玉虫色の依頼、少女達のストライド

些稚絃羽

Epilogue

「病院ってこんなにお金かかるんだっけ」

 財布の中をもう一度確認して、さっきは見えなかったお金が見つからないかと目を凝らす。当然見つかる訳がない、お金は今出て行ったのだから。

 街はすっかり秋の装いで、見上げる木々も鮮やかな赤や黄に染め上げられて気まぐれに葉を散らす。通りすがりに覗く服屋の入口で、厚いダウンジャケットを羽織ったマネキンが優雅にポーズを取っていた。
 ついこの間まで残暑だなんだと言っていたのに。急に寒くなるから風邪なんて引いたんだ。……あぁそうですよ、自己管理ができていなかったのが原因ですよっ。
 誰が聞いているでもない愚痴を口元で消化する。こんなにも寂しい気持ちになるのは秋の夕暮れだからか、はたまた風邪の作用か。そういえば近頃高橋さんの依頼が減ったなぁ。これまでの依頼が多すぎたから探し物がないのはいいことだけど、僕の仕事が減るのは困る。それに事実上僕の広報担当である高橋さんが近くに居てくれないというのも困る。やっと正しい宣伝をしてくれるようになったんだから。
 いつからだろう、高橋さんがよそよそしくなったのは。勘違いを解いてからかもしれない。愛らしい双子の姉妹を僕の娘だと早合点した、あの勘違い。


 昨日のことのようなのに、気付けばもう二ヶ月が経とうとしている。
 もっとゆっくり、時間が過ぎていけばいい。あの夏の日の中にもう少しだけ留め置いてほしかった。そう思うのにどう願ってもそれは届かなくて。木の葉はこんなにも簡単に手元へ落ちてくるのに。
 季節の移ろいは激しく、時に人を置いてけぼりにする。


 あれからも僕は陽だまりの庭の皆と連絡を取り合っている。プライベート用の携帯電話には美奈子さんに続いて多枝さん、正哉くん、清貴くん、果ては蓮ちゃんのアドレスまで入っている。あの子だけは電話番号は教えてくれなかったけれど十分な前進だろう。
 その後は逐一あったことをそれぞれが報告してくれるようになった。多枝さんと蓮ちゃんは揃いも揃って淡泊だが、逆に清貴くんは積極的に写真付きで楽しそうな学校生活を伝えてくれる。一方正哉くんは連絡の度に僕の心配をしてくれるのだけど、あれは何なんだ。早く相談に乗れという催促ならもう少し引き延ばしても面白いかもしれない。

 満月ちゃんのことは美奈子さんが事ある毎に電話で知らせてくれている。僕がそうお願いしたからだ。
 一度だけ、こう言われたことがある。

「もし朝陽の描いた絵で義務感に囚われてるなら、気にしなくていいよ。あれは単なるお願いで、叶えなきゃいけない依頼じゃないんだから」

 だけど僕は、違うんです、と答えた。
 甲斐性なしの僕はあの依頼には応えてあげられない。ひとりでさえろくに育てていけないことは僕が一番よく分かっている。初めからそれは望んだりできないことだ。
 ただ、見届けたいんだ。あの子がひとりで立ち上がるのを。自分が受けている愛を理解する時を。よく似た誰かではなく自分自身を大切にできる未来を。――教えてほしいんだ。

 あの出来事は事故として処理することにしたとあれからすぐに聞いていた。そして美奈子さんが養子として満月ちゃんを引き取ろうと思っていることも教えてくれた。実のところ朝陽ちゃんへの里親話が舞い込むまではふたりを養子にしようと本気で考えていたそうだから、それが現実になる日もそう遠くはないかもしれない。今思えば美奈子さんが後悔を口にしていたのはそういう背景があったせいでもあるのだろう。自分が早くそのことを決めていれば……そんな風に感じてしまったんだろうな。
 だからそれ以上僕にできることは本当に何もない。これまで通りの生活をしながら、そこにひとつ少女のことを考える時間が増えるだけ。春になる頃にまた会いに行けたらいいと思う。少しだけ大きくなった姿が今から楽しみだ。


