【書籍化】マジックイーター 〜ゴブリンデッキから始まる異世界冒険〜
94 - 「近衛騎士団、団長オーリア」
雨が本降りとなり、水を得た魚の如く動きが良くなる土蛙人達。
城壁で食い止めていた土蛙人も、雨により城壁の油が薄まり、更には城壁を囲っていた炎も弱まったため、益々攻撃の勢いが増していると報告があった。
兵士や冒険者達は奮闘していたが、こちらの剣は土蛙人の皮膚粘液により滑り、致命傷どころか満足に傷一つ与えることが難しくなっていく。そしてその皮膚粘液は、雨を得て更に潤滑になる始末。戦況は悪くなる一方だ。
状況の悪化は止まることをしらないらしい。雨音でこちらの号令は目先までしか届かず、更には大雨により足場がぬかるみ、馬が足を取られてしまうため、ついには騎兵として戦場を駆け回ることもできなくなった。
敵は殺せど殺せど増える一方で終わりも見えず、こちらの負傷者は増えるばかり。さすがに鍛えられた近衛騎士団の精鋭達でも、顔に疲れの色が見え始めていた。
「オ、オーリア団長! 北門へ回った部隊が合流しました!」
「くっ…… ということは、北門は落ちたのか?」
「は、はい…… 残念ながら……」
「そうか…… まだ戦える者はこちらへ集めよ!」
「はっ!」
続々と運び込まれる怪我人。
「ここが私の墓場になるのか……」
そう呟き、その考えを否定するかのように頭を左右に振る。
「こんなところで死ねるものか……!」
そう気合いを入れ直し、自身が守る屋敷を見た。ローズヘイムの領主やフロン様が籠城している重要な拠点だ。籠城と言っても、城内としては異常に強固な柵で囲まれている大屋敷でしかない。幸い、この大屋敷は小高い丘にあり、周辺は更地だ。守りには適していると言える。だが、元々が籠城することを想定して作られてないのだ。柵は侵入しにくい作りにはなっているが、耐久度としては少し心許なかった。あの数の土蛙人を相手に、果たして後何時間もつのか……
「くそっ! 何か打つ手がないのか!? 私が居ながらこのざまか!?」
悔しさで涙が込み上げてくる。
(一体何のために今まで苦しい訓練に耐え抜いてきたというのだ! 自分が情けない!)
「団長! 北側が押されています! 数が多過ぎて対処が間に合いません!」
「くっ…… 分かった、私が向かう! ここは冒険者達に……」
「だ、団長ーっ!」
「今度は何だっ!?」
「敷地内に巨大な土蛙人が突然侵入してきました! 今はギルドマスター殿が抑えていますが強敵です! し、至急救援を!」
「敷地内だと!? なぜ……」
屋敷を囲う柵はまだ突破されたという報告は聞いていない。
(ま、まずい! 敷地内にはフロン様が! )
「今すぐ行く! 近衛騎士団は纏まって戦え! すぐ戻る!」
「は、はっ!」
敷地内から出てきた兵士が周囲を見て狼狽える。この屋敷のある丘へと駆け上がってくる土蛙人の多さに顔を引きつらせたのだろう。それも無理はない。丘の斜面を埋め尽くすかのように、それらは進軍していたのだから。
「最悪、フロン様を王都までお連れしなければ…… くっ! やはりフロン様をここへお連れするべきではなかったということなのか! くそっ!」
私はキツく歯を食いしばりながら、屋敷へと走った。
屋敷の敷地内へ立ち入ると、兵士や冒険者達がこちらへ背を向け、何かを囲んでいる。
「オーリアだ! フロン様はどこだ!? どけ!道を開けろ!」
「だ、団長! 申し訳ありません! へ、陛下が土蛙人に!」
「何だと……」
頻りに顔へ当たる雨粒が鬱陶しかったが、部下の言葉でそんなことを気にする余裕さえなくなった。
いや、目の前が真っ白になったことで、逆に冷静になった。
周囲の喧騒が消え、耳には自分の心臓の鼓動だけがドッドッドッと聞こえる。
「フロン様…… フロン様……」
フロン様の名を無意識に呟きながら、冒険者達を押し退け、彼らの前へと躍り出る。
するとそこには、赤褐色の肌をした一際大きな土蛙人が、こちらに背中を向けて周囲を警戒していた。
(大きい。今まで見たどの土蛙人よりも大きい。一回り以上ある。それに背中にある無数の光を放つ石は何だ?)
「もしや…… 赤銅宝石か……?」
土蛙人の背中のイボから採取できる魔石、その中でも格別に濃度の高い強力な魔石の一つとして、赤銅宝石という種類がある。
仮にその赤銅宝石だとすれば、目の前にいる土蛙人は相当特殊な個体だろう。
(しかし、あの大きさ…… あの数の多さ……
普通じゃない……
希少種…… 
いや、変異種の上位かも知れない……
厄介なっ……)
ふと、土蛙人の周囲に鋭利な岩が隆起しているのが見えた。
(あの土蛙人、土魔法が使えるのか?
嫌な予感がする……
はっ! それよりフロン様は一体どこに!?)
