おままごとの演じ方
第十話 A dialogue(前編)
「橘さん、今どうして驚いたような顔を見せたんですか?」
訊ねる。もうそれは容赦なく。私の中にある疑念が本物かどうかを見極めるために。
橘さんは笑みを浮かべ、首を傾げる。私の言っていることが解っていないらしい。
だが、もし私の仮説が正しいのであればそれは嘘になるし、自ずと一つの結論が導き出させることになる。そうなったときの問題点については何ら考えていないが、それはおいおい考えていこう。
「……驚いていたかしら?」
橘さんは平静を装って言った。
私は解っていた。なんとなくピンと来ていた。きっとこれが一つの結論だろうと。この結論を受け入れなくてはならないということを。
「驚いていました。それはもう面白いくらいに。あれで隠し通すつもりだったのならばとても滑稽なことになるのですが……いったいなぜ隠そうとしたのですか?」
一つの結論へと線を引くために、私は質問をする。
その結論に出来ることなら行きたくないのだが、ほんとうに仕方ない。もしその結論がほんとうに正しいものであったとしてもそれは誰も悪くない。
橘さんは笑っていた。しかし今までのような親近感をもった笑顔ではなく、どこか引きつったような笑いだった。
化けの皮が剥がれた瞬間と言ってもいい。
そして、『橘アオイ』は言った。
「正解だよ、二年生。よくここまで辿りついた。……まるで梨沙があなたのそばにいるような感じがする。いいや、そんなことは有り得ないのだけれど」
「有り得ない……ですか。なぜあなたはそのようなことを――」
言葉が途切れたのは私が直接的な原因を担っているわけではない。
目の前に立っている橘さんが原因だ。彼女は注射器を持っていた。だからその中に薬剤を混ぜ込ませたのだろう。そしてそれを血管に直接注射された私は……ああ、もう考えるのも眠くなってくる……。
そして――私の意識は闇の中に落ちていった。
◇◇◇
目を覚ますと、そこに広がっていたのはただの暗闇だった。暗闇、とは言ったが完全な闇ではない。目を凝らせばそこがどういう空間なのか、辛うじて見えてくる。
ジャラ、と金属が擦れる音がした。そして両手首に何か違和を感じた。
「もしかしてこれって鎖なんじゃ……」
「ご明察。それにしてもあっという間に私を見つけるなんて、面白いね」
声が聞こえた。
その声は聞いたことがある。その声は知っている。
だから私は、声が聞こえた方を睨み付け、答えた。
「橘アオイ、やはりあなたが神蔵さんを殺した犯人だったのね」
「その口振りからすると……どうやらほんとうに幽霊が見えるのね。ほんとうに気持ち悪い。死んでいる存在が見えるなんて、なんと気持ち悪いことなんでしょう!」
カチ、と音が聞こえる。それと同時に、暗闇に顔が浮かび上がる。
いや、それは正確には誤りだ。橘アオイが自らの近くでライターに火を点けたのだ。
橘アオイは右手にライター、左手にナイフを持っていた。
ナイフの刃を舐め、橘アオイは言った。
「あなた……言ったわよね。幽霊なんて見えない、って。にもかかわらず今の発言、それは幽霊が見えるという証拠にもなるんじゃないかしら?」
「……そうですかね。神蔵さんの知り合いに頼まれた説とかも浮上しません? 少なくとも確固たる証拠にはなり得ませんよ」
私はただそれを言っただけだったが、橘アオイは私の肩をナイフで掠めた。ナイフの切れ味がいいのか、それだけで私の服は切り裂かれてしまった。
「……私に口答えするな。このナイフは毎日研いでいる。だからこの抜群の切れ味をいつもキープしているのだから。次に口答えしたらこのナイフがあなたの肌を切り裂く」
ナイフから滴る血を嘗め取り、恍惚とした表情を浮かべる橘アオイ。その表情に恐怖すら感じさせるが、そこで私が怖がっている雰囲気を醸し出してはならない。そうすれば相手は付け入る。その悪循環だけは、避けなければならない。
橘アオイはゆっくりと私の周りを歩き出す。どうやら私の腕を固定する鎖は柱に括り付けられているようだった。
