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月夜に提灯、一花咲かせ

樫吾春樹

黎明 「一花咲かせる」

ふと目を覚ますと、目の前には見慣れない天井があった。首を横に傾けると、そこには、椅子に座ったまま寝ている裕人さんの姿がいる。
「裕人さん?」
「ん…… やっと起きたか、真琴」
椅子から立ち上がり、僕の近くに来て頭を撫でた。なんだか久しぶりの感触に、安心して涙が一筋流れる。
「どうした? いきなり泣き出して」
「なんだか、凄く久しぶりな気がして」
「そうか? まあ、丸一日寝てたけど。このまま入院だって、医者が言ってた」
「そっか。ありがとう、そばにいてくれて」
「いいって。こういう時に、そばにいなくて何が彼氏なんだか」
ふと、彼の手元に自分の日記帳があるのが見えた。視線に気づいた裕人さんは、言葉を続ける。
「ごめん、読んじゃった……」
「本当は、まだいるうちに見られたくなかったけどね。仕方ないか」
少し膨れてみるが、すぐに表情が戻ってしまう。
「裕人さん。悪いけど、帰ってもらえないかな? 休みたくて」
「そうか。なら、帰ることにするよ。また明日な、真琴」
「また、ね……」
寂しくて呼び戻しそうになるのを堪え、裕人さんに精一杯の笑顔で手を振る。部屋から出ていって、見えなくなるまでずっと。
「ごめんね、ありがとう。ずっと愛してます」
もう見えない背中に向かって呟き、入れ替わりで入ってきた医者の話を聞いた。それから僕は、辛い身体を起こして日記の最後のページに続きを書く。汚くて文字も震えているが、なんとか書き終えてから僕は目を閉じた。




その日の夜。彼女は、二度と帰らない人になった。事を知ったのは翌朝で、電話が鳴り俺は急いで駆け付ける。着いた時には彼女の家族が既にいて、真琴はベッドに静かに寝ているように見えた。俺に気づいて、母親が場所を開けてくれる。そっと近づいて、呼んだら起きてこないかと彼女の声をかける。
「真琴、朝だぞ。ほら、起きろよ。仕事あるんだぞ」
起きない真琴に触れて、揺すり起こそうとする。だが、伝わってくる体温はあまりにも冷たく、彼女が既に起きないことを示していた。
「星田さん、真琴はもう……」
「すいません、お騒がせしました」
そう言い残し、俺は病室を出た。真琴は死んだ。その事実を突きつけられ、頭は理解しようとしているものの、心を置いていくような感覚になっている。
「あの、星田さんに琴姉から」
そう言って、弟君は彼女の日記を手渡してきた。
「ありがとう」
そう言って受け取ると、彼は病室に戻って行った。パラパラとページを捲り、真琴の軌跡を辿る。途中で日記が途切れ、空欄のページが続く。昨日のことは書いてないのかと思いながら最後のページまで捲ると、昨日は無かったはずの文章と一通の手紙がそこにあった。文字は震えていて所々涙で滲んでいるが、彼女が最後に書いた言葉だった。


昨日は久しぶりのデートだった。裕人さんと見る一年ぶりの桜。それはとても綺麗で、このまま時が止まればいいのにと願ってしまうくらいに。だけど現実は残酷で、そんな願いを許してはくれなかった。
僕は倒れたらしく、結局病院に運ばれた。先輩が帰った後に、医者から「もう手遅れだ」ということを聞かされた。正直、そんな気はしていた。もう、自分は長くないってこと。数年前の自分なら特に何も後悔なんてすることは無かったけど、今の自分には後悔しかない気がする。
明日を生きたかった。何気ないことで笑っていたかった。くだらないも話したかった。先輩の隣に座って仕事に行きたかった。一緒にいたかった。まだまだしたいことは山のようにあるのに、どうしてこうも現実は上手くいかないのだろう。
いつか、前を歩く先輩を追い抜きたかったのに。僕の夢は、先輩に追い付いて追い抜いて。そして、いつかは二人が高いところで並べるような。そう思っていたのに、上手くいかないな。
先輩。いや、裕人さん。愛してました。いいえ、今でも愛してます。どうか、先に逝くことを許してください。そして、僕のことは忘れて幸せになってください。


読み終わった頃には、涙が頬を伝っていった。溢れてくるのを手で押さえ、俺は声を殺して泣いた。
「こんなのずるいだろ、真琴…… 俺だって、俺だってな……」
一緒にいてほしかった。隣で笑っていてほしかった。もっと話もしたかった。何より、愛おしくて仕方なかった。だけども、彼女は二度と戻らない。その事実をやっと心が理解したと同時に、とてつもなく大きな喪失感に襲われた。あの笑顔はもう見られないということを。俺は泣いた。ただひたすらに、泣き続けた。落ち着くまで。雨が通り過ぎていくまで、ただただ泣いていた。
病院から帰る頃。外では雨が降っていたのか、地面が濡れていた。今の自分の心境と似たようなものだなと思い、ふと空を見上げる。
「わぁ……」
桜が舞い散るその向こうの空に、一本の虹の橋がかかっていた。まるで、真琴が「大丈夫だよ」と応援してるような、そんな気がする。
「真琴、見ててくれよ。いつか君が夢見た場所に、辿り着いてみせるからさ。だから、見えなくても近くで見守っていてくれ」
誓いを心に刻み、俺は歩き始めた。風に舞う桜が、優しく頬を撫でる。
「裕人さん、愛してる」
風の音に紛れて、もう聞こえないはずの声が聞こえた気がして、俺は振り返った。だがそこに彼女はいなくて、花弁だけがひらりと舞い降りてるだけだった。笑みを浮かべ、誰もいない空虚に言葉を告げた。


「俺も愛してるよ、真琴」

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