「……あっ」
目の前の土蛙人が身体を動かした際に、左手に人族が捕まっているのが見えた。その人族の髪は綺麗なブロンドで、薄っすらと淡い光を放つ白い魔法衣の袖が見える――
(……フ、フロン……様)
「き、貴様ぁあああああ!!」
「待て! 無闇に動くな!!」
土蛙人と対峙していた冒険者ギルドのマスター、ヴィクトルが叫ぶ。
だが、誰に何を言われようが、もはや私の行動を止められる者はいない。
フロン様に危害を加えた奴を、私が許せるはずがない。
愛する人を汚された、目の前の蛙を今すぐ八つ裂きにしろと心が訴えかけてくる。
その心の嘆きを抑えつけようとは思わない。
怒りに身を任せる。
理性すらも目の前の敵を殺せと判断している。
怒りは身体を駆け巡り、その怒りに反応して身体の芯から魔力が溢れ出る。
魔力の温存など考えない。
全力だ。
全力で目の前の蛙を排除する。
私は瞬時に凍てつく冷気を身に纏うと、即座に走り出した。
それと同時に、大地へ降り注ぐ雨粒をそのまま氷の杭へと変えていく。
無詠唱で行使したため、身体からごっそりと魔力が削られていくのが分かる。
だが気にしない。
今は目の前のフロン様を助けることだけに集中する。
その後のことは二の次だ。
土蛙人が私に気が付き、振り返る。
すると、あろうことか左手をこちらへ差し向けてきた。意識を失ったフロン様を盾にしてきたのだ。
「ゆ、許さんッ! 殺すッ!!」
(フロン様を盾にすれば、あるいは人質にすれば私が手を出せないとでも思ったか!?
笑止!
このような状況は想定済みだ!
毎日欠かさず訓練もしてきた、対策も抜かりはない!
むしろ女王を救う英雄譚の一節のような状況を再現してくれたお前に感謝したいくらいだ!
私は何千、何万回とこの状況を夢見て訓練してきたのだからな!!)
左手を土蛙人へと突き出し、凍てつく冷気とともに氷の杭を放つ。
不快な笑みを浮かべていた土蛙人の顔が、一瞬で驚きの表情へと変わる。
「はぁぁああッ!!」
冷気が暴風となって駆け抜ける。それは氷の杭よりも先にターゲットへとぶつかり、周囲の水分を瞬時に凍らせた。
そして遅れてやってくる無数の氷の杭。その氷の杭は、フロン様を巻き込んで土蛙人の手や身体へと次々に突き刺さった。
「ぎゅわぁあっ!?」
土蛙人が悲鳴をあげる。
勿論、フロン様に傷はない。フロン様が身に纏う魔法衣は、あらゆる魔法や加護による外的要因を無効化させてしまう純白の神鳥――夜明けの霊鳥の羽で編んだとされる国宝級の魔法衣、夜明けの魔法衣だと知っていたからだ。
世の中には希少度を表す名称として、最上位から順に神器級、伝説級、遺産級、国宝級と格付けされるが、その中の4番目にあたる国宝級の代物だ。値段を付ければ幾らになるか想像すら付かない。それ程価値のある装備なのだ。私程度の魔法など容易に無効化されることは既に検証済み。だからこそフロン様を気にせず全力で撃ち込めた。
だが、奴は未だにフロン様を掴んだままだった。
(くそ蛙がっ! 威力が足りなかったか!)
私は地面を蹴り、高く飛び上がった。
そしてフロン様を握る薄汚いその手を全力で斬りつける。
凍てつく冷気で表面の水分が凍った土蛙人の皮膚は、私の斬撃でも容易に切り裂くことができた。
フロン様を握っていた気色の悪い手の甲が裂け、そこから黄緑色の血が噴き出す。
土蛙人は私の斬撃で斬られたことが余程意外だったらしい。その大きく飛び出た目玉を更に大きく見開いていた。同時に、フロン様を手離した。
「よし!」
すかさずフロン様を抱き抱え、兵士達の場所へと走る。
「今だッ! 総員かかれぇーッ!!」
「おおおおーー!!」
私の号令に、その場に居た部下達が土蛙人へと駆け出す。
(やった! やったぞ! フロン様をこの手で助け……)
「団長ぉお!!」
――ドン
駆け付けた部下の一人に突き飛ばされ、フロン様と共に泥の中へ倒れ込んだ。
「何……」
私が自身へ体当たりしてきた部下に素早く視線を向ける。何をする!と怒りに任せて罵声を浴びせるつもりだった。だが、その光景を見たことで、一瞬でも愚かなことを考えた自分を悔やんだ。
私を突き飛ばした部下は、口から大量の血を吐き出すと、血で真っ赤に染まった口元を緩めてぎこちない笑みを浮かべていた。
「良かった…… ご無事で…… ぐぶっ」
私がいた場所には鋭利な岩が隆起しており、その岩は部下の身体を貫いていた。
「お前……」
「魔法障壁を展開しろ! 陛下と団長を命に代えてもお守りしろ!!」
「おお!!」
部下達が私と土蛙人の射線上へと割って入り、すかさず魔法障壁を展開。円盾を構え、次弾に備えた。
反対側では、ヴィクトルを中心に、冒険者達が土蛙人へ攻撃を再開している。
すると突然、土蛙人が奇声をあげ、周囲が黄金色の輝きに照らされた。
「不味い! 来るぞ! 耐えろぉおお!!」
冒険者達の叫びが聞こえ――
その直後、四方を乱れ飛ぶ岩の弾丸の一つが、私の前髪を掠めて飛んでいった。
岩の弾丸にぶつかり、弾き飛ばされる部下達。
冒険者達も次々にやられていく。
「無理だ! 魔法障壁が意味をなさない! 」
「だ、団長! 指示を!」
(無理だ……
土蛙人にこれ程の力があるとは……
一度態勢を立て直さねば……)
そう考えて周囲を見渡すが、逃げる場所などないことに気付く。
(態勢を立て直す?
どこで?
ここがこの街最後の防衛ポイントではなかったのか?)
