妖夢幻影

陰東 一華菱

他の人には見えない真実の姿

 部室にやってくると、中で練習をしていたのは部長を含めた二年生が四人、そして新しく入った一年生が三人いた。
 一年生は部長から弓の持ち方から始まり、弓構えの練習を中心に教えられている。まだ入部して間もない彼らは、部長から直接指導を受けていない間は自主的に矢を番えない弓引きを繰り返し練習し、腕になじませているようだった。
 そんな一年生の横では二年生が皆目の前の的に集中し、手から放たれた矢は空を裂くように飛び小気味良い音で的を射っている。
 しばし彼らの様子を見ていた冴歌は、緊張感のあるこの神聖な空気が堪らなく心地よかった。かつてはここで自分も同じように練習に参加していた日が懐かしく感じる。
 出来ればすぐにでも道着に着替えて練習場に入りたいところではあるが、今自分は阿魅雲羅を抱きかかえている。すやすやと眠っている子を起こす事に何となく抵抗を覚え、冴歌は先に後輩に挨拶をするつもりで道場の入り口から顔を覗かせた。

「おはようございます」
「……神宮寺先輩!」

 声をかけられた後輩たちは一斉にこちらを振り返ると、嬉しそうに誰からともなく駆け寄ってきた。
 一年生は気後れした様子ながも、二年生に続いて追いかけて来る。

「お久し振りです、先輩。お忙しいのにわざわざ来て頂いてすみません。ありがとうございます」
「ううん。いいよ、気にしないで。私の場合受験するわけでも就職するわけでもないから、他の皆より時間があるし」

 にこやかに出迎えてくれた現部長の篠原くるみに、冴歌はにっこりとほほ笑みかけた。

「あれ……? 先輩、その子犬どうしたんですか?」

 ふと、二年生の一人が、冴歌の腕に抱かれている阿魅雲羅に気づき声をかけてきた。
 冴歌は瞬間的に体を強張らせたものの、「子犬」と言った後輩の言葉に首をかしげる。

「子犬……?」
「そうですよ。その抱っこしてるの……え? 違うんですか?」

 後輩たちの目には、阿魅雲羅はただの子犬にしか見えないのだろうか? もう一度抱きかかえている彼に視線を落としてみるが、冴歌の目にはどう見ても人の姿をした人狼にしか見えない。
 子犬でないならそれは何なのか? そう訊ねてきた後輩の視線を感じ、冴歌は慌てて首を縦に振った。

「う、うん。そうなの。さっき渡り廊下で見つけたのよ。どっかから迷い込んできたみたい」

 自分以外の人には違う見え方をしている事が不思議に思ったが、子犬に見えると言うのならそう言う事にしておかなければ何かと厄介だ。

「わぁ、そうなんですね! 可愛いぃ~!」
「先輩に抱っこされて凄く気持ちよさそうに眠ってる~。よっぽど人慣れした犬なんですね~」
「見てみて! 珍しい毛色~。この子雑種かな?」

 後輩たちはキャアキャアと声を上げて、皆思い思いに阿魅雲羅の頭を撫でまわした。
 それでも起きないところを見ると、余程疲れているに違いない。ともあれ、今彼が目を覚まさなくて良かったと胸を撫でおろす。もし起きたら、彼らを傷つける事にもなり兼ねない。
 彼の存在はこれで何とか誤魔化せたとしても、このままでは冴かは道場の中に入ることが出来ない。ただでさえ神聖な場所だと言うのに、そこに彼を連れ込むことは出来ないからだ。

「ごめんね、この子拾っちゃったから近くで教えてあげられないかも……」

 申し訳なさそうにそう言うと、くるみは少し考えた後で口を開いた。

「実は担当の先生がお休みで、今日は自主練ですからちょっとぐらいなら大丈夫だと思います。そこの隅っこに寝かせておきましょう?」

 くるみの提案に抵抗を感じないわけではないが、だからといって彼をどこか別の場所に放置するわけにもいかず、冴歌はその言葉に今回だけ甘んじる事にした。
 道場の隅に持っていたタオルを敷き、そこに阿魅雲羅を降ろすと小さく呻いて身じろぎをする。だが起きる様子もなくそのまま眠り続けていた。
 今の内に冴歌は更衣室に向かい、髪を結いあげて素早く道着に着替え、矢と弓を手に颯爽と道場に現れた。

「先輩、手始めに見本をお願いします」
「分かったわ。じゃあ皆、よく見ててね」

 冴歌は両手に矢を一本と弓を握り、道場の入り口から静かに摺り足で入場してくると、的を真っ直ぐ見据えて座位の位置に付く。そして片膝をずらす様にして上体を動かすことなくすっと立ち上がり、矢を射る位置まで歩み寄り方幅ほどに足を開いた。片膝の甲の上に弓を置き矢を番うと矢じりを握って引き絞り、弓構えの体制を取る。真っ直ぐに目の前の的を見つめ、矢尻に頬付けをして狙いを定めると握っていた矢をパッと離す。矢は鋭く真っ直ぐに飛び的の中心を勢いよく射貫いた。
 その滑らかな一連の動作を見守っていた後輩たちは、ほぅっと誰からともなくため息が漏れた。

「凄いです! 先輩!」
「さすが先輩! 美しいです!」
「もう、大袈裟だよ。皆だって練習すれば絶対上手くなるから、頑張ろう」

 あまりの褒めっぷりに、冴歌は困ったように笑いながら後輩たちの練習に付き合い始めた。

 その中でふっと目を覚ました阿魅雲羅は、寝ぼけ眼で指導する冴歌の姿を捉える。
 優しくも凛々しい彼女の様子を、身動きを取る事もなくじっと見つめながら、襲い来る眠気に抗えずまた再び目を閉じて眠ってしまった。

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