月夜に提灯、一花咲かせ

樫吾春樹

参音目 胡蝶蘭

女子にとっては決戦の二月十四日、バレンタインデー。だけど、僕にとってはそんなの関係なく、いつも通り仕事だった。準備でもして驚かせようと思ったが、残念ながらそんなことをする暇すらなかった。
「何か、準備できればよかったんだけどな……」
年度末も近いということもあり、今月と来月はとてつもなく忙しい。それこそ、休みなんてないくらいに。だけど、それでもいつもお世話になっているのも含めて、何か形あるものをあげたかった。
「仕方ないから、市販のお菓子で済ませようかな…… 本当は作りたかったけど」
そんなことを考えながら、近所に新しくできたコンビニ内を歩く。最近の朝の約束の場所は、このコンビニになっている。朝御飯を買うということもあり、こっちの方が便利だからだ。
「今日の朝御飯、何にしよう」
先輩が来るまでの間に、朝御飯を決めておまけに渡すためのお菓子も選ぶ。ふと、ポッキーが目に入る。文字が変わっていて、スッキーになっているが。時間もそろそろ無くなってきたため、それも手に取りレジへと向かう。
店の外に出ると、丁度先輩の車が駐車場に入ってきた。駆け寄り、止まるのを待ってから乗り込む。
「おはようございます」
「おはよ、ちょっと飲み物買ってくるね」
そう言って先輩は店に入り、すぐに飲み物を買ってきた。
「それじゃあ、出発しようか」
「はい、行きましょう」
いつもと変わらないように車を走らせ、今日も僕達は現場へと向かう。車内では、変わらず仕事の話やくだらない会話をして、本日の現場の近くに着いた。
「さて。まだ時間あるし、人目が少ない所で待ってますか」
車を走らせながら、彼はそう言った。
「襲う気ですか?」
「まこちゃんが勝手に脱ぎだすんでしょ?」
「僕はそんなことしませんからね」
「本当かな?」
「先輩……」
あまりにふざけている先輩を睨むと、悪かったと言いながら車が止まった。まだ時間があるなら渡してしまおうかと僕は思って、コンビニ袋から朝買ったものを取り出した。
「裕人先輩、バレンタインです」
「そういえば、今日だっけ?」
「ですよ、日付感覚大丈夫ですか?」
「こうして、忙しくしてると狂うね……」
「僕もですけどね…… 何も用意できなかったので、これで我慢してください」
申し訳なさそうに渡すと、彼は嬉しそうに受け取った。
「そうだ、せっかくだしまこちゃんも一緒に食べる?」
「いいんですか?」
「うん、いいよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
開けられた袋から一本取りだし、口に運ぶ。チョコの甘さが、普段の忙しさを少し忘れさせてくれる。ポリポリと食べ終え、もう一本手に取る。あと一口で食べ終える所で、裕人さんに呼ばれて振り向いた。
「まこちゃんのチョコ、貰うね」
最後の一口を食べられ、そのまま口付けをされた。とっさのことに反応できなかった僕は、ただ数回まばたきを繰り返した。
「こっちの方が甘いね」
目の前でいたずらっぽく笑う裕人さんの胸に、僕は恥ずかしさで顔を埋めた。
「どうした?」
「……ずるいです」
「何のことかな?」
とぼける彼に、顔を上げて口付けをする。それに対して先輩は僕を抱き締め、更に深く口付けをしてきた。唇を割って入ってくる舌を受け入れ、こちらも絡める。押したり引いたり。そんなことを何度か繰り返して、口を離す。
「まったく、先輩は……」
「それ、俺の台詞。まこちゃんが可愛かったから、つい」
互いの顔を見て笑い合い、そっと抱き締められた。
今日は女の子達の戦場、バレンタインデー。だけど僕にとっては、忙しい日々をちょっとだけ忘れさせてくれる。そんな日。

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