私の腕の中で気を失っているフロン様を強く抱き締める。
逃げ場はない。
ここが唯一の避難場所であり、最後の砦だ。
屋敷から出たところで街中には対処しきれぬ程の土蛙人が溢れている。
もうこの街は駄目だ。
このままではフロン様共々全滅してしまう。
それだけは…… それだけは避けねば……
「レティセはどこだ!? レティセ!」
「団長…… レティセ殿はあそこに……」
「何?」
部下の指した方角を見ると、そこには隆起した岩にもたれかかるように背をつけてグッタリと項垂れたレティセの姿が。
「そんな……」
「レティセ殿は陛下を庇って……」
「くそっ! 私が付いていれば…… レティセに至急手当を!」
「これ以上の手当は…… 癒し手が足りないのです…… 既にいる癒し手は既に魔力欠乏症状が出ていてこれ以上は…… 街を探せば上級位の癒し手はいると思いますが、この状況では……」
「ぐっ……」
打開策が思い付かない。
フロン様は意識を失い、レティセは瀕死。
近衛騎士団も数を減らし、このままでは全滅も時間の問題だ。
どうすれば…… どうすればいい?
ここに居る者全てを切り捨て、生き残った近衛騎士団を率いて撤退すればいいのか?
ローズヘイムの住人を全員見捨てる決断を私は出来るのか?
本当に、本当にもう他の手段はないのか?
私が決断を躊躇っていると、赤銅宝石を背中に生やした土蛙人が、必死に食い下がる冒険者達へ向けて土魔法を行使――たちまち周囲には無数の岩柱が、その鋭利な先端を上空へ向けて次々に突き出した。
その岩柱に身体を貫かれ、複数の冒険者や兵士が鮮血を撒き散らしながら悲鳴をあげる。
「ぎゅぎゅぎゅ、力が戻ぎゅた。やはりその娘が原因か。危険な力ぎゅな」
土蛙人はこちらに振り向き、フロン様を見ながらそう呟いた。
「人族相手でも、もう油断はしぎゅい」
背中の赤銅宝石が再び輝き、赤褐色の濡れた皮膚が岩で覆われていく……
「岩の…… 武装だと……」
岩の武装。使い手の非常に少ない第6等級魔法であり、宮廷魔術師筆頭魔法とされる程の高位魔法技術だ。岩を鎧の様に身に纏うことで、一時的に強力な防御力を得ることができる。魔法使いは大抵が打たれ弱く、自身の防御力に弱点をもっているが、その弱点を克服するために生み出されたとされるのが魔法武装と言われる魔法技術である。
「なぜ土蛙人が人族の魔法技術を会得しているんだ…… ありえない……」
誰かが裏で糸を引いている?
そんな馬鹿な。
土蛙人に魔法を教えるなど不可能…… 
――不可能ではないのか?
だとしたら誰がこんな真似を……
「団長! 陛下を連れてローズヘイムからお逃げを! あの土蛙人は推定AAランク以上です! この戦力では太刀打ちできません!」
「団長! どうか陛下を!」
「団長!」
部下達が私を背に庇いながら、この窮地からの脱出を促してくる。
やはりそれしか道はないのか……
部下達に後押しされ、ようやく決断に腹がすわる。
「ここを…… ローズヘイムを放棄するぞ…… フロン様の命をお守りすることが絶対だ」
「はっ!」
フロン様を強く引き寄せ、先程の攻撃で底をついた魔力を、再び絞り出すように練り始める。だが、ここで気を失うことはできない。限界を見極めてギリギリのところまで魔力を出しきらねばこの窮地を脱することはできないだろう。
絞り出した魔力を身体に巡らせ、筋力に補強魔法をかける。
「行くぞ! 皆へ撤退の合……」
「逃ぎゅさぬ!」
ドドドドという音とともに、岩の礫が飛来する。
何発かが地面に着弾し、泥を撒き散らす。
「う、うわぁあ!?」
「的を絞らせるなっ! 散開しつつ反撃しろっ!!」
「おおおーー!!」
部下達は注意を私から逸らすため、それぞれが四方に散らばりつつ反撃を開始した。
だが、一人、また一人と土蛙人から放たれる岩の礫に身体を撃ち抜かれた部下達が地面に倒れていく。
「くっ…… すまないっ!」
私は出口まで走り出し――
屋敷の出口を見て足を止めた。
土蛙人達の侵入を防ぐための防衛線は崩れ、皮肉にも敷地内にいる私達を逃さないように出口を塞いだ形で土蛙人が同じように布陣し始めた。
それは自分達の知る低脳な土蛙人の動きとは異なり、まるで人族の軍隊を相手にしているかのような錯覚さえ覚えた。
「そんな……」
そのきっかけを作ったであろう一際大きな土蛙人は、鮮血で染まった石の棍棒を軽々しく振り回している。
「あれも…… 希少種か何かなのか……?」
私が新たな絶望に立往生していると、目の前の大きな土蛙人が、私越しに土魔法を操る土蛙人と会話を始めた。
「王。外の包囲、完了しまぎゅた」
「ぎゅぎゅぎゅ。トードン、よぎゅやった。ここを潰せばこの街は我のモノぎゅ!」
……囲まれた?
……外の兵士や冒険者達はどうなった?
……まさか、全滅した、のか?
