳴をあげる。


「ぐぅっ…… その、怪物は、いや…… そんなはずは…… あ、貴方は、その怪物を何と呼びましたか!」

「何か知っているのか? こいつは、肉裂きファージだ」

「ファ、ファージ…… そ、そんな…… 貴方は、この怪物がどんな存在か知っていて召喚したのですか!?」


 吸血鬼ヴァンパイアが取り乱している。

 ファージに何かあるのだろうか?

 まぁ何かあったところで、これからすることが変わる訳じゃない。

 肉裂きファージが暴走する前に、早く片付けてしまおう。


「さぁ、な。だが、そんなこと今はどうでもいい。俺はお前に罰を与えるだけだ。その為だけに呼び寄せた」

「ば、馬鹿なっ! ファージは太古の暗黒時代に、この世界を地獄へと変えた悪魔の使いですよ!? それを簡単に呼び寄せたなどっ……」


 何かに思い至ったのか、吸血鬼ヴァンパイアが急に言葉を止めた。

 口を開け、俺を見つめている。

 その黒く、紅い瞳には、先程まではなかった恐怖の色が浮かんで見えた。
 

「お前が相手にしているのは、そういう存在だろ」

「これが…… マジックイーター…… マジックイーターの…… 力……」

「じゃあな。お前は見せしめだ。あそこでこちらを監視している蜥蜴人リザードマンに見せつける。お前のギルドが、二度と俺を敵に回すなんて馬鹿なことを考えることがないように、ここで惨たらしく死ね」

「死、ぬ…… ? 私が……? そんな事はあり得ませんよ…… あり得ない…… あり得…… ふ…… ふはは…… くははははは!」


 目を見開きながら、力なく上を向き、壊れたように笑い始めた。


「……ファージ、食事だ」

「キシュィイイ!!」


 合図とともに、肉裂きファージの首が勢いよく伸び、吸血鬼ヴァンパイアへと齧り付いた。

 吸血鬼ヴァンパイアはファージの頭部に身体を齧り付かれたまま、地面へと強引に押し倒される。


「ぐ、ぅあ! ぎぃ、ゃ……」


 ジャキジャキ、ボリボリと肉を裂き、骨を砕く音が響く。

 その度に悲鳴をあげる吸血鬼ヴァンパイア

 ファージの頭部からはみ出た吸血鬼ヴァンパイアの片腕、両足が、ファージの頭部を身体から引き剥がそうと暴れているが、ファージはビクともしない。

 さすが吸血鬼ヴァンパイアだ。

 生命力が強いのか、ファージに喰らい付かれ、身体を咀嚼されながらも必死に足掻き続けている。

 血でできた腕を剣のように尖らせ、ファージの首へと突き立てたりと、ファージの拘束から逃れようと抵抗しているが、ファージの剥き出しの筋肉に傷一つ付けることもできないようだった。

 そんな抵抗など意に介した様子もなく、ファージの無慈悲な食事は続く。

 尚ももがき続ける吸血鬼ヴァンパイア

 地面には、吸血鬼ヴァンパイアのものと思わしき濃い色の血溜りができ、徐々にその領域を広げていた。


 ――数分後。


 吸血鬼ヴァンパイアは動かなくなった。

 ファージは動かなくなった吸血鬼ヴァンパイアの残りを豪快に一飲みすると、地面に染み込んだ血を啜り、肉片一つ残さず――最終的には血の染み込んだ土ごと全て食べあげた。

 餌がなくなったことを嘆くように、ファージが空に向けて再び吼える。


――キシャァアアア!!


(豪快な食事だったな…… 土まで食べるとは…… それより、吸血鬼ヴァンパイアは本当に死んだのか? 討伐マナがファージの身体から取り出せれば死亡確認ができるんだが……)


 マナを引き寄せると、ファージの身体から黒い光の粒子が溢れ、胸へと吸い込まれていった。


(お、よし。これで吸血鬼ヴァンパイアが死んだ確証は得た。この世界の吸血鬼ヴァンパイアは普通に殺せる。問題ない)


 すると、肉裂きファージが急に身体を震わせ、尻尾の口から、大量の透明な粘液とともに何かを四つ吐き出した。

 四匹の芋虫のような生き物が、粘液の上を楽しそうにぴちぴちと跳ねる。


(これは…… 稚児ファージ?)


