東北~風に思いを乗せて~

青キング

未来のために1

 二〇一七年三月十日。
 あの悲劇から世間では早く、個人的には遅く六年が経過しようとしていた。 仮設住宅が密集する一画で、母と荷物運びをしていた。
 質量みっちりの抱えるくらいのサイズの段ボール箱を、両手で担いで俺は眼前で一回り小さい段ボール箱を担いだ母に借問する。
「こうじさんのとこ行かなくていいのか?」
 こうじさんとは、六年前風の電話がある高台にて知り合った幸太と楓の叔父さんで、あれ以来いろいろお世話になっている厚い心の男気盛んな男性だ。
 母は振り向くことなく、ふっと鼻から息を漏らして言った。
「私は暁と一緒にいるときが一番落ち着くからな、当然行かない」
「ははは……」
 行ってあげろよ、と母の冷たさに思わず胸中で苦笑いした。
 母ととりとめもない会話をしていると、前方から車椅子を押す赤髪の女とそれに腰かけた黒髪の男が二人仲良く喋りながら近付いてきていた。
「やあ暁くん、ご苦労様。荷物運びは順調かな?」
 澄ました顔で黒髪の男、名前は加山幸太かやまこうたが俺に話し掛けてきた。
「順調もなにも手慣れてますから。ささっと終わるよ」
 俺は自慢げに笑ってみせた。
 少槌町に移住してからというもの、復興に精を注いでいる。
 六年経ったというのに、町の完全復興はまだまだ遠そうだ。
 そんな陰鬱な思考を、消し飛ばすように幸太がにやついて口にする。
「暁のお母様はいつ見ても、美しいですな」
 こうじさんを真似た口振りに、俺は意識なしでプッと吹き出していた。
 だが幸太のおどけた台詞に笑わず、六年前より大人びた顔の楓が相変わらずの冷え冷えとした視線を自分の兄に向けた。
「アニキ、バッカじゃないの」
 妹に馬鹿にされたままではいられないのが兄の性分なのか、幸太は切り返す。 
「ああ、可愛かった頃の楓はどこに行ったのやら……小学校頃はおにぃちゃイデッ!」
 いやみったらしく喋り始めた幸太のつむじの辺に、妹拳いもうとけん第十二体術、手刀降下シスター・チョップが直撃した。
 その威力は瓦割りをも超えるとされ、超合金 を真っ二つにすると言われている、非常に恐ろしく非情に満ち満ちた妹だけが習得できる技だ。
 それを喰らった幸太は両手で頭を抱え、痛感を堪え唸っている。
 そんな兄を気に留めず、ちょっと笑って自分の後方を肩越しに親指で指した。
璃留りるちゃんが部屋で待ってたよ。早く荷物運び済まして行ってあげてよ」
「璃留が? なんだろうな?」
 俺の疑問に知らん顔で、私このあと仕事あるからと横を過ぎていった。
 すると、母が俺の耳元に口を寄せてくる。
「告白とかだろ、暁はモテるからな」
 悪戯っぽい口調でそう囁かれた。
「いや、それはないだろ!」
 咄嗟に否定すると、母は意味深な台詞を口にした。
「鈍感だねぇ暁は、まぁ私はそういうところが好きだけどねぇ」
 遊ぶように言い終えると口を離して、早く済ませるぞと常の態度に戻って先に歩き出した。
 それにしても璃留がねぇ?
 まぁ済ましたら訪ねてみるか。
 俺は落とさないように段ボール箱を抱え直して、母の後を追った。