「もう…… ここまで、なのか……?」
「ぎゅぎゅぎゅ、お前も終わりだぎゅ」
背後で岩を纏った土蛙人が、私へ向けて殺意を向けたのがわかった。
だが、どうすれば……
「まだ諦めるんじゃないさね!!」
突如、黄金色の淡い光を纏った女の戦士が私の隣へと現れ――
フロン様を抱える私ごと体当たりで弾き飛ばした。
それとほぼ同時に、地面から隆起してきた鋭利な岩が突き出る。
女戦士が私を突き飛ばさなければ、私はあの岩に貫かれていただろう。
また助けられた。
そして私の代わりにまた……
そう考えたが、結果は違った。
女戦士は手に持っていた大剣を器用に岩と身体の間に滑り込ませると、そのまま岩肌を削るように大剣を滑らせながら上手く回避してみせた。
「ここじゃ挟撃されるよ! さっさと屋敷の方へ行きな!」
「そうはさせぎゅい」
「ちっ!」
退路を断つように、長方形の岩の壁が迫り上がり、出口から侵入してきた土蛙人達が立ちはだかる。
「おいあんた! あたしが…… ぐっ!?」
女戦士は私に何か伝えようとしたが、その暇も与えないとばかりに、岩の弾丸が彼女を襲った。
上手く大剣で凌いではいるが、攻勢に出られる余裕はないようだ。
屋敷側にいる冒険者達も、屋敷を囲んでいる塀を次々に飛び越えてくる土蛙人達への応戦で手一杯で、援護は期待できない。
出口からは石の棍棒を振り上げながら、身体の大きな土蛙人が私目掛けて走ってくる。
――終わった
私とフロン様はここで死ぬ。
ふと視線を下げると、私の腕の中で眠るフロン様が…… 
その顔は泥で汚れている。
そっとその汚れを拭うと、私はフロン様を抱え込むように強く抱き寄せた。
「死するその最期まで、お側におります……」
容赦無く降り注いでいた雨粒が一瞬止んだ。
そんな気がした。
顔を上げると、目の前で土蛙人が岩の棍棒を振り上げているのが見えた。
「あんたっ! おいっ! 何ボサッとしてんだいっ! お、おいっ!!」
私は助けに来てくれた女戦士の方を向き、一言「すまない」と言って目を瞑った。
最期はフロン様と共に……
そう死を受け入れた刹那――
大気が震えた。
――ギャァオオオン!!
無意識に身体が強張る。
その直後、先程まであった喧騒が消えた。
雨音だけがそこに存在している。
誰もが動きを止め、先程の咆哮の出所を必死に探していた。
「ようやくお出ましかい…… 全く、危うく全滅するところだったじゃないのさ」
女戦士がそう呟いた。
「しかし、今度は何を連れてきたんだか…… くくっ、かっかっか」
そして突然笑い出した。
私が理解出来ずに呆然としていると、女戦士はすかさず私へと近付き、フロン様を抱えた私ごと抱き上げて屋敷の方角へ走った。
「あたしらのボスが到着したからにはもう怖いもんなしさね。だからしっかりしな! あんた近衛騎士団の団長なんだろ!?」
この女は何を言っているのか。
ボス?
ここへ人族が一人来たところでどう助かるというのだ。
その時の私はそう考えていた。
だが、誰かが東の城壁上空を指差し、その先の光景を目の当たりにした時、私を更なる絶望が襲った。
「ド、ドラゴン!?」
東の空を滑空する真紅のドラゴン。
時折火を吹きながら、城壁の上空すれすれを南から北へと何かを追い立てるように飛行している。
そしてそれは北の城門上空まで到達すると、その城壁の上部には土蛙人が山のように積みあがっているのが見えた。
その土蛙人の山へ、真紅のドラゴンは周囲を朱色に照らす程の業火を容赦なく放つ。
――ギュェエエエ
土蛙人達の断末魔の悲鳴が木霊する。
「ドラゴンが…… 土蛙人を焼いてる?」
誰かがそう呟いた。
それをきっかけに少しずつ我に返っていく冒険者達。
「もう一匹いるぞ!?」
「は、灰色のドラゴン!?」
「な、なんでドラゴンがいるんだ!?」
動揺は大きい。
だが、ドラゴンが土蛙人を攻撃している光景を見たことで、最悪の想定を思い描いた者は意外に少なかったのかもしれない。
「や、奴がぎゅた…… 奴に違いない…… ド、ドラゴンに乗って追ってぎゅたのか……? ぎゅぬぬゅ! 怯むな! 奴は我が仕留めぎゅ! お前達は目の前の人族を捕まえて人質にせよ!」
一方で、土蛙人達の動揺は酷いものだった。
だがそれも、王と呼ばれた土蛙人の発破により、少しずつ立ち直し始めている。
私が混乱していると、女戦士と、ギルドマスターであるヴィクトルの会話が耳に入った。
「あれは…… マサトの援軍か?」
「多分そうさね」
「確証はあるのか?」
「そんなもんある訳ないじゃないのさ! でも、あれはきっとマサトの召喚獣さね。そうじゃなければ何十年も姿を見せなかったドラゴンが、この窮地に突然現れて、更には城壁を登った蛙共を狙い撃ちなんてすると思うのかい? そっちの方がありえないさね」
「……そうか」
マサト?
召喚獣?
あのドラゴンが?