 一見、無害そうに見える稚児ファージだが、黒い筋肉の筋が剥き出しになったその姿は、蛆虫みたいで正直言って気持ち悪い。

 だが、この稚児ファージは肉裂きファージから生まれたものだ。

 であれば、成長して肉裂きファージになる可能性が高い。

 仮に肉裂きファージになるのであれば、ここで仕留めておいた方が良いかもしれない。

 肉裂きファージ5体で、仮に毎日ライフ25点も失うとなれば、2日と保たないからだ。

 ふと、この稚児ファージも食材にできないだろうか? という考えがチラついたが、流石に無理だろう。


(取り敢えず、稚児ファージは皆と相談するまで様子見にしよう。それよりも、今はクズノハとマーチェだ!)


 森の端へと視線を向ける。
 
 そこに感じていた蜥蜴人リザードマンの姿は、既になくなっていた。



◇◇◇



 「…だからオレは、反対、だったんだ! 相手の力量を見誤るから、こういうことに、なる!」


 闇の手エレボスハンド簒奪者タロンの一人――蜥蜴人リザードマンのテナーズが、息も絶え絶えになりながら、逃げるように森の中を駆ける。


「…ヴァゾルが、ヴァゾルがやられた。あのヴァゾルが。血の力を解放したヴァゾルが」


 闇の手エレボスハンド、ローズヘイム支部において、オーチェと並ぶ実力者のヴァゾルは、支部でも一目置かれた存在だった。

 いつ何時でも沈着冷静。

 たまにコミカルな反応もするが、一緒に仕事をする時の安心感は、支部の簒奪者タロンの中でも群を抜いていた。

 簒奪者タロン達の精神的支柱ともいっていいほどだ。

 そのヴァゾルが、目の前であっさり食い殺された。

 それだけでなく、支部長であるオーチェも惨敗し、撤退を余儀なくされた。

 支部始まって以来の大敗。

 大敗北だ。


「…このままでは、全滅、する。早く、早く合流を!」


 今回の仕事において、テナーズに与えられた役割は、敵の死角からの援護と、非常事態に備えた別働隊との連絡役だった。

 だが、実際に戦闘が始まってみれば、援護する隙など全くなかった。

 オーチェとヴァゾルの怒涛のコンビネーションでも仕留めることが出来なかったソイツは、あろうことか近付くこともできないほどの業火を身に纏い、目にも留まらぬ速さで飛び交う精霊を召喚してみせた。

 その精霊が何をしたのか分からない。

 だが、その精霊が出てきてから、オーチェが悲鳴をあげて使い物にならなくなった。

 ヴァゾルを捕食した怪物は、誰が見ても闇属性の上級モンスターだ。

 それなのに、オーチェを瀕死へと追い込んだ精霊は、どう考えても光の眷属だった。

 光と闇、相反する眷属を召喚するなど、普通では考えられない。

 それに、ヴァゾルも恐れたあの怪物――


 ファージ。


「…太古の、悪魔の使い? 本当に、そんな怪物を呼び寄せたのか? だが、あの怪物から感じた死の気配は本物――」


 その時、森の中を奇怪な叫び声が鳴り響いた。


――キシャァアアア!!


「…ぐっ。まずい。あれはまずい!」


 テナーズは怯えていた。

 意思とは無関係に、あの叫び声を聞くと、身体の底から込みあげてくる震えが止まらなくなるのだ。


「…は、早く。合流を!」


 震える身体を叱咤しながら、森を駆け抜ける。

 そこまでの距離はないはずなのに、テナーズは何時間も走り続けた感覚になっていた。

 そうして辿り着いた目的の場所で、テナーズは再び自分の目を疑った。

 
「…ど、どうなってる」


 目前には、空が薄っすらと紅く染まるほどの紅い蜂――火傷蜂ヤケドバチが飛び交っている。

 簒奪者タロン達が必死に応戦しているが、状況を聞くまでもなく、明らかに闇の手エレボスハンド側が劣勢に立たされていた。


「…くっ、ここも押されているのか! ガウルが居れば問題ない筈が……」


 すると、テナーズに気付いた三匹の火傷蜂ヤケドバチが向きを変え、テナーズへ向かって飛来してきた。

 テナーズは震える手で弓を持ち、矢をつがえ、素早い動作で三本の矢を連続で射る。

 矢は寸分の狂いもなく、火傷蜂ヤケドバチの頭を射ぬき、火傷蜂ヤケドバチを絶命させた。


「…ふ、ふぅ」


 震える手で矢を命中させられたことに安堵する。

 そして、改めて周辺を見渡すと、目的の人物――狼人のガウルが、大岩を背負った何かと戦っているのが見えた。


「…あ、あれが、話に聞いていた岩熊ロックベアか!? あの大きさ…… 希少種!?」


 このエリアを任されていた狼人のガウルはというと、火傷蜂ヤケドバチが飛び交う空の下、一際大きな岩を背負うモンスター――岩熊ロックベアと、一進一退の攻防を繰り広げていた。

