妖夢幻影

陰東 一華菱

前途多難な帰り道

 冴歌は悩んでいた。
 部活への顔出しが終わり家路に着こうとしてバス停に立っているが、今自分の足元に立っているのは妖怪であり、自分の命を着け狙う人狼そのもの。いや、それ以前に彼の姿はどうやらどの人間にもただの子犬にしか見えないようで、今こうしてバスを待っている間もベンチに座っているお祖母ちゃんがチッチッチ……と口を鳴らしながら手を差し伸べているのだ。
 当然、そんな物に見向きもしない阿魅雲羅はそちらを振り返ろうともしない。そして更には自分の側を離れようともしない。

 冴歌は鞄を抱くようにしてその場にしゃがみ込み、阿魅雲羅にこそっと声をかけた。

「ねぇ、阿魅雲羅くん……」
「馴れ馴れしく呼ぶな。俺はお前の友人でも何でもない」
「分かってるわよ。そうじゃなくて……どこまで一緒についてくるの?」
「お前の命を消すまでだ」

 ムスッとした顔で、やはりこちらを振り返る素振りもなく真っ直ぐ前を見据えたままふてぶてしくそう答える。
 冴歌は自分の命を消すまで一緒にいると言い張った阿魅雲羅に、長いため息を吐く。
 それは別に構わない。構わないのだが、問題はどうやってバスに乗るかだ。まず直面している問題はそこなのだ。

「……ねぇ。じゃあさ、この鞄の中に入ってくれない?」

 そう言いながら予備で持ってきていたスクールバッグを見せると、阿魅雲羅はジロリとこちらを睨みつけ牙を剥く。

「貴様、どこまで俺を侮辱する気だ?!」
「侮辱なんかしてないわ。でも、バスに乗らないと家に帰れないし、このままじゃそのバスにも乗れないのよ」
「そもそも、そんな小さい袋の中になぞ入れるか!」
「だって、これしか持ってないんだもの。大丈夫よ、子犬なら入れると思うから」

 子犬なら入れる。そう言った瞬間、阿魅雲羅はますます不機嫌な表情を浮かべ唸り声をあげる。
 すると、それまで彼を撫でようとしていたお祖母ちゃんが驚いて瞬間的に手を引っ込めた。完全に彼女は自分が唸られたと勘違いしてしまったようだ。

「ご、ごめんなさい。何か機嫌が悪いみたいで……」

 冴歌は咄嗟にそのお祖母ちゃんに謝ると、彼女も苦笑いを浮かべながら「いいのよ」と答えた。

「もう、お祖母ちゃんが勘違いしちゃったじゃない」
「知るか。大体お前のせいで俺はいつもの妖力の半分も使いこなせないんだ。お前の言いなりになる義理はない」
「それ、私のせいなの……?」

 その点に関しては完全な逆恨みでしかないような気がする。
 そうこうしている間に、遠くからバスがやってくる姿が見て取れた。
 あれを逃したら次は一時間後だ。あれに乗れなければ一時間もこの寒空の下待たなければならない。だが、阿魅雲羅は一向に鞄の中に入ろうとはしてくれなかった。

「あれ? パイセン。こんな時間にいるなんて珍しいっすね」
「あ、松脇くん」
「お。めっちゃ可愛いワンコっすね! どうしたんスか? この犬」

 そう言いながら、奏はその場にしゃがみ込んで容赦なくグリグリと阿魅雲羅の頭を撫でまわす。
 当の阿魅雲羅は当然牙を剥き出しにしながら唸り声をあげ、その手から逃れようと暴れまわるが奏は容赦がない。
 近づいてくるバスを見て、冴歌は奏に目を向けた。

「ごめん、松脇くん。この子鞄に入るの嫌がってて困ってたの。手伝ってくれる?」
「いっすよ」
「なっ!? 無礼者! 触るなっ! このっ!」

 暴れまわる阿魅雲羅をひょいと持ち上げた奏は、冴歌が差し出した袋の中に入れようとする。だが手足をばたつかせ、なかなか素直に収まりそうにない。

「ちょっとの間だから言う事聞いて?!」
「なぜ俺がお前の言う事を聞かねばならぬっ!? 冗談も休み休み言えっ!」
「小言なら帰ってからいくらでも聞くからっ!」

 そうこう言っている間に、バスが目の前に留まり待っていた人たちがぞろぞろと乗り込み始める。降りる人もいなくなり、後ろのドアを閉められた後前のドアを開けてこちらを見ていたバスの運転手が声をかけて来る。

「乗りますか?」
「は、はい! 乗ります! ごめんなさい!」

 慌てた冴歌は強引だと分かっていながらも彼の頭を掴み、無理やりぎゅっと鞄の中にねじ込むとギリギリのところまでファスナーを占めた。
 強制的に捻じ込まれてしまった阿魅雲羅は当然袋の中で激しく暴れ回り、鞄がグニャグニャとサボテンのように腕と足に押されて突き出て、唸り声を上げ続けている。
 それでもようやく鞄に入った事にひとまずホッと胸をなでおろした冴歌は奏を振り返った。

「あ、ありがとう、松脇くん。また明日ね!」
「うっす」

 もぞもぞと激しく動き回る鞄を抱え、冴歌はバスに乗り込むことに成功する。
 何事か叫んでいる阿魅雲羅の声は、全部子犬の唸り声となって周りの乗客の耳に届いているのだろう。静かなバスの中の、周りからの冷たい視線が気まずくて仕方がなかった。
 鞄を抱えていた冴歌は、周りに恐縮しながら阿魅雲羅に声をかけた。

「ほんとにすぐだから、諦めて」
「ムガーッ!!」

 どんなに宥めすかしても、結局最後まで大人しくはなってくれない阿魅雲羅に、冴歌は感じなくてもいい疲れをどっと感じるのだった。

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