何を言っている。
この二人は何を知って……
「ヴ、ヴィクトルさん! 屋敷の裏手が抜かれました! 屋敷内にも土蛙人が!」
「くっ…… だがこちらも手一杯だ。何とか耐えてくれ!」
「で、でも屋敷の中には子供や老人達が……」
「デクスト! あんた何やってんだい! ワーグ達はどうしたのさ!?」
「マーレさん!? ワーグさん達はまだ戦ってます! ですが侵入してくる土蛙人の数が多過ぎて……」
「ちっ、皆にマサトが到着したと伝えな! あとひと頑張りだよ!!」
「えっ? ええっ!? マサトさんが!? 何処に!?」
「近くには来てるはずさね。その証拠にあそこに……」
そう指差した先からは、こちら目掛けて急降下してくるドラゴンの姿があった。
それに気付いた誰もが目を見開き、足を止めた。
それは土蛙人も同じだったようだ。
周囲からか細い悲鳴が聞こえる。
脈が不規則にドドドと脈打ち、「ひぃっ」という悲鳴が、無意識に開いていた口から漏れた。
凶悪な牙が並んだ大口を開けながら、真紅の両翼を広げてこちらに迫るドラゴン。
その距離が十数メートル近くになったとき、私は恐怖で飛びそうになる意識を歯を食いしばって耐えるので精一杯だった。
城壁で食い止めていた土蛙人も、雨により城壁の油が薄まり、更には城壁を囲っていた炎も弱まったため、益々攻撃の勢いが増していると報告があった。
兵士や冒険者達は奮闘していたが、こちらの剣は土蛙人の皮膚粘液により滑り、致命傷どころか満足に傷一つ与えることが難しくなっていく。そしてその皮膚粘液は、雨を得て更に潤滑になる始末。戦況は悪くなる一方だ。
状況の悪化は止まることをしらないらしい。雨音でこちらの号令は目先までしか届かず、更には大雨により足場がぬかるみ、馬が足を取られてしまうため、ついには騎兵として戦場を駆け回ることもできなくなった。
敵は殺せど殺せど増える一方で終わりも見えず、こちらの負傷者は増えるばかり。さすがに鍛えられた近衛騎士団の精鋭達でも、顔に疲れの色が見え始めていた。
「オ、オーリア団長! 北門へ回った部隊が合流しました!」
「くっ…… ということは、北門は落ちたのか?」
「は、はい…… 残念ながら……」
「そうか…… まだ戦える者はこちらへ集めよ!」
「はっ!」
続々と運び込まれる怪我人。
「ここが私の墓場になるのか……」
そう呟き、その考えを否定するかのように頭を左右に振る。
「こんなところで死ねるものか……!」
そう気合いを入れ直し、自身が守る屋敷を見た。ローズヘイムの領主やフロン様が籠城している重要な拠点だ。籠城と言っても、城内としては異常に強固な柵で囲まれている大屋敷でしかない。幸い、この大屋敷は小高い丘にあり、周辺は更地だ。守りには適していると言える。だが、元々が籠城することを想定して作られてないのだ。柵は侵入しにくい作りにはなっているが、耐久度としては少し心許なかった。あの数の土蛙人を相手に、果たして後何時間もつのか……
「くそっ! 何か打つ手がないのか!? 私が居ながらこのざまか!?」
悔しさで涙が込み上げてくる。
(一体何のために今まで苦しい訓練に耐え抜いてきたというのだ! 自分が情けない!)
「団長! 北側が押されています! 数が多過ぎて対処が間に合いません!」
「くっ…… 分かった、私が向かう! ここは冒険者達に……」
「だ、団長ーっ!」
「今度は何だっ!?」
「敷地内に巨大な土蛙人が突然侵入してきました! 今はギルドマスター殿が抑えていますが強敵です! し、至急救援を!」
「敷地内だと!? なぜ……」
屋敷を囲う柵はまだ突破されたという報告は聞いていない。
(ま、まずい! 敷地内にはフロン様が! )
「今すぐ行く! 近衛騎士団は纏まって戦え! すぐ戻る!」
「は、はっ!」
敷地内から出てきた兵士が周囲を見て狼狽える。この屋敷のある丘へと駆け上がってくる土蛙人の多さに顔を引きつらせたのだろう。それも無理はない。丘の斜面を埋め尽くすかのように、それらは進軍していたのだから。
「最悪、フロン様を王都までお連れしなければ…… くっ! やはりフロン様をここへお連れするべきではなかったということなのか! くそっ!」
私はキツく歯を食いしばりながら、屋敷へと走った。
屋敷の敷地内へ立ち入ると、兵士や冒険者達がこちらへ背を向け、何かを囲んでいる。
「オーリアだ! フロン様はどこだ!? どけ!道を開けろ!」
「だ、団長! 申し訳ありません! へ、陛下が土蛙人に!」
「何だと……」
頻りに顔へ当たる雨粒が鬱陶しかったが、部下の言葉でそんなことを気にする余裕さえなくなった。
いや、目の前が真っ白になったことで、逆に冷静になった。
周囲の喧騒が消え、耳には自分の心臓の鼓動だけがドッドッドッと聞こえる。
「フロン様…… フロン様……」
フロン様の名を無意識に呟きながら、冒険者達を押し退け、彼らの前へと躍り出る。
するとそこには、赤褐色の肌をした一際大きな土蛙人が、こちらに背中を向けて周囲を警戒していた。
(大きい。今まで見たどの土蛙人よりも大きい。一回り以上ある。それに背中にある無数の光を放つ石は何だ?)
「もしや…… 赤銅宝石か……?」
土蛙人の背中のイボから採取できる魔石、その中でも格別に濃度の高い強力な魔石の一つとして、赤銅宝石という種類がある。
仮にその赤銅宝石だとすれば、目の前にいる土蛙人は相当特殊な個体だろう。
(しかし、あの大きさ…… あの数の多さ……
普通じゃない……
希少種…… 
いや、変異種の上位かも知れない……
厄介なっ……)
ふと、土蛙人の周囲に鋭利な岩が隆起しているのが見えた。
(あの土蛙人、土魔法が使えるのか?
嫌な予感がする……
はっ! それよりフロン様は一体どこに!?)