「あぁ……言っておくけれど、もちろん脱出するなんて考えない方がいいわよ。鍵は私が持っているし、鍵が無ければ脱出は不可能だもの」
橘アオイは笑みを浮かべて、私の足を蹴った。
「――――っ!」
鋭く、突き刺さるような痛みが押し寄せる。
そして、その第二波として、じわりとどこか温かい液体が触れた。
――血、だ。
それを、痛みを、感じながら私は橘アオイを睨み付ける。当の本人はケタケタと笑っていた。狂っていた。
「どうした、どうしたんだ? えぇ? そんなに睨み付けて。痛いのか? 痛いだろうなぁ、こいつは特製シューズだ。針が踵にくっついている。刺さると痛いやつだ」
「なぜ人を殺そうと思ったの?」
「……へっ。まさか自分が死ぬかもしれない状況でそんなことを言う人間が居るとはね。狂っているよ、あんた」
笑われた。
私としては、結構本気で言っていたのだけれど。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。問題はあんたをどうやって殺すか、ただそれだけだ」
じわじわと血が靴の中に染み込んでいく。あぁ、もうこの靴は使えないな――なんて今考えることではないのだろうけれど。
でもそんなことを考えられるくらいには、意外と自分は冷静だった。
「……ねぇ、橘さん。一つ聞いてもいいかな」
踵を返し、橘アオイは首をかしげた。
きっと彼女はこの状況で質問する私に違和を抱いているのだろう。まぁ、確かにそうなるのも案外仕方無いことかもしれない。普通ならば『異常者』のレッテルを貼られても半ばおかしくない行動だろう。
だが、私は。異常者であることを自覚している。一般人であると偽っている。偽ることが簡単なのかと言われればそんなわけはない。寧ろ難しい部類だ。
そういえばどこかの誰かが言っていたっけ。人を騙すことは出来ても自分自身を完全に騙すことの出来る人間はそう居ないって。それは確かにその通りだと思う。
「別に構わない。冥土の土産だ。一つだけ、」
橘アオイは人差し指を立てた。
「あんたの質問に答えてやる。いいか、一つだけだぞ。慎重になって訊ねるんだな」
一つだけ。
橘アオイはそう言った。もしかしたら私がたくさん質問して時間を稼ぐとか……そんなことを考えているのだろうか?
だとしたらそいつは笑えない冗談だ。私がそんなくだらないことをすると思っているのだろうか。そうだとするなら、そいつは心外だ。さっさと撤回してもらいたい。
私が質問する内容はただ一つだけ。しかもそれはもう決まっている事項だ。犯人に出会ったら聞きたかったことではない。橘アオイに聞きたかったことだ。
私は小さく笑みを浮かべると、橘アオイに訊ねた。
「あなたは……夕月梨沙のことが好きなのですか」
時間が止まったように思えた。
だが実際にはそんなことなどなく、橘アオイが思考を停止しただけだった。
俯いて、ただそれだけ。
どれくらい時間が経ったか――橘アオイはゆっくりと口を開けた。
「ええ。私は梨沙のことが好きよ」
言った。
「夕月梨沙が好きだから、私を殺すのですか」
さらに質問。
「そんなわけないでしょう? 第一、あなたと梨沙にどんな関係が? 昼休み、食事をしていただけじゃない。それもずっとではなくて、一時期。春から夏にかけての数ヶ月に過ぎない」
「それですよ。それだけであなたは私を殺すに足る理由となった。いや、正確には夕月梨沙に近づく学生を皆そういう風に殺していったのかもしれないですけれど」
「……何ですって?」
私がそこまで辿り着くには予想外だったのか、橘アオイはどこか抜けた声で言った。
ここまでくればあと少し。
言葉で決着を着けましょう。
「夕月梨沙は女性が好きだった。もしかしたら男性が好きだったのかもしれないけれど、どちらにしろ、夕月梨沙にも好意を抱く人間だっていたし、夕月梨沙に好意を抱く人間だっていたはず。だけれど、あなたはそれが許せなかった。夕月梨沙にそんな思いを、ほかの人間に抱いて欲しくなかった」
「ちょっと待ちなさいよ」
それは、少しだけ怒りのこもった声だった。
「それじゃまるで私が同性愛者みたいじゃない」
