東北~風に思いを乗せて~

青キング

権利

 手で視界を悪くしている長く伸びた枝を掻き分けながら雑木林を出た。
 実はこんなに草木が生い茂っているとは気がつかなかった。
 出てすぐ、クリムゾンレッドのボックス車があり、その側面に母はもたれ掛かり俯いてスマホの画面に集中していた。
「母さん何やってんだ?」
 俺の声に気づいたのか、ゆっくり顔をスマホからこちらに向けてきた母は唐突に言い放った。
「暁のバカ!」
「えぇ? 何で?」
 狼狽する俺に母は何故か言い淀んだ。
「何でって……その……なんというか」
 いつもはきっぱりとストレートに物事を言うのだが、これは希な言動だ。
 数秒、言い淀んだ挙げ句もういい早く乗ってくれ、と短兵急な催促をしてきた。
「ああ、わかった」
 わけもわからず、俺はサイドドアのドアノブを引いた。
 家のドアとはまた違った、重みのあるドアを開いて車内に乗り込み、座りなれた運転席の斜め裏のシートに腰掛けた。
 母も車内に乗り込み運転席に座ると、両手を器のように合わせて温めるようにふぅと息を吹き込んだ。
 母が俺の前で寒そうな挙動をしたのは、もしかしたら初かもしれない。
 ふとそう思って、寒いのか? と俺は尋ねた。
 すると、斜め後ろの俺に顔を向けて不思議そうに尋ね返してきた。
「何故にそんなことを聞く?」
 俺は率直に答えた。
「寒そうに手を合わせてふぅってしたから」
「そんなに私が寒そうにしてるのが珍しいのか?」
「見た記憶がないなぁと思って」
 俺が正直に考えていたことを話すと、ハハハと母は声に出して笑った。
「どこに笑うところがあるんだよ」
「いやー今まで寒いっていうことを感じたことがなかったからなぁ。まっ、記憶に無くて当然だよ」
 どんだけ寒さに強いんだよ。皮膚が最先端の防寒性能を持ってるんじゃないか?
 ああ、俺もその防寒性能欲しい!
 俺が心中で不毛な想像をしていると母は唐突に聞いてきた。
「近辺の避難所を探さないとな。どこにあるか知ってる?」
「地元の人間じゃねーんだから、知ってるわけないだろ」
「知ってるよ、そんなこと」
 あっけらかんと言われて、俺はうんざり気味に返す。
「スマホ使って調べればいいだろ」
 はっ、とあからさまな驚きの声を漏らして母はズボンのポケットから、スマホを慌てて取り出した。
 指を器用に動かし画面を操作する。
「見つけたぞ」
 そう言うとすぐにスマホをポケットに戻してハンドルを両手で握った。
「そう遠くはないみたいだ」
 母はシートの上で前傾姿勢を取り、アクセルを踏み込んだ。
 低く重いエンジン音を唸らせながら車は発進した。
 そして山道を十数分走って、杉木すぎのきに囲まれて拓けた場所に到着した。
「ここ、なに?」
 砂利が広く敷かれていて中央に一棟の木造の体育館みたいな建物が寂しく建っている。
「母さん、ここなに?」
 俺の質問に母は平然と答える。
「避難所だよ」
 えっ? 避難所?
 言われて見てみるに、広く敷かれた砂利の中央に建っている体育館みたいな建物の手前に運搬車や乗用車が数台停まっている。
 そこに母も停めると、エンジンを切ってドアを開けて外に出ると俺に手のひらを見せて伸ばしてくる。
「荷物取って」
 ああ、そういうことか。
 俺は無言で隣のシートに置かれたクーラーボックスの取っ手を掴んで持ち上げた。
 ズシリとした質量感を腕に感じたが、大したことはない。
 母に向かってクーラーボックスを持っていない方の手のひらを見せて俺がやるからいいよ、と言葉無しで伝えると少し驚いたような顔をされた。
 車から降りると着いてきてくれ、とお願いされて母に着いていった。
 母は小屋の入り口前に立つと、ガラス戸をノックした。
「何か用ですか?」
 中からガラス越しに濁ったような中年男性の声がノックに応じた。
「人を捜してるんですけど、居場所を知らないかと思って来ました。ご迷惑ではありませんか?」
 母の問いにだみ声の主はしばし沈黙し、間をおいてどうぞと素っ気ない返事をした。
 ガラララと古めかしい音を立てながら、母は戸をスライドさせて足を踏み入れた。
 俺も母に倣うように入る。
 全方向すべて木目調で、直線に伸びた通路の最奥から老若男女の話し声が耳に入った。それでも寂寥感を覚えてしまうのは何故か?
 話し声がするのは、最奥にある入り口と似たようなガラス戸を隔てた中からみたいだ。
 ガラス戸を凝視していると突然ガラララと戸がスライドした。
 ビクッと俺は身をすくませた。かガラス戸を開けて出てきたのは、口の周りに薄く髭を生やしたパジャマ姿の中年男性だった。