「……あっ」
目の前の土蛙人が身体を動かした際に、左手に人族が捕まっているのが見えた。その人族の髪は綺麗なブロンドで、薄っすらと淡い光を放つ白い魔法衣の袖が見える――
(……フ、フロン……様)
「き、貴様ぁあああああ!!」
「待て! 無闇に動くな!!」
土蛙人と対峙していた冒険者ギルドのマスター、ヴィクトルが叫ぶ。
だが、誰に何を言われようが、もはや私の行動を止められる者はいない。
フロン様に危害を加えた奴を、私が許せるはずがない。
愛する人を汚された、目の前の蛙を今すぐ八つ裂きにしろと心が訴えかけてくる。
その心の嘆きを抑えつけようとは思わない。
怒りに身を任せる。
理性すらも目の前の敵を殺せと判断している。
怒りは身体を駆け巡り、その怒りに反応して身体の芯から魔力が溢れ出る。
魔力の温存など考えない。
全力だ。
全力で目の前の蛙を排除する。
私は瞬時に凍てつく冷気を身に纏うと、即座に走り出した。
それと同時に、大地へ降り注ぐ雨粒をそのまま氷の杭へと変えていく。
無詠唱で行使したため、身体からごっそりと魔力が削られていくのが分かる。
だが気にしない。
今は目の前のフロン様を助けることだけに集中する。
その後のことは二の次だ。
土蛙人が私に気が付き、振り返る。
すると、あろうことか左手をこちらへ差し向けてきた。意識を失ったフロン様を盾にしてきたのだ。
「ゆ、許さんッ! 殺すッ!!」
(フロン様を盾にすれば、あるいは人質にすれば私が手を出せないとでも思ったか!?
笑止!
このような状況は想定済みだ!
毎日欠かさず訓練もしてきた、対策も抜かりはない!
むしろ女王を救う英雄譚の一節のような状況を再現してくれたお前に感謝したいくらいだ!
私は何千、何万回とこの状況を夢見て訓練してきたのだからな!!)
左手を土蛙人へと突き出し、凍てつく冷気とともに氷の杭を放つ。
不快な笑みを浮かべていた土蛙人の顔が、一瞬で驚きの表情へと変わる。
「はぁぁああッ!!」
冷気が暴風となって駆け抜ける。それは氷の杭よりも先にターゲットへとぶつかり、周囲の水分を瞬時に凍らせた。
そして遅れてやってくる無数の氷の杭。その氷の杭は、フロン様を巻き込んで土蛙人の手や身体へと次々に突き刺さった。
「ぎゅわぁあっ!?」
土蛙人が悲鳴をあげる。
勿論、フロン様に傷はない。フロン様が身に纏う魔法衣は、あらゆる魔法や加護による外的要因を無効化させてしまう純白の神鳥――夜明けの霊鳥の羽で編んだとされる国宝級の魔法衣、夜明けの魔法衣だと知っていたからだ。
世の中には希少度を表す名称として、最上位から順に神器級、伝説級、遺産級、国宝級と格付けされるが、その中の4番目にあたる国宝級の代物だ。値段を付ければ幾らになるか想像すら付かない。それ程価値のある装備なのだ。私程度の魔法など容易に無効化されることは既に検証済み。だからこそフロン様を気にせず全力で撃ち込めた。
だが、奴は未だにフロン様を掴んだままだった。
(くそ蛙がっ! 威力が足りなかったか!)
私は地面を蹴り、高く飛び上がった。
そしてフロン様を握る薄汚いその手を全力で斬りつける。
凍てつく冷気で表面の水分が凍った土蛙人の皮膚は、私の斬撃でも容易に切り裂くことができた。
フロン様を握っていた気色の悪い手の甲が裂け、そこから黄緑色の血が噴き出す。
土蛙人は私の斬撃で斬られたことが余程意外だったらしい。その大きく飛び出た目玉を更に大きく見開いていた。同時に、フロン様を手離した。
「よし!」
すかさずフロン様を抱き抱え、兵士達の場所へと走る。
「今だッ! 総員かかれぇーッ!!」
「おおおおーー!!」
私の号令に、その場に居た部下達が土蛙人へと駆け出す。
(やった! やったぞ! フロン様をこの手で助け……)
「団長ぉお!!」
――ドン
駆け付けた部下の一人に突き飛ばされ、フロン様と共に泥の中へ倒れ込んだ。
「何……」
私が自身へ体当たりしてきた部下に素早く視線を向ける。何をする!と怒りに任せて罵声を浴びせるつもりだった。だが、その光景を見たことで、一瞬でも愚かなことを考えた自分を悔やんだ。
私を突き飛ばした部下は、口から大量の血を吐き出すと、血で真っ赤に染まった口元を緩めてぎこちない笑みを浮かべていた。
「良かった…… ご無事で…… ぐぶっ」
私がいた場所には鋭利な岩が隆起しており、その岩は部下の身体を貫いていた。
「お前……」
「魔法障壁を展開しろ! 陛下と団長を命に代えてもお守りしろ!!」
「おお!!」
部下達が私と土蛙人の射線上へと割って入り、すかさず魔法障壁を展開。円盾を構え、次弾に備えた。
反対側では、ヴィクトルを中心に、冒険者達が土蛙人へ攻撃を再開している。
すると突然、土蛙人が奇声をあげ、周囲が黄金色の輝きに照らされた。
「不味い! 来るぞ! 耐えろぉおお!!」
冒険者達の叫びが聞こえ――
その直後、四方を乱れ飛ぶ岩の弾丸の一つが、私の前髪を掠めて飛んでいった。
岩の弾丸にぶつかり、弾き飛ばされる部下達。
冒険者達も次々にやられていく。
「無理だ! 魔法障壁が意味をなさない! 」
「だ、団長! 指示を!」
(無理だ……
土蛙人にこれ程の力があるとは……
一度態勢を立て直さねば……)
そう考えて周囲を見渡すが、逃げる場所などないことに気付く。
(態勢を立て直す?
どこで?
ここがこの街最後の防衛ポイントではなかったのか?)
