妖夢幻影

陰東 一華菱

事実は伝承よりも奇なり

 冴歌はこの日、努めていつもと変わらない日々を過ごすように心がけていた。
 学校で友人達に囲まれて過ごしている間は、外から余計な情報が入ってこない分、命を狙われていると言う事も妖怪達の事も忘れる事が出来る。
 何気ない日常、いつもと変わらない時間……。これからもずっと同じ時間が繰り返されるものと、信じたい。

「冴歌~、今日部活行くの?」

 陽がわずかに傾く頃、学校の授業が終わり鞄を手にした月葉が声を掛けてくる。
 冴歌は鞄と弓道着の入った袋、弓と矢筒を手に彼女を振り返り、ニコリと微笑み頷いた。

「うん。後輩からどうしても形を見て欲しいからって言われてね」
「そっか~。もう部長じゃないのに随分慕われてるよね。良い事だ、うん」

 昨年までは部長として弓道部を支えていた冴歌だったが、来年の卒業を控え二年生に部長の座を譲り引退してからは、あまり部室に行く事も少なくなっていた。実際、冴歌は冴歌で別の大会に出場しなければならない状況であったり、家の事もあって寄る暇もないと言った方が正しいだろう。
 久し振りの部室訪問に、この時の冴歌は少しばかりわくわくしていた。

「じゃあ、あたし先に帰るね。また明日ね~」
「うん、ばいばい」

 月葉と別れ、重たい荷物を持ち直し部室へ向かう。


 季節柄、やはり夕方になるのが早い。
 教室を出て廊下を渡り、校舎の離れにある弓道場へ向かっている間に陽がどんどん傾いていく。
 校舎と弓道場を結ぶ渡り廊下を歩いていると、ふいに強い風に煽られ、冴歌は乱れる髪を押さえて瞬間的に目を閉じた。

 こんなにも強い風がこの時期吹く事が果たしてあっただろうか。
 ビル風が吹くような立地条件にはない校舎の渡り廊下のこの場所で、かなりの風が吹き荒れる。

 ようやく落ち着き始めた風に煽られながら薄く目を見開くと、渡り廊下の中央に小さな子供が倒れているのが見え、冴歌は思わず目を見張った。

「子供……?」

 どこからか迷い込んだのだろうか。
 冴歌が慌てて駆け寄ると、ぐったりとして起き上がる様子のないその子供は珍しい髪色をしていた。
 とても綺麗な銀髪に、着ている服はとても古風なものだった。傍にはとても長くて大きな刀が一本。本物のようにも見えるが、本物だった場合このご時世では犯罪になる。と、言う事はよくできたおもちゃだろうか?

「ねぇ、君、大丈夫?」

 冴歌が子供を抱き上げて声をかけると、子供はピクリとまつげを震わせゆっくりと瞼を開く。そして2、3度虚ろな眼差しで瞬きをすると、ようやく焦点があったのかいきなり冴歌を突き飛ばした。
 突然の事によろめいた冴歌は、その場にペタンと尻もちをついてしまう。

「貴様! この俺に触るなど馴れ馴れしいぞ!」
「え? あ、ご、ごめんね。でも倒れてたから……」

 見かけによらず、口の悪い大人のような語り方をするその子供に、冴歌は面食らってしまった。
 何かお芝居やテレビが好きな子供で、その登場人物になり切って語っているのだろうか?

 冴歌はゆっくりと腰を持ち上げて、子供の目線に合わせるようにしゃがみ直す。

「君、名前は? どうしてこんなところにいるの? お父さんとお母さんは?」

 しゃがみ込んだままそう聞き返すと、子供は苛立ったようにこちらを睨みつけてきた。

「貴様、ふざけてるのか? 俺を誰だと思ってる!」
「えーっと……迷子の男の子?」
「違うっ! 迷子ではないし、童でもないっ!」

 いきり立って怒鳴りつける男の子の様子に、冴歌は困ったように笑って見せる。だが、よくよく見ると男の子の頭にはピンと立った耳が生え、怒鳴った瞬間にぶわっと大きく広がった髪と同じ色の二つの尻尾を見て、はたと動きを止めた。

―― 現世と前世の交差する百鬼夜行の夜は、白銀の人狼を狙い打て。躊躇うな。必ず仕留めよ。さもなくばその命、失うと思え……。

 先祖代々受け継いできたその伝承の言葉が頭をよぎったのだ。
 白銀の人狼……。もしかすると、この子が修羅界でトップクラスを誇ると言う……?
 しかし、とてもではないがそんなに凶暴な人物には見えない。

「あの……もしかしてあなた……」

 俄かには信じがたい彼の風貌に、冴歌は困ったように聞き返すと、男の子はじろりとこちらを睨みつけてきた。そしてスンと鼻を鳴らすと、威嚇めいたように口を開く。

「貴様からは帝釈天の臭いがするな……」

 そう言いながら腰に下げていた妖刀に手を伸ばす。だが、ずっしりとした重みがあり、更には小さな手に握りしめて引き抜くには、あまりにも長すぎた。
 なかなか刀を鞘から抜けずにまごついていると、ようやく彼は自分の容姿がいつもと違うことに気が付き、毛を逆立てる。

「な、何だこの風貌はっ!? どうなっている!?」

 すっかり取り乱した少年は、自分の手を見つめていたかと思えば、ばたばたと自分の体を叩きながら取り乱していた。
 彼自身も自分の体がいつもと違うことに理解が追い付かず、混乱しているようだった。自分の顔や頭、手や足、背格好の感触を何度も何度も確かめて、最終的にはその場に固まってしまう。

「あ、あの~……大丈夫?」

 ぶるぶると体全体を震わせて絶望している少年にぎこちなく声をかけると、彼はぐるっとこちらを振り返った。その姿に、冴歌は思わず言葉を失う。

「お、俺はどうなってるんだ……?」

 口振りこそ変わらないと言うのに、その眼には大粒の涙がボタボタと溢れて零れ落ちている。
 あまりのパニックに、心と体が別々の反応を示しているのだろうか。先ほどまでピンと立っていた耳はぺたんと倒れ、尻尾は垂れ下がり、さらには泣いていることに本人も気づいていないような素振りだった。

「えっと……ごめんね?」

 訳も分からず、子供を泣かせてしまったという罪悪感に満たされた冴歌は、小首を傾げて謝った。

「妖夢幻影」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く