 今でも最期に見た笑顔が夢に出る時がある。ぬめりけのある指先の感触も同時に思い出す。その度に幼い命の存在の大きさが胸に迫る。そうして自分が生きていることを実感して、繰り返すさよならはささくれみたいだ。

 人は、か弱い。不安がって、なのに強がって。そうして回り道をして結局抜け出せなくなってしまう。
 年齢は関係ない、子供も大人も皆上手い生き方を探している。迷路をスタートからゴールまで駆け抜けるような生き方を。
 だけどそれは無理だ。誰一人として常に太陽の下を歩くような人生を送れた人は居ないのだから。晴れの日があれば雨の日があり、吹き飛ばされる向かい風の日も凍えるような雪の日もある。他の誰もそれから守ってはくれない。預けることすらできない。だから自分の両足で踏ん張って自分の人生を生き続けなくてはならない。
 決して簡単なことではない、だけど幸せなことだとも思うんだ。
 雨宿りして出会える人が、風のまま向かって見つかる景色が、雪が溶けて迎える春が必ずあるから。道が続く限り、歩くのをやめない限り、幸せはいつも苦しみを上回るから。
 太陽に代わり、月が顔を出す。今日は生憎の三日月だ。だけどもこんなにも暗がりの中に美しく輝いている。無欠でなければいけない理由もそうでなければ輝けない理由もない。何かを諦めてしまうには僕達はまだ幼すぎる。


 色んな人と出会って、足りないものを知って。見つけるべきものが僕の中に溜まっていく。
 そうやって満ち欠けしながら、半端なりに“探し物探偵”を続けていこうと思う。



 荒い息を吐きながら何とか我が家へと帰って来た。近くの病院が徒歩二十分とは、風邪を悪化させる原因になりそうだ。もう風邪も病気も徹底ブロックだ。

「ん、手紙……?」

 いつものように通り過ぎそうになったポストから封筒の端が覗いていた。珍しいことは続くものだな。

 差出人は奥野敏之おくのとしゆきとなっている。知らない名前だ。住所は、随分遠い。海が綺麗で終の棲家にしたいと話題の地だけれど、僕とは縁もゆかりもない。
 奥野敏之。その苗字にも名前にも残念ながら憶えがなかった。学生時代の同級生や依頼人の名前を引っ張り出してはみたが奥野という知り合いはひとりも居ないようだ。
 二度ほど鍵差しに失敗しながらも何とか事務所内に入る。封を切るためにハサミを探しながらこの手紙の意味を考えてみる。
 この奥野という人は、ここの住所をどうやって知ったのか。持ち歩いている名刺や数枚刷った宣伝チラシにも住所は書いていない。一層崩れそうになっている事務所に直接足を運んで帰られたとなると商売あがったり、電話番号があれば十分だろうとそうしたのだが。住所を吹聴する趣味もないし、向こうも遠方の人だ。ますます住所を知られる機会がない。……流石の高橋さんでも距離が遠すぎる。
 何にせよ、依頼の手紙だったらいい。どうやって知ったかは疑問だが僕の名が徐々に日本各地に広がっていると思えばこんなに嬉しいことはない。いずれ事務所を構えずにさすらいの探し物探偵を名乗るのもいいかもしれないな。

 そんなことを考えながら封を開け、中の紙を引き出す。堅苦しい辞世の句から始まるその手紙を読み進めると意外な名前が記されていた。

本宮もとみや栞理しおり……。母さんが、そこに……?」

 力の入らない脚で支えられなくなった身体は重力に従って崩れていく。かろうじて行き着いたソファに身体を預けると、悲鳴に似た嫌な音が僕を包んだ。




END
 

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