東北~風に思いを乗せて~

青キング

風の電話2

 俺は芝生を踏みしめながら、前方に見えるガラス張りの電話ボックスに向かって歩く。
 どんどん電話ボックスに迫り、入り口前で歩みを止めた。
 透明なガラスに銀の取っ手が付いている。
 背中に受ける四人の視線が俺の鬱屈な気持ちを押してくる。
 俺は取っ手に手をかけた。
 引き戸型の長方形のガラスを開いた。
 電話ボックスの中には古めかしいダイヤル式の黒電話とその隣に一冊の真新しいノートと一本のペンが、作為的に置かれていた。
 ノートの表紙に丁寧な筆跡でこう記されてる。
 まずは受話器を取ってください。風の電話は心で話します。静かに目を閉じ、耳を澄ましてください、風の音がまたは浪の音が、或いは小鳥のさえずりが聞こえたなら、あなたの想いを伝えてください。
 俺はとりあえず受話器を取って、耳に当てた。
 瞼をゆっくり閉じ、聴覚に全神経を集中させた。
 無音に包み込まれる。
 その時、わずかな音を感じ取った。
 風で海の水面が揺れさざ波を起こして、ごくわずかな音量を発生させたのだ。
「あ……つき?」
 視界が暗転した。
 掠れるような小声が、鼓膜を揺るがす。
「あかつき!」
 俺の聞きたかったボイスが、耳元で嬉々と
 俺の名前を叫ぶ。
「やった、やっと会えた! 私より十センチくらい大きいかなぁ? すっごく身長伸びたね」
「まぁな最近ぐんぐん伸びてるからな」
「彼女できた?」
「なんて質問すんだよ」
「で、どうなの?」
「いるわけねぇだろ。お前は?」
「同じく」
 こんなとりとめもない会話にジーンときていた。
 身が暖気に包まれたかのような、温もりを感じる。
「あのさ……暁」
 急にいろはは切迫した声を出す。
 耳を澄まして聞き入った。
「私って可愛い?」
 今ごろになって客観的な意見を求めるというのか?
 俺は己の観点による意見を述べた。
「すっげー可愛いよ。人に自慢したいくらいだよ」
 しばし間ができた。
「ありがとう暁。私も暁がカッコいいと思うよ……うん、カッコいい」
 正直、そんな風に見られているとは思っていなかった。
 俺は照れ混じりに話題を変えようとした。
「そ、そんなことより学校楽しいか?」
「そんなことって、プッ自分のことじゃない」
 小さく吹いていろはは口の端を上げる。
「ほんと、暁って自分のことを見下げてるよね。まぁそういうところが暁の良いところなんだけど」
 良いところか、いろはなんて俺と比べたら百倍も良いところあるだろ。
 そんな俺の思考をいろはの咳払いが吹き飛ばした。
「改めて塩原暁くんに伝えたいことがありま
 す」
 やけに他人行儀な台詞を口にして、真っ直ぐ爪先を合わせ直立した。
 次にいろはから発された言葉は異常なまでに優しく切なかった。
「大好きだよ暁。私がいないからって嘆いてちゃダメだよ。誰かのために頑張る暁がい~ちばんカッコイイんだから」
 自然と心の中が癒されて、鬱がきれいさっぱり消滅する。
「ありがとういろは。俺もお前が大好きだ」いろはの体が薄まり出す。
 最後に最高のスマイルを俺に向けて、大量の光の粒となって目の前から消失した。
 視界がクリアになっていく。どうやら知らぬ間に瞼を閉じていたらしい。
 色彩のついた視界の正面にある黒電話に、耳に当てていた受話器を戻した。
 悲壮感に充溢じゅういつした心に、ポッとささやかな灯火が灯ったような温かさ。
「いろは……」
 ふと零れた台詞に付け足す。
「頑張るよ」
 短い台詞だったが、今の心情を表すには十分だ。
 頬が無意識に緩んだ。
 俺はそのまま電話ボックスを出た。
 俺を憂い顔で見つめている母のもとまで駆け寄る。
「なんかさっぱりしてるね」
 母にそう言われ、俺はちんぷんかんぷんに尋ねる。
「どういうこと?」