訊ねる。もうそれは容赦なく。私の中にある疑念が本物かどうかを見極めるために。
橘さんは笑みを浮かべ、首を傾げる。私の言っていることが解っていないらしい。
だが、もし私の仮説が正しいのであればそれは嘘になるし、自ずと一つの結論が導き出させることになる。そうなったときの問題点については何ら考えていないが、それはおいおい考えていこう。
「……驚いていたかしら?」
橘さんは平静を装って言った。
私は解っていた。なんとなくピンと来ていた。きっとこれが一つの結論だろうと。この結論を受け入れなくてはならないということを。
「驚いていました。それはもう面白いくらいに。あれで隠し通すつもりだったのならばとても滑稽なことになるのですが……いったいなぜ隠そうとしたのですか?」
一つの結論へと線を引くために、私は質問をする。
その結論に出来ることなら行きたくないのだが、ほんとうに仕方ない。もしその結論がほんとうに正しいものであったとしてもそれは誰も悪くない。
橘さんは笑っていた。しかし今までのような親近感をもった笑顔ではなく、どこか引きつったような笑いだった。
化けの皮が剥がれた瞬間と言ってもいい。
そして、『橘アオイ』は言った。
「正解だよ、二年生。よくここまで辿りついた。……まるで梨沙があなたのそばにいるような感じがする。いいや、そんなことは有り得ないのだけれど」
「有り得ない……ですか。なぜあなたはそのようなことを――」
言葉が途切れたのは私が直接的な原因を担っているわけではない。
目の前に立っている橘さんが原因だ。彼女は注射器を持っていた。だからその中に薬剤を混ぜ込ませたのだろう。そしてそれを血管に直接注射された私は……ああ、もう考えるのも眠くなってくる……。
そして――私の意識は闇の中に落ちていった。
◇◇◇
目を覚ますと、そこに広がっていたのはただの暗闇だった。暗闇、とは言ったが完全な闇ではない。目を凝らせばそこがどういう空間なのか、辛うじて見えてくる。
ジャラ、と金属が擦れる音がした。そして両手首に何か違和を感じた。
「もしかしてこれって鎖なんじゃ……」
「ご明察。それにしてもあっという間に私を見つけるなんて、面白いね」
声が聞こえた。
その声は聞いたことがある。その声は知っている。
だから私は、声が聞こえた方を睨み付け、答えた。
「橘アオイ、やはりあなたが神蔵さんを殺した犯人だったのね」
「その口振りからすると……どうやらほんとうに幽霊が見えるのね。ほんとうに気持ち悪い。死んでいる存在が見えるなんて、なんと気持ち悪いことなんでしょう!」
カチ、と音が聞こえる。それと同時に、暗闇に顔が浮かび上がる。
いや、それは正確には誤りだ。橘アオイが自らの近くでライターに火を点けたのだ。
橘アオイは右手にライター、左手にナイフを持っていた。
ナイフの刃を舐め、橘アオイは言った。
「あなた……言ったわよね。幽霊なんて見えない、って。にもかかわらず今の発言、それは幽霊が見えるという証拠にもなるんじゃないかしら?」
「……そうですかね。神蔵さんの知り合いに頼まれた説とかも浮上しません? 少なくとも確固たる証拠にはなり得ませんよ」
私はただそれを言っただけだったが、橘アオイは私の肩をナイフで掠めた。ナイフの切れ味がいいのか、それだけで私の服は切り裂かれてしまった。
「……私に口答えするな。このナイフは毎日研いでいる。だからこの抜群の切れ味をいつもキープしているのだから。次に口答えしたらこのナイフがあなたの肌を切り裂く」
ナイフから滴る血を嘗め取り、恍惚とした表情を浮かべる橘アオイ。その表情に恐怖すら感じさせるが、そこで私が怖がっている雰囲気を醸し出してはならない。そうすれば相手は付け入る。その悪循環だけは、避けなければならない。
橘アオイはゆっくりと私の周りを歩き出す。どうやら私の腕を固定する鎖は柱に括り付けられているようだった。
「あぁ……言っておくけれど、もちろん脱出するなんて考えない方がいいわよ。鍵は私が持っているし、鍵が無ければ脱出は不可能だもの」
