妖夢幻影

陰東 一華菱

事実は伝承よりも奇なり.2

「とりあえず、名前を教えてもらってもいいかな」

 散々ベソベソと泣きながら「俺は何で泣いてるんだ!」「俺は童じゃないと言っているだろう!」などと騒ぎ立てた少年だったが、泣き疲れたのか最後の方は目を赤く腫らした状態でぶんむくれていた。
 その間、冴歌は慰め続けてみたものの結果的にどうすることも出来ず、ただ傍にしゃがみ込んでいる事しかできなかった。
 ようやく泣き止んだタイミングを見計らい、改めて名前を訊ねてみると少年はぷいっと顔を逸らす。

「名前教えてくれないと何て呼べばいいか分からないじゃない。ボクって呼ぶ?」
「ボクじゃない! 子供扱いをするな! 人間ごときがこの俺に生意気な口を聞くなど言語道断だ!」

 まるで堂々巡りだ。このまま意地を張り続けられては埒が明かない。
 冴歌は長いため息を吐いてその場に立ち上がると腰に手を当て、怒ったように顔を顰め少年を見下ろした。

「君が修羅界でトップクラスを誇る妖怪だって事は分かったわ。でもね、そんな意地を張ってばかりいるのは子供と一緒よ」
「な……っ」
「子供扱いするなとか、生意気な口を聞くなとか言う前に、まずは人の質問にきちんと答えられないのは、大人としても妖怪としても、人としても失格だと思うわ」

 冴歌ほどの身長なら、いつもなら見下ろす事の出来るほどの身の丈を持った少年ではあったが、今となっては逆転状態。真上から見下ろされる威圧感が半端ではなく、少年はまたもぺたんと耳を垂れてしまった。
 彼自身、意図せず勝手に耳や尻尾が垂れてしまうことに動揺したのか、急いで頭を手で押さえたものの、それはもう怒られた子犬だ。大きな目で精一杯こちらを睨んでいるが、涙で瞳が潤みかけている様子を見てしまうとそれ以上は強く言えない。
 冴歌は再びその場にしゃがみ込んで、少年の顔を覗き込んだ。

「……偉そうな事言ってごめんなさい。私も名前言ってないわよね。私は冴歌。神宮寺冴歌よ」
「……」
「ほら、君の番」
「……」
「君の名前は何ですか?」
「……阿魅雲羅あみうらだ」
「阿魅雲羅くんね、よろしく」

 根負けしたように自分の名前を呟くと、冴歌はにっこりと笑って手を差し出した。しかし、阿魅雲羅はその手をべちんと叩きのけると、着物の袂に腕を通してジロリと睨み上げた。

「人間と馴れ合いはせん。しかも貴様は帝釈天の血を引く人間だ。つまり、俺の敵でしかない」
「……」

 叩かれた手をぎゅっと握りしめると冴歌は大きなため息を一つ吐き、そして膝に手をついて再びその場に立ち上がった。
 馴れ合いはしない。そう言った彼の言葉には確かに一理ある。
 彼は自分にとって命を狙う敵であり、何より妖怪なのだ。古くから妖封寺に伝わる凶悪な敵であることに変わりはない。別に馴れ合うつもりは無かったが、何かと世話を焼こうとするのはそう見られても仕方がないのかもしれない。

「分かった。じゃあ馴れ合いはしない。で、あなたはこれからどうするつもり?」
「当然、お前を殺す」
「そう」

 冴歌は真顔でそう言うと、阿魅雲羅は「ふん、でかい口を叩いていられるのも今の内だ」と鼻を鳴らし、再び刀に手をかけた。だがやはり、刀を鞘から抜くに抜けず格闘している後ろ姿を見ていると、本当に彼が妖怪クラスのトップなのかと疑わしく思えてしまう。
 しばし彼が刀を抜くのを待っていたが、待てど暮らせど鞘から抜くことが出来ない。万が一抜けたとしても、今の彼では刀を持ち上げて斬りかかるのは不可能に近いものがあるだろう。

「あのね、阿魅雲羅くん。私、これから部活に顔出ししなくちゃいけないの。後輩を待たせてるから、もう行くね?」
「何だと?!」

 自分の刀と悪戦苦闘している阿魅雲羅にそう声をかけると、冴歌は自分の荷物をひょいと持ち上げて部室への道を歩き出した。
 その間にも背後から「待て! 逃げる気か!」「小娘が、俺をコケにするとはいい度胸だ!」と騒ぎたてられる。
 部室棟の入り口まで来た冴歌がちらりと後ろを振り返ると、阿魅雲羅は重たい刀をズルズルと引き摺りながら一生懸命後を追いかけてこようとする姿が見て取れた。

 なんて事だろう。その様子はどうみても、小さな子供が一生懸命親を追いかけて、身の丈に合わないおもちゃを持って付いてくる姿そのものにしか見えない。
 馴れ合いはしないと言ったばかりなのに、彼の様子を見ているとそうも言ってはいられなくなる。
 “事実は小説とは奇なり”とは言うが、これは“事実は伝承とは奇なり”と言うべきだろう。
 あれほどそら恐ろしく語り継がれてきた伝承が、まるで形無しになるほど今の彼には伝承とは程遠いギャップがあった。

 冴歌は長いため息を吐いて阿魅雲羅を振り返る。

「……持ってあげようか?」
「いらぬ世話だ! 俺の刀に人間ふぜいが触ることは許さん!」

 はぁはぁと肩で息を吐き、額に汗を滲ませて頬を紅潮している阿魅雲羅は歯を剥き出しにしてこちらの好意を拒否してきた。しかし、このままでは日が暮れてしまうだけだ。
 こちらが親切で言おうものなら、こうして全力で拒んでくる。だとしたら、もはや聞くまでもない。

 冴歌は自分の荷物を入り口に置くと何も言わずに阿魅雲羅の傍まで歩み寄り、ひょいと彼の脇の下に手を入れて抱き上げた。

「なっ! ふざけるな! 降ろせ!」
「ちょ、こら! 暴れないでよ!」

 ジタバタと大暴れする阿魅雲羅だが、先ほど散々泣いた疲れと刀を引きずった疲れが祟ったのか、しばらく暴れている内にだんだんと目が座り始めた。同時に、冴歌を叩いて押し退けようとしていた手に力が入らなくなり、耳と尻尾を垂れていつの間にか舟をこぎ始めてしまう。そしてとうとう眠気に抗えなくなったのか、電池が切れたかのようにコテンと冴歌に寄りかかって眠ってしまったのである。

「ふふ……何か変なの」

 中身と外見がまるで伴っていない人狼妖怪だが、自分の意に反しているとは言え幼児の体力についていけずに眠ってしまうところを見ると、つい可愛いと思ってしまう。
 彼をこのまま置いていくことなど出来ず、冴歌は彼を抱えたまま自分の荷物を担ぎ部室へ急いだ。

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