 男性は怪訝そうにこちらを見ている。
 しかし、俺の隣で母は毅然として尋ねた。
「漬け物ありますけど。いりませんか?」
 尚も怪訝そうにして、男はだみ声を発した。
「誰を捜してるんだ?」
 すると母は俺の腕をツンツンと肘でつついて横目に見てくる。
 あ俺が聞くのね。
 俺はズボンのポケットからスマホを取り出してホーム画面を開いた。そして男性に歩み寄って画面を見せながら尋ねた。
「歌浜いろはです。画面の中で俺の隣に立っている子です」
 俺が指で示すと眉間に皺を作ってまじまじと凝視して言った。
「見覚えないけどぉーどうやろ他の人なら知ってるかもしれん」
 そして顔を戻し身を翻してガラス戸を開けて中に入っていった。
「地道に捜すしかないよ」
 と俺の肩に手を置いて母は慈悲を含んだ微笑を見せた。
「しかた……ないよな」
 渦巻く思いを強引に脇に押しやり、俺は数歩歩きガラス戸の前に立った。
 もしかしたら中にいるかもしれない。
 もしかしたら寂しがってるかもしれない。
 もしかしたら……いない……かもしれない。もしそうだったのなら別の避難所に行ってみよう。
 思いきってガラス戸を豪快に開けた。
 開けた直後、見知らぬ人と視線がぶつかる。
 ブルーシートの上に座り、驚きを顔に出して若い女性は俺を見上げている。
「だだ誰ですか?」
 女性は勢いよく立ち上がり一歩後ずさる。
 空間そのものがどよめきに包まれた。
 女性の隣にいた、同じく若い男性が俺を殺伐とした視線で睨み付けていた。
 そして男性は女性の肩に腕を回し庇うように引き寄せた。
「誰だよお前?」
 底冷えするような重く静かな怒声が耳の中に響く。
「人を捜してるんだ。歌浜いろはっていう高校生しらねぇか」
 ほぼ感情のままに喋っていた。
「そんなん知らねぇよ! ここから早く出てけ!」
 俺に男性の怒声とともに周囲から冷酷で無慈悲な視線が浴びせられた。
「暁、やめとけ」
 母が俺を落ち着かせるように肩を掴んだ。
 その時、聞き覚えのあるだみ声が近くで発せられた。
「失礼だろがぁ」
 皆の視線が声の主に集まる。
 髭で点々と黒い顎をさする声の主は、先ほど俺がホーム画面を見せた男性だ。
「疑心暗鬼になりすぎなんだよ。話くらい聞いてやれや」
 まさに鶴の一声。瞬く間に静まり返り、すいませんと謝りだす人まで現れた。
 髭面の中年男性は、代弁してくれた。
「歌浜いろはっていう子を知ってるやつはいねぇか?」
「はいはい!」
 奥の方で並んで座る人越しに小さな手が可愛らしい声とともに挙手された。
「ああっと? 野川さん家の子か。些細なことでも言ってみな」
 小さな手を突き上げたままええとねぇ、と立ち上がる。
 顔立ちと身丈からするに小学一二年生ぐらいだろう。両側頭部から赤いリボンでまとめた髪を垂らしている。
「いろはお姉ちゃんのお家、りるの近くなんだよ。それでねよく遊んでもらってるんだぁ」
 愉快そうに喋る少女に、髭面の中年男性は問いかけた。
「それで今、その子はどうしてるんだい?」
「わかんなぁーい」
 少女は笑顔を作ってきっぱりとそう答えた。
「その事については私が説明します!」
 少女の横に座っていた、顔立ちの似ている金髪のの子が立ち上がった。
 立ち居振舞いと背の丈から、こちらは小学四五年生くらいだろう。
 幼さの残る声で話し始めた。
「地震前に帰り道で偶然会って……」
 消え入るような語尾で視線を俯けて、過去を憂い悲しむような表情を浮かべた。
「そ、それで何か言ってたのか?」
 緊張で震えた声で俺は話の先を尋ねる。
 金髪の女の子は先を話すことが怖いかのように、視線を俯けたまま表情を変えない。
 それでも勇気を振り絞ってかに開かれた口から声が発せられた。
  「歌浜お姉ちゃんそのときね……足を怪我してたみたいなの……それで病院行くって言ってた気がする……」
 実に弱々しく戦慄した声だった。
 最悪のビジョンが感情と無関係に脳内に映し出されつつあった。
「それで病院は海の近くにあったから……」
 ビジョンが鮮明さを増していく。
「多分、津波で流され……ちゃった……」
 ビジョンが脳内で再生された。
 手足の感覚は遠のき、視界は暗転し、全身が脱力する。
「おい、暁? 暁!」
 俺の名前を叫ぶ母の声も、段々と薄れ聞こえなくなる。
 __ああ、もういいや。
 __俺の人生なんて神様は見守っちゃいなかったんだ。
 __幸福も恵沢も俺にはありゃしなかったんだ。
 __大切な人を持つ権利さえもなかったんだ。

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