私の腕の中で気を失っているフロン様を強く抱き締める。
逃げ場はない。
ここが唯一の避難場所であり、最後の砦だ。
屋敷から出たところで街中には対処しきれぬ程の土蛙人が溢れている。
もうこの街は駄目だ。
このままではフロン様共々全滅してしまう。
それだけは…… それだけは避けねば……
「レティセはどこだ!? レティセ!」
「団長…… レティセ殿はあそこに……」
「何?」
部下の指した方角を見ると、そこには隆起した岩にもたれかかるように背をつけてグッタリと項垂れたレティセの姿が。
「そんな……」
「レティセ殿は陛下を庇って……」
「くそっ! 私が付いていれば…… レティセに至急手当を!」
「これ以上の手当は…… 癒し手が足りないのです…… 既にいる癒し手は既に魔力欠乏症状が出ていてこれ以上は…… 街を探せば上級位の癒し手はいると思いますが、この状況では……」
「ぐっ……」
打開策が思い付かない。
フロン様は意識を失い、レティセは瀕死。
近衛騎士団も数を減らし、このままでは全滅も時間の問題だ。
どうすれば…… どうすればいい?
ここに居る者全てを切り捨て、生き残った近衛騎士団を率いて撤退すればいいのか?
ローズヘイムの住人を全員見捨てる決断を私は出来るのか?
本当に、本当にもう他の手段はないのか?
私が決断を躊躇っていると、赤銅宝石を背中に生やした土蛙人が、必死に食い下がる冒険者達へ向けて土魔法を行使――たちまち周囲には無数の岩柱が、その鋭利な先端を上空へ向けて次々に突き出した。
その岩柱に身体を貫かれ、複数の冒険者や兵士が鮮血を撒き散らしながら悲鳴をあげる。
「ぎゅぎゅぎゅ、力が戻ぎゅた。やはりその娘が原因か。危険な力ぎゅな」
土蛙人はこちらに振り向き、フロン様を見ながらそう呟いた。
「人族相手でも、もう油断はしぎゅい」
背中の赤銅宝石が再び輝き、赤褐色の濡れた皮膚が岩で覆われていく……
「岩の…… 武装だと……」
岩の武装。使い手の非常に少ない第6等級魔法であり、宮廷魔術師筆頭魔法とされる程の高位魔法技術だ。岩を鎧の様に身に纏うことで、一時的に強力な防御力を得ることができる。魔法使いは大抵が打たれ弱く、自身の防御力に弱点をもっているが、その弱点を克服するために生み出されたとされるのが魔法武装と言われる魔法技術である。
「なぜ土蛙人が人族の魔法技術を会得しているんだ…… ありえない……」
誰かが裏で糸を引いている?
そんな馬鹿な。
土蛙人に魔法を教えるなど不可能…… 
――不可能ではないのか?
だとしたら誰がこんな真似を……
「団長! 陛下を連れてローズヘイムからお逃げを! あの土蛙人は推定AAランク以上です! この戦力では太刀打ちできません!」
「団長! どうか陛下を!」
「団長!」
部下達が私を背に庇いながら、この窮地からの脱出を促してくる。
やはりそれしか道はないのか……
部下達に後押しされ、ようやく決断に腹がすわる。
「ここを…… ローズヘイムを放棄するぞ…… フロン様の命をお守りすることが絶対だ」
「はっ!」
フロン様を強く引き寄せ、先程の攻撃で底をついた魔力を、再び絞り出すように練り始める。だが、ここで気を失うことはできない。限界を見極めてギリギリのところまで魔力を出しきらねばこの窮地を脱することはできないだろう。
絞り出した魔力を身体に巡らせ、筋力に補強魔法をかける。
「行くぞ! 皆へ撤退の合……」
「逃ぎゅさぬ!」
ドドドドという音とともに、岩の礫が飛来する。
何発かが地面に着弾し、泥を撒き散らす。
「う、うわぁあ!?」
「的を絞らせるなっ! 散開しつつ反撃しろっ!!」
「おおおーー!!」
部下達は注意を私から逸らすため、それぞれが四方に散らばりつつ反撃を開始した。
だが、一人、また一人と土蛙人から放たれる岩の礫に身体を撃ち抜かれた部下達が地面に倒れていく。
「くっ…… すまないっ!」
私は出口まで走り出し――
屋敷の出口を見て足を止めた。
土蛙人達の侵入を防ぐための防衛線は崩れ、皮肉にも敷地内にいる私達を逃さないように出口を塞いだ形で土蛙人が同じように布陣し始めた。
それは自分達の知る低脳な土蛙人の動きとは異なり、まるで人族の軍隊を相手にしているかのような錯覚さえ覚えた。
「そんな……」
そのきっかけを作ったであろう一際大きな土蛙人は、鮮血で染まった石の棍棒を軽々しく振り回している。
「あれも…… 希少種か何かなのか……?」
私が新たな絶望に立往生していると、目の前の大きな土蛙人が、私越しに土魔法を操る土蛙人と会話を始めた。
「王。外の包囲、完了しまぎゅた」
「ぎゅぎゅぎゅ。トードン、よぎゅやった。ここを潰せばこの街は我のモノぎゅ!」
……囲まれた?
……外の兵士や冒険者達はどうなった?
……まさか、全滅した、のか?