 俺の反応に母は表情を安堵のものに一変させて、薄く笑った。
「母さんどうかした?」
 薄い笑いの意図を理解できない俺は借問しゃもんした。 
 母の口から返ってきたのは、帰るかというごく短い台詞だけ。
「わかった」
 俺も短く応じた。
 俺と母のやり取りの間、俺はずっと気になっていた。
 母の隣を睥睨へいげいした。
 さらさらした黒髪の車椅子に乗った青年、赤髪を後頭部で束ねた少女、がたいのいい無精髭を生やした男性、まじまじと俺と母のやり取りの成り行きを凝視していた。
「なんなんですか?」
 俺がうざったく尋ねると、車椅子に乗った青年が取り繕いの笑いを厚さの控えめな唇に浮かべた。
「は、はは微笑ましいなって思って。ね、楓も思っただろ?」
 柔弱な容貌で、隣に立つ赤々とした髪をもつ顔立ちのいい少女に共感を求める。
 途端、少女は眉を寄せた。
「あたしに共感させようとしないで!」
「すいません!」
 車椅子の青年は即座に謝った。
 しかし、すぐに表情を戻し青年は俺に口を利く。
「暁くん、電話ボックスに入る前よりずいぶん爽快した顔になってる」
 爽快した顔?
 意味を解釈できない俺に、青年は続ける。
「大切な人に思いを伝えられたのかな?」
「まぁ……な」
 その時の自分の台詞を思い出し、少々恥ずかしくも答えた。
「それなら良かったよ、《風の電話》が人の心に生まれた闇を取り払ってくれるってことがわかったから」
 落ち着きはらった口調で黒髪の若者はそう言い残して、じゃあね暁くんと笑顔で片手を振ってくれた。
 その隣で言葉を発しず無表情でコートの少女て片手を振っていた。
 俺も片手を振って応じた。
「それじゃあ帰るぞ暁」
 少し後方にいる母に促され、三人に背を向けた。
「ちょっと待ったぁ!」
 野太い声が突然後ろから聴覚を刺激する。
 振り向くと作業服のおじさんが、必死の形相で携帯両手に俺達に駆け寄ってきた。
 おじさんは俺を通りすぎ、母のところで止まった。
「お名前は?」
 目をひん剥いて直視しながら母に言い寄る。
 しかし母は動じず、顔色ひとつ変えず答える。
「塩原 弥生ですけど」
 答えてくれたのに男はホッとしたのか、肩の力を明らかに抜いた。
「ぜひよろしければ、携帯の番号とメールアドレスを……」
「別に構わないけど……悪用しないよね?」
 男が言い切る前に承諾したが、心配そうに口をもごつかせてから念を押す。
「もちろん!」
 男は大いに頷いた。
 わかったというように母は男に、慈愛溢れる微笑みを掛けた。
「その笑顔、最高です!」
 母はズボンのポケットからスマホを素早く取り出す。
 この時俺は悟っていた。母が優しいだけで終わるわけがないことに__。
「妄言吐いてないで、早くして。こっちは時間がないんだ」
 冷酷なまでにとげのある口調に激変した。
 それでも無精髭の男は、その凛々しさがまたグッド! と頬を綻ばせていた。
 ちょっとMなところがあるみたいだ。
「はい、完了!」
 少しイライラしたような口ぶりでアドレス交換を済ませた。
「ありがとうございます~」
 作業服の男は鼻の下を伸ばして、さぞご満悦のようだ。
「それじゃあね」
 母は片手を返しながら男に颯爽と髪を揺らしながら背を向けた。
 母の黒髪が眩しいほど閃いていた。
 俺は空を見上げた。
 全面灰色だった空があちこちに切れ目を作り、太陽光を地に差し込ませていた。
「行くぞ暁」
 後ろ手で母が俺を呼んでいた。
「あーごめん。帰ろうか」
 空から目を逸らして、俺も歩き出す。
 俺の背中に降り注いだ温かい太陽光が、自分の気づかない心の希望の種を発芽させていた。密かに慎ましやかに発芽した芽は大きくなっていった。

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