橘アオイは笑みを浮かべて、私の足を蹴った。
「――――っ!」
鋭く、突き刺さるような痛みが押し寄せる。
そして、その第二波として、じわりとどこか温かい液体が触れた。
――血、だ。
それを、痛みを、感じながら私は橘アオイを睨み付ける。当の本人はケタケタと笑っていた。狂っていた。
「どうした、どうしたんだ? えぇ? そんなに睨み付けて。痛いのか? 痛いだろうなぁ、こいつは特製シューズだ。針が踵にくっついている。刺さると痛いやつだ」
「なぜ人を殺そうと思ったの?」
「……へっ。まさか自分が死ぬかもしれない状況でそんなことを言う人間が居るとはね。狂っているよ、あんた」
笑われた。
私としては、結構本気で言っていたのだけれど。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。問題はあんたをどうやって殺すか、ただそれだけだ」
じわじわと血が靴の中に染み込んでいく。あぁ、もうこの靴は使えないな――なんて今考えることではないのだろうけれど。
でもそんなことを考えられるくらいには、意外と自分は冷静だった。
「……ねぇ、橘さん。一つ聞いてもいいかな」
踵を返し、橘アオイは首をかしげた。
きっと彼女はこの状況で質問する私に違和を抱いているのだろう。まぁ、確かにそうなるのも案外仕方無いことかもしれない。普通ならば『異常者』のレッテルを貼られても半ばおかしくない行動だろう。
だが、私は。異常者であることを自覚している。一般人であると偽っている。偽ることが簡単なのかと言われればそんなわけはない。寧ろ難しい部類だ。
そういえばどこかの誰かが言っていたっけ。人を騙すことは出来ても自分自身を完全に騙すことの出来る人間はそう居ないって。それは確かにその通りだと思う。
「別に構わない。冥土の土産だ。一つだけ、」
橘アオイは人差し指を立てた。
「あんたの質問に答えてやる。いいか、一つだけだぞ。慎重になって訊ねるんだな」
一つだけ。
橘アオイはそう言った。もしかしたら私がたくさん質問して時間を稼ぐとか……そんなことを考えているのだろうか?
だとしたらそいつは笑えない冗談だ。私がそんなくだらないことをすると思っているのだろうか。そうだとするなら、そいつは心外だ。さっさと撤回してもらいたい。
私が質問する内容はただ一つだけ。しかもそれはもう決まっている事項だ。犯人に出会ったら聞きたかったことではない。橘アオイに聞きたかったことだ。
私は小さく笑みを浮かべると、橘アオイに訊ねた。
「あなたは……夕月梨沙のことが好きなのですか」
時間が止まったように思えた。
だが実際にはそんなことなどなく、橘アオイが思考を停止しただけだった。
俯いて、ただそれだけ。
どれくらい時間が経ったか――橘アオイはゆっくりと口を開けた。
「ええ。私は梨沙のことが好きよ」
言った。
「夕月梨沙が好きだから、私を殺すのですか」
さらに質問。
「そんなわけないでしょう? 第一、あなたと梨沙にどんな関係が? 昼休み、食事をしていただけじゃない。それもずっとではなくて、一時期。春から夏にかけての数ヶ月に過ぎない」
「それですよ。それだけであなたは私を殺すに足る理由となった。いや、正確には夕月梨沙に近づく学生を皆そういう風に殺していったのかもしれないですけれど」
「……何ですって?」
私がそこまで辿り着くには予想外だったのか、橘アオイはどこか抜けた声で言った。
ここまでくればあと少し。
言葉で決着を着けましょう。
「夕月梨沙は女性が好きだった。もしかしたら男性が好きだったのかもしれないけれど、どちらにしろ、夕月梨沙にも好意を抱く人間だっていたし、夕月梨沙に好意を抱く人間だっていたはず。だけれど、あなたはそれが許せなかった。夕月梨沙にそんな思いを、ほかの人間に抱いて欲しくなかった」
「ちょっと待ちなさいよ」
それは、少しだけ怒りのこもった声だった。
「それじゃまるで私が同性愛者みたいじゃない」
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