「もう…… ここまで、なのか……?」
「ぎゅぎゅぎゅ、お前も終わりだぎゅ」
背後で岩を纏った土蛙人が、私へ向けて殺意を向けたのがわかった。
だが、どうすれば……
「まだ諦めるんじゃないさね!!」
突如、黄金色の淡い光を纏った女の戦士が私の隣へと現れ――
フロン様を抱える私ごと体当たりで弾き飛ばした。
それとほぼ同時に、地面から隆起してきた鋭利な岩が突き出る。
女戦士が私を突き飛ばさなければ、私はあの岩に貫かれていただろう。
また助けられた。
そして私の代わりにまた……
そう考えたが、結果は違った。
女戦士は手に持っていた大剣を器用に岩と身体の間に滑り込ませると、そのまま岩肌を削るように大剣を滑らせながら上手く回避してみせた。
「ここじゃ挟撃されるよ! さっさと屋敷の方へ行きな!」
「そうはさせぎゅい」
「ちっ!」
退路を断つように、長方形の岩の壁が迫り上がり、出口から侵入してきた土蛙人達が立ちはだかる。
「おいあんた! あたしが…… ぐっ!?」
女戦士は私に何か伝えようとしたが、その暇も与えないとばかりに、岩の弾丸が彼女を襲った。
上手く大剣で凌いではいるが、攻勢に出られる余裕はないようだ。
屋敷側にいる冒険者達も、屋敷を囲んでいる塀を次々に飛び越えてくる土蛙人達への応戦で手一杯で、援護は期待できない。
出口からは石の棍棒を振り上げながら、身体の大きな土蛙人が私目掛けて走ってくる。
――終わった
私とフロン様はここで死ぬ。
ふと視線を下げると、私の腕の中で眠るフロン様が…… 
その顔は泥で汚れている。
そっとその汚れを拭うと、私はフロン様を抱え込むように強く抱き寄せた。
「死するその最期まで、お側におります……」
容赦無く降り注いでいた雨粒が一瞬止んだ。
そんな気がした。
顔を上げると、目の前で土蛙人が岩の棍棒を振り上げているのが見えた。
「あんたっ! おいっ! 何ボサッとしてんだいっ! お、おいっ!!」
私は助けに来てくれた女戦士の方を向き、一言「すまない」と言って目を瞑った。
最期はフロン様と共に……
そう死を受け入れた刹那――
大気が震えた。
――ギャァオオオン!!
無意識に身体が強張る。
その直後、先程まであった喧騒が消えた。
雨音だけがそこに存在している。
誰もが動きを止め、先程の咆哮の出所を必死に探していた。
「ようやくお出ましかい…… 全く、危うく全滅するところだったじゃないのさ」
女戦士がそう呟いた。
「しかし、今度は何を連れてきたんだか…… くくっ、かっかっか」
そして突然笑い出した。
私が理解出来ずに呆然としていると、女戦士はすかさず私へと近付き、フロン様を抱えた私ごと抱き上げて屋敷の方角へ走った。
「あたしらのボスが到着したからにはもう怖いもんなしさね。だからしっかりしな! あんた近衛騎士団の団長なんだろ!?」
この女は何を言っているのか。
ボス?
ここへ人族が一人来たところでどう助かるというのだ。
その時の私はそう考えていた。
だが、誰かが東の城壁上空を指差し、その先の光景を目の当たりにした時、私を更なる絶望が襲った。
「ド、ドラゴン!?」
東の空を滑空する真紅のドラゴン。
時折火を吹きながら、城壁の上空すれすれを南から北へと何かを追い立てるように飛行している。
そしてそれは北の城門上空まで到達すると、その城壁の上部には土蛙人が山のように積みあがっているのが見えた。
その土蛙人の山へ、真紅のドラゴンは周囲を朱色に照らす程の業火を容赦なく放つ。
――ギュェエエエ
土蛙人達の断末魔の悲鳴が木霊する。
「ドラゴンが…… 土蛙人を焼いてる?」
誰かがそう呟いた。
それをきっかけに少しずつ我に返っていく冒険者達。
「もう一匹いるぞ!?」
「は、灰色のドラゴン!?」
「な、なんでドラゴンがいるんだ!?」
動揺は大きい。
だが、ドラゴンが土蛙人を攻撃している光景を見たことで、最悪の想定を思い描いた者は意外に少なかったのかもしれない。
「や、奴がぎゅた…… 奴に違いない…… ド、ドラゴンに乗って追ってぎゅたのか……? ぎゅぬぬゅ! 怯むな! 奴は我が仕留めぎゅ! お前達は目の前の人族を捕まえて人質にせよ!」
一方で、土蛙人達の動揺は酷いものだった。
だがそれも、王と呼ばれた土蛙人の発破により、少しずつ立ち直し始めている。
私が混乱していると、女戦士と、ギルドマスターであるヴィクトルの会話が耳に入った。
「あれは…… マサトの援軍か?」
「多分そうさね」
「確証はあるのか?」
「そんなもんある訳ないじゃないのさ! でも、あれはきっとマサトの召喚獣さね。そうじゃなければ何十年も姿を見せなかったドラゴンが、この窮地に突然現れて、更には城壁を登った蛙共を狙い撃ちなんてすると思うのかい? そっちの方がありえないさね」
「……そうか」
マサト?
召喚獣?
あのドラゴンが?
何を言っている。
この二人は何を知って……
「ヴ、ヴィクトルさん! 屋敷の裏手が抜かれました! 屋敷内にも土蛙人が!」
「くっ…… だがこちらも手一杯だ。何とか耐えてくれ!」
「で、でも屋敷の中には子供や老人達が……」
「デクスト! あんた何やってんだい! ワーグ達はどうしたのさ!?」
「マーレさん!? ワーグさん達はまだ戦ってます! ですが侵入してくる土蛙人の数が多過ぎて……」
「ちっ、皆にマサトが到着したと伝えな! あとひと頑張りだよ!!」
「えっ? ええっ!? マサトさんが!? 何処に!?」
「近くには来てるはずさね。その証拠にあそこに……」
そう指差した先からは、こちら目掛けて急降下してくるドラゴンの姿があった。
それに気付いた誰もが目を見開き、足を止めた。
それは土蛙人も同じだったようだ。
周囲からか細い悲鳴が聞こえる。
脈が不規則にドドドと脈打ち、「ひぃっ」という悲鳴が、無意識に開いていた口から漏れた。
凶悪な牙が並んだ大口を開けながら、真紅の両翼を広げてこちらに迫るドラゴン。
その距離が十数メートル近くになったとき、私は恐怖で飛びそうになる意識を歯を食いしばって耐えるので精一杯だった。
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