 モンスター討伐が本業ではないにしろ、暗殺ギルドはその職業柄、モンスター討伐も出来なければ務まらない。

 だが、それも限度がある。

 岩熊ロックベアは討伐ランクB+の猛獣なのだ。

 その希少種ともなれば、討伐ランクA相当――討伐には軍隊が必要な程に危険なモンスターとなる。

 ヴァゾルに次ぐ実力者であるガウルをもってしても、一人で討伐するのは不可能だ。

 ましてや、この火傷蜂ヤケドバチの大群と同時に対峙するなど――


「…ガウル! 撤退だ! オーチェもヴァゾルもやられた!!」


 テナーズの叫びに、ガウルが血だらけの顔を向ける。


「ガァッ!? オイッ! テナーズ! 今何て言っタァッ!?」

「…撤退だと言った! オーチェは既に撤退した! ヴァゾルは…… ヴァゾルは死んだッ!!」

「ナッ…… チィッ!!」


――グゥオオオオ!!


 ガウルとの会話が、岩熊ロックベアの突進によって中断される。

 だが、ガウルが素早く飛び退くと、テナーズの方へと移動し、刃こぼれの激しい二本の片手斧を岩熊ロックベアへ向けて構え直した。

 背中越しに会話を続ける。


「どういうことダァ? なぜあの二人が殺られた? 何があった?」

「…その説明は後だ! 今は時間がない! 撤退を優先しないと全滅するぞ!」

「全滅ダァ? ターゲットは、それほどの奴だったのか?」

「…ああ! そうだ! その岩熊ロックベアより何倍も危険な奴を召喚された! ヴァゾルはそいつに喰われて死んだんだ! 早く撤退しなければ、ソイツもやってくる!」

「コイツよりヤヴァイ奴か! それはヤヴァイな!!」


 満身創痍の身体になりながらも、強敵の存在に笑うガウル。

 ふと、テナーズは周囲に人質らしき者がいないことに気が付いた。


「…お、おい、ガウル! 人質はどうした!?」

「炎を纏った変な虫に連れ去られた。追おうとしたガァ、この熊公と蜂が煩くてナァ。このザマだ」

「…そうか、それなら仕方ない。早く撤退を――」


 そうテナーズが告げた直後、黒い巨体が木をなぎ倒しながら凄い勢いで滑り込んできた。

 砕けた木片が飛び散り、土煙が舞い上がる。

 皮膚のない黒い筋肉を剥き出しにした、頭と尻尾が口の翼竜――肉裂きファージだ!


「…ソ、ソイツだ! ヴァゾルを喰らった悪魔! に、逃げろ!!」


――キシャァアアア!!


 テナーズが叫んだのと、肉裂きファージの咆哮がその場に轟いたのは、ほぼ同時だった。

 耳を貫く高音の超音波声バインドボイスが、その場にいた全員をその場に張り付ける。


「グゥオォッ……」

「…ぐぅ」


 今までとは質の違う濃厚な死の気配に、簒奪者タロン達の警戒度が振り切れる。

 勝てない相手とは戦わない。

 全員の頭に、その言葉が浮かんだが、超音波声バインドボイスの影響で、即撤退へと動ける者はいなかった。

 そこに、ガウルの大声が響く。


「全員逃げヤガレェッ! ここはこのガウル様に任せろ!!」


 その言葉に、ようやく身体の自由を取り戻した簒奪者タロン達が、一斉に四方へ走り始めた。


「…な!?  ガウル!?」

「テナーズ、オマエも行け。弓使いのオマエじゃ一分と保たないだろ」

「…す、すまない!」

「オラァッ! イケェッ!!」


 ガウルが肉裂きファージへ向かって斧を投げる。

 周囲の獲物を物色していたファージだったが、迫る斧に気付くと、頭部と同じ形状の尻尾を一振り。

 迫った斧を事もなく弾き飛ばした。

 ファージが、斧を投げたガウルへ、目のない頭部をゆっくりと向けると、鋭利な歯が無数に生えた大口から大量の涎を垂れ流した。

 ガウルの全身の毛が逆立つ。


「ガァルゥアッ! 上等ダァッ!!」


 ガウルが残った片手斧を振り上げ、ファージへと駆ける。

 対するファージも、ガウルを次の獲物と見定め、口から大量の涎を撒き散らしながら、這うようにして突進していった。

コメント

  • くあ

    モン〇ンの、フル〇ルみたいな感じかな?

    0
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