 荷物運びを終え、簡易的な造りの仮設住宅の間を縫って特定の住居を目指していた。
 陽も沈みかけ、オレンジ色が世界を覆っている夕景が夜の訪れを感じさせる。
「やっと着いた~」
 徒歩で何分で着いただろうか、体感的には十分かかっているのだが実際は五分にも満たないだろう。
 白い壁に縁取られた褐色ガラスドアの横に、掛けられている流木で作られた即席の表札の名前を確認する。
 野川__。
「あっ」
 不意に横から声が聞こえて、俺は瞬時に視線をそちらに移した。
 夕陽をバックに型どられた細身のシルエットの人物に度々面識があった。
 俺より何十センチかほど低い背丈に、それを包む落ち着いた黒色の制服、そして一際目立つ夕陽を受けて琥珀に輝くスーパーロングの金髪が特徴の野川魅留のがわみる、野川璃留の姉だ。
 魅留は俺を見て、不思議そうに首を傾げた。
「家の前で立ってどうしたんですか?」
 何度見ても飽きない魅留の美しさに見入っていた俺は、咄嗟に理由を話す。
「いや、その……璃留が俺を待ってるって聞いたから来たんだけど……」 
 ダメだった? と尋ねる前に魅留が先にピンク色の唇を動かした。
「あっ! 挨拶し忘れてましたね。こんばんは塩原さん」
 ペコリと礼儀正しくお辞儀して魅留は挨拶してきた。
「あっどうも」
 俺も忘れていたと軽く頭を下げた。
 お辞儀で下げていた頭をゆっくり上げて、無意な視線で真っ直ぐ俺を見た。
「な、なに?」
 思わず動揺してしまう俺に、優しく微笑んでドアに近寄った。
 ドアノブを掴んでどうぞ、と開けてくれた。
 高校生とは思えないほど優秀だなぁ、といかにも叔父さんぶった思考に至った自分を悲観しつつも、顔には出さなかった。
「お邪魔しまーす」
 遠慮がちに中に入ると、ドタドタと床を震動させながら誰かが駆けてきた。
 誰かは見当ついてるが。
「塩原おね兄さん遅いです! どれだけ待たせる気だったんですか?」
 駆け寄って来てはすぐさま詰問を投げ掛けてきた璃留に、俺はごめんと謝罪した。
「まぁ聞いても意味ないのでぇ……仕事してもらいます」
 冠状態から一転、璃留は口角を上げて要求してきた。
「整頓手伝ってください」
「整頓? なんの?」
 俺が尋ねると、悪役めいたふっふっふっ、という笑いを喉から出して言った。
「見ればわかります、さぁこちらへ」
 そう言って華奢な手で俺の服の裾をガシッと掴んで中へと引っ張る。
 引っ張られるまま着いていくと、仮設住宅の狭い中にポツンと筒状の空缶が小ぶりなタンスの上にわびしく置いてあった。
「空缶?」
「違います! 大事なものがいっぱい入ってます!」
 ボソリと見た光景を口にした俺に、すぐさま返してきた。
 大事なものか。なんだろうな?
 缶の中身を俺が気にしたところで、璃留は裾から手を離し俺を見上げて口を開いた。
「で、仕事っていうのは計算してほしいんです。お兄さん算数得意そうだから、ねっお願い!」
 手のひらを合わせて可愛く懇願してくる。
 愛嬌なのか愛想なのか、いつも言動が愛くるしくてお願いを拒めない。
「計算だけならすぐ終わらせてやるよ、そこで見ときな」
 自信満々で俺は缶を手に取って、中を確認する。
 とりわけ有名な偉人が載っている紙が缶の縁に沿うように丸めて五枚ほど入っている。他には底に大中小いろいろな硬貨が幾つか見えた。
 それらを丁寧に取り出す。
 手のひらに一つずつ置いていきながら頭の中で計算を始めた。
 ええと、千円札が五枚と五百円玉一枚、百円玉と十円がそれぞれ三枚といった金額的にはささやかだった。
「なぁ璃留、五六三〇円入ってるけど何か買いたいものでもあるのか?」
 すぐに答えは返ってきた。
「ないよ、お兄さんもう帰っていいよ」
「は、はぁ」
 まさか、これだけのために呼んだのか?
 とんだ大弱り沙汰だ。
「そう言うなら帰るぞ」
 俺は缶をタンスの上に置き直した、ふとその時一枚の小さな額が目に留まった。
 額に収めている写真を見たとき、猛烈にはっとした。
 幼き日の瑠璃と魅留、そして後ろには優しく微笑むお母さんと思しき人物が立っている。写真の右隅に日付二〇一〇年十二月三日と記されている。た確か、璃留と魅留のお母さんは震災時に行方不明になったまま……。
 俺は台所に並んで立つ二人に視線を移した。
 それでも台所に立つ二人は笑顔で戯れている。
 少し安心に似た心情を感じた。
「じゃあな、何かあったら呼べよ」
 俺は出ていく間際、顔を見ずに二人にそう言い残した。
「ああ、塩原さん」
 台所から首を出して魅留が俺を呼び止めた。
 俺が振り向くと、困り顔をして穏やかな声で一言述べた。
「次は、きちんと靴を脱いで上がってくださいね」
 俺は身が縮まる思いでそそくさとドアを開けて夕陽に照らされる外